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サウナーと湯気隊

サウナーと湯気隊


翌朝。


ゴーウ村の空は、相変わらず灰色だった。


太陽は見えない。

雪も止んでいない。

吐く息は白く、家々の屋根には重たそうな雪が積もっている。


けれど、昨日までと違うものがあった。


湯気だ。


村の外れに建てたサウナ小屋から、白い湯気が細く立ち上っている。


それだけで、村の景色は少し変わって見えた。


「レン! 水、持ってきた!」


声の方を見ると、ノルが木桶を抱えて走ってきた。


昨日、自称「湯気隊長」になると言っていた少年だ。


桶の水は半分ほどこぼれている。


『ノル、走るとこぼれる』


「急いだ方がいいと思って!」


『急ぐより、こぼさない方が大事』


「なるほど!」


ノルは真剣な顔で頷いた。


本当にわかっているのかは怪しい。


その後ろから、イルが白霜樺の枝を抱えて歩いてくる。


「レンさん、白霜樺も持ってきました」


『ありがとう。柔らかい葉のやつだね』


「はい。昨日言われた通り、硬い枝は避けました」


イルはもう、かなり手際がいい。


山へ薬草を取りに行っていた経験があるからだろう。

植物を見る目がある。


俺はサウナ小屋の前に集まった子どもたちを見回した。


ノル。

イル。

それから、村の子どもが数人。


年齢は六歳から十歳くらい。


みんな手に白霜樺の枝や、水の入った小桶、布などを持っている。


昨日の夜、ノルが「俺もサウナ覚えたい」と言った。


それをルミ婆さんと村長に相談したところ、思ったより早く話が進んだ。


村長はこう言った。


「子どもにもできる役目があるなら、やらせた方がいい。何もしないで家族が凍っていくのを見ている方がつらい」


その言葉に、俺は何も言えなかった。


だから今日は、サウナ番の第一歩として、子どもたちにもできる仕事を教えることになった。


もちろん、火や熱い石には近づけない。


危険な作業は大人がやる。


子どもたちの役目は、白霜樺の枝を選ぶこと。

水を運ぶこと。

患者の顔色を見ること。

そして、無理をしそうな俺を止めること。


最後だけ、なぜか全員がやる気満々だった。


「では、湯気隊のしごとを説明します」


俺がそう言うと、子どもたちが一斉に背筋を伸ばした。


「はい!」


声が大きい。


村の大人たちが少し離れた場所で見ている。


ルミ婆さんは腕を組み、村長は杖をついていた。


ダグはなぜかにやにやしている。


『まず、名前は正式には湯気隊じゃなくて、サウナ番見習いです』


「えー!」


ノルが露骨に不満そうな声を出した。


「湯気隊の方がかっこいい!」


『いや、湯気隊ってなんか……』


「いいじゃないか」


ルミ婆さんが横から口を挟む。


「子どもが覚えやすい名前の方がいい」


村長も頷いた。


「村の者も、もう湯気隊と呼んでいる」


『もう浸透してる……』


俺の知らないところで、村にまた変な文化が生まれていた。


仕方ない。


『じゃあ、湯気隊でいいです』


「やった!」


子どもたちは嬉しそうに声を上げた。


俺は咳払いをする。


『ただし、湯気隊には大事な決まりがあります』


子どもたちが真剣な顔になる。


『一つ。熱い石には絶対に触らない』


「はい!」


『二つ。具合が悪そうな人を見たら、すぐに大人を呼ぶ』


「はい!」


『三つ。俺が無理をしようとしたら、止める』


「はい!」


声が一番大きかった。


『そこだけ元気だな』


ノルが胸を張る。


「ルミ婆さんが一番大事って言ってた!」


ルミ婆さんを見ると、ふん、と鼻を鳴らされた。


『……四つ。サウナは我慢大会ではありません』


子どもたちは首を傾げた。


