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カンの隊商5(謀略2)

サブタイトルを変更しました。内容に変更はありません(2021.10.12)

ホラズム側

テルケン・カトン:先代テキッシュの正妻。カンクリの王女。母后とも呼ばれる。

スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主

   先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。

イナルチュク・カン:オトラルの城主。カンクリ勢。

オグル・ハージブ:ブハーラーの守将



ブハーラーの商人一行

副長老。〈やせぎす〉。〈太っちょ〉

〈唇薄き者〉:既に途中離脱



モンゴル側

チンギス・カン:モンゴル帝国の君主

マフムード・ヤラワチ:チンギスの使者。商人出身。ホラズム地方出身


 〈唇薄き者〉が去っても、雨が去ることはなかった。

 周りは一面の泥沼の如くとなり、一日立ち往生した。

 更にその後も降雨の地を抜けるまでは、泥のぬかるむ中を下馬して歩くを強いられた。

 それゆえ当然ペースも随分と遅くなり、隊商の一日に進む旅程の半分ほども行ければ良い方であった。


 その間〈やせぎす〉の者は、新たにヌールで買った干しブドウが雨でずぶ濡れになっても、文句を言わなかった。そして、食べ尽くした後も、一言も文句を言うことはなかった。

 この者はこの手の干し果物が切れると、一日十回はそれについて不平不満を言わねば気が済まぬ人物なのだが。

 先の二人の争いを見ては、そんな場合ではないとなったのだろう。


 現地の者に聞いたところでは、数十年に一度あるかないかのまとまった雨とのことであった。


 四日ほどしてようやく泥土を抜けると、既にザルヌークの近くであった。


 ここに至るまで二人が体調を崩しておった。

雨の中を進んだことと、ぬかるみを歩いたゆえの体力消耗が原因であるは明らかであった。

その度に一行は次の宿駅に送り届けるためにペースを落として進まなければならなかった。


 〈唇薄き者〉の言葉を想い出さぬ者は、一行にはおらなかったであろう。

ただそれについて何か言う者はおらなかった。


 既に間に合うのか合わぬのか全く分からなくなっておった。

といってここまでの旅程で自らの技量を想い知らされておれば、

――ペースを元に戻すのはためらわれ、

――おっかなびっくり馬を駆けさせるといった態でオトラルを目指さざるを得なかった。

 そうでなければ、ただの一人もオトラルに達し得ないとなりかねなかった。




 五月半ば過ぎ、一行はオトラルに至った。

 結局十一人中八人が脱落した。


 焦る気持ちは当然あったが、このまま赴いては門前払いされかねなかった。

 商人たちは、まずバザールの服屋に入ると、新品の上下を購入して泥にまみれた服と着替えた。

 次には店を替え、まっさらの白いターバンを、やはり泥ハネが点々とこびりついたものと替えた。


 そうして身だしなみを整えてから、ようやく本丸城門に至って、城主との謁見を求めた。

 ところが城主は城兵の訓練のため外に出ておるとのことであり、待つように言われた。


 出て来た城の者に、

――果たしてモンゴルの隊商はここを通過しましたかと確認し、

――否との返答を得て、

――ようやく心を一つ落ち着けるを得た。



「ただ安心するのはまだ早いぞ。

イナルチュク・カンの説得という大仕事が残っておれば。」



 と装飾に無縁の粗末な一室に案内された後に、副長老はあらためて他の二人に告げ、自らの心もまた引き締めた。




 陽の暮れなずむ中、ようやく本丸の内にある謁見の間に案内された。


 そしてイナルチュクからは、端からうろんな者を見る目つきで迎えられた。

 軍装も解かずにその厳めしい様のままであった。

 角張った顔に猪首。

 それにがっしりした胴体が続いておる。


 長いすに腰掛けており、

――その木の部分には唐草模様の浮き彫りが施してあり、

――背もたれの緑布には獅子が鹿を襲う様が刺繍してあった。


 その前にひざまずくと副長老が代表して訴え始めた。



「大事が起きました。

 勇猛なるイナルチュク・カンよ。

 果たしてあのことはお聞きおよびでしょうか。」



「ぬしらがわざわざブハーラーから来たということは、あの東方の新たな支配者との間に結んだ協定のことか。」



「さすが。イナルチュク・カン。

既にわたくしたちの心中の憂慮をご推察頂いているようで。」



 イナルチュクは何を言っておるのだとの顔をした。



「解せぬ物言いだな。あれはぬしらにとっても望ましきものではないのか。」



「それは大きな誤解です。

 本来あの交易路はわたくしたちブハーラーの商人のもの。

 ということは貴方方(あなたがた)カンクリ勢のものでもあります。


 スルターンのあの協定は

――それをモンゴルの新参者と

――それに従う裏切り者たちに

――ただ同然で半分を与える行い。

 あまりの気前のよさ。いえ、それどころか・・・。」



 言葉を続けておるうちに激高して来たようで、語調が次第に激しくなっておった。

