【2-7】ノルディアの娘
《!毎日20時に連載中!》
睡眠のお供にどうぞごゆるりとお読みくださいませ。
エルネストの愛の叫びはこの倉庫群全域に響き渡った。
しゃがみ込んでいたアドルフィーネは立ち上がり、エルネストの声がした方へ迷いなく走って行った。
(魔力探知はしていないのに方向が分かるんだ……。これが愛の力……)
ルーチェもアドルフィーネの後についていくと、そこには顎に一撃入れられて完全に延びている男がいた。身なりや状況的にこの男がリュカや趣味悪おじさんの親玉貴族だろう。
(ん?この男、誰かに似てるなぁ……)
「アドルフィーネ様……」
「エルッ!!エル!」
アドルフィーネはエルネストに抱きついた。彼の耳や頬からは血が出ている。
それに気づくと、アドルフィーネはボロボロと涙を流した。
「ああ……。こんなに血が……。ごめんなさい、ごめんなさい。わたくし、昨日貴方に酷いことを言ってしまったのに。こんなことにまで巻き込んでしまってごめんなさい、ごめんなさい……」
謝罪の言葉を口にするアドルフィーネの背中を摩りながらエルネストは彼女を抱きしめた。
「いいえ。いいえ……!謝るのは私の方です。貴女をお守りするのが私の使命だというのに。肝心なところで私は何も……」
エルネストは汚れのついたアドルフィーネの服を見て、苦しそうに顔を歪ませた。
「貴女をお守りできるように私は強くなります」
エルネストが殴り飛ばしたシグムントには魔力封じの手枷をつけた。綺麗に攻撃が入っていたので無様に気絶している。
「よし」
シグムントをリュカ達のいる場所まで運び一纏めにする。
これだけ騒いだのだ。流石にそろそろ騎士団が来る頃だろう。
ルーチェはエルネストとリュカに騎士団が来たら事情を説明するように言った。
「お、俺もこのザマなんですけど……」
ぐるぐる巻きで芋虫のように転がっているリュカは不満気だ。そんなリュカをルーチェは冷たい目で見下ろした。
「何が不満だ。私の弟子になりたいのだろう?」
「いや別になりたいとか、そんなんじゃないですけど……」
リュカは少し恥ずかしそうにモゴモゴと口を動かした。
しかしルーチェは構うことなくしゃがみ込むとリュカにしか聞こえない声で一つ頼み事をする。
「リュカ、あの二人を無事に家まで送り届けて欲しい」
「え?なんで罪人の俺に……」
眉を顰めているリュカの上着のポケットに、小さな巾着袋を入れた。
「高価な魔法石だ。これを上手く使え」
「え?え?」
「頼んだぞ」
それだけ言ってルーチェはリュカの反応は見ずにエルネストの腕の中で泣いているアドルフィーネに視線を向けた。
「アドルフィーネ、君には復讐の権利がある」
「……復讐?」
痛々しいほど泣き腫らした目でアドルフィーネはルーチェを見上げる。
そんな彼女を見てルーチェはほんの少し口の端を持ち上げた。
アドルフィーネ誘拐の一件でノルディアに一時駐留していた騎士団は、通報を受け倉庫に駆けつけた。また随分と遅い到着である。
倉庫でアドルフィーネや拘束されているシグムントを見つけた騎士団は皆が驚愕していた。まさか、捜索していたアドルフィーネがノルディアにいたなんて思いもよらなかっただろう。まさに灯台下暗しだ。
だが、驚きは同じでも、僅かに反応が違う者もいた。
(どこまで裏切り者がいるのやら……)
ルーチェは上空で成り行きを見守っていたが、それを裁くのはルーチェの仕事ではない。後のことはエルネストとリュカに任せてルーチェは騎士団に姿を見られないようにセルヴァイアに戻った。
……人工精霊は、いつの間にか姿を消していた。
◆ ◆ ◆
リュカは縛られたまま黒衣の魔法使いに頼まれた事をグルグルと頭の中で考えていた。
なぜ黒衣の魔法使いは犯人の一味である自分にこの二人のことを頼んだのだろうか。
(だって、この通り騎士達がアドルフィーネ様を迎えに来ただろ?心配することなんて何もないと思うけど……)
まるで何かこれから危険なことでも起こるような――。
「ほら、立て」
そう言って雑にリュカを引き上げた一人の騎士にリュカは違和感を覚えた。
(あれ、この人の魔力の色、覚えがある。たしかシグムント様の屋敷で……。あれあの人も……!?)
