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トリビスタンの会議室に王が現れると諸侯は立ち上がろうとしたが、王に制止され大人しく座り直した。
「モビリオと聖女が戻った。間違いなく、クリムゾンより援助を受けたことが分かった」
王はいつものように悪魔の国とはいわなかったので、場は息をのんだように静まり返った。
「モビリオは礼をしたいと言っている。こちらも援助を受けた以上は、何らかの返礼をせねばなるまい。それに聖女はわしをクリムゾンに連れていくといっているが、みなの意見が聞きたい」
「それならば、ディオン王太子ご夫妻に行っていただくのがよいかと存じます」
静かに声を発したのは第二王子派のトラバース・ディエゴ公爵だった。ディエゴ公爵は、巷でモビリオの人気が高まっていることを知っている。万が一、王太子夫婦に何かあれば第二王子派が息を吹き返すチャンスだと考えていた。
「しかし、聖女はあくまでも王をと言っておりましたぞ」
バレンシア公爵は、牽制するようにそういう。
「それはなりません。たかが小娘の言いなりになったとあっては王の威信に傷がつきましょう。それに国内は今不安定な状態です。王に国をあけられては我々も困る。バレンシア殿が説得されてはいかがですかな?」
「確かにディエゴ殿のおっしゃる通りではありますな」
第二王子派の面々が口をそろえてそう言った。バレンシア公爵は、深く息を飲み込むと説得してみましょうと答えた。
「陛下、わたくしめに聖女を説得し、王太子夫妻を代理人としてクリムゾンへ赴かせることをお許しいただけますでしょうか?」
王は、しばし考え込んだのち、許すと言った。
「では、返礼はいかがいたしましょう?」
「うむ、多すぎても少なすぎてもいかん。そこが問題だ」
ディエゴ公爵は、そこであるものを思い出した。宝物庫に眠る禁忌の遺産。
「黒の剣はいかがでしょうか」
場が一斉にざわついた。黒の剣とは、呪われた剣である。使い手を狂わせ、切り捨てた者から魔力を奪いつくす。そして、その対となる白の剣が黒の剣の吸い取った魔力を使って国を守る力を発揮する。つまり、黒の剣を送り、クリムゾンの王を狂わせて自滅させようという提案であった。
「それは危険だ。もし、クリムゾンに黒の剣を渡せば、我が国に攻め入ってくるとも考えられる」
「そのときは、白の剣が国を守りましょうぞ」
ディエゴ公爵は、バレンシア公爵の反対を涼しい顔で躱した。
「それに我が国に攻め入るには森を破壊せねばなりますまい。そのような力を使えば、クリムゾンの王とてただではすまないでしょう。モビリオ様の話によれば、かの国の王は森に結界を張り国民を守っておるとのこと。今回のことは、偶然のたまもの。ならば、真っ正直に返礼をする必要もないと思いますが。いかがかな」
ディエゴ公爵のことばに全員が沈黙する。ただ一人、王が異を唱えた。
「ディエゴの言い分もわかるが、あれは世に出てはならぬものだ。我が国やクリムゾンだけの問題ではなくなる。白の剣の存在にも気づかれてはならぬ。他の者よ。何か意見はないか」
王は静かに問う。
諸侯たちは、ならば金貨や宝石でよいのではないかと口々に言った。
「わかった。クリムゾンへは、我が代理としてディオンたちに行ってもらおう。よいなディオン」
「はい、陛下のお心のままに」
ディオンは内心やっかいなことになったと思ったが、ここで気弱なところを見せるわけにはいかなかった。それこそ、第二王子派が息を吹き返すチャンスを与えることになる。バレンシア公爵は、ディオンと目を合わせ、軽く頷く。
「では、わたくしめも共としてまいりましょう」
バレンシア公爵は、そう言った。
「うむ、頼むぞ。バレンシア」
結果的に、クリムゾンに対しては金貨二千枚と国宝の宝石を一つを返礼として、ディオン夫妻とバレンシア公爵が使者として向かうことになった。ただし、ひかりがそれで納得するかどうかは、バレンシア公爵次第である。
