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サウナーと水風呂づくり

サウナーと水風呂づくり


翌朝。


俺は、村の外れに立っていた。


目の前には、昨日までただの古い納屋だったサウナ小屋がある。


壁はまだ歪んでいる。

屋根の端も少し傾いている。

入口の獣皮の幕も、風が吹くたびにばさばさと揺れる。


それでも、そこから立ち上る白い湯気は、確かに村の景色を変えていた。


凍りついた家々。

灰色の空。

雪に覆われた道。


その中に、ひとすじの湯気。


前世なら見慣れた光景だったかもしれない。


でも、このゴーウ村では違う。


湯気は、希望だった。


「レンさん、これでいいですか?」


イルの声に振り返る。


彼女は両手いっぱいに白霜樺の枝を抱えていた。


顔は赤く、息は白い。

けれど昨日までより、少しだけ元気に見える。


『うん。柔らかい葉がついてる枝を選んでくれたんだな』


「はい。ルミ婆さんが、硬い枝だと叩いた時に痛いって」


『正しい』


ヴィヒタで治療するのに、患者を傷だらけにしては意味がない。


イルの後ろでは、村の子どもたちが同じように枝を集めている。


「レンの湯気隊だ!」


一人の男の子が、枝を振り回しながら叫んだ。


『その名前はやめようか』


「えー!かっこいいのに!」


『かっこいいか?』


「うん!レンの湯気隊!」


ほかの子どもたちも真似して叫ぶ。


「レンの湯気隊!」


「湯気隊!」


「馬鹿サウナー隊!」


『最後のやつ誰だ』


俺が言うと、子どもたちは笑いながら逃げていった。


村に、笑い声がある。


昨日までは考えられなかった。


そのことが、少しだけ胸に残った。


「いいじゃないか。湯気隊」


背後からルミ婆さんの声がした。


振り返ると、厚手の毛皮を羽織ったルミ婆さんが杖をつきながら歩いてくる。


まだ顔色は悪い。

歩き方もゆっくりだ。


だが、昨日よりはずっと生きている顔をしていた。


『ルミさん、寝てなくていいんですか』


「寝てたら村が馬鹿サウナー色に染まるだろう」


『染まりませんよ』


「もう半分染まってるよ」


ルミ婆さんはサウナ小屋を見て、鼻を鳴らした。


「さて。今日は水風呂を作るんだったね」


『はい』


「この村で水に浸かる場所を作るなんて、正気じゃないと思うけどね」


『俺も少し思ってます』


ここは凍える村だ。


水を用意すればすぐに凍る。

人間も凍る。

病人ならなおさら危ない。


だが、それでも必要だった。


熱だけでは駄目だ。


呪いを浮かせる。

蒸気で外へ出す。

その後に、身体の熱と魔力の流れを落ち着かせる。


前世のサウナで言うなら、水風呂と外気浴。


ただし、この村でいきなり病人を冷水に沈めるのは危険すぎる。


だから、俺が作ろうとしているのは、正確には水風呂ではない。


『冷却浴、ですね』


「れいきゃくよく?」


イルが首を傾げる。


『本物の水風呂より、ぬるめにする。冷たすぎない水で、手足から少しずつ冷ます。身体を落ち着かせる場所だ』


ルミ婆さんが頷く。


「熱を入れた後、身体が暴れないようにするわけだね」


『そうです。あと、呪いが抜けた後の魔力の流れを整える』


「言うようになったじゃないか」


『夢で神様に言われたので』


ルミ婆さんの目が細くなる。


「神様?」


しまった。


俺は咳払いした。


『夢で、そんな気がしただけです』


「まあいい。転生者なんてものは、だいたい神様とやらが絡むんだろう」


『理解が早いですね』


「年寄りは変な話に強いんだよ」


ルミ婆さんは小屋の裏手を指さした。


「場所はこっちでいいね?」


サウナ小屋の裏には、浅いくぼ地があった。


そこから少し離れた場所に、村を流れる細い用水路がある。

ただし、水の表面は薄く凍っている。


この水は呪いを含んでいる可能性がある。

昨日、桶の水から黒いもやが出た。


