【1-5】欲しけりゃくれてやる
ルーチェは扉に控えていたアリーから紙とペンを受け取った。
準備万端でメモを取ろうと構えていたルーチェを見てオルレンとフロラルは困り果てていた。
「お、恐れながら……」
オルレンが意を決したようにゴクリと喉を鳴らした。
「ルーチェ様が研究を……?」
本当に心の底から困惑したようにそう言われたルーチェは当たり前のように頷いた。
「ええ。それがシルヴァン様とのお約束ですから」
第二王子の名前を出されればそれは誰にも否定できない。オルレンが遠い目をした時、ルーチェは研究室に資料類が全くないことに気付いた。
「資料が全くないですね」
「あ、あのぅそれはぁ……。うちの者が……、今持ち出していて……。失礼を承知の上で申し上げるんですが……、彼は今回の共同研究の件に後ろ向きでして……」
おずおずとオルレンが言葉を紡ぐ。
(大方、研究結果を奪取されると思っているのね)
それはそうだ。いきなり貴族がやってきて希少植物が見つかったから今までの研究を見せろだなんて、虫が良過ぎる話……。
ルーチェは斜め上の後悔をして目をそっと閉じる。
そして二人に頭を下げて謝罪した。その機敏で予想外の動きに二人の心臓は爆発しそうになる。
「申し訳ありません。急にやってきて研究成果を見せろだなんて不躾でした。ですが、今回の研究で得られた成果を自分のものとして発表する気は毛頭ありません。そこはご理解頂きたく存じます」
そう言ってゆっくりと顔を上げたルーチェの目にはもうすでに後悔の色はなく、挑戦的に燃えていた。
「ですから、わたくしが説得して参ります」
オルレンとフロラルに、もう一人の研究者ブラン・フィールドが居そうな場所に案内してもらった。
そこは王城に併設してある王立図書館。
おそらく引き篭もって本を読んでいるんだとか。
早速ここに来るとは……。
期待を胸に扉を開ければ、その光景は圧巻だった。見渡す限りの本、本、本。空には天窓がある為、天井はどこまでも高く感じた。
夜、ここで星を観ながら本を読みたい。そうすればきっといい夢が見られるだろう。
うっとりと眺めていると、奥の窓の縁に腰掛けている男性の姿があった。
「ここは遊び場じゃないぜ、嬢ちゃん」
低く落ち着いた声は閑静なこの場所によく響く。無精髭に茶髪を後ろで結った人物……。間違いない。
「貴方がブラン・フィールドさんですね?」
一人で説得すると約束したのでオルレンとフロラルはこの場にはいない。なんとしてでもこの人の隠してる資料を見つけ出し、一緒に研究するのだとルーチェは鼻息を荒くした。
「……二人は懐柔されたわけか」
「いえ、まだですね」
「……」
二人は親切にしてくれるが、ルーチェと話すのにはまだ慣れない。今日会ったばかりだし貴族相手だから仕方がないのだが、ルーチェはもっと魔法の話とか植物の話とかふわふわな話とかどんな寝具を使っているのかとか、砕けた話をしたいと思っているのだ。
「申し遅れました。この度希少植物研究室にお邪魔させて頂くことになりました。ルーチェ・ハイアンと申します」
「ああ、知っている」
ブランは読んでいる本に目を落としながら貴族相手とは思えない太々しい態度でそれだけを言い放った。普通ならばこれだけで首が飛ぶが、ルーチェに付いているアリーも顔色を変えず、当の本人に至ってはブランが読んでいる本に釘付けになっていた。
「ブランさん、それは……その本はまさか……」
声と指を震わせると、さすがのブランも顔を上げ不気味な物を見る様な引き攣った顔でルーチェを見つめた。ルーチェの顔だけ見れば確かに宝石でも選んでいるような年頃の令嬢に見える。
だが彼女の目に映るは、おじさんに握られている簡素な本。
「な、なぜブランさんがその本を……!それは植物学者ブラウンが絶版にした本……!」
「だって俺が書いたからな」
その言葉を聞いた瞬間、ルーチェは雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
……この人があの有名な植物学者ブラウンだというのか!
