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白銀の月

 冥色の空を白銀の月が照らす下で、ミルドレットはシハイルを待っていた。


 墓碑が月明かりに照らされて輝いている。先ほど新たに供えた花は生き生きとしており、その下で眠る死者達を少しは慰めてくれているだろうかと考えた。


 ミルドレットは足の痛みに、爪先を気にしながら微笑んだ。


——殿下と踊り過ぎちゃったなぁ……。


 王太子妃に見事決定したミルドレットは、夜会で何度もシハイルと踊る羽目になった。周囲に見せつけるかの様に、執拗にミルドレットに触れる様子を見て、集まった貴族達はすっかりと当てられた様だった。


「王太子殿下はミルドレット姫の虜だ」「始めから王太子妃選抜は出来レースであった」と揶揄されようとも、シハイルは片時もミルドレットを離そうとしなかった。


 そんな二人の様子を憎らし気に見つめていたアーヴィングの傍らで、アリテミラは寂しげに微笑みながらも手を叩き、祝福していた。


 そしてミルドレットが踊り疲れた頃、シハイルはこう耳打ちした。


『お話しがあるので、いつもの場所で待っていてください』と。


 ミルドレットは小さくため息をついた。夜会が開催されている王城の賑やかさは、魔術が施されている為かこの場所まで届くことなく、辺りは静寂に包まれていた。


 夜会でも常にニールの姿を求めて探したが、結局見かける事が出来ず、ミルドレットはすっかり寂しくなってしまった。


——どうしちゃったのかな。ひょっとして、湖上でのキスが嫌だったとか……?

 嫌われちゃってたらどうしよう。もう会いたくないって思われてたら……。


 ぎゅっと唇を噛みしめて、ミルドレットは俯いた。


——あんな事、しなきゃ良かった。ニールへの気持ちに区切りをつけるつもりでした事だったけれど、本当に会えなくなるだなんて!

 逢いたい。一目だけでもいいから、ニールに逢いたい!


「お待たせしてすみません」


 その声に顔を上げると、月の光に照らされた白銀の仮面が輝くシハイルの姿があった。

 慌てて取り繕う様に笑顔を浮かべ、ミルドレットは王太子妃らしく丁寧な言葉を吐いた。


「一体どうしたというのかしら? 秘密のお話ですか? 主役の殿下が夜会から姿を消してしまったら、皆探していると思います」


 シハイルは小さく首を左右に振った。


「感謝祭の主役はそれぞれの家族です。会いたい、一緒に居たいと思う相手は皆違います。ですから、私も貴方と共に過ごしたいのです。貴方と、二人だけで」


 ミルドレットは俯いた。


——ニールも、どこかで大切な誰かと過ごしているのかな? それなら、あたしはお師匠様と過ごしたかった。


「先に、宜しいでしょうか。殿下に謝罪しなければならない事があるのです」


 ミルドレットはそう言うと、ぎゅっと拳を握り締めた。


「本来なら、王太子妃が決定する前にお伝えしなければと思っていたのだけれど、生憎殿下とお会いする機会がなくて」

「ミルドレット姫は紫焔の魔導士グォドレイに拉致されていたのですから、それは仕方のない事でしょう」


 ミルドレットは首を左右に振ると、意を決した様に言った。


「その、王太子妃に決まって嬉しいのですが、私には他に想いを寄せている方がいるのです。それだけは殿下にお伝えしておきたくて」


 ミルドレットの言葉に、シハイルは口元に笑みを浮かべたまま小さく頷いた。


「心は自由ですよ。王族も貴族も、愛した相手と共に居ることなど許されず、皆義務として婚姻するのですから。王太子妃候補は各国の思惑から集められた生贄の様なもの。その心の内は最初から分かりきっていたことでしょう」


「本当にごめんなさい。殿下の事を嫌いというわけではないの。ただ、黙ってはいられなかったのです」


 シハイルの白銀の仮面が月明かりを浴びて輝いている。艶やかな漆黒の髪がさらりと零れて、煩わしそうに掻き上げた。


「構いません。私はただ、ミルドレット姫を望んでいたのです。そして、貴方は感謝祭にこうして来て下さった。私のその望みが叶ったというだけでも感謝してもしきれないのです。ですから、何か貴方の望みを私も叶えて差し上げたいと思うのですが」


