【2-10】旧校舎棟三階
《!毎日20時に連載中!》
睡眠のお供にどうぞごゆるりとお読みくださいませ。
旧校舎棟三階には今は誰も立ち寄らなくなった教室が並んでいる。古びていて埃っぽい旧校舎棟だが、ある一部屋だけは綺麗に掃除されていた。
校舎棟の部屋といっても、他の教室と比べて小さいので物置にされていた部屋である。床には赤黒い何かの跡が残っている。それが何かは誰も知らない。
横幅が二メートルもない小さなバルコニーから見える景色はとても良く、その向こう側には森と山が広がっているため、何人たりとも視界に入らない。
シルヴァン・セラレオールはこの場所を自身の秘密基地にしていた。一人になりたい時には必ずここへ来て空気を吸うのだ。
そうして心を整えた後、再び皆の期待する王子様の顔を作って戻る。
彼はこの場所のことを兄にも側近にも言ったことはない。
しかし、最近、初めてこの特等席に案内した人物がいた。
「シルヴァン殿下?はぁ、やはりここにいたのですね。リュシエル殿下がお探しですよ」
新入生であるルーチェ・ハイアンは、初日の歓迎会中、シルヴァンに連れられてこの秘密基地に案内された。
最初に見た時は、この薄暗い感じや、少し埃っぽい匂いに心躍り惹かれたが、なんとか自制した。
ここは第二王子シルヴァン殿下のお気に入りの場所。
つまり、第二王子の自室も同然なのだ。
ルーチェは半分開いている木製ドアをノックし、シルヴァンに声をかけた。部屋の外からでもシルヴァンがバルコニーにあるハンモックのようなものに寝ているのが見えるので声をかけたのだが、返事がない。聞こえなかったのだろうか。
「寝ている?」
(扉も開いてるし、あんな外で寝てるし……。風邪でもひいたらどうするのよ)
「失礼します」と一言断り、仕方なく部屋に入った瞬間、背後でガチャリと扉が閉まった。びっくりして振り返り、扉を開けようとしたが開かない。
ルーチェは全てを悟った。
(はめられた……)
ルーチェはバルコニーで寝たフリをしているシルヴァンを睨みつける。
「起きていますね?シルヴァン殿下?」
「……」
鍵穴は元々ないので風魔法で扉を閉め、施錠の魔法を使ったのだろう。開錠の魔法を使えば問題なく開くだろうが、ここでそれを使って逃げることはできない。
なぜなら、リュシエルに『青い氷を溶かすのを手伝ってくれ』と言われてしまったからだ。
言わずもがな、青い氷とはシルヴァンのことを指している。ここ数日、何故か彼の機嫌が悪い。
ルーエンから出された、『王子二人の仲を取り持つ』という課題の合格を勝ち取るためにも、リュシエルに恩を売っておいて損はないだろう。
(でもリュシエル殿下はどうしてわたしがシルヴァン様の機嫌を直せると思っているんだろうね)
と、ルーチェは思っているが、シルヴァンの機嫌が悪いのはルーチェに関わることだったからだ。ルーチェにはその自覚はない。
意を決して部屋の中に進み、バルコニーに出る。
目の前には森が広がっていて非常に空気が美味しい。
「シルヴァン殿下、起きているのは分かっていますよ」
シルヴァンの真横で何度か呼びかけるが返事がない。
こんなところを万が一誰かに見られでもしたら、シルヴァンの寝込みを狙っている女に思われるかもしれない。
(あ、そうだ。アレ持ってこよう)
一旦開錠して、ある物を持って来ようと、ルーチェが寮に戻ろうとした瞬間、腕を掴まれた。
「俺の機嫌を取りに来たんじゃないのか?」
「そんなに眠いのなら自室から激辛の回復薬をお持ちしようかと思ったのです」
「……」
アレを飲めば嫌でも目が開くはずだ。辛すぎて寝たフリもできなくなるだろう。
「というか、起きているではありませんか。無視しないでください」
「……すまない」
素直に謝った。それはそれで調子が狂う。
「ノルディアの件でお忙しかったのでしょう?お疲れでしたら、このような場所ではなく、自室でお休みになられてください。睡眠は取れていますか?昨日はきちんとお休みになられました?入眠時間や見る夢に異常はありませんか?」
「君は私の睡眠事情には気を遣ってくれるな……」
ノルディアの一件の処理は、リュシエルがシルヴァンに押し付けたと聞いている。
加害者側は第一王子派の貴族だ。その第一王子が自派閥の者を処分するとなると、どんな処罰が下ったとしても第二王子派が『処罰が甘い』と騒ぎ立てる。
今回表立って動くのはシルヴァンの方が都合が良いらしい。
あとはまぁ、リュシエルが可愛い弟に構って欲しくて意地悪をしちゃった、というのも理由の一つだ。
「黒衣の魔法使いが情報を提供してくれたので捜査自体はすぐ終わったんだ。周りの貴族達は何かと煩いが、俺も兄上もセルヴァイアにいるおかげで城にいる時よりずっと干渉は少ない。……だから別にノルディアの件で疲れているわけではない」
「では、どうしたというのです?」
眉を寄せて首を傾げるルーチェの姿を見てシルヴァンは呆れたように溜め息を吐いた。
「君は、自分の命が危険に晒されていることを理解しているのか」
ジトリと冷たい碧眼で睨まれルーチェはうっと息を呑む。
シルヴァンが頭を悩ませているのは逃げ出した人工精霊のことだ。
人工精霊は黒衣の魔法使いと共にノルディアへ行き、そしていつの間にか姿を消していた。現在も消息不明だ。
黒衣を羽織っていても魔力探知されてしまったし、何よりルーチェの正体がバレてしまっている。ルーチェも早々に手を打たねばと思っているが、対峙した時負ける気がしていないので危険という認識はなかった。
元来、精霊は気まぐれなタチだと言われているため、自由の身になった今、ルーチェへの執着も薄れていくのではないかと考えられる。
「もちろん理解しています。ですが、あの人工精霊に負ける気が全くしないのです。襲いかかってきた際はわたくしが生捕りにしてみせます」
グッと拳を握ってみせるとシルヴァンは「そうだろうな」と意外にも肯定した。
「あの人工精霊単体と君が戦っても君が勝つだろう。……だが、あいつが仲間を引き連れてきたらどうだ?例えば、黒衣の魔法使い、とかな」
(な、なんですと?)