そしてさらに驚いたことがもう一つ。
「ということはブランさん、魔法が使えるのですか?」
そう問うと、ブランの黄土色の瞳が鋭く底光りした。
「俺は没落貴族の末裔だからな」
その声色はどこか寂しげで自嘲が滲んでいた。
「俺は貴族が嫌いなんだ。だからもうとっとと帰ってくれ」
◆ ◆ ◆
ブラン・フィールドは優秀な植物学者だ。
フィールド家は昔、王家に口を出せるほどの大貴族だった。だが時代と共にお役御免になり家業は破綻。所謂没落貴族となった。
だが名が大き過ぎたせいで簡単には潰れてくれなかった。
魔力の多かったブランを一族の最後の希望だと、曾祖父はなけなしの金を使い貴族が通う学校に通わせた。
それはもう虐められた。
没落貴族の末裔がどうして貴族のフリをしているのか、と。
(知らねぇよ、俺も)
金もないのに、教養もないのに、身なりも汚いのに。
……貴族じゃないのに。
なぜ俺は死にかけのじじいとばばあの見栄のために、見せ物にされているんだ。
……貴族なんか嫌いだ。
『おい坊主、身につけるのが一番簡単で最強の武器になるもんはなんだと思う?』
煙草を吹かしながら一人の男がブランに訊ねる。それにブランは『金』と答えた。そのせいで即座に力加減の知らない拳骨がブランの頭に落とされた。
『学に決まってんだろ』
これはブランの恩師の言葉だ。この言葉を聞いてからブランはまるで戦うための槍でも手に入れた気分で勉強を始めた。
植物学者ブラン・フィールドは業界に名を馳せた。
だが彼の事を本当の意味で理解してくれる人は誰もいなかった。貴族の中では庶民扱い、学者の中では貴族様扱いされるのだ。彼の才能に嫉妬した者はコネで研究をしていると吹聴する者もいた。
だから彼はブラウンという名で細々と研究発表したり本を出したりするようになった。
中身に興味を持った人が知ってくれればいい、そう思ったからだ。
三年前、唯一の研究仲間だったオルレンの父、ライ・ファーンも死に、ブランはいよいよ孤独になった。
◆ ◆ ◆
「俺は貴族が嫌いなんだ。だからもうとっとと帰ってくれ」
ルーチェはわなわなと震えていた。大人に凄まれた恐怖でも自分に対する不躾な態度への怒りでもない。
純粋な喜びで。
(あのブラウンと研究ができる!)
「わたしと一緒に『タンポポ』の研究をしましょう!」
ズンズンとブランの元へ近づいてルーチェは手を伸ばした。
ブランはその眩しいほどに輝く瞳に目を奪われながらも、「なんて図々しい嬢ちゃんなんだ」とどこか冷静に呆れていた。
「……俺の話聞いてたか?帰れって言ったんだけど」
「帰ったら一緒に研究していただけるのですか?」
いよいよブランは絶句した。
これが揶揄を含んでいるようならば、ブランも構わず手元の本に意識を戻していただろう。だがルーチェの表情は真剣そのもの。
ブランは思わず目を覆った。
「やめてぇ……。おじさんにはその目、まぶしぃ」
ルーチェの目から逃げる様に背を向けて丸くなった。それでもルーチェは負けじと回り込みブランを説得する。
「資料の隠し場所、教えてください!お手数はかけない様、しっかりと読み込んで研究に臨みますから!」
基礎知識をしっかり入れて研究するのは常識だ。正直ルーエンに聞いた方が早いこともあるだろうが、彼は一方的にしかルーチェに会いに来ない。
ならばルーエンの天啓の日を待つより、ここにある資料を読み込んだ方が早い。というのは建前で、ただただブラウンの資料が読みたいというのが本音だ。
目を抑えて眩しい眩しいと言っていたブランは投げやりに叫んだ。
「欲しけりゃくれてやらぁ!」
と。何処かの海の王が言っていた様なセリフである。だがルーチェは全く気にせず「良いのですか!?」と一層目を輝かせた。
「ふん、探せるもんならな……」
得意気に鼻を鳴らすブランの目の前にルーチェは鍵束をぶら下げて見せる。彼は数回瞬きをした後、バッと自身のポケットやらを確認し、そして段々と青ざめていく。
先程ブランに近づいた拍子にこっそり魔法で抜き取ったのだ。