そのまま使うのは危険だ。


『山の川の水を使いたいです』


イルがすぐに顔を上げる。


「私、案内できます!」


『今日は村の近くまでにしよう。山奥には入らない』


「はい」


昨日の雪牙狼の襲撃もある。

不用意に山へ近づくのは危険だ。


だが、川の上流側なら、村の水より呪いが薄いかもしれない。


問題は運搬だ。


水は重い。


村人たちの体力も落ちている。


そこで活躍するのが、俺の収納スキルである。


『収納に水って入りますかね』


「知らんよ」


ルミ婆さんが即答する。


そりゃそうだ。


俺も知らない。


試すしかない。



村の若い男たちと、俺とイルは、川の上流へ向かった。


とはいえ、山の森へ入る手前までだ。


そこは不思議な境界だった。


村側は雪と氷。

森側は緑。


川の水だけは、境界をまたいで流れている。


上流側の水は澄んでいて、表面も凍っていない。

手を入れると、冷たいが刺すような冷たさではなかった。


『この水ならいけるかも』


俺は手をかざす。


『収納』


魔法陣が開く。


いつもなら物を入れるだけだ。

だが、水のような形のないものを入れられるのか。


試しに、桶一杯分の水をすくい、そのまま収納へ流し込むイメージをする。


水が空中でゆらりと曲がり、魔法陣の中へ吸い込まれた。


『入った』


イルが目を丸くする。


「水も入るんですね!」


『俺も今知った』


若い男の一人、昨日南門で斧を振るっていた大柄な男が、腕を組んで言った。


「レン、お前の魔法、便利すぎないか」


『便利ですけど、使うたびに疲れます』


「それはそうか」


彼の名前はダグというらしい。


村の狩人で、雪牙狼との戦いでも前に出ていた男だ。


最初は俺をかなり警戒していたが、昨日一緒に戦ったことで少しだけ距離が縮まった。


「で、その水をどうするんだ」


『サウナ小屋の裏に溜めます。ただ、そのままじゃ駄目です』


「何か混ぜるのか?」


『はい。白霜樺の枝と、少しだけ蟒蛇草。それから、できれば冷たさを安定させる石も沈めたいです』


「石も?」


『サウナストーンが熱を保つなら、水を落ち着かせる石もあるんじゃないかなと』


俺は川辺の石を見て回る。


クラフトの加護なのか、素材情報が頭に浮かぶ。


川丸石

水属性との相性:小

冷却保持:低


青脈石

水属性との相性:中

魔力安定:小


『これだ』


青い筋の入った石を拾う。


触ると、ほんのり冷たい。


ダグが覗き込む。


「ただの石に見えるが」


『俺にもほぼただの石に見えます』


「大丈夫か?」


『たぶん』


「たぶんで村を救うんだな」


『はい』


ダグは少し黙ったあと、豪快に笑った。


「いいじゃねぇか。今まで確実な方法なんて何もなかったんだ。たぶんでも、あるだけマシだ」


その言葉は、意外とありがたかった。


俺たちは青脈石をいくつか集め、収納に水を入れ、村へ戻った。


途中、森の奥から視線を感じた。


振り返る。


緑の木々の間。


一瞬だけ、白い影が見えた気がした。


女のような。


獣のような。


雪そのものが立っているような。


『……』


「レンさん?」


イルが不安そうに俺を見る。


『いや、なんでもない』


今はまだ近づかない。


こちらは準備不足だ。


そう自分に言い聞かせ、俺は村へ戻った。



サウナ小屋の裏では、村人たちが浅い浴槽を作っていた。


浴槽といっても、前世のような立派なものではない。


地面を掘り、石で囲い、内側を粘土で固めた簡単なものだ。


そこに獣皮を敷き、水漏れを防ぐ。


俺はクラフトを使って、石の隙間を固めた。


簡易冷却浴槽

状態:未完成

水漏れ:中

安定性:低


『もう少し補強が必要ですね』


「また何か見えてるのか」


ダグが聞く。


『はい。水漏れ中、安定性低って出てます』


「便利だな、それ」


『でも言い方がちょっと腹立ちます』


