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カンの隊商4(アリーとオマル隊長、そして使者ヤラワチ、そしてハーリド)

追記 さて、作中に出て来るチョパンという外衣であるが、日本とは縁遠きものと想っていた。そうしたら、先日、ボクシングの世界戦で、試合後、ゴロフキン選手が村田選手に自ら着ていた外衣を贈っていた。それがチョパンだという。見た目にはフードも付いた普通のガウンであった。チョパン独特のこしらえがあるのか? 謎ではある。ちなみに、作中のチョパンはフード無しである。  


人物紹介

モンゴル側

マフムード・ヤラワチ:チンギスの使者。商人出身。ホラズム地方出身


オマル・ホージャ:(ホラズムに向かう)チンギス・カンの隊商を率いる隊長


アリー:隊商のラクダ係


ハーリド:隊商でのアリーの少し先輩

人物紹介終了

 ブハーラーの商人一行が大雨に(たた)られたその同じ日のサイラーム。

 離れているということもあり、ここは見事な快晴であった。

 そしてこの日、隊商にも、ようやく待ち人が来たった。

 使節団がブハーラーから戻って来て、和平と交易の協約が結ばれたとの報せをもたらしたのである。

 

 その大任のゆえか、厳しき表情の多かったオマル隊長にほっとした表情がようやく見られるようになり、

――アリーもまたほっとしたのは、

――その日の午後のことであった。


 そしてその夕方、使節一行の労苦をねぎらうための宴

――それを、隊長を含めた隊商の四人の(あるじ)が、開く運びとなった。




 宴の刻限となり、最年少のアリーは食事皿を運んだり、酒をついでまわったりと、せっせと給仕に努めておった。

 そうした中、隊長が現れ、


「皆。悪いがアリーを借りるぞ。

後の料理や酒は自分でやってくれ。」


と声をかけ、次にアリーに


「ちょっとこっちに来てくれ」と告げた。


 そうは言われたものの、仕事を投げ出す訳には行かないと戸惑っておると、


「早く行け。さもないと我らが隊長に怒られる。」


 年配の一人がそう言うと、


「おう。早う行け。

お前は我らが自分で酒を()めぬとでも想うておるのか。」


との声も上がる。


「行け。行け。」


 既に酔いが回っておる者が声を張り上げる。

 それを境に、隊長の声で一端静まっておった宴の場は、再び騒がしさを取り戻した。


 それでもアリーが戸惑っておると、

 少しだけ先輩のハーリドが近付いて来て、


「心配するな。後は俺が引き継ぐ。」


と言ってくれた。

 それでもアリーがぐずぐずしておると、


「お前が隊商に入ってくれたおかげで、俺の仕事は随分(ずいぶん)と楽になった。

たまにはお前が楽をしろ。」


と言われ、ようやく踏ん切りをつけた。




 アリーは宴の喧噪(けんそう)が遠くに聞こえるくらいのところにまで至ると、一つの天幕(ゲル)に入るように言われた。

 そこには今日初めて顔を見た者がおった。

 とはいえ忘れるはずもない。

 使者を務めたマフムード・ヤラワチ様のはず。


 ろくろく相手の顔も見ず、想わずひざまずく。

 しかしカンの使者に対する正式な敬意の示し方も分からず、とりあえず頭を地につけた。


「随分と大げさだな。

我はカンでないぞ。

ノヤンでさえない。」


 頭の上からその声が聞こえた。


「さあ。顔を上げよ。

 今日はお互い商人同士として話をしようぞ。

 我もまたその方が気楽。」


 そう言われ、顔を上げる。


 (ひげ)の中に埋まる如くの小顔に

――笑みを浮かべて、

――目だけ大きくぎょろつかせて、

――ヤラワチ様が、やはりそこにおった。


「さあ、立ち上がって席に着け。

 我らを待たせるな。」


 今度はオマル隊長から声がかかる。


 そう言いつつ、隊長はヤラワチ様の右手側の席に座った。

 ヤラワチ様は、小卓の向こう側、奥まった席に座しておった。


 オマル隊長がその座面を叩いて急かすので、

