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グォドレイの寿命

「鞭打ちの痕を、消せるの!?」


 鬱蒼と木々が生い茂る森にあるツリーハウスの中で、ミルドレットは素っ頓狂な声を上げた。


 感謝祭を翌日に控えたこの日、グォドレイは突然ミルドレットの背にある傷痕を消そうと言い出したのだ。


 驚くミルドレットの前でグォドレイはどこか不満気な表情を浮かべ、「消すって言っても、完全にじゃねぇけどな?」と椅子に掛けながらそう言うと、幅広の袖口から煙管を取り出して、口にする事無くテーブルの上へとカタリと置いた。


「古傷ってのは、心の傷と結びついてがんじがらめになっちまってる。お前さんの心の傷が開けば古傷も開いちまうってわけだ」


「心の傷……?」


 ミルドレットの脳裏に凄惨な過去の様子が浮かびそうになり、慌てて首を左右に振って思考を掻き消した。


「お師匠様の言いたい事、なんとなくわかる気がする。治るんじゃなく、消すだけって事なんだよね?」


 ミルドレットの言葉に、グォドレイは小さく何度か頷いた。


「すまない、ミリー。俺にできることはそこまでが限界だ」

「どうしてお師匠様が謝るの? 消してくれるだけでもあたしは十分だよ。でも、突然どうして?」


 軒先に吊るしてある魔除けの飾りが、風で揺れて甲高い金属音が鳴り響いた。恐らく小鳥が訪れたのだろう。


 窓の外へと視線を向けたミルドレットに、グォドレイは溜息交じりに言った。


「魔法薬を全部没収されちまったしなぁ。お前さんの背にある鞭打ちの痕は、王太子妃選抜には不利になる。貴族連中に傷一つねぇお前さんを見せつけねぇ事には、納得しないだろうからな」

「ちょっと待って、皆の前で真っ裸になれっていうの!?」


 顔を真っ赤にして言ったミルドレットに、グォドレイは呆れたように眉を下げた。


「……んなこと言ってねえよ。なんだ、お前さんいっちょ前に恥じらいを身に付けたのか? 俺様と平気で風呂に入ってたくせに?」


 肩を揺らして笑うグォドレイに、ミルドレットは顔を真っ赤にしたままぷっくりと頬を膨らませた。


「今はもう一人で入ってるでしょ!?」

「ったく、師匠を何だと思ってんだか」

「お師匠様こそ、あたしを受け入れてくれなかったくせに。どうせ色気のないちんちくりんですよーだ!」


「そいつは別の話だっつーの……」


 グォドレイはやれやれとため息をつくと、テーブルの上に置いた煙管を取ろうと指で触れ、そのまま手を下ろした。

 その行為に、ミルドレットは訝し気に小首を傾げた。


「お師匠様、さっきからどうして煙管を吸わないの?」

「うん? ああ、ちょっとな」


 返事になってない言葉を吐くと、グォドレイは椅子から立ち上がり大義そうに伸びをした。


「さてと、じゃあさっそくお前さんの傷を消してやるとするか」

「あたしはどうすればいいの?」


 ミルドレットの問いかけにグォドレイは片眉を吊り上げると、室内を見回して長椅子に腰かける様にとミルドレットに指示し、欠伸をした。


——なんか、お師匠様かなり面倒くさそうなんだけど……。


 と、ミルドレットが指示通り長椅子に腰かけて苦笑いを浮かべた時、グォドレイはゆっくりとミルドレットの座る前へと赴いた。


 項を掻いてため息を吐くと、ミルドレットをチラリと見つめた。


「……お師匠様、すっごく嫌そうなんだけど」

「嫌って訳じゃねぇんだが。うーん……嫌なのかな、俺……? まあ、嫌かもな。嫌だな。嫌か? そうでもないような?」


「なにそれ、どんな……」


 ちゅ……と、グォドレイはミルドレットの唇に口づけをした。突然のことに驚いて目を白黒させたミルドレットは身動きが取れないまま、グォドレイにゆっくりと押し倒された。


 グォドレイの手がするりとミルドレットの背に回された。傷痕をなぞる様に指先が触れ、ミルドレットはびくりと身体を震わせた。


「くすぐったいだろうが、少し我慢してくれ」


 グォドレイは囁く様にそう言うと、再びミルドレットに口づけをした。魔法文字か何かを描く様に、指先がミルドレットの背をなぞる。


——ひょっとして、あの時はあたしを拒絶したのに、今求めてるのかな……?