十人ほどいる騎士の中で三人の魔力の色に覚えがあり、内一人はこの中で指揮を執っている。
このことに気付いた瞬間、ドクンと心臓が跳ねた。
……なぜシグムント側の人間が、アドルフィーネを助ける騎士団の中にいるのか。
(どどどどうしよう!?アドルフィーネ様を殺すんじゃないか!?)
誘拐して来た奴が言うべきではないことは重々承知の上だが、アドルフィーネに死んで欲しいとは微塵も思っていない。
寧ろ、父親に見放された彼女に同情すらしている。リュカは彼女の父親が謝罪という簡単な要求に応じないとは思ってもみなかったのだ。
だから彼女に安心して欲しくてできるだけ優しく言葉を掛けていた。
黒衣の魔法使いは騎士団の中に裏切り者がいることを踏んで、そいつらからアドルフィーネとエルネストを守って欲しいとリュカに頼んだのだ。
そして今リュカのポケットには、売れば相当な金になる魔法石が入っている。
(俺、完全に試されてるよね!?どうしろってんだよ!?)
少なくともあの三人をアドルフィーネやエルネストという少年に近付けるのは危険だろう。
(一か八か……)
リュカを雑に引き上げた男は手際良くリュカの武装解除をする。ポケットに触れたその瞬間を狙ってリュカはわざとらしく騒ぎ、いつもは隠し気味の腕の魔術具をアピールする。
「ま、待ってくれぇ!取らないでくれぇ!その中にはシグムント様からプレゼントして頂いたものが……!」
三人の眉がピクリと跳ねた。だが三人とも懐疑的な目をしている。
シグムントは人に何かをプレゼントする柄ではない。ましてや平民のただの下っ端に贈り物などあり得ないことだろう。
「声を荒げるな」
指揮を執っていた者はリュカが腕に付けている魔術具を見た瞬間、僅かに顔を険しくした。
「……指示を出す。モイとブレリムと私は容疑者の護送につく。二班はアドルフィーネ様と少年を――」
リュカの狙い通り、裏切り者三人の目はアドルフィーネとエルネストからリュカへと向いた。
心臓がうるさく鳴り響く。
(ああ。今度こそ死ぬかもな……)
馬車に乗せられ、指揮を取っていた人物がリュカの目の前に座った。
ゴクリと乾いた喉で唾を飲み、意を決して口を開く。
「お前たちはシグムント様に買われたんだろ?」
「……ああ、そうだ。金が必要でな。今回の件が上手くいけばまとまった金が手に入るはずだった。まさかシグムント様があんなガキにやられるとはな」
リュカは面食らった。
まさか、こんなにすんなりと買収されていることを認めるとは思っていなかったからだ。
「お前、シグムント様が自慢していた『印付き』だろう。魔力探知が得意なお前に隠しても無駄なことは分かってるさ。……それにしても、ハハッ。セルヴァイアでヘマしても自分だけ助かった上、こんなとこにまでお供させられてるとはな。本当にお気に入りらしい」
目の前の男はリュカが付けている魔術具に目を留めながら笑みを見せる。
リュカの体は硬直した。
自分から敢えて見せびらかしたのだが、やっと契約が無効になって元に戻ったこの命綱に何かされるのではと怖くなり、そっと袖に隠す。
「んで、シグムント様からの指示をお前が貰っているんだろう?シグムント様はどこへ送ればいい?アドルフィーネ様を殺すことはもう諦めたのか?」
もちろんリュカは作戦が失敗した時の命令なんて受けていない。いい具合に勘違いしてくれている。
(怖いけど、やるしかない……)
隣で気絶しているシグムントを一瞥して、リュカはキリッと目の前の人物を睨んだ。
「俺が貰った命令はこうだ。まず、シグムント様を通常通りの手続きで牢へ入れること。そして、アドルフィーネ様や一緒にいた少年には手を出さず、屋敷に送り届けることだ」
「なっ……。はぁ!!?そんな命令、信じられるか!」
「ちょ、痛い痛いッッ!」
(最初に言い出したのそっちでしょぉ!?信じてよぉ!)