 仕方なくアリーもまたその席、

――戸口側の空いている椅子に座って、

――卓を囲んだ。


「本来なら早速酒を()み交わすもの。

 しかし、まずは少し話をしたい。」


 改めてヤラワチ様にそう言われ、アリーは再びかしこまる。

 そうして落ち着いて見ると、隊長もヤラワチ様も酔っておる如くには見えなかった。


 ヤラワチ様は白のデール(モンゴルの民族衣装)、隊長は青のデールをまとっておった。

 お二人ともターバンは外し、タジク帽のみとなっておった。

 己は(ころも)は異なる。

 またそもそもターバンは持っておらず、ただタジク帽をかぶっておる。

 そこだけは同じであり、それで少し安心する。


「我はスルターンに会って来た。」


「はい。」


 そう答えてから聞かされた話は、強く興味を引かれるものであった。


 相手国の君主に会ったことさえないアリーにとって、

――その君主と交渉するということが()()()()()()()など、

――想像もつかないことであった。


 一回目の謁見(えっけん)の様を聞いた後に、ヤラワチ様に次の如くに問われた。


「その後、我は一人呼び出された。

 そもそも、使者は一人での謁見をカンに禁じられておる。

 何ゆえか分かるか。」


「いいえ。」


 正直にアリーは答えた。


「使者が勝手に言葉を(たが)えるのを許さぬためだ。

 しかしこたびは仕方のないこと。

 相手のスルターンがそれに応じねば、協定は結ばぬと言うのでな。」


 そこまで言ってから、改めてアリーの顔をそのぎょろ目にてのぞき込んでから、


「そこで何があったと想う。」


 いきなりそう問われ、何も頭に想い浮かばなかった。

 答えられずにおると、


「脅されたのだよ。

 スルターンの間諜(かんちょう)(スパイ)になれと。

 それで我はどう答えたと想う。」


 さすがにその答えは分かった。自信をもって答える。


「断ります。」


「それではダメだな。そうだろう。オマル。」


「そうです。」

 隊長はそう応じて、それからこちらの方を向いて声をかける。


「アリーよ。なぜ断るのか。」


「カンを裏切らぬためです。」


「本当にそうか。

 もしお前が使者だったなら、そこでお前は殺され、この和平協定も破談となっておったろう。」


と隊長。


「それでは・・・受けたのですか。」


「そんなに驚くな。

 本当にスルターンの間諜になる訳ではない。

 この件も含め、全てカンに報告する。

 その上で我が間諜を続けるか否かは、カンが判断されれば良いこと。」


とヤラワチ様。


「アリーに来てもらったのは、この話をヤラワチ様にしてもらうためだ。

 我が(あいだ)に入っては、信じぬかもしれぬからな。」


「そんなことは・・・。」


 とは言うものの、ヤラワチ様本人から聞いた今でさえ、信じられぬアリーであった。


「そして()()同じことをスルターンやその配下に言われたならば、やはりヤラワチ様と同じく受けて欲しいのだ。

 何か他のことでも同じだ。

 とりあえず受けて、すぐに我に報告せよ。」


「はい。」


 戸惑いながらも、そう答える。


「それでお前の命も守れるし、また隊の安全も守れる。」


「お前は年若いから相手に(くみ)しやすいとみなされ、(ねら)われやすい。

 それに他の者は、多少の経験もある。

 またこうしたことは、一度は言い含めてある。」


「ハーリドもですか。」


「ああ。()()()もそうだ。

 あやつはお前の面倒を良く見ておろう。」


「はい。色色と教えてくれます。」


「良いことだ。

 それが()()()にとっても成長の(かて)となる。

 あやつは一見()()()だが、ああ見えて()()()()しておる。

 やがて良き商人となろう。」


 ハーリドはアリーから見ても仕事ができた。

 わずか1年ほどしか経験は変わらない。

 加えて年齢はほぼ変わらない。相手が数ヶ月、上なだけである。


(僕だって。)