 そう考えたミルドレットは、グォドレイの肩へと腕を回した。自らも舌を絡め、グォドレイの性欲をそそるようにと誘惑する。


「……おい」


 慌てて唇を離したグォドレイが、顔を真っ赤にして眉を寄せた。


「お前さん、そんなキス一体どこで覚えた!?」

「エレンから教えて貰った。実践は初めてだけど」

「どんな敏腕侍女だよ!?」

「王妃様専属侍女だったから、色々と教養があるんだって言ってた」


 困った様にため息を吐くと、グォドレイは優しくミルドレットの頭を撫でた。


「お前さんはそんな事する必要なんかねぇから、大人しくしてりゃあいい。何もエロい事したくてキスしてる訳じゃねぇんだから」

「え! あたし下手だった?」

「そういう意味じゃねぇよっ!!」


 顔を真っ赤にしながらそう言うと、「ったく、最初からやり直しだ」とぶつぶつと愚痴て、グォドレイは再びするりとミルドレットの背に手を回した。


「ひゃんっ!」


 くすぐったくて声を出したミルドレットに一瞬躊躇ったものの、そっと優しく唇を重ねた。


 光の粒がさらさらと舞い上がる。


——何の……光……?


 蕩けるような口づけにぼうっとしながら、ミルドレットは光の粒を見つめていると、背に触れていたグォドレイの手の感触がすぅっと消え、それと共に大量の光の粒がグォドレイの身体から解き放たれる様に舞い上がった。


「……よし。上手くいったな、多分。ったく、なんか余計に魔力を消耗した様な気がするが」


 疲れた様にそう言って身体を離したグォドレイを、名残惜しそうにミルドレットは見つめた。


 ほんのりと頬を染めた彼女の様子が色っぽく、困った様に目を逸らして、グォドレイは長椅子の縁に手をついて立ち上がった。


 だが、立ち上がろうとしてふらりとよろめき、床の上に転倒してしまった。


「お、お師匠様!?」


 ミルドレットは慌てて飛び起きると、グォドレイを見つめて息を呑んだ。


——嘘……。お師匠様の左腕が……無い……!?