『熱いのを我慢すれば偉いわけじゃない。長く入れば強いわけじゃない。苦しくなったら出る。水を飲む。休む。これが大事』


「休むのも仕事?」


イルが聞く。


『そう。休むのも仕事』


俺は自分に言い聞かせるように言った。


『サウナは、熱くするだけじゃ駄目なんだ。温めて、冷まして、休ませる。そこまで全部でサウナ』


ノルが小さく呟く。


「温めて、冷まして、休ませる」


『そう。それを覚えておいて』


「はい!」


俺は頷いた。


子どもたちの顔は真剣だった。


こんな小さな子たちに、村の治療の一部を任せるのは重いかもしれない。


だが、彼らも村の一員だ。


何もできないまま、大切な人が凍っていくのを見るよりは、ずっといいのかもしれない。



その日の最初の治療は、イルの姉だった。


名前はリナというらしい。


十二歳。


イルより四つ年上。


母親よりも体力があると判断され、まずは短時間の治療を試すことになった。


リナは相変わらず眠ったままだった。


氷は腰のあたりまで進んでいる。


昨日、家を暖めたことで少し引いたが、夜のうちにまた少し戻っていた。


イルは姉の手を握り、静かに言った。


「お姉ちゃん、サウナに入るよ」


その言い方が、少し不思議だった。


前世なら「病院に行くよ」とか「治療するよ」だろう。


でも、この村ではもう、サウナが治療の言葉になりつつある。


俺はリナをサウナ小屋の低い台へ寝かせた。


ルミ婆さんが脈を取る。


「呼吸は浅いが、安定してる。無理はするんじゃないよ」


『はい』


俺はサウナストーンを炉の中に出す。


『サウナ』


魔法陣が浮かび、赤い石が静かに現れる。


今回は最初から慎重にいく。


温度、三十八度。


範囲、この小屋。


湿度、少し高め。


サウナストーンの熱が、ゆっくりと空間に広がる。


前世のサウナとしてはかなり低温だ。


だが、病人にはこれでいい。


蟒蛇草の煎じ水を、ほんの少しだけサウナストーンへかける。


ジュワ。


小さな蒸気が立ち上る。


白霜樺の香りと、蟒蛇草の苦い匂いが混ざる。


イルが姉の顔色を見ている。


ノルたちは小屋の外で待機だ。


「顔色、変わってません」


イルが言う。


『わかった』


俺は白霜樺のヴィヒタを持つ。


前よりも力を入れない。


氷を叩くのではない。


氷の中に閉じ込められているものに、外へ出る道を教えるように。


ぽん。


ぽん。


リナの足元から、薄い黒いもやが浮かび上がった。


昨日より少ない。


それでも確かに出ている。


『出た』


ルミ婆さんが頷く。


「焦るな。今日は様子見だ」


『はい』


黒いもやは、ヴィヒタの葉に吸われるように絡みついた。


葉の先が少し黒ずむ。


俺はそれ以上強くはしなかった。


サウナストーンの熱を少し落とす。


『一度出します』


リナを外へ運ぶ。


イルとダグが手伝ってくれた。


外の冷たい空気に触れると、リナの眉がわずかに動いた。


「お姉ちゃん?」


イルが顔を近づける。


返事はない。


けれど、反応はあった。


冷却浴には、今回は足先だけを入れる。


水温は二十三度。


白霜樺と青脈石を入れた水が、淡く光っていた。


リナの足元の氷が、ぴき、と小さく鳴る。


水面に黒い糸のようなものが浮かんだ。


すぐに青脈石がそれを薄めていく。


『よし……』


外気浴用の丸太椅子に寝かせるようにして、リナを休ませる。


毛皮をかけ、風が直接当たらないようにする。


イルはずっと姉の手を握っていた。


「お姉ちゃん、聞こえる?」


しばらく沈黙が続いた。


雪の降る音だけが聞こえる。


その時、リナの唇がわずかに動いた。


「……イル」


かすれた声だった。


でも、確かに声だった。


イルの目が大きく開く。


「お姉ちゃん!」