ルーチェの頭は宇宙にでも飛んだように真っ白になった。なぜそこで黒衣の魔法使いの名が出てくるのだろうか。
「な、何故そう思われるのですか?」
静寂に包まれているこの場では声の震えを誤魔化すことができなかった。
シルヴァンはその声を聞き、立ち上がるとルーチェを心配するように眉を下げた。
「エルネスト・アーヴェルから証言を得たのだ。黒衣の魔法使いの召喚に成功した後、人工精霊の協力を得てノルディアに行ったのだ、と」
(エルネスト様――――ッ!!)
ルーチェが人工精霊について、エルネストに口止めをしなかったのには理由があった。
エルネストが事情聴取を受ける際、おそらくは黒衣の魔法使いのことについて事細かく聞かれることになると予測していた。
口止めしたとして、あのエルネストが上手く誤魔化せると思えなかった上に、アドルフィーネと口裏を合わせるような時間もなかった。
もしボロが出て口止めがバレようものなら『なぜ黒衣の魔法使いはそのような口止めを……』と当然怪しまれる。
そうなれば黒衣の魔法使いと人工精霊が協力関係、または人工精霊を使役しているのではという誤解が生じると考えた。それだけは、一魔法使いとして避けたかった。
だとしたら、もう下手なことはせず、エルネストに黒衣の魔法使いと人工精霊が敵対していることを証言してもらう方がいい。
あの場でルーチェは人工精霊に向けてかなり本気の攻撃魔法を放ったし、人工精霊の登場が想定外であったことも彼には伝わっているはず。あのやりとりをエルネストがきちんと証言してくれれば、調査側は人工精霊が今回の件に首を突っ込んだのは気まぐれだという結論を出してくれるのではないかと考えた。
——なのに……!
ここまで全てが裏目に出てしまうことがあるだろうか!
(こんなことなら黒衣の魔法使いが現れたことも人工精霊のこともすべて口止めすればよかったかなぁ……いやでもそれじゃあ、エルネスト様がどうやってノルディアに行ったのかとか色々辻褄が合わなくなってしまうし、黒衣の姿はリュカ達にも見られてしまっているからなぁ)
それにしても、一体どんな証言をしたら黒衣の魔法使いと人工精霊が協力関係にあるかもしれないと推測されるのだろうか。誰がどう見てもあの場は修羅場だったというのに。
「エルネスト様は一体どのような証言をされたのでしょう……?」
ルーチェが恐る恐る訊ねると、シルヴァンは顔を険しくした。
「アーヴェル曰く、人工精霊はこう言っていたらしい。『黒衣の魔法使いは恥ずかしがり屋で僕の顔を見ると攻撃を放ってしまう』とか『僕は黒衣の魔法使いがどこにいるのか愛の力で分かる』とか……。その真偽は定かではないが、まず今回の事件でその二人が初対面だとは考えづらいというのがこちらの見解だ」
ルーチェはそれを聞きポカーンと口を開けたまま固まった。
(なにが嘘をつけない種族よ……!真っ赤な嘘じゃないッ!)
人工精霊はエルネストと二人になった時、ルーチェへの愛を彼に語っていた。
それを聞き、エルネストは『この二人はいがみ合いながらも仲が良いのだ!』という解釈をしてしまった。
この二人に自分とアドルフィーネを重ねて話を聞いていたせいで、やけに印象に残っていたらしい。
二人が話した内容を知らないルーチェはエルネストの思考回路が正常かどうか疑った。
そしてあの時エルネストを囮にするために二人を組ませたことをひどく後悔した。
「いずれにせよ、黒衣の魔法使いなら人工精霊の居場所を知っているかもしれない」
(いや知らないよッ!ごめんだけど知らないッ!)