 とても口に出すことはできないが、そう想う。


「それにもう一つ、確認したいことがある。

 お前が今回のように注意を要する危険な相手との交易に赴くのは初めてだったな。」


「そうですけど。」


「お前の祖父に頼まれて、これまで預かって来た。

 しかし今回改めてお前に直接確認すべきと想ったのだ。

 このまま我らと共に交易に赴くか。

 それとも隊商を離れて、一人サマルカンドに向かうか。

 離れても、給金は交易に赴くのと同じだけ払うし、約束したラクダもここで与えよう。」


「共に行きます。」


 こればかりは、即座に答えた。


「そう急いで答えを出すな。

 皆の酔いっぷりを見れば、隊商はすぐには発さぬ。」


「この子は(あこが)れておるのだよ。そなたを見る目に明らかに現れておる。」


 とヤラワチ様に心中を指摘され、アリーは想わず赤面するも、


「オマルのようになりたいのだろう。」


 とうながされ、仕方なく


「はい。」と正直に答える。


 他方隊長の方は黙しておった。

 それではとばかりに、ヤラワチ様が言葉を続ける。


「なあに、確かにまったく危険がない訳ではない。

 しかしまさに我が生き証人だ。

 戻って来た今でも、本当に首がつながっておるのか、時々(さわ)って確かめてはおるが。」


 と笑いながら言う。

 それから真顔に戻って続けた。


「オマルの言いつけをしっかり守りさえすれば、少なくとも今回の交易は安全であろう。

 何より相手も一国の君主。

 そうそう()()()()言葉を(たが)えはせぬさ。

 その言質(げんち)を取るためにこそ、カンは我を赴かせたのだから。」


 ただオマル隊長には、やはり次の如くに告げられた。


「よくよく考えろ。お前自身が選ぶしかない。」


「そうだ。そして人は誰であれ、想いを抱くなら、その想いを大切にすべきと、

 我は想うがな。」


「ヤラワチ様。そうしたことは言わないで下さい。

 実際身の危険を感じられたのでしょう。」


「ああ。特に『己の子のように愛したい』とのカンの言葉を伝えたら、『我は断じて異教徒の子にはならぬぞ』と急にスルターンが激怒した。

 あの時は、(きも)を冷やしたぞ。

 『あくまで儀礼上の言葉に過ぎませぬ。』とあわててとりなしたが。

 しかし交渉ごとには、こうしたことは付きものなのだよ。

それはオマル自身も分かろう。」


「わたくしは承知しております。

 問題はアリーです。

 アリーには()()()()これが危険なこととの認識を持って欲しいのです。」


「この時代、どこに行こうと全く危険でないところなどないよ。

 そうだろう。オマル。

 だからこそ、そなたもまたカンの隊商を率いておるのだろう。

 そしてそなた自身が、まさにその隊商を率いてホラズムに入らんとしておるのだ。

 それもまた何らかの想いを抱くゆえであろう。

 それに神は(あきな)いに(はげ)めと言われておる。

 オマル。そなたが言うた如く、この子は自分で決めよう。

 我やそなたがそうした如く。

 誰もそれを止められぬし、止めるべきではない。

 この子にその考える時間を与えるために、そろそろ解放してやるべきではないか。

 そして我らは我らで積もる話もあれば。」


「ただスルターンは危険な人物です。

 わたしくしが()()想っていたより、明らかにそうです。

 それこそヤラワチ様ご自身が、身をもって経験されたところのもの。」


 と反論した後に、それでも隊長は、遂にアリーに出て行くことを許した。

 ただそれはやはり


「自分のことだ。良く考えてから結論を出せ。」


と告げてからであった。



 

 ヤラワチたち使節団を慰労した宴の翌日の朝のこと。

 隊商の面々は、出発の準備に忙しかった。

 ハーリドも含め少なからずが二日酔いから来る頭痛と吐き気を()()()()()のように、アリーには見えた。


 昨日聞いておった通り、隊長が皆に出発を二日延ばすと告げた。

 反対する者が多かった。


「確かに我らは酔うております。

 しかしオトラルに入るまでには、どのみち数日かかります。

 その城門に至る頃には、すっかり()めておりましょう。」


 そう最年長に近き者が訴える。


(無理なきことと想う。

この地で三ヶ月半近く待たされたのだ。)


 アリーはふと想い至る。


(まさか自分が決断する時間を与えるために、二日も待つとしておるのではないかと。)