ひかりは急激な眠気に襲われて、モビリオにもたれかかるように意識を失った。モビリオは驚いてなんどかひかりの名を呼んだが、返事はなかった。
「何をした」
低く厳しい声がシルフィをとらえる。シルフィは覚悟を決めたように真剣なまなざしでモビリオを見つめ返した。
「少しだけ、眠り草を混ぜました。どうしても、モビリオ様と二人で話しておかなければならないことがあるのです」
「ヒカリには聞かれたくないと言うことか」
モビリオはひかりの体を自分の膝に横たえながらつぶやく。
「はい、実は王妃様のことなのです。貴方の命を何度も狙ったことがあることはわたくしも承知しています。今回も毒を盛るように侍女に命じていたようです」
そう言ってシルフィは、黒い小瓶をテーブルに置いて話続ける。
「わたくしの侍女の中には、王妃様の息のかかった者が何人か紛れ込んでいました。幸い、貴方様がお戻りになる前に、捕まえることができましたけれど、他にどんな罠を仕掛けておられるかわかりません」
「なぜ、そんな話を?俺は家臣であって王位継承者ではない。王妃もそのくらいはわかっているだろう」
「ええ、でも第二王子派が貴方様を担ぎ上げようと、民衆に今回の手柄をモビリオ様一人のお力だと噂をながしているのです。その噂が王妃様の耳にも入ったのでしょう。王妃様はディオン様を溺愛されていますから、そんな噂を聞けば貴方様を亡き者にしようと躍起になりましょう」
「それで?ただの親切心から俺を助けたわけではないのだろう」
モビリオの指摘にシルフィは小さくため息をついて、そうですと肯定した。
「わたくしは、このまま貴方様に異国で暮らしていただきたいのです。この国を分断するような火種は抱えておきたくはありません。貴方様に王になる気がなくとも、周りはほおってはおかないでしょう。むしろ、政務に疎いと侮っている輩にとっては、良い傀儡となると思われているでしょう」
今度はモビリオがため息を吐いてそうだなと言った。
「俺は王位など望んでいないと言ったところで、担ぎ上げようとする輩は聞く耳を持たんだろうな。俺としても、無駄な争いは避けたい。それにヒカリのことも心配だ。無限の魔力があるとはいえ、転移魔法は使うものに負担がかかると聞いた。あまり無理をさせたくない。ましてや、王位継承問題にまで巻き込みたくはない」
モビリオはそっとヒカリの頭を撫でた。シルフィはその姿を見て、何とかして彼らを無事にクリムゾンへ帰さなければならないと感じていた。
「ならば、陛下をクリムゾンへお連れになることはおやめになったほうがよろしいでしょう」
「そうだな。誰かを連れていけば、またこちらに戻らなくてはならない。返礼は俺が届けよう」
モビリオは、国を捨てる覚悟を決めた。シルフィの言う通り、自分がこのままこの国に留まれば、国を分断しかねない。レクサスは礼などいらないと言っていたが、やはりそこだけはこの国の面子として譲ることはできない。
(これ以上、ヒカリを危険にさらすわけにもいかない)
モビリオは膝の上で眠るひかりが自由に暮らすためには、やはりクリムゾンが望ましいと考えていた。そして、家臣に下ったとはいえ軍人としての自分の生き方にも、もはや未練はなかった。あの穏やかな国で自分の手で生きていくことも悪くないと思っていた。
不意にモビリオはふっと優しい微笑みを浮かべた。
「どうかなさいましたか?」
シルフィが尋ねると何でもないと首を横に振った。
(このまま、ヒカリの側にいたいというのは身勝手なことなのだろうか)
そんなことを考えているうちに、ひかりが薄らと目を開けた。
「起きたか?」
ひかりは、モビリオの声にはっとして体を起こした。
「ごめんなさい。あたし寝ちゃったのね」
ひかりは、真っ赤な顔でうろたえた。
「お疲れなのですわ。転移魔法を何度もお使いになったのですもの。仕方ありません。それよりも、ヒカリ様にお願いがございます」
「え?なに?」