低、とか中、とか言われると、通知表を思い出す。


俺は木材と粘土を追加し、クラフトをもう一度使う。


簡易冷却浴槽

状態:完成

水漏れ:低

安定性:中

効果:冷却補助・小


『よし』


「できたのか?」


『たぶん完成です』


「またたぶんか」


ダグは笑いながら、浴槽の縁を叩いた。


「でも、悪くねぇ」


俺は収納から川の水を出す。


魔法陣から水が流れ、浴槽に溜まっていく。


村人たちがどよめく。


「水が出たぞ」


「本当に便利だな」


「レン一人いれば井戸いらずじゃないか」


『それは無理です。容量も魔力も限界があります』


便利すぎると思われるのは危ない。

ルミ婆さんの言葉を思い出す。


助かる力は、奪い合いの理由にもなる。


だから、できることとできないことは、早めにはっきりさせるべきだ。


『これは治療用です。生活用水を全部出すのは無理です』


村人たちは少し残念そうにしながらも、納得したようだった。


浴槽に青脈石を沈める。

白霜樺の枝を数本浮かべる。

蟒蛇草の煎じ水を、ほんの少しだけ混ぜる。


水面が淡く光った。


頭の中に文字が浮かぶ。


白霜樺の冷却浴

温度:二十二度

効果:熱安定・小

魔力鎮静・小

凍呪抑制・微弱


『二十二度か……』


前世の水風呂としては、かなりぬるい。


だが病人にはちょうどいいかもしれない。


『まずは俺が入ります』


「は?」


ルミ婆さんが目を剥いた。


「何言ってるんだい」


『効果を確かめないと』


「病人用だよ」


『でも安全確認は必要です』


ダグが腕を組む。


「確かに、いきなり病人を入れるよりはいいな」


イルが心配そうに言う。


「レンさん、昨日まで倒れてたのに」


『だからこそ、ちょうどいい。魔力切れ明けの身体でどう感じるか試せる』


ルミ婆さんは深いため息をついた。


「本当に馬鹿だね」


『馬鹿サウナーなので』


「開き直るんじゃないよ」


俺は上着を脱ぎ、浴槽へ足を入れた。


冷たい。


だが、刺すような冷たさではない。


じわりと足元から熱が抜ける。

それと同時に、頭の奥に残っていた重さが少しだけほどける感じがした。


『……いい』


思わず声が漏れた。


イルが首を傾げる。


「いいんですか?」


『すごくいい』


ゆっくり腰まで浸かる。


サウナ後ではないので、ととのう感覚まではない。

でも、魔力のざわつきが静まっていく。


身体の内側で暴れていた熱が、落ち着いて並んでいくような感覚。


頭の中に声が響いた。


サウナーLv3 派生理解が進行しました。

冷却浴の概念を取得しました。


『きた』


ルミ婆さんが身を乗り出す。


「何か起きたのかい」


『スキルが反応しました。冷却浴の概念を取得って』


「つまり?」


『水風呂に一歩近づきました』


「嬉しそうだね」


『嬉しいです』


ルミ婆さんは呆れていたが、目だけは真剣だった。


「身体はどうだい」


『楽です。魔力切れの重さが少し軽くなってます。熱を抜くというより、暴れてる魔力を落ち着かせる感じです』


「なら使えるね」


ルミ婆さんはすぐに村長を呼んだ。


「最初の患者を連れてきな。症状が腹までの者。できれば体力のある大人がいい」


村長が頷く。


しばらくして、一人の女性が連れてこられた。


三十代くらいだろうか。

腹の下まで氷が進んでいる。

顔色は悪いが、意識はある。


隣には夫らしき男が付き添っていた。


「妻を……お願いします」


男は深く頭を下げた。


俺は緊張で喉が鳴った。


これが、サウナ小屋と冷却浴を使った初めての本格治療だ。


『まず、サウナ小屋で温めます。ただし短時間です。苦しくなったらすぐ出します』


ルミ婆さんが補足する。


「イル、脈と呼吸を見な。顔色が悪くなったらすぐ言うんだよ」


「はい」


イルの顔は真剣だった。


昨日まで守られる側だった少女が、今は治療を手伝おうとしている。