「返せぇっ」
鍵束に飛び掛かったが、ルーチェがヒョイッと鍵束を持ち上げたのでブランの手は悲しくも空気を掴んだ。
ルーチェはニヤリと笑う。
「ということは、この中に正解があるのですね。片っ端から開けてみましょう」
鍵の中には、誰も入れたことのない隠し部屋や読書部屋、さらに自室の鍵がある。(ブランが勝手に王城に作った)それを片っ端から開けられては荒らされる、開けられては荒らされる……想像するだけで頬が引き攣った。
そしてルーチェの予想通り資料を隠している部屋の鍵もその鍵束の中に……。
「くぅぅぅぅぁぁぁ〜〜〜ッッ」
声にならない声を上げて髪を掻きむしっているブランをルーチェは心底楽しそうに見下ろした。
(この人、面白過ぎる)
「これだから貴族は嫌いなんだよッ!」
ぷんすかぷんすか奥の部屋に入っていくブランにルーチェは嬉々としてついて行った。
「ルーチェ様、資料を取り戻せたんですね!」
「す、すごい、です」
研究室に戻ると、オルレンとフロラルに出迎えられた。そしてルーチェの後ろには資料の入った箱を持ったブランがズーンと佇んでいた。
「おまえら……」
亡霊のように低い声でオルレンとフロラルを睨みつける。ひぅっと二人が息を呑む音が聞こえたのでルーチェは即座に二人を庇った。
「二人を睨みつけるのは違います。わたくしが貴方とも一緒に研究をしたいから説得しに行ったのです」
あれが説得といえるのかは些か疑問だがブランは自分がしてやられたことをオルレンとフロラルに知られたくなかったのでそこは一旦スルーした。
「フン。よく言うぜ。実際研究するのは俺達だろ。それを嬢ちゃんが恰も自分の手柄のように公表するのは目に見えてる。俺は騙されんぞ」
ビシッとブランに指を指されてルーチェは首を傾げてしまう。
「どうして皆さんわたくしが直接研究しないと思うのでしょう」
「あたりめーだろ。嬢ちゃんは公爵令嬢。植物の研究だなんて土くせぇ仕事、どこのご令嬢でもしねぇよ」
(……え、そうなの?)
「大体、そんなヒラヒラしたスカートと袖でどうやって白衣着んだよ。やる気あんのかぁ?」
「あ、それは大丈夫です!」
スカートに手を掛けたルーチェを見て一同ギョッと目を剥いた。それはそうだろう。今からここで着替えようとしていると思ったからだ。
オルレンは自身の目を押さえて「なにもそこまでしなくていいです!」とパタパタと手を振っている。
オルレンの反応の意味が分からなくて首を傾げたルーチェはスカートに巻き付けてあったボリュームを出す為のヒラヒラの生地を取り払った。巻き付けて簡単に取り外しができる様に改良したのだ。あっという間に上から白衣を着ても膨らまない程度の簡素なスカートに早着替え。同じく無駄に長い袖もボタンひとつで取り外し可能だ。
パチパチパチと自分で取り外してアリーに渡す。そして代わりに白衣を渡してもらう。
ルーチェは三人に持参した白衣を突き出した。
「これ、実はわたくしが作ったのです!是非感想を聞かせてください!」
◆ ◆ ◆
白衣を差し出されたブランは内心動揺していた。
実験をする時、研究者は色々な薬品を使う為防護服として白衣を着る。
だがルーチェにとっての白衣の役割は少し違った。
彼女にとって実験は魔力の関係する物。
彼女は魔力量が多く、その魔力が実験物に影響してしまい、実験に難儀することが多かった。多くの貴族が使っている白衣ではまるで意味がなかったのだ。魔力量の多い弊害である。
そこでルーチェは、自分の魔力が実験物に影響しない自分専用の白衣を作ってしまった、という訳らしいが、訳がわからない。
訳はわからないが、その異質さを理解しているのは元貴族であるブランだけ。
見定める様な目で白衣を受け取り広げる。
(魔法陣か……)
背中の内布部分に魔術式を組み込んだ魔法陣の刺繍が施されていた。魔力がよく集まっている体の中央の部分にそれがあることで効率的に一定量の魔力を吸収し、実験物に影響が出ないように体内の魔力量を調整するのが目的だろう。