 しかし、そのことに気付いたのか、副長老はそこで一息つき、



「これ以上申しては、スルターンに対し非難がましきこととなりますゆえ、申せませぬ。」



 相手の言っておることをすぐに理解できなかったのか、

――イナルチュクはしばらく黙っておったが、

――やがて1つのことを問うた。



「裏切り者とは、誰のことを言っておるのだ。」



 中年の〈やせぎす〉が待っていましたとばかりに答えた。



「はい。あのマフムードです。

ホラズム生まれのくせに、新参者の使者として参った者です。

また自らの生業たる商いに誇りを持てぬのか、ヤラワチ(トルコ語で使者を意味する)などと自ら称しておる始末。」



「解せぬな。なぜ、あの者が裏切り者なのか。」



 その使者ヤラワチの一団を、先日自らがオトラルから半日行程ほど護衛も兼ねて見送ったばかりであった。

 モンゴルとの協定が締結され、その使節団は『スルターンの客人』であるとの伝令が既に至っておった。


 ならば、ということで、その夜の宴に誘ったのだが、

――我らはカンの下を昨秋に発して既に半年以上になります。

――カンにこの協約締結の喜ばしき報せを一刻も早く届けたいと想いますので、

――お誘いは大変ありがたく想いますが、先を急ぎたく想います

――と言う。


 それもむべなるかなと想い、そのまま留めず行かせたのだった。



「何をおっしゃいます。ホラズムの者が、敵国に臣として仕えておるのですぞ。」



 〈やせぎす〉は抗う。

 イナルチュクは危ぶむ目で相手を見た。

 その目にはありありと猜疑が浮かんでおった。



「どういうことだ。

商人が遊牧勢力の庇護を求めるのはいつものこと。

まさにぬしらが我らカンクリに庇護を求めた如くに。」



 〈やせぎす〉が再び発言しようとするのを、副長老は手振りで抑えて、その議論を引き継いだ。



「イナルチュク・カンよ。

 庇護を求める相手が誰でも良い訳ではありませぬ。

 わたくしたち商人にも通すべき筋というものがあります。

 生まれた町を守って下さるお方に仕えることこそがそれです。」

 


 イナルチュクが納得の顔を見せることはなかった。

 この者にすれば、商人とは利を求めて仕える(あるじ)を選ぶ類いの者であった。

 ゆえにこそ、信と武を重んじるこの者は商人を下に見てもおった。



「まあ、良い。

 いかなる旨を以て庇護を願い出る相手を選ぶかは、ぬしらの問題。

 ただたとえ協定が相手に半分を分け与えるものだとしても、致し方なきことではないか。

 モンゴルのカンは、東方の大部分を支配したと聞く。

 いくらこちらが、この交易路はブハーラーの商人のもの、カンクリのものと主張しても、今度は向こうが(がえ)んずるまい。


 あの者と交易する以上、

――またそうでなくともその支配しておる地を通る以上、

――むしろあの者の申し出は妥当なもの。


 こちらの隊商を拒むとは、一言も申しておらぬのだからな。」



「いえ。そうではありませぬ。

 まだ西夏が残っております。

 更には、そこを通って金国とも宋国とも交易できます。


 それにモンゴルの新参者に利益を与えてならぬのは、

――あの者こそが、カンクリが世界に覇を唱えるにおいて、最大の障害となるのではないかと恐れるゆえです。」



 中年の〈太っちょ〉が訴える。

 イナルチュクはまたそこでじろりとその者をにらんだ。



「スルターン・ムハンマドと共にな。

 あえてその名を出さぬなどは、我には要らぬ気遣いだ。

 確かに母后とのいさかいゆえ、カンクリの内にはスルターンを軽んじる者もおる。

 しかし我はそうではない。

 いま我らが栄えておるのは、ホラズム・シャー家と結んだゆえ。

 そこを見失えば、全てが台無しになろうぞ。


 そしてそのように考えるのは我のみではないぞ。

 先にその使節を護衛して来たブハーラーの将たるオグル・ハージブと酒を酌み交わしたが、

――その点で考えが合い、意気投合したものよ。


 その後オグルはスルターンの命に従い北辺の防衛を見て回るとのことで、ここを発った。

 まずはファナーカト、

――それからオトラルと並ぶもう一つの要たるホジェンドのティムール・マリクを

――訪ねるとのことであった。


 モンゴルとの協定に合意したからといって、それで北辺の守りを()()()()にする気はスルターンにはないぞ。

 良いか。決してスルターンを軽んじるなよ。


 我は我でその時オグルと共に閲兵(えっぺい)したのだが、

――自兵がたるんでおるのを見て、

――それ以来、毎日鍛え上げておるのよ。」



「わたくしたちブハーラー商人の繁栄もまたホラズム・シャー家とカンクリの同盟あってのもの。

それはわたくしたちも良く存じております。」



 すかさず、副長老が議論を引き取る。



「まあ、それは良いわ。

 ただ確かにぬしらの言うことは、我も懸念するところ。

 モンゴルのカンは、ナイマンのグチュルクを追い払い、更にはウイグルやカルルクまで臣従しておると聞く。

 いずれは雌雄を決することになろうとは、我もまた考えること。


 とはいえどうするのだ。

 スルターンは既にあの者と協定を結んだのだぞ。

 ぬしら商人に守るべき筋目があるとすれば、スルターンにおいては()()()()()