俺たちは女性をサウナ小屋へ運び入れた。


室内は四十度ほどに保つ。

前世のサウナに比べればかなり低温だ。


だが、凍呪を浮かせるには十分かもしれない。


サウナストーンに蟒蛇草の煎じ水を少しだけかける。


ジュワァ。


白い蒸気が立つ。


今回は昨日のように大量ではない。

小さく、優しく、包むような蒸気。


白霜樺のヴィヒタで、凍った部分の周辺を軽く叩く。


ぽん。


ぽん。


女性の体から、黒いもやが細く上がった。


昨日のルミ婆さんの時より少ない。


ルミ婆さんが言う。


「無理に全部出すな。今日は浮いた分だけでいい」


『はい』


俺は熱波を使わず、手で軽く蒸気を送るだけにした。


黒いもやは小さな虫のような形になりかけたが、ヴィヒタに吸われて消えた。


『よし。一度出します』


女性を外へ運ぶ。


冷たい外気に触れた瞬間、彼女は小さく震えた。


そのまま冷却浴へ。


まずは足だけ。


「冷たい……でも、気持ちいい」


女性がかすれた声で言った。


夫が泣きそうな顔になる。


『無理せず、足だけで止めます』


足元の氷が、ぴき、と小さく音を立てた。


割れたのではない。


溶けた後の魔力が、水に流れているようだった。


水面に黒い糸のようなものが浮く。


すぐに、青脈石が淡く光り、その黒い糸を薄めていく。


ルミ婆さんが目を見開いた。


「水が呪いを受けてる……いや、流してるのか」


『冷却浴、成功ですかね』


「まだわからん。でも、悪くない」


その後、女性を外気浴用に用意した椅子へ座らせた。


椅子といっても、丸太を削って背もたれを付けた簡単なものだ。


そこに毛皮をかけ、風が直接当たりすぎないように白霜樺の枝で囲いを作った。


女性は目を閉じた。


呼吸がゆっくりになる。


イルが小さく言う。


「顔色、少し良くなってます」


夫が震える声で妻に呼びかける。


「ミラ……」


女性は目を閉じたまま、小さく笑った。


「あたたかいのに、涼しい……変な感じ」


俺は、その言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなった。


それだ。


サウナの後の外気浴は、まさにそれだ。


熱いのに、涼しい。

疲れているのに、楽になる。

身体が重いのに、心が軽くなる。


『それが外気浴です』


「がいきよく……」


女性は小さく呟いた。


しばらくして、氷は腹から太もものあたりまで引いていた。


完全治癒ではない。


でも、明らかに改善している。


村人たちの間に、静かな歓声が広がった。


「すごい……」


「本当に良くなってる」


「水に入れても凍らなかった」


「湯気だけじゃないんだ……」


ルミ婆さんは女性の脈を見て、頷いた。


「今日はここまで。家に戻して温かくしな。水を飲ませるんだよ。食べられるならスープを少し」


夫は何度も頭を下げた。


「ありがとうございます……ありがとうございます……!」


俺は慌てて手を振る。


『まだ治療途中です。明日また様子を見ます』


「それでも、妻が笑ったんです。ずっと苦しそうだったのに……」


その言葉に、返す言葉が見つからなかった。


営業時代、客に感謝されたことはあった。


でも、これは違う。


人の生活に、直接触れている。


怖いほどに。



その日の治療は、三人で終わった。


本当はもっと診てほしいと言う声もあった。


だが、ルミ婆さんと村長が止めた。


「一日にできる人数を決める」


村長は村人たちに言った。


「レン一人に頼りきりにしない。サウナ小屋の管理、ヴィヒタ作り、水汲み、患者の見守り。できる者は全員やる」


ルミ婆さんも続けた。


「治療は熱だけじゃない。水、休息、食事、見守りまでが治療だ。途中で無理をさせれば、助かるものも助からない」


村人たちは、今度は反発しなかった。


今日、目の前で治療の流れを見たからだろう。


サウナ小屋。

冷却浴。