(本当にこれをまだ学園にも行っていないこの嬢ちゃんが作ったのだとしたら、末恐ろしいことだ)
ブランはたらりと汗を流してルーチェを見据える。
彼女のその表情は先生からの評価を期待する、まだあどけない子供そのものだ。
「なぜ腹の方に刺繍をしなかったんだ?背中でも十分だが、みぞおちから吸収できる腹の方が効率的だ」
「最初はそう考えました。でも白衣は羽織るタイプの物が多くて、刺繍が難しいんです。お腹の分かれている所を綺麗に繋ぎ合わせなきゃいけないので」
「白衣じゃなく前掛けにすればいいじゃねぇか」
前掛けというのは、割烹着の様な物だ。それなら生地が繋がっているので魔法陣を刺繍しやすいだろうとブランは提案したが、ルーチェは口を尖らせる。
「えぇ!?それはちょっと……。白衣の方がかっこいいじゃないですか。それに、わたしは魔力が多い体質で、直接みぞおち付近で魔力の動きがあると気持ち悪くなるんです。背中だったら大丈夫なので」
それは魔力酔いというものだ。魔力が多ければ多い人ほどなりやすい症状だと言われている。
(ふむ、受け答えも問題ない、となると、本当に……)
なんだか気に入らなかったブランはフンと鼻を鳴らし、椅子にドカンと座った。そして雑に白衣をルーチェへ返す。
「魔術式どうこうの前に、刺繍の腕を磨かないといけねぇなぁ。嬢ちゃん」
うっと言葉に詰まったルーチェは、白衣を受け取りまじまじと自分が刺した魔法陣の刺繍を見つめる。「そんなに下手かなぁ……」とブツブツ何か言っている。
ブランに影響されてか言葉遣いが乱れていることに気付いたのは、側で二人のやり取りを見ていたオルレンとフロラルが「お嬢様って……」とバキバキに理想が割れてしまった後だった。に控えていたアリーから紙とペンを受け取った。
準備万端でメモを取ろうと構えていたルーチェを見てオルレンとフロラルは困り果てていた。
「お、恐れながら……」
オルレンが意を決したようにゴクリと喉を鳴らした。
「ルーチェ様が研究を……?」
本当に心の底から困惑したようにそう言われたルーチェは当たり前のように頷いた。
「ええ。それがシルヴァン様とのお約束ですから」
第二王子の名前を出されればそれは誰にも否定できない。オルレンが遠い目をした時、ルーチェは研究室に資料類が全くないことに気付いた。
「資料が全くないですね」
「あ、あのぅそれはぁ……。うちの者が……、今持ち出していて……。失礼を承知の上で申し上げるんですが……、彼は今回の共同研究の件に後ろ向きでして……」
おずおずとオルレンが言葉を紡ぐ。
(大方、研究結果を奪取されると思っているのね)
それはそうだ。いきなり貴族がやってきて希少植物が見つかったから今までの研究を見せろだなんて、虫が良過ぎる話……。
ルーチェは斜め上の後悔をして目をそっと閉じる。
そして二人に頭を下げて謝罪した。その機敏で予想外の動きに二人の心臓は爆発しそうになる。
「申し訳ありません。急にやってきて研究成果を見せろだなんて不躾でした。ですが、今回の研究で得られた成果を自分のものとして発表する気は毛頭ありません。そこはご理解頂きたく存じます」
そう言ってゆっくりと顔を上げたルーチェの目にはもうすでに後悔の色はなく、挑戦的に燃えていた。
「ですから、わたくしが説得して参ります」
オルレンとフロラルに、もう一人の研究者ブラン・フィールドが居そうな場所に案内してもらった。
そこは王城に併設してある王立図書館。
おそらく引き篭もって本を読んでいるんだとか。
早速ここに来るとは……。
期待を胸に扉を開ければ、その光景は圧巻だった。見渡す限りの本、本、本。空には天窓がある為、天井はどこまでも高く感じた。
夜、ここで星を観ながら本を読みたい。そうすればきっといい夢が見られるだろう。
うっとりと眺めていると、奥の窓の縁に腰掛けている男性の姿があった。
「ここは遊び場じゃないぜ、嬢ちゃん」
低く落ち着いた声は閑静なこの場所によく響く。無精髭に茶髪を後ろで結った人物……。間違いない。