「本当!? あ……ごめんなさい!」


 ついいつもの調子で言葉を放ってしまったミルドレットが慌てて言い直すと、シハイルは穏やかな笑みを口元に浮かべた。


「ここには私しかおりません。いつもの調子でお話頂いて結構ですよ」

「ありがとう、殿下。あの……」


 きゅっと自分の人差し指を握って、恥ずかしさに耐えながらミルドレットは言葉を続けた。


「できれば……その……殿下にお願いがあって。厚かましいのは解っているんだけれど、あたしの護衛騎士、ニールをヒュリムトンの騎士として迎え入れてくれたら嬉しいの! 勿論、あたしの護衛騎士じゃなくなっても構わない。殿下が嫌なら会わない様にもするから。ニールに、ルーデンベルンに戻って欲しくないだけなの……」


 押し黙っているシハイルに、ミルドレットはそっと視線を向けて「だめかな?」と、問いかけた。


「……あまり、可愛らしい事を言わないでください」


 彼は顔を真っ赤にしてそう言うと、コホンと咳払いをした。


「無論、貴方の願いは聞き入れましょう。ですが、私の話も良いでしょうか。貴方に、ずっとお伝えしなければと思っていたことがあるのです」


「伝えなければいけないこと?」


 不思議そうに小首を傾げたミルドレットに、彼は「はい」と、はっきりと答えた。


「謝らなければならないことでもあります」

「殿下が私に? 一体何?」


 笑みを浮かべながらも、困惑した様な顔をしてミルドレットは不安気にきゅっと手を握った。


——なんだろう? デュアインさんが言ってた様に、殿下ってひょっとしてかなりヤバイ人だとか?


 まさかお父様みたいに、あたしを……


「申し訳ございません。ミルドレット()


 そう言って、シハイルは白銀の仮面と共に漆黒のウィッグを外した。


 月の光の下で露わとなったニールの顔を、ミルドレットは暫くの間呆然と見つめていた。


「……殿下って、ニールの双子の兄弟!?」

「いいえ、本人です」


 すかさず答えたニールを見つめながら、ミルドレットは両手で口を覆った。


「……じゃあ、魔術!? それとも夢!?」

「魔術でも夢でもありません」


 ニールはミルドレットの手をそっと握ると「夢であっては困ります」と言った。


「やっと、貴方を手に入れる事が出来たのですから。その為に貴方が王太子妃に選ばれる様にと協力していたのです」

「本当に……? ニールがシハイル王太子殿下だったの?」


 頷くニールに、ミルドレットは呆然としたまま呟く様に言った。


「……どうして言ってくれなかったの? あたし、ずっと不安だったのに」


 ニールは宥める様に優しく答えた。


()、シハイルが死に、王太子として私がルーデンベルンより呼び戻されました。ルーデンベルンでアーヴィングの命令に従い、何をしていたかミルドレット様も何となくご存知でしょう。私の様な者から好かれては、貴方が恐れると思いました」


「好かれるって……ニールが、あたしを……? 恐れるって、一体どういうことなの?」


 小刻みに肩を震わせながら、ミルドレットが言った。ニールは眉を寄せ、溜息を吐いて静かに言葉を放った。


「私は……化け物です。感情のない、人を殺める事も何とも思わない殺人鬼なのです。貴方も恐れたでしょう? 私に、殺されそうになったのですから」


 ニールの手が震えている。


「……ですから、シハイル王太子の正体は私だと、一生言わずにいようとすら思っていたのです。顔などいくらでも変える方法はあるのですから」


 その言葉に、ミルドレットはサファイアの様な瞳を見開いた。


——それは、『ニール』があたしの前から黙って消えていなくなっちゃうって事じゃないか!!