 そこで急ぎ隊長に、隊商に留まりたいと、その願いを再び伝えたが、


「後二日ある。ゆっくり考えよ。急がなくとも良い。」

と受け入れてもらえなかった。




 その日の昼のこと。

 オマル隊長に、ハーリドと共に服屋に連れて行ってもらい、チョパンと白の綿の上下を買ってもらった。


「ようやく祖国に入れるのだ。

久しぶりに家族にも会うことになる。

多少は身なりを整えんとな。

それに実はヤラワチ様に言われたのだよ。

あれではこれから暑かろうと。」


 実際アリーとハーリドのみが、モンゴルを発した時から着ておった革衣(かわごろも)を、未だ身にまとっておった。


 気温が上がるにつれ、先輩方はサイラームで買ったりまた携えておった服を持ち出したりして、モンゴルのデールかホラズムの白の上下をまとっておった。


 アリーとハーリドはラクダを持っておらねば、自らの持ち物は最小限にせねばならなかった。

 それゆえ手持ちの衣服はその革衣の他は、さすがに今は暑すぎる毛皮の衣一枚であった。




 次の日、少しハーリドと話した。

 出立の準備は終わっており、二人ともやることが無かったのだ。

 久しぶりに母に会えると、ハーリドは顔をほころばせておった。

 父は既に他界しており、年の離れた妹が一人おるとは以前に聞いておった。

 本気かどうか分からぬが、こうも言っておった。


「俺はモンゴル人の女を妻にしようと想っているんだ。

 だから嫁の紹介を断っている。

 母は()()()と紹介するのだが、今回もそうせねばならぬ。

 俺には俺の計画があるんだと言っても、早く孫の顔を見せろとそればかりで、なかなか理解しれくれぬ。」


 ハーリドは己と違って美男だから、本当なのだろう。

 嫁取りに苦労するとは想えなかった。

 己は十人以上紹介してもらって、ようやくであった。


 ハーリドと妻は同じキシュ(注1)出身であった。

 いずれ妻に紹介する時もあるだろうから、その時は二人で盛り上がるのかもしれない。

 己では無理であった。

 アリー自身は妻の実家を訪ねるために、数えるほどしか行ったことがない。

 キシュをそもそも良く知らないのだ。

 いや妻のことさえ良く知らぬ。

 一年半前、父の知人に紹介された。

 珍しく相手が気に入ってくれた。

 こちらは嫌も応もあろうはずもなかった。

 それですぐに結婚したのだった。

 そして一ヶ月一緒に暮らした。

 それ以来会っておらぬ。

 妻のバハールの顔が浮かぶ。




 出発の朝、隊長に買ってもらったズボンをはき、腰ひもを締め、上着に(そで)を通す。


 それからチョパンを身にまとう。

 青と黒の縦縞模様であった。

 ハーリドは黄と黒の縦縞模様を選んでおった。

 同じ色使いにしたらどうだと隊長に言われたが、二人はそうしなかった。


 そして愛用のタジク帽をかぶる。

 モンゴルからずっと毛皮の帽子をかぶっておったが、今の季節はこれが心地よい。

 これは祖父に買ってもらったもので、ずっと携えて来たのだった。

 これくらいなら荷物として許されたのだ。


 それからハーリドと共に改めてオマル隊長の下に行き、隊商に加わりたい旨を伝えた。

 隊長はハーリドにも同じ提案をしており、そのことを服を買った後に知ったのだった。

 その帰り際、言われたのだった。


『二人とも良く考えて、出発の日に返答に来い。

 それから服のことは気にせずに、決めよ。

 隊商を離れるなら、餞別(せんべつ)として与えよう』と。


 隊長は一度大きく息を吐いてから、次の如くに告げた。


「お前たちがそう決めたのなら、それに従おう。

 ただし先日告げたことは必ず守れ。」




 ヤラワチ様の方は、隊を分け、

――自らはスルターンからの返礼品のうち()()()()()()を携えて先を急ぎ、

――残りの品はもう一隊が運ぶとのことであった。


 既に昨日両隊ともに出発しておった。



注1 キシュ 現シャフリサブス。サマルカンドの南南東約65キロにある。

 肥沃なカシュカダリヤ川でうるおされるのと、アムダリヤ南岸へ至る主要交易路上(サマルカンド→キシュ→ティルミズの渡し→バルフ)にあることにより、イスラーム化される前のソグドの時代に栄えた。

 安史の乱を起こした史思明(ししめい)の父系の先祖は、この地出身のソグド人と考えられている。この地出身のソグド人は史姓を名乗ったため。

 他方安禄山(あんろくざん)の父系の祖はブハーラー出身者のソグド人と考えられている。やはりブハーラー出身のソグド人が安姓を名乗ったためである。


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