「貴方がブラン・フィールドさんですね?」
一人で説得すると約束したのでオルレンとフロラルはこの場にはいない。なんとしてでもこの人の隠してる資料を見つけ出し、一緒に研究するのだとルーチェは鼻息を荒くした。
「……二人は懐柔されたわけか」
「いえ、まだですね」
「……」
二人は親切にしてくれるが、ルーチェと話すのにはまだ慣れない。今日会ったばかりだし貴族相手だから仕方がないのだが、ルーチェはもっと魔法の話とか植物の話とかふわふわな話とかどんな寝具を使っているのかとか、砕けた話をしたいと思っているのだ。
「申し遅れました。この度希少植物研究室にお邪魔させて頂くことになりました。ルーチェ・ハイアンと申します」
「ああ、知っている」
ブランは読んでいる本に目を落としながら貴族相手とは思えない太々しい態度でそれだけを言い放った。普通ならばこれだけで首が飛ぶが、ルーチェに付いているアリーも顔色を変えず、当の本人に至ってはブランが読んでいる本に釘付けになっていた。
「ブランさん、それは……その本はまさか……」
声と指を震わせると、さすがのブランも顔を上げ不気味な物を見る様な引き攣った顔でルーチェを見つめた。ルーチェの顔だけ見れば確かに宝石でも選んでいるような年頃の令嬢に見える。
だが彼女の目に映るは、おじさんに握られている簡素な本。
「な、なぜブランさんがその本を……!それは植物学者ブラウンが絶版にした本……!」
「だって俺が書いたからな」
その言葉を聞いた瞬間、ルーチェは雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
……この人があの有名な植物学者ブラウンだというのか!
そしてさらに驚いたことがもう一つ。
「ということはブランさん、魔法が使えるのですか?」
そう問うと、ブランの黄色の瞳が鋭く底光りした。
「俺は没落貴族の末裔だからな」
その声色はどこか寂しげで自嘲が滲んでいた。
「俺は貴族が嫌いなんだ。だからもうとっとと帰ってくれ」
◆ ◆ ◆
ブラン・フィールドは優秀な植物学者だ。
フィールド家は昔、王家に口を出せるほどの大貴族だった。だが時代と共にお役御免になり家業は破綻。所謂没落貴族となった。
だが名が大き過ぎたせいで簡単には潰れてくれなかった。
魔力の多かったブランを一族の最後の希望だと、曾祖父はなけなしの金を使い貴族が通う学校に通わせた。
それはもう虐められた。
没落貴族の末裔がどうして貴族のフリをしているのか、と。
(知らねぇよ、俺も)
金もないのに、教養もないのに、身なりも汚いのに。
……貴族じゃないのに。
なぜ俺は死にかけのじじいとばばあの見栄のために、見せ物にされているんだ。
……貴族なんか嫌いだ。
『おい坊主、身につけるのが一番簡単で最強の武器になるもんはなんだと思う?』
煙草を吹かしながら一人の男がブランに訊ねる。それにブランは『金』と答えた。そのせいで即座に力加減の知らない拳骨がブランの頭に落とされた。
『学に決まってんだろ』
これはブランの恩師の言葉だ。この言葉を聞いてからブランはまるで戦うための槍でも手に入れた気分で勉強を始めた。
植物学者ブラン・フィールドは業界に名を馳せた。
だが彼の事を本当の意味で理解してくれる人は誰もいなかった。貴族の中では庶民扱い、学者の中では貴族様扱いされるのだ。彼の才能に嫉妬した者はコネで研究をしていると吹聴する者もいた。
だから彼はブラウンという名で細々と研究発表したり本を出したりするようになった。
中身に興味を持った人が知ってくれればいい、そう思ったからだ。
三年前、唯一の研究仲間だったオルレンの父、ライ・ファーンも死に、ブランはいよいよ孤独になった。
◆ ◆ ◆
「俺は貴族が嫌いなんだ。だからもうとっとと帰ってくれ」
ルーチェはわなわなと震えていた。大人に凄まれた恐怖でも自分に対する不躾な態度への怒りでもない。
純粋な喜びで。
(あのブラウンと研究ができる!)