外気浴。


それぞれに意味があると、少しずつ理解し始めていた。


夕方になる頃、サウナ小屋の周りには自然と人が集まっていた。


治療を待つ人。

ヴィヒタを作る子ども。

薪を割る男たち。

スープを配る女たち。

水を運ぶ若者。


昨日まで沈んでいた村が、少しだけ動いている。


俺は外気浴用の丸太椅子に座り、それを眺めていた。


『……なんか、施設っぽくなってきたな』


「しせつ?」


隣に座っていたイルが聞く。


『人が集まって、温まって、休んで、また家に帰る場所。前世にもそういう場所があったんだ』


「レンさんの世界の、さうなですか?」


『そう』


「みんな元気になりましたか?」


『うーん……元気になる人もいたし、ただ疲れを取りに来る人もいた』


「疲れを取るだけで来るんですか?」


『疲れを取るのは大事だよ』


イルは少し考え込んだ。


この村では、疲れを取るという発想自体が贅沢なのかもしれない。


生きること。

凍らないこと。

食べること。

薪を集めること。


それだけで精一杯だったのだ。


イルはぽつりと言った。


「お母さんとお姉ちゃんが元気になったら、二人にも外気浴させたいです」


『うん。絶対させよう』


「お父さんにも……」


そこまで言って、イルは口を閉じた。


俺は何も言わなかった。


言えなかった。


イルの父親は、もういない。


砕けて、消えてしまった。


サウナでも戻せないものがある。


それを忘れてはいけない。


しばらく沈黙が続いた。


やがてイルが、小さく言った。


「でも、お父さんがいたら、きっと笑ってました」


『どうして?』


「変な小屋だなって。石に水をかけて、葉っぱで叩いて、水に足を入れて、椅子でぼーっとするなんて」


俺は思わず笑った。


『確かに、初見だと変だよな』


「はい。すごく変です」


『イルまで言うか』


「でも、好きです」


イルはサウナ小屋から立ち上る湯気を見た。


「この湯気があると、村が少しだけ生きてる感じがします」


その言葉に、胸の奥がじんわり温かくなった。


湯気があると、村が生きている感じがする。


きっと前世の俺も、サウナ施設の湯気や明かりに、どこかで同じことを感じていたのかもしれない。


仕事で疲れて、夜に車を走らせて、いつものサウナの看板が見える。


ああ、今日もここは開いている。


そう思うだけで、少し救われた。


この村にとって、今のサウナ小屋がそういう場所になり始めている。


それが、たまらなく嬉しかった。



夜。


俺はルミ婆さんの家で、治療記録を書いていた。


ヘファイストスの加護のおかげで、この世界の文字は書ける。


紙は貴重なので、薄い木板に炭で記す。


患者名。

症状の進行位置。

サウナ室の温度。

ロウリュの回数。

冷却浴の時間。

外気浴の時間。

治療後の変化。


前世なら、完全に業務日報だ。


まさか異世界でサウナ治療のカルテを書くことになるとは思わなかった。


『ミラさん、腹部まで凍結。低温サウナ五分、ロウリュ一回、冷却浴は足のみ二分、外気浴十分。氷が太ももまで後退……』


「細かいね」


ルミ婆さんが薬草を整理しながら言った。


『こういうのは記録した方がいいです。何が効いたかわからなくなるので』


「悪くない。薬師向きだよ、あんた」


『俺がですか?』


「観察して、試して、記録する。薬師も似たようなもんだ」


『前世では営業マンでした』


「えいぎょうまん?」


『人に物を売る仕事です』


「口が回る薬師みたいなもんか」


『だいぶ違いますけど、ちょっと合ってる気もします』


ルミ婆さんは笑った。


その時、外から小さな足音が聞こえた。


イルかと思ったが、違った。


扉の前に立っていたのは、昼間「レンの湯気隊」と叫んでいた男の子だった。


名前はノル。

年は十歳くらいだろうか。


「レン、これ」


ノルは木の器を差し出した。


中には温かいスープが入っていた。