 昨日の今日では協定を破棄できまい。」



 そこで副長老が、後ろにてやはりひざまずいて控える二人の方を振り返り、「後はわたくしに任せて下さい。」と敢えて声に出して告げてから、


 再びイナルチュクの方を向いて、口を開いた。



「そのことについてはお任せ下さい。

そもそも締結時スルターンはいつもの平静さを保っておられたのか、

――冷静沈着さを以て判断されたのか、

――との疑念を、わたくしたちは抱いております。


 その時期はバグダード侵攻が失敗に終わって帰還した直後です。

 ニザーム・アル・ムルクをいきなり罷免するなどもなさいました。

 無能さと財物を強奪した罪科ゆえとのことでした。

 わたくしたちも親しくさせて頂いておりましたから、随分と驚き、正直言って、これもまた理解しかねる処遇です。」



「確かにあの者は、母后の大のお気に入りであった。

 それを追放するのだから、よほど機嫌が悪いのだろうと、そのことを聞いた時には想いはしたが。

 ただまあ、あれはいつもの親子ゲンカよ。

 ぬしらから見ればどう見えるかは分からぬが。


 もしスルターンがニザームを自ら処刑しておれば、母后の怒りは尋常ではなかったろう。


 しかし、母后の下に戻したということは、

――未だ母后に気を遣っておることがうかがわれて、

――我らにはほほえましくさえ想える。


 ニザームを処断する権利が自らにはないと認めておるに等しいのだからな。

 他人を巻き込むのを気にせぬゆえ罪なしとはいえぬが、二人ともそもそも大事にする気はない。」



「わたくしたちは驚き恐れるばかり。」



 副長老はここで一呼吸置いてから、



「話を協定に戻させて頂きます。

 あれは本当にスルターンの望むものであったのでしょうか。

 スルターンはかつてグチュルクとの交易の禁止を命じられました。

 交易により富強となるを恐れたゆえに他なりませぬ。

 そのスルターンが()()()()と想わざるを得ませぬ。

 あの者と交易を望むなどとは。」



「我もあの和平については不審に想わぬこともない。


 メルキトの一軍がシルダリヤ川の北に逃げ込んだと聞くや、

――我ら川沿いの城市に駐屯する武将に命じるのではなく、

――自ら征討に赴かれるほどに、

――北の遊牧勢の迎撃に熱心な御方。


 更にはそこで出会ったモンゴル勢は戦を望まなかったにもかかわらず、

――スルターンは受け入れず、

――敢えて戦を仕掛け追い返したと聞く。

 ぬしらの言う如くの気の迷いかもしれぬ。」



「いえ。わたくしたちはそこまでは申しておりませぬ。

 ただ本心からのものではないのではと、

――その心中を推し量っておるのみです。


 この件は折を見て、スルターンにわたくしたちの仲間がお話しさせて頂こうと考えております。

 ところで実はこれに関してもう一つ、お耳に入れたきことが。

 モンゴルの新参者は既に大隊商をホラズムへ向け発しておるとのこと。

 いずれここオトラルに到着しましょう。

 その者たちの取り扱いについて、お願いしたきことがあります。」



「そういえばあの使者自身が見送りの時、そのようなことを言っておった。

 わたくしたちの隊商がやがて至りましょうゆえ、なにとぞよろしくお願いしますと。

 しかしならなおのこと、如何ともし難いとは想わぬか。


 確かにモンゴルには、

――明日の敵となるであろうあの者らには、

――利の半分もやるべきではないとのぬしらの考えには我も同意する。


 とはいえ隊商の入城を拒み、スルターンの協定をないがしろにするようなことはできぬぞ。

 スルターンとカンクリの間をこれ以上険悪なものにする気はない。

 良いか。ブハーラーの商人たちよ。

 あの協定をふくせるのはスルターンのみ。」



「はい。それについてはお任せ下さい。

 ただモンゴルの隊商をしばしオトラルに留め置きさえして頂ければ。

 後はわたくしたちが何とか致します。

 ただ重ね重ね申したきことは、あの新参者は貴方方(あなたがた)カンクリの大敵となりえる者と。

 そしてこたびのお願いも、ただそれを憂うゆえと。」



 注 カン:東のモンゴルと西のカンクリでは共にカンの称号を用いるとはいえ、その重みは随分と異なる。モンゴル高原では旗下の諸勢力の推挙が必要であり、皇帝(少なくとも大勢力の主。ナイマンやケレイト。)もしくは大軍勢の総大将に限られる。

 実際この後、モンゴル帝国内では、臣従する他勢力の者がカンの称号を用いることは禁じられて行く。

 他方カンクリでは、支配者たちの多くが帯びる称号に過ぎない。


 注 オトラル:往時はシルダリヤ川の北岸(東岸)、アリス川との合流地近くにあった。

 現在はタシケントの北北東およそ180キロ、シルダリヤ川の北岸(東岸)側の少し離れたところにある。


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