「わたしと一緒に『タンポポ』の研究をしましょう!」
ズンズンとブランの元へ近づいてルーチェは手を伸ばした。
ブランはその眩しいほどに輝く瞳に目を奪われながらも、「なんて図々しい嬢ちゃんなんだ」とどこか冷静に呆れていた。
「……俺の話聞いてたか?帰れって言ったんだけど」
「帰ったら一緒に研究していただけるのですか?」
いよいよブランは絶句した。
これが揶揄を含んでいるようならば、ブランも構わず手元の本に意識を戻していただろう。だがルーチェの表情は真剣そのもの。
ブランは思わず目を覆った。
「やめてぇ……。おじさんにはその目、まぶしぃ」
ルーチェの目から逃げる様に背を向けて丸くなった。それでもルーチェは負けじと回り込みブランを説得する。
「資料の隠し場所、教えてください!お手数はかけない様、しっかりと読み込んで研究に臨みますから!」
基礎知識をしっかり入れて研究するのは常識だ。正直ルーエンに聞いた方が早いこともあるだろうが、彼は一方的にしかルーチェに会いに来ない。
ならばルーエンの天啓の日を待つより、ここにある資料を読み込んだ方が早い。というのは建前で、ただただブラウンの資料が読みたいというのが本音だ。
目を抑えて眩しい眩しいと言っていたブランは投げやりに叫んだ。
「欲しけりゃくれてやらぁ!」
と。何処かの海の王が言っていた様なセリフである。だがルーチェは全く気にせず「良いのですか!?」と一層目を輝かせた。
「ふん、探せるもんならな……」
得意気に鼻を鳴らすブランの目の前にルーチェは鍵束をぶら下げて見せる。彼は数回瞬きをした後、バッと自身のポケットやらを確認し、そして段々と青ざめていく。
「返せぇっ」
鍵束に飛び掛かったが、ルーチェがヒョイッと鍵束を持ち上げたのでブランの手は悲しくも空気を掴んだ。
ルーチェはニヤリと笑う。
「ということは、この中に正解があるのですね。片っ端から開けてみましょう」
鍵の中には、誰も入れたことのない隠し部屋や読書部屋、さらに自室の鍵がある。(ブランが勝手に王城に作った)それを片っ端から開けられては荒らされる、開けられては荒らされる……想像するだけで頬が引き攣った。
そしてルーチェの予想通り資料を隠している部屋の鍵もその鍵束の中に……。
「くぅぅぅぅぁぁぁ〜〜〜ッッ」
声にならない声を上げて髪を掻きむしっているブランをルーチェは心底楽しそうに見下ろした。
(この人、面白過ぎる)
「これだから貴族は嫌いなんだよッ!」
ぷんすかぷんすか奥の部屋に入っていくブランにルーチェは嬉々としてついて行った。
「ルーチェ様、資料を取り戻せたんですね!」
「す、すごい、です」
研究室に戻ると、オルレンとフロラルに出迎えられた。そしてルーチェの後ろには資料の入った箱を持ったブランがズーンと佇んでいた。
「おまえら……」
亡霊のように低い声でオルレンとフロラルを睨みつける。ひぅっと二人が息を呑む音が聞こえたのでルーチェは即座に二人を庇った。
「二人を睨みつけるのは違います。わたくしが貴方とも一緒に研究をしたいから説得しに行ったのです」
あれが説得といえるのかは些か疑問だがブランは自分がしてやられたことをオルレンとフロラルに知られたくなかったのでそこは一旦スルーした。
「フン。よく言うぜ。実際研究するのは俺達だろ。それを嬢ちゃんが恰も自分の手柄のように公表するのは目に見えてる。俺は騙されんぞ」
ビシッとブランに指を指されてルーチェは首を傾げてしまう。
「どうして皆さん私が直接研究しないと思うのでしょう」
「あたりめーだろ。嬢ちゃんは公爵令嬢。植物の研究だなんて土くせぇ仕事、どこのご令嬢でもしねぇよ」
(……え、そうなの?)