苛立たしげに胸ぐらを掴まれ、リュカは今にも泣きそうになった。もう全て嘘だと言ってしまいたい。
……でも。
リュカは黒衣の魔法使いの言葉が忘れられなかった。
彼はずっとこの体質を呪いだと思っていた。生まれてきてしまった代償を神に払っているのだと。
(……でも、俺はルーエン神に見捨てられていなかったんだ!)
リュカはギュッと拳を握り、震える唇で立ち向かった。
「ま、前金があるんだ!信じてもらえないだろうとシグムント様も言っていた!だからお前ら三人への前金をシグムント様から預かっている!これを見れば信じられるさ。俺の右ポケットを確認して欲しい。さっき、お前が触ったやつだ!その中に売れば金になる魔法石が三つ入っている。お前らの物だ!」
男は疑わしそうにリュカのポケットに手を入れ、巾着の中を確認するとギョッと目を剥いた。御者台にいる二人もこちらをチラチラと見て、魔法石を目にすると、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……こんな高価な物を三つも平民の俺に用意することなんてできない。……ただでさえ計画は一度失敗したんだ。命令通りに事が進んでいなかったら、俺もお前らも殺されるぞ」
(というか、黒衣の魔法使い様は裏切り者の数を把握していたのか……)
「ふん、まぁいいだろう。で?お前はどうするんだ?」
リュカはゆっくり目を閉じた。
「俺は……牢へ連れて行ってほしい」
◆ ◆ ◆
エルネストとアドルフィーネは、リュカの奮闘のおかげで無事に屋敷へ到着することができた。
ノルディア領主邸。
つまり、アドルフィーネの実家だ。
エルネストはチラリとアドルフィーネを見る。我が家だというのに表情は暗く、泣き腫らした目を見れば、胸が張り裂けそうになった。
「……まずはお召し替えをして、部屋でお休みを……」
そう声を掛けた時、アドルフィーネの顔が強張った。
彼女の視線の先には、彼女の父親であるノルディア領主——コンラート・ノルディアが立っていた。
「アドルフィーネ。帰ったのならまずは私に挨拶をするのが礼儀であろう」
「……申し訳ございません」
「なんだ、その汚い格好は。見苦しい。着替えたら私の部屋へ来なさい。あぁ、お前もだ、エルネスト」
(なんだ、それは……)
エルネストは怒りで体が震えた。
このお方は昔から非情な方だと知っている。領主という座は、甘い考えで座り続けられるものではないことも分かっている。
だが……。
だが、今回ばかりは領主の気持ちも、考えも、なにもかもが解せなかった。
気持ちが悪い。
自身が治めるノルディアの立場故に、他の誰でもない自身の娘が危険に晒されたのだ。そして、あろうことかこの父親は、自ら娘を見捨てる選択を取った。
一度切り捨てた娘にとれる態度ではないだろう。
目の前がチカチカして、我を忘れそうになった。シグムントを殴り飛ばした時と同じような魔力の流れを全身に感じる。
(……殺す。殺してやる)
本気でそう思ったエルネストの拳に、アドルフィーネはそっと触れた。
止めないでくれと彼女を見た瞬間、エルネストは息を呑んだ。
先程まで涙を流していた彼女の横顔は何かを固く決意したものだったからだ。
「入れ」
コンラートはアドルフィーネの格好を見て、顔を顰めた。
アドルフィーネは服を着替えることも、顔の汚れを拭くこともなく、コンラートの部屋を訪れていたのだ。
「着替えろと言ったのが聞こえなかったのか。その汚い格好で私の部屋に……」
入るなと言われる前に、アドルフィーネは部屋へ踏み入れた。いつもと変わらぬ洗練された所作は、格好とチグハグで、どこか不気味にすら見える。
エルネストもいつもと表情を変えぬままあとに続き扉を閉めた。
一瞬目を見開いたコンラートはその顔を険しくする。
「野蛮な者達に触れられ、頭がおかしくなったか。やはり、お前をセルヴァイアに入れるのは間違っていた。荷物を片付けろ。転校の手続きをする」
(また一方的な……。アドルフィーネ様がセルヴァイアに入るためにどれだけ努力されたと……!!それも貴様の命令だぞ……!!)