『俺に?』


「母ちゃんが持ってけって」


『ありがとう』


受け取ると、ノルは少しもじもじした。


何か言いたそうだ。


『どうした?』


「俺も、サウナ覚えられる?」


その言葉に、俺は一瞬止まった。


『サウナを?』


「うん。レンみたいに、石を出したり、湯気で悪いやつをやっつけたり」


俺はルミ婆さんを見る。


ルミ婆さんは何も言わず、俺に任せるという顔をしていた。


『石を出すのは、たぶん俺のスキルだから難しいかもしれない』


ノルの顔が少し曇る。


『でも、サウナ小屋を温めたり、ヴィヒタを作ったり、患者さんを見守ったり、熱波を送ったりすることは、覚えられるかもしれない』


「本当!?」


ノルの顔が明るくなる。


『ただし、遊びじゃない。熱は人を助けるけど、間違えると危ない。水も同じ。ちゃんと覚えるなら、ルミさんと村長の許可がいる』


「覚える!俺、湯気隊長になる!」


『隊長は俺じゃないのか』


「レンは馬鹿サウナーだから」


『誰が教えたその呼び方』


ノルは逃げるように走っていった。


ルミ婆さんが肩を揺らして笑う。


「弟子ができたね、馬鹿サウナー」


『嬉しいような、不安なような』


「いいことだよ」


ルミ婆さんは真面目な顔に戻る。


「レン一人じゃ村は救えない。でも、村のみんなが少しずつ覚えれば、あんたがいなくても続く」


『俺がいなくても……』


その言葉が、妙に心に残った。


俺はこの世界に来たばかりだ。


ゴーウ村にずっといるのかもわからない。

黒い塔。

雪女。

王都。

ヘファイストス。


たぶん、この先行かなければならない場所がある。


その時、この村に何も残せなかったら意味がない。


サウナ小屋は、ただ建てるだけでは足りない。


使い方を伝えなければならない。

守り方を教えなければならない。

危険も伝えなければならない。


前世のサウナでもそうだった。


施設は人が作る。

だが、文化は人が続ける。


『ルミさん』


「なんだい」


『サウナ番を育てましょう』


「さうなばん?」


『サウナ小屋を管理する人です。温度を見る。水を見る。患者を見る。無理をさせない。呪いが出たら知らせる』


「悪くないね」


『子どもだけじゃなく、大人も。何人かに役割を分けて』


「明日、村長に話しな」


『はい』


俺は木板に新しい項目を書き足した。


サウナ番の育成

・温度管理

・水管理

・ヴィヒタ作り

・患者観察

・休息確認

・無理を止める係


最後の項目を書いた時、ルミ婆さんが笑った。


「無理を止める係は、あんた専属も必要だね」


『それはイルがやってます』


「一人じゃ足りないね」


否定できなかった。



その夜遅く。


村が静まり返った頃。


俺は一人で外に出た。


サウナ小屋の火は落としてある。

それでも石に残った熱が、わずかに湯気を立てていた。


空は相変わらず暗い。


星は見えない。


雪の向こうに、緑の森が黒く沈んでいる。


その奥に、雪女がいる。


さらに遠く、王都の方角には黒い塔があるらしい。


俺はまだ弱い。


MPも少ない。

戦闘経験もほぼない。

武器もない。


でも、今日ひとつわかったことがある。


俺のサウナは、俺だけの力ではない。


村人が薪を集める。

子どもがヴィヒタを作る。

ルミ婆さんが薬を調整する。

イルが患者を見る。

ダグが石を運ぶ。

村長が順番を決める。


みんなでサウナを作っている。


そのことが、俺を少しだけ強くしてくれる。


「レンさん」


振り返ると、イルが立っていた。


毛皮を肩にかけ、眠そうな目をこすっている。


『起こした?』


「いえ。レンさんがいない気がして」


『すごいな』


「また無茶しに行ったのかと思いました」


『信用ないなぁ』


「ないです」


即答だった。


俺は苦笑する。


イルは隣に並び、サウナ小屋の湯気を見る。


「明日も、治療できますか?」