リナの目は開かない。


けれど、もう一度小さく呟いた。


「……寒く、ない」


その瞬間、イルの顔がくしゃりと歪んだ。


泣くのを我慢しようとして、でも我慢できなかった。


「よかった……よかった……」


イルはリナの手を握りしめ、ぽろぽろと涙をこぼした。


俺は何も言えなかった。


ルミ婆さんが静かにリナの様子を確認する。


「今日はここまでだね。無理をすれば戻る」


『はい』


「でも、悪くない」


ルミ婆さんは小さく笑った。


「この子は助かるかもしれない」


その言葉を聞いて、イルはさらに泣いた。


俺も、胸の奥が熱くなった。


サウナで泣くなんて、前世でも何度かあった。


仕事でしんどかった日。

誰にも言えない疲れが溜まっていた日。

外気浴中に、なぜか涙が出そうになったことがある。


でも今日のこれは、そういう涙とは違う。


人が凍らずに済むかもしれない。


ただ、それだけのことが、こんなにも重い。



昼過ぎまでに、三人の治療を終えた。


無理はしない。


一人ずつ、短時間。


サウナ。

冷却浴。

外気浴。


その流れを、村人たちは少しずつ覚えていった。


ノルたち湯気隊は、水の温度を確認する係になった。


もちろん正確な温度計などない。


だが、俺がスキルで確認した温度を伝え、子どもたちには手を入れた時の感覚を覚えさせた。


「冷たすぎると、手が痛い!」


「ぬるすぎると、ただの水!」


「ちょうどいいと、気持ちいい!」


『だいたい合ってる』


細かい理屈より、まずは感覚だ。


イルは患者の顔色を見る係。


これはかなり向いていた。


少しの変化に気づく。


呼吸が浅くなったとか、手が震えたとか、唇の色が変わったとか。


毎日母と姉を見てきたからだろう。


彼女の観察力は、俺よりずっと鋭かった。


ダグは石と薪の係。


重いものを運び、火の勢いを見る。


最初は「俺は細かいことは苦手だ」と言っていたが、火加減は意外とうまい。


ルミ婆さんは薬草の調整。


蟒蛇草の濃さを変えたり、白霜樺の葉の状態を見たりしている。


村長は治療順の管理。


これは誰よりもつらい役目だ。


助けてほしい人が何人もいる中で、今日治療する人と、明日に回す人を決めなければならない。


俺にはできない。


だから、村長がいてくれて助かった。


夕方になる頃、サウナ小屋の前には簡単な木の札が立てられた。


ノルが炭で文字を書いたものだ。


湯気小屋


『サウナ小屋じゃないんだ』


「村のみんな、湯気小屋って呼んでるよ」


ノルは得意げだった。


『そうか……湯気小屋か』


悪くない。


いや、かなりいい。


この村にとっては、サウナという言葉よりも、湯気の方がわかりやすいのかもしれない。


湯気がある。


温かいものがある。


まだ生きている。


そういう意味なら、湯気小屋という名前は、この村にぴったりだった。



その夜。


俺は外気浴用の椅子に座っていた。


今日の治療は終わった。


サウナストーンの熱も落としてある。


冷却浴の水はルミ婆さんの指示で一度抜き、青脈石だけを残している。


凍呪が混じった水をそのままにしておくのは危険だからだ。


空は暗い。


星は見えない。


森の方角だけが、不気味に黒く沈んでいる。


昨日、白い影を見た場所。


雪女。


俺はあの声を思い出す。


――あたたかい。


あれが何だったのか、まだわからない。


敵意だったのか。

羨ましさだったのか。

あるいは助けを求める声だったのか。


「レン」


振り返ると、ダグが立っていた。


手には木の器を持っている。


「食え。イルが持っていけってさ」


『ありがとう』


中には豆と干し肉のスープが入っていた。


湯気が立っている。


俺は受け取り、ひと口飲む。