「なにそれ……ずっと黙ってるつもりだったの? 結婚した後も、ずっと!? そんなの酷い! あたしが一体どんな……!」

「嫌われたく無かったのです。貴方にだけは! 自分を偽ってでも、貴方の側に居たかった!」


 ミルドレットが唯一、ニールに色のついた世界を見せる事が出来る救い主だった。


「ニールは、あたしの事なんか好きじゃないんだと思ってた。あたしだけがニールの事を想ってるんだって悲しくて、寂しくて堪らなかったのに!!」


 ミルドレットの言葉を聞き、ニールは首を左右に振った。


「そんなはずがないでしょう! どれほど貴方を想っていたことか! 私の代わりに泣いてくれる貴方を失えば、私は私で居る必要が無くなるというのに!」


 殆ど壊れてしまったニールの心を、唯一繋ぎ止めてくれているのはミルドレットなのだ。


 だが、ミルドレットは混乱し『一体どうして!!』と、何度も頭の中で繰り返した。


「待って。ちょっと待ってよ。一体どんな気持ちであたしを見てたの? 王太子妃になる為に頑張ってるあたしを見て。滑稽だって、バカにしてたんでしょう!!」


 ミルドレットはニールの手を振り払い、トンと突き飛ばした。


「気品の欠片も無いあたしが、努力して育っていく様を見て面白かった? 自分の言いなりになってるのを見て、満足だった?」


 サファイアの様な瞳から大粒の涙を零し、震える身体を必死になって抑えようとしたが、無駄な足掻きだった。

 ニールに裏切られていたのだと知ったミルドレットには、今まで抱え込んでいた孤独感や不安が一気にのしかかってきたのだから。


「あたしは、不安で不安で堪らなかったのにっ!! こんなところに連れて来られて、お父様に殺されるかもしれない恐怖と戦いながらも皆に馬鹿にされて罪人扱いされて、惨めで悲しくて恐ろしくて堪らなかったのに!! ニールが本当に味方なのかも信じられなくて、お師匠様が頼りだった!!」


 ポロポロと絶え間なく涙を零すミルドレットの前で、ニールは跪き、頭を垂れた。


「私が未熟故に、貴方を不安にさせ、悲しませてしまい申し訳ございません。ですが、これからはずっと側に居る事ができます。いえ、側にいさせてください!」


 ニールは懇願し、ぎゅっと唇を噛みしめてミルドレットに指輪を差し出した。


「ミルドレット。貴方を愛しているのです。貴方だけを。この命に替えても貴方を守るとお約束します。必ず幸せにします。ですからどうか……!」


 自分の身勝手さでミルドレットを苦しめた。どんな罰でも受け入れ、彼女が許してくれるまでいくらでも謝罪しよう。


「直ぐに受け入れる事なんかできない! あたしは、背中の傷を無くす為に……! だって……!!」


 悲鳴の様な泣き声を上げ、ミルドレットはその場に座り込んだ。

 ニールは、深く傷つけてしまった事への罪悪感で、ミルドレットに頭を垂れたまま押し黙った。


 白銀の月が静かに二人を照らす。


 ミルドレットの耳に下げられたグォドレイのピアスが、シャラリと音を発した。


『泣いてる暇なんかねぇだろう? 受け入れなくてどうするんだ。お前さんが望んでいた事全てが叶うってのに』


 グォドレイにそう言われた気がし、ミルドレットはズキリと胸が痛くなった。


「……お師匠様は、全部知っていたの?」


 その言葉に、ニールは頷いた。


「グォドレイは、私という化け物から貴方を守る為に戦っていたのです」


 それを聞き、ミルドレットはサファイアの様な瞳に涙が溢れた。


 ミルドレットがグォドレイに抱きかかえられて寝室に向かったあの日。優しくベッドの上へと寝かせると、グォドレイは静かに歌った。


『どうして歌うの?』


 クスクスと笑ったミルドレットの額に触れて、そっと銀髪を掻き分けてやりながら、グォドレイはアメジストの様な瞳を細めた。


『聞き分けの悪い子には、子守歌が必要だろう?』


 眠気が襲い、グォドレイに眠りの魔術を掛けられたのだと気づいたミルドレットは慌てて解除の魔術を唱えようと口を開いた。

 だが、その唇をグォドレイが自らの唇でそっと塞いだ。


 ちゅ……と、纏わりつく柔らかで蕩けるような舌の感触にうっとりとしていると、グォドレイが唇を離した。


『お前さんの直感は、俺じゃなくニールに感じたはずだ。本当は解っていたんだろう? あいつを諦めざるを得ないって思ったから、苦しくて堪らない感情のぶつけ先が見つからなくて俺に助けを求めた』


 ミルドレットの瞳から零れ落ちる涙を人差し指で優しく拭うと、グォドレイは囁く様に言った。


『あいつを、救ってやってくれ。それはお前さんにしかできねぇことだ。強制的に悲しい生き方を強いられてきたのは俺の責任でもあるってのに、俺はあいつを救ってやれねぇ。だから、お前が俺の側にいようだなんて考える必要も、あいつと幸せになることで罪悪感を覚える必要もねぇんだ。俺が望んだことなんだから』