『できる。けど、無理はしない』


「本当ですか?」


『本当』


「絶対?」


『絶対』


今度はちゃんと言えた。


イルは少し安心したように頷いた。


その時。


森の方から、風が吹いた。


冷たい風だった。


だが、その中に微かな声が混じっていた気がした。


――あたたかい。


俺とイルは、同時に森を見た。


『今の、聞こえた?』


イルは小さく頷いた。


「女の人の声……」


森の奥で、白い影が揺れた。


遠すぎて、はっきりとは見えない。


けれど確かに、何かがこちらを見ていた。


白い髪。

白い肌。

雪のような衣。


そして、青く光る目。


雪女。


そう直感した瞬間、背筋に冷たいものが走った。


だが、不思議なことに、彼女は襲ってこなかった。


ただ、こちらを見ていた。


サウナ小屋から立ち上る湯気を。


まるで、初めて火を見た獣のように。


まるで、長い間忘れていた何かを思い出そうとしている人のように。


風が止む。


白い影は、森の奥へ消えた。


イルが震えた声で言った。


「レンさん……」


『大丈夫』


俺はそう言いながら、自分の手が少し震えていることに気づいた。


怖い。


でも、さっきの声は敵意だけではなかった気がする。


あたたかい。


あれは、呪いの声だったのか。


雪女自身の声だったのか。


それとも、彼女の中にまだ残っている何かの声だったのか。


わからない。


ただ、ひとつだけ確かだった。


雪女は、こちらに気づいた。


そしてたぶん。


サウナの湯気にも、気づいた。


俺はサウナ小屋を見た。


白い湯気が、凍った夜空へ静かに昇っている。


『イル、明日から少し忙しくなるかもしれない』


「雪女が来るんですか?」


『わからない。でも、向こうはこっちを見てる』


「怖いです」


『俺も怖い』


イルは少し驚いたように俺を見た。


『でも、怖いから準備する。サウナ小屋も、水風呂も、外気浴も、村の人も。全部ちゃんと整える』


「ととのえる……」


『そう。戦う前に、ととのえる』


イルはしばらく黙ったあと、小さく頷いた。


「私も手伝います」


『頼りにしてる』


その時、サウナ小屋の中で、赤い石が小さく光った。


火は落としたはずなのに。


石の奥に、ほんの少しだけ青い光が混じっている。


俺の頭の中に、静かな声が響いた。


サウナーLv4への条件が一部達成されました。

条件:熱・冷却・休息の導線構築。

未達成条件:村人の安全な自立運用。

未達成条件:凍呪の源泉への接触。


『……条件付きか』


イルが不思議そうに聞く。


「どうしたんですか?」


『スキルが、次の段階に進みそうだ』


「すごいです!」


『でも、まだ条件が足りない』


「何が必要なんですか?」


俺は森の方を見た。


白い影が消えた場所。


『村のみんなが、自分たちでサウナを使えるようになること。それと……』


「それと?」


『凍呪の源に触れること』


イルの顔がこわばった。


「雪女……」


『たぶん』


俺は息を吐いた。


冷たい空気が、白く広がる。


ゴーウ村の夜は、まだ深い。


冬はまだ終わらない。


だが、サウナ小屋からは湯気が立っている。


水風呂もできた。


外気浴の椅子もある。


村人たちも少しずつ動き始めている。


たぶん、今日の俺たちは少しだけ前に進んだ。


凍りついた村に、熱だけではなく、冷たさと休息の道ができた。


サウナ室。

水風呂。

外気浴。


この三つが揃った時、初めて人はととのう。


ならば、この村もきっと。


いつか、ととのう。


俺はそう信じることにした。


森の奥で、もう一度だけ風が鳴った。


その音は、泣き声のようにも、笑い声のようにも聞こえた。


そして雪の夜に、白い湯気だけが静かに昇り続けていた。

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