『俺は回復魔法が得意じゃねぇからな、寿命も縮むし』


 グォドレイが言っていた言葉を思い出し、ミルドレットのサファイアの様な瞳から涙が溢れて、ぽたりと零れ落ちた。


「何泣いてやがるんだ? やれやれミスったぜ。痛ぇな」


 グォドレイは起き上がると、床に座り込んでふぅとため息を吐いた。


「お師匠様、それ……!」


 ぐすぐすと泣きじゃくりながら、ミルドレットはグォドレイの失った左腕を指さした。


「ああ、片腕一つでお前さんの傷が消えるなら、まあ上々だろう。だから、泣くな。お前さんが泣くだろうと思って嫌だったんだ」

「上々なんかじゃないよ……!! だって、傷が本当に治るわけでもないのにっ!!」


 ぽたぽたと涙を零すミルドレットを見つめながら、グォドレイは残ったもう片方の手でミルドレットの頭を優しく撫でてやった。


「俺様が望んでやったことだ。泣くことなんかねぇよ。二本もあるんだ、一本くらい無くなったってどうってことねぇさ」


 そう言って笑みを向けるグォドレイに、ミルドレットは抱き着いた。


「どうってことなくなんかない! そんなの嫌だっ!!」


 グォドレイは肩を揺らして笑うと「嫌だなんて言うなよ。返品はご免被るぜ?」と言ってミルドレットを片腕で優しく抱き寄せた。


「俺様は紫焔の魔導士様だぜ? 気にすることなんかねぇんだ。ま、お前さんと濃厚なチューも出来た事だしな。ニコニコ仮面に言うんじゃねぇぞ? ぶっとばされちまうから」


 そう言うと、グォドレイは溜息をついてミルドレットの背をトントンと優しく叩いた。


「悪かったよ。いつもお前さんの同意を得ずに勝手にしてばっかだな。嫌だったか?」


 胸の中で首を左右に振るミルドレットに、グォドレイはホッとして彼女の頭にキスをした。


 すすり泣くミルドレットが泣き止むまで、グォドレイは黙って彼女を優しく抱きしめた。


『片腕一つでお前さんの傷が消えるなら、まあ上々だろう』


 それは、グォドレイの本心だった。オーレリアを失ってぽっかりと空いた心を、ミルドレットは十分過ぎる程に埋めてくれたのだから。


 永遠とも言える程に永く生きるグォドレイにとって、八年間という時は大したことのないものであったが、一生巡り会う事が無いだろうという程に温かく優しい時間だった。


 出会った人間達の大抵は相手の方から去っていく。


 だから今度は、自分から去ろうと決めた。


 大切な時間を、心の中で宝物として取っておきたかったからだ。


「……感謝祭が終わったら、ちょいとばかし留守にしようと思うんだが」


 ポツリと言ったグォドレイの言葉に、ミルドレットはドキリとした。


「どこに行っちゃうの?」


 パッと顔を上げたミルドレットの顔は涙でぐちょぐちょになっており、グォドレイは吹き出して笑った。


「お前さん、折角の美人が台無しだっつーの」

「顔なんかどうだっていいでしょ!? お師匠様。どこに行っちゃうの?」


 悲し気に見上げるミルドレットの頬に張り付いた髪を取り払ってやりながら、グォドレイは「さぁてな」とため息交じりに言った。


「金も貯まって、この地でやろうと思ってた事もほぼほぼ終えたところだ。お前さんの晴れ姿を観ずに出かける事になっちまうが、そいつだけは赦してくれ」

「居なくなっちゃ嫌だって言うのは、我儘?」


 ミルドレットの言葉にグォドレイは困った様に眉を下げた。


「……ああ、そうだな」


 ミルドレットの頬を優しく撫でると、グォドレイはアメジストの様な瞳を細め、笑みを向けた。


「本当は、伝えずに消える気でいた。けど、お前さんが怒るだろうなって思って伝える事にした」

「当然怒るに決まってるよね?」


 ぷっと頬を膨らませたミルドレットに、グォドレイは小さく頷いて微笑んだ。


「すまない」


 ため息を吐くと、グォドレイは言葉を続けた。


「俺が居なくても大丈夫さ。自信を持てよ。アーヴィングの野郎に何を言われたって、気にする必要なんかない。お前さんにはニコニコ仮面の野郎だってついてるんだ。もう、独りで戦う必要もない」

「ニールは、ニールだよ。お師匠様とは違う」


 ぎゅっと抱き着くミルドレットに、グォドレイは整った眉を下げ、寂しさに耐える様に瞳を閉じた。


 離れがたい。


 だが、それでも離れなければならない。ミルドレットの事を深く愛し過ぎてしまったから。


 彼女は、他の男を愛しており、()()()()()()()()()()()()()()()なのだから。


「ねぇ、お師匠様。絶対に感謝祭に行かなきゃ駄目? あたしは、ずっとこのままお師匠様と……」

「ああ。駄目だ」


 グォドレイは小さく首を振った。


「ニコニコ仮面の野郎と約束したからな。感謝祭には必ずお前さんを連れて行くと。それに、あいつが言っていやがったんだ。お前さんが幸せそうに笑う顔が見たいだけなのに、自分は幸せを奪う事しかできねぇってな。不憫な奴だ。あいつの幸せを奪っちまったのは、俺でもあるってのに……」


 もしも……と、考えずには居られない。

 自分の行動が起こした小さな揺らぎが、大波の様に変化して他人の人生を狂わせてしまうのだから。


 ミルドレットがため息交じりに言った。


「あたしが、ニールと結婚するわけじゃないのに。それに王太子妃に選ばれるかどうかもわかんないし」


「選ばれるさ」


 グォドレイは断言するようにそう言った後、ミルドレットの頭を優しく撫でた。だが、ミルドレットは「そうは思えないけれど」と言って甘える様にグォドレイの胸に頭を寄せた。