 言葉を発する事ができないまま、ミルドレットはグォドレイの話をじっと聞いている事しかできなかった。


『安心して眠れよ、ミリー。いつだって俺はお前の味方だ。お前が誰を愛していようともな』


 額を撫でるグォドレイの手から愛情と優しさが伝わり、あまりの心地よさにミルドレットは微睡んだ。


『愛してるぜ、ミリー……愛するお前に、後悔させるような事は絶対にさせねぇよ』


——もしもあの時、お師匠様と結ばれてたとしても、あたしは後悔なんかしなかったと思う。

 シハイル王太子殿下の正体がニールだって解ったとしても、後悔なんかしなかった。


 あたしがお師匠様を想う気持ちも、本当だから……。


「……もう、酷い。皆あたしに内緒が多すぎ」


 手の甲で涙を拭うと、跪くニールへとミルドレットは視線を向けた。


「お師匠様が知ってたんなら、あたしに怒る権利なんか無いよ」


——あたしの為に一時は殺そうとしたニールの元へと、お師匠様がこうして送り届けてくれたんだから。


 優しいあの人が、自分の気持ちを押えてあたしの為だけじゃなく、ニールの事も思いやって決断するのに、どれほどに苦しんだのか考えるだけでも辛い。


 お師匠様のその想いを無碍にしたら、それこそあたしは弟子失格になっちゃうもの。


 ミルドレットはニールの側へと赴き、膝をついた。


「これだけは言っておくけれど、あたしはお師匠様の事も大好きで、一度はこの身を捧げようとしたの。この気持ちはずっと変わらない。それでも構わない?」


 その言葉に、ニールは一瞬傷ついた様に彼女を見上げたが、瞳を閉じて頷いた。


「貴方が私の側に居てくれるのであれば、他に何も望みません。例え、貴方の心がグォドレイに向いているのだとしても」


「お師匠様は、あたしを受け入れなかったの」


 悲し気に声を震わせるミルドレットが痛々しく思えた。

 ニールは惨敗した気分を味わった。グォドレイがミルドレットを想う気持ちは何よりも強いはずだというのに、それを押えてでも彼女の幸せだけを一番に望んだのだから。


——なぜそんな事が出来る……。私には到底無理な事だ。ミルドレットへの想いが強ければ強い程、彼女を求める気持ちも強いのだから。


「私には、グォドレイの様に貴方を愛する事はできません」

「……そうだね。あたしも無理」


 ミルドレットはため息交じりにそう言って悲し気に微笑んだ。


「あたしも、ニールと似た者同士なのかもね。本当は腹が立って仕方ないけれど、それでも、あたしはニールの事も大好きだよ……」


 ミルドレットは指輪を差し出すニールの手をそっと握った。


「ニールが好き。大好き。もう、どうしようもないくらいに、ニールが好きで堪らない。この気持ちをどうしたらいいのか分からない。頭に来てるのに、許せないのに!」

「……殴り飛ばして頂いても構いません。貴方の側に居られるのなら」


 ニールがミルドレットを抱きしめた。


 月明かりが、二人を祝福するかのように煌々と煌めいている。


 だが、ミルドレットは突然ガバリと顔を上げた。


「あ、あのさ。とっても真面目なところ悪いんだけど、あんたの心臓おかしいよ!?」


ドッドッドッド!!!!


 爆音を繰り広げるニールの心臓に突っ込みを入れたミルドレットを、「これで正常なんです!」と絶対にそんなはずがない言葉を言いきって、ニールはミルドレットを抱きしめた。


「ありとあらゆる弊害を乗り越えて、やっと手に入れたのです。心臓の一つや二つ、おかしくもなるでしょう!」

「心臓二つもあったらびっくりだけれど……」

「……ミルドレット、少しは感動を味わわせてください。やっと、晴れて想いが通じ合ったのですから」


 ため息交じりにそう言ったニールに、ミルドレットはクスクスと笑った。


「だって、何だか変なんだもの。ニールと結婚することになるだなんて思ってもみなかったから。嬉しいけれど全然実感湧かないよ。正直かなり腹も立ってるし、お師匠様には申し訳な過ぎて、感情がもうぐちゃぐちゃ」


 ポロポロと涙を零すミルドレットを見つめて、ニールは微笑んだ。


「それは、飴玉では止まらない涙ですね?」

「……うん」


 ニールは親指の腹で優しくその涙を拭ってやると、ミルドレットに口づけをした。

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