「大体、そんなヒラヒラしたスカートと袖でどうやって白衣着んだよ。やる気あんのかぁ?」
「あ、それは大丈夫です!」
スカートに手を掛けたルーチェを見て一同ギョッと目を剥いた。それはそうだろう。今からここで着替えようとしていると思ったからだ。
オルレンは自身の目を押さえて「なにもそこまでしなくていいです!」とパタパタと手を振っている。
オルレンの反応の意味が分からくて首を傾げたルーチェはスカートに巻き付けてあったボリュームを出す為のヒラヒラの生地を取り払った。巻き付けて簡単に取り外しができる様に改良したのだ。あっという間に上から白衣を着ても膨らまない程度の簡素なスカートに早着替え。同じく無駄に長い袖もボタンひとつで取り外し可能だ。
パチパチパチと自分で取り外してアリーに渡す。そして代わりに白衣を渡してもらう。
ルーチェは三人に持参した白衣を突き出した。
「これ、実はわたくしが作ったのです!是非感想を聞かせてください!」
◆ ◆ ◆
白衣を差し出されたブランは内心動揺していた。
実験をする時、研究者は色々な薬品を使う為防護服として白衣を着る。
だがルーチェにとっての白衣の役割は少し違った。
彼女にとって実験は魔力の関係する物。
彼女は魔力量が多く、その魔力が実験物に影響してしまい、実験に難儀することが多かった。多くの貴族が使っている白衣ではまるで意味がなかったのだ。魔力量の多い弊害である。
そこでルーチェは、自分の魔力が実験物に影響しない自分専用の白衣を作ってしまった、という訳らしいが、訳がわからない。
訳はわからないが、その異質さを理解しているのは元貴族であるブランだけ。
見定める様な目で白衣を受け取り広げる。
(魔法陣か……)
背中の内布部分に魔術式を組み込んだ魔法陣の刺繍が施されていた。魔力がよく集まっている体の中央の部分にそれがあることで効率的に一定量の魔力を吸収し、実験物に影響が出ないように体内の魔力量を調整するのが目的だろう。
(本当にこれをまだ学園にも行っていないこの嬢ちゃんが作ったのだとしたら、末恐ろしいことだ)
ブランはたらりと汗を流してルーチェを見据える。
彼女のその表情は先生からの評価を期待する、まだあどけない子供そのものだ。
「なぜ腹の方に刺繍をしなかったんだ?背中でも十分だが、みぞおちから吸収できる腹の方が効率的だ」
「最初はそう考えました。でも白衣は羽織るタイプの物が多くて、刺繍が難しいんです。お腹の分かれている所を綺麗に繋ぎ合わせなきゃいけないので」
「白衣じゃなく前掛けにすればいいじゃねぇか」
前掛けというのは、割烹着の様な物だ。それなら生地が繋がっているので魔法陣を刺繍しやすいだろうとブランは提案したが、ルーチェは口を尖らせる。
「えぇ!?それはちょっと……。白衣の方がかっこいいじゃないですか。それに、わたしは魔力が多い体質で、直接みぞおち付近で魔力の動きがあると気持ち悪くなるんです。背中だったら大丈夫なので」
それは魔力酔いというものだ。魔力が多ければ多い人ほどなりやすい症状だと言われている。
(ふむ、受け答えも問題ない、となると、本当に……)
なんだか気に入らなかったブランはフンと鼻を鳴らし、椅子にドカンと座った。そして雑に白衣をルーチェへ返す。
「魔術式どうこうの前に、刺繍の腕を磨かないといけねぇなぁ。嬢ちゃん」
うっと言葉に詰まったルーチェは、白衣を受け取りまじまじと自分が刺した魔法陣の刺繍を見つめる。「そんなに下手かなぁ……」とブツブツ何か言っている。
ブランに影響されてか言葉遣いが乱れていることに気付いたのは、側で二人のやり取りを見ていたオルレンとフロラルが「お嬢様って……」とバキバキに理想が割れてしまった後だった。