「陛下をクリムゾンへお連れになることはお辞めくださいまし。返礼については、わたくしからも陛下にお願いいたします。けれど、この国の誰かを連れていけば、また転移魔法をお使いにならなければなりませんでしょう?これ以上、ヒカリ様にご負担をおかけすることはよくないと存じあげます」
ひかりはそう言われて考えた。確かに王に対しては怒りがある。けれど、シルフィが言っていることも理解できた。ただ、モビリオをこの国に残していくのは嫌だと感じた。
それを察したのか、モビリオは優しく微笑む。
「返礼は俺が望んだことだ。俺がレクサス王に渡す。そうすれば、もうこの国に戻る必要はない」
「それって、モビリオはトリビスタンに帰らないってこと?」
「ああ、そのほうが俺にとってもこの国にとっても良いことなんだ」
ひかりは自分でもよくわからないが、嬉しいような、申し訳ないような気持になった。モビリオにも、この国に親しい人がいるはずで、このまま自分と一緒にクリムゾンへ戻れば、その人たちとは会えなくなってしまうのではないかとさえ思った。けれど、モビリオは言う。
「俺は王位にも興味はないし、軍のしがらみもいろいろと厄介で面倒なのだ。できれば、クリムゾンで何か仕事をみつけて自分らしく生きてみたいと思っている」
ひかりは、その言葉に安堵した。そして、モビリオと離れたくない自分の気持ちにも気がついた。
「わかったわ。モビリオの言う通りにする」
「ありがとう、ヒカリ」
モビリオも安堵した顔で礼を言った。ひかりはまぶしいものでも見たかのように俯いて頷いた。
多くの者がモビリオを称賛しているとき、王宮の最深部ともいわれる後宮には、若くて美しい貴婦人がいた。ディオンの母である正妃だ。王とは仲が悪く、側妃が死んでからは、王の寝所の隣にある王妃の間から追い出された。公的な行事以外は、後宮から出ることを許されていない。だが、王妃は後宮の外に間者を放ち、ディオンに危害を及ぼす者を排除してきた。その間者から、第二王子派が息を吹き返しつつあると聞いて、こっそり後宮を抜け出した。そして王妃は一人王宮の地下にある宝物庫へ忍び込んでいた。彼女は衛兵たちに目くらましの魔法をかけてまんまと黒の剣の前に立つ。黒の剣を手にしたものは、戦地で多くの功績を積み上げはするが、やがてただの殺人鬼となってしまう。そのために剣はいつの間にか封印されたと王妃は聞いていた。
(この剣を使って第二王子派を殲滅することができるなら、それはそれで、面白かろう)
美しい顔が妖艶な微笑みを浮かべていた。青く澄んだ氷のような瞳が厳重に鍵のかかった箱をみつめる。どうやら封印の魔法もかかっているようだ。だが、王妃は何の躊躇もなく封印を破り、鍵を開けて黒の剣を手に取った。
「以外に普通の剣ね。これでは隠しようがないわ」
王妃がそうつぶやくと、まるでその意思を組んだかのように黒の剣はその姿を小さなナイフに変じた。王妃はニヤリと微笑む。そしてそれを懐に隠し持ち、箱を元通りにして封印の魔法までしっかりとかけると誰にも見とがめられることなく後宮へと戻って行った。
王妃が後宮に戻ると王からの使者が待っていた。使者は、ディオンが返礼をもってクリムゾンへ向かうことを告げる。王妃はにこりと笑い、頷いた。そして、使者に自分も見送りに行くと王に告げよといい、使者を返した。
(こんなことなら、ディオンの婚礼の儀のときにアレをきちんと殺しておくべきだったわ。まさか、シルフィが邪魔をするとは思わなかったけれど……それにしてもよくわたくしの影を捕まえることができたものね。ディオンが溺愛するから、大目に見ていたけれど、あまり度を超すようなら……)
王妃は手近にあった薔薇の花を握りつぶした。
(とにかく今は、ディオンを守ることが先決ね。誰が悪魔の国などに行かせるものか!)
王妃の心の中は嵐のように怒りで荒れ狂っていた。そして、一つの答えが頭をよぎる。
(そうよ。簡単なことだわ)
王妃はひそやかに微笑んだ。