「……どうしても助けて欲しいってなら、俺様はどこからだって、いつでもお前さんの元に駆けつける。解ってるだろう?」


 グォドレイは優しくそう言ったが、ミルドレットは悲し気に唇を噛みしめた。


 彼はこうして自分の身を犠牲にしてまでも、ミルドレットを守ろうとしてくれているのだ。


 もう、これ以上この優しい人を自分の為に傷つけてはならない。


 むやみに頼ったりなどしてはいけない。


 ミルドレットはそう心に決めて、グォドレイとの永遠の別れが近い事に胸を痛めた。


「幸せになれよ、ミリー。絶対だからな? お前さんの幸せの為になら、俺は何だってしてやる」

「有難う、お師匠様。幸せになれるかどうかは、はっきり言って自信無いけれど……」


 ミルドレットはグォドレイを見上げると、サファイアの様な瞳を潤ませながら言った。


「お師匠様と一緒に過ごした時間が、最高に幸せだったから」


 グォドレイは優しく笑みを浮かべると、頷いた。


「ああ。俺も今まで生きて来た中で一番幸せな時間だったぜ。ありがとな、ミリー」

「でも、やっぱり凄く寂しい……」


 ぎゅっとグォドレイに抱き着きながらため息を吐くミルドレットの頭を優しく撫でると、「んー、まぁ、そうか。俺もだな」と言ってため息をついた。


 ミルドレットの脳裏に、ハリエットと交わした会話がふと過った。


『別れの時は、相手が身に付けているものを貰うといい。そうしたら、少しは寂しさも紛れるだろうから』


「何かお師匠様の……そうだ、そのピアスを片方頂戴?」


 ミルドレットの言葉に、グォドレイの心臓が強く鼓動した。


「……え? こいつを、か?」


 グォドレイは面食らった様な顔をした後、自らの耳に下がった大きなピアスに触れた。躊躇う様に眉を寄せる。


「いや、だが……」


 脳裏にハリエットとの約束が浮かんだ。


『紫焔、一つ約束してくれ。もしも誰かがそのピアスを求めたのなら必ず渡すと!!』


 心臓が苦しくなるほどに激しく鼓動した。魔導士の約束とは契約と同じだ。違える事は決して赦されない。


「こんなものが欲しいのか?」

「うん! 欲しいっ!」


 瞳を輝かせるミルドレットが可愛らしく、グォドレイは困った様に笑った。


——いいや。だめだ。ミリーに呪いを掛けるわけにはいかねぇ。


 そう考えた瞬間、凄まじい程の痛みがグォドレイを襲った。

 バチリと音が発せられ、ピアスが勝手に外れてミルドレット目掛けて宙を舞う。


 一見鳥の羽根をモチーフにした金属製のピアスに見えるものの、それは固い竜の羽根で出来ているものだ。魔道具としては十二分に強い力を発揮する上、強固でちょっとやそっとで破壊できるものではなかった。 


 ミルドレットの伸ばした手から、グォドレイは慌ててピアスをつかみ取った。


「あれ? くれないの?」


「その前に注意事項っつーもんがある」ともったいぶった様に言った。


「こいつは、俺様が長年かけて魔力を溜めこんだ魔道具だ。実際性能を試した事もねぇから、動作保証はしないぜ? つーかな、あんまりいいものじゃねぇっていうか……貰わねぇ方がいいんじゃねぇか? どうせなら他に何か……」


「ううん、それがいい。お師匠様がずっと身に付けていたものだもん。効果は自分で解析してもいい?」


——お師匠様という人物を読み解いて知りたいから。


 ミルドレットの申し出に、グォドレイは観念した様に「解った」と頷いて、ピアスを差し出した。


 ミルドレットは両手でそれを受け取ると、嬉しそうに微笑んで感極まったかのように瞳を潤ませた。


「有難う。形見だと思って肌身離さず、大事にするね」

「死んでねぇっつーの」


 その突っ込みにミルドレットが笑うと、グォドレイも笑い、優しく頭を撫でた。


「人間は人間同士で生きる事が一番いい」


 分かっていたはずだというのに、求めてしまった事への罪を償わなければならない。

 グォドレイはアメジストの様な瞳をミルドレットに向けて、愛しい女性をその目に焼き付けるかのように見つめた。


 傷ついた心は身体を蝕み、残り少ない魔力は確実にグォドレイの寿命を奪っていった。それだというのに、まだ更に罪を重ねるのかと、グォドレイは胸の痛みに耐えた。


 できることならば、ミルドレットがそのピアスを身に付けずに捨ててしまう事を願って……。

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