ルーチェは思わず一歩下がった。
それを見てさすがのルーチェも恐怖心を抱いているのだと思ったシルヴァンは少しだけ目を丸くした後、フッと安心させるように優しく微笑んだ。
「安心していいぞ、ルーチェ。俺が必ず黒衣の魔法使いを見つけ出して、人工精霊の居場所を吐かせるからな!」
「……は、はぃ」
全てが悪い方向へと動いているような気がしてルーチェの意識は遠のいていった……。
ルーチェの珍しい反応を見られて満足したシルヴァンはご機嫌な様子で伸びをして再びハンモックに寝転がった。
心地の良い風が頬を撫で、心が凪いでいく。
シルヴァンは風を感じるように目を閉じ、腕を頭の後ろで組んだ。非常に寛いでいらっしゃる。
「シルヴァン殿下はいつもこの場所で過ごされているのですか?」
「まぁな。兄上もシアラ達も知らない場所だ」
(リュシエル殿下ならともかく、シアラ様達は知っていて黙ってるんじゃ……)
よほどリラックスしているのか、言葉遣いも所作も段々と適当になっている気がする。
殿下が人前で目を閉じ、ましてや腕を頭の後ろで組むなんてことはあってはならない。
(王城でも思ったけど、結構子供っぽいよなぁ。いや、これが年相応か)
「シルヴァン殿下……。結界ぐらいは張った方が良いと思われますよ。そのお身体はセラレオールの宝なのですから」
ルーチェが珍しく、まともなことを言うとシルヴァンは胡散臭いものを見るように横に立っている彼女を見上げた。
「……話を切り上げるつもりだろう」
ギクリとルーチェの肩が震える。シルヴァンの言った通り、そろそろ彼をリュシエルの元へ連れて行こうと考えていたのだ。
(人工精霊のことも少し一人で考えたいし……)
シルヴァンはニヤリと笑ってハンモックの上で器用に横を向きルーチェを面白そうに見つめた。
普段王子スマイルを浮かべているのが嘘のように意地悪く片方だけ口角が上がっている。
「本心ではないのが見え見えだ。段々君のことが分かってきたぞ」
なんだかイラッとしたルーチェはハンモックをひっくり返したい衝動に駆られたがグッと抑える。
代わりに腕まくりしながら施錠された扉へ向かう。
「では、リュシエル殿下に、ここの場所をお教えしに行こうと思います。さっさと鍵を開けてください」
「ま、待て待て待て!」
焦ったシルヴァンは転げ落ちそうになりながらルーチェを制止した。
鍵が閉まっているのにこんなに焦る理由は、ルーチェが開錠の魔法を使えると知っているからではない。
扉を木っ端微塵にするぐらいは簡単にやってのけることを知っているからだ。
「……もう少しだけ待ってくれ」
シルヴァンは目も合わさずポツリとそう言った。
(……まぁ、みんなに構われ過ぎるのも辛いよなぁ。息抜きの場所も必要か)
それがあまりにも切実そうだったのでルーチェは溜め息を吐いて「分かりました」と言った。
シルヴァンがパァッと顔を輝かせた一秒後、
「では、お気が済みましたら必ずリュシエル殿下の元へ行かれて下さいね」
と言い残してルーチェはそそくさと帰ろうとした。その手はもうドアノブを掴んでいる。
「そ、そうではないんだが……」
モゴモゴ口を動かしているシルヴァンをルーチェは面倒くさいものを見るように眉を寄せた。
「何か御用がありましたか?」
もう心底どうでも良さそうな顔だった。
こんな顔をされても何度でも立ち直る鋼の心の持ち主シルヴァンは、バルコニーから室内へ入るとルーチェにゆっくり近付いた。ルーチェは不思議そうに頭を捻った。
鋼の心の持ち主であれど、取り繕っていない今の状態では心臓がバクバクと音を立てている。悔しいことにルーチェには聞こえていないだろう。
「……なぜ『シルヴァン殿下』と呼ぶようになったんだ?」
「はい?」
シルヴァンはそれがずっと気になっていた。さすがの彼でも、人前ではそう呼ばざるを得ないのは分かっているが、二人きりの時にも呼び方を変えられるのは距離を取られているような気がして、殿下と呼ばれる度に胸が締め付けられるような感覚がした。
「皆さんシルヴァン殿下と呼ばれていますし、そうお呼びした方が良いかと思いまして……。周囲にあまりにも馴れ馴れしく思われるのも……」
「分かっている。だが二人の時だけでいい。以前と同じように呼んで欲しい」
「以前……。シルヴァン様、ですか?」
「もう一度」
「?シルヴァン様?」
「もう一回」
「シルヴァン様…………なんですかこれは」
たったそれだけで、冷え切った青い氷はじんわりと溶けていくのだった。
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