やはり塩気が強い。


でも、美味い。


『今日は助かった。石運びも、薪も』


「礼を言うのはこっちだ」


ダグは俺の隣に腰を下ろした。


「リナが声を出した。あの子が喋ったのは、もう何日ぶりかわからねぇ」


『まだ治ったわけじゃない』


「わかってる。でも、村の空気が変わった」


ダグは湯気小屋を見た。


「昨日まで、みんな次は自分の家だと思ってた。誰が砕けるか、ただ待ってるだけだった。でも今は違う。やることがある」


『やること……』


「水を運ぶ。枝を集める。火を見る。飯を作る。順番を待つ。たったそれだけでも、何もしないよりずっといい」


俺は黙って聞いていた。


ダグは少し照れたように頭をかく。


「俺は難しいことはわからん。だが、この湯気小屋はいい。村が少し息を吹き返したみたいだ」


その言葉に、胸が詰まった。


湯気が立つ。


息をする。


たしかに似ている。


凍りついた村が、少しずつ呼吸を取り戻している。


『続けないとな』


「ああ。続けるために、お前が倒れないことだな」


『そこに戻るんだ』


「ルミ婆さんに言われた。お前が無茶しそうなら殴ってでも止めろって」


『物理なんだ……』


ダグは笑った。


俺も笑った。


その時だった。


森の方から、風が吹いた。


冷たい風。


だが、その中に、昨日と同じような声が混じった。


――あたたかい。


俺とダグは同時に立ち上がった。


『聞こえた?』


「ああ」


ダグの表情が一気に険しくなる。


「今のは……人の声か?」


森の奥。


黒い木々の間。


白い影が、また立っていた。


昨日より少し近い。


白い髪。

白い衣。

青く光る目。


雪女。


その姿を見た瞬間、体の芯が冷える。


だが、彼女は襲ってこない。


ただ、じっと湯気小屋を見ている。


まるで、近づきたいのに近づけないように。


まるで、温かさを恐れているように。


ダグが斧に手をかける。


『待って』


「なんで止める。あれが元凶かもしれねぇんだぞ」


『わかってる。でも、今は襲ってきてない』


雪女の目が、こちらに向いた。


青い目。


冷たい。


けれど、その奥に何かが揺れている。


怒りではない。


悲しみ。


いや、もっと深いもの。


凍りついて、動けなくなった感情のようなもの。


雪女の唇が、かすかに動いた。


声は風に乗って届く。


――返して。


『……え?』


俺は思わず一歩前に出た。


ダグが腕を掴む。


「行くな」


『今、返してって……』


「何をだ」


わからない。


雪女はもう一度、湯気小屋を見た。


それから、森の奥へゆっくりと消えていく。


追いかけることはできなかった。


今の俺たちでは、森に入る準備ができていない。


雪女の姿が完全に消えたあと、冷たい風だけが残った。


ダグは低く呟く。


「村長に知らせる」


『うん。ルミさんにも』


俺は湯気小屋を見た。


白い湯気が、夜の空へ細く上っている。


雪女は、湯気を見ていた。


あたたかい、と言った。


返して、と言った。


あれは本当に、ただの魔物なのか。


村を凍らせた敵なのか。


それとも。


『何を返してほしいんだ……?』


答えはない。


ただ、森の奥から、かすかな冷気だけが流れてきた。


その夜。


ゴーウ村には、初めて見張りが立てられた。


湯気小屋を守るため。


そして、森から来る白い影に備えるため。


俺はまだ知らない。


雪女が求めていたものが、この村の冬の始まりに深く関わっていることを。


そして、サウナーLv4への道が、戦うことだけではなく、彼女の凍った記憶をととのえることにも繋がっていること

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