エルネストは歯が折れそうになるほど噛み締め、コンラートの態度と言葉に耐えていた。
事前に、何があっても手を出すなとアドルフィーネに言われたので耐えているが、今にでも手が出そうだ。
アドルフィーネは領主を、いや、己の父親の顔をじっと見つめていた。
「聞いているのか?アドルフィーネ」
「……わたくしは、頭もおかしくなっておりませんし、転校もいたしません」
「なんだと」
エルネストは黒衣の魔法使いが彼女に教えた『復讐劇』を思い出していた。
◆ ◆ ◆
『復讐?』
『そうだ。貴女には憎い者に復讐する権利がある。貴女が復讐なんて負の連鎖だと思う心根の優しい人間ならこの話は聞き流して欲しいのだが……本当の君はどんな人間だ?周囲が期待するようなお嬢様か?理想で塗り固められた人形か?』
アドルフィーネは唇を噛み締めた。そのせいで口の端からは血が流れる。
『違うッ!』
心の奥底から出たような本気の叫びだった。
その声を聞いて黒衣の魔法使いは口角を持ち上げる。
『方法は簡単だ。君が憎む者に、君の価値を突きつけるのだ』
『……それは、シルヴァン殿下の婚約者になれということ?』
『何を言う。婚約や結婚だけが方法じゃない』
黒衣の魔法使いは呆れたように、婚約をバッサリと切り捨て、人差し指を立てた。
アドルフィーネはその指を見つめる。
『貴女が領主の座を奪い取ることだ』
アドルフィーネは一瞬目を丸くしたが、すぐに首を横に振った。
『そんなこと、わたくしにできるわけ……』
『できる。……貴女は自分の住むノルディアがどれだけ恵まれているか知らないのか?ノルディアにはこの国唯一の海がある。これを利用しようとすれば可能性は無限大だ。それなのに、現領主は武器の貿易ばかりで全く海産物に手を出していないな?領主自身が食に興味がないのか、今の状況を見て戦争の役に立つものを売り飛ばした方がいいと考えているのかは知らないが、人間の欲求の一つである食に関することだぞ?盲点だとは思わないか?』
黒衣の魔法使いは『海産物が広まれば……』と未来を思い描きながら、楽しそうに語り出した。心なしか先程より若返ったような口調に聞こえる。
言っていることの半分も理解できなくて、エルネストとアドルフィーネはポカンと口を開ける。
そんな二人を見て黒衣の魔法使いはハッとした。
誤魔化すように咳払いをしてふわりと空へ浮遊する。
『セルヴァイアで現領主が介入できない分野で自身の立場を確立するように立ち回れ。あぁ、そのためなら、第二王子の有力な婚約者候補という今の立場を利用するのも悪くないかもしれないな。せっかく生まれ持った幸運を利用しない手はない』
黒衣の魔法使いは第二王子の婚約者という立場を得るだけでなく利用しろと言うのだ。二人にとって耳を疑うような提案だった。
フードを深く被り、覆面のような物で顔全体が覆われているので、黒衣の魔法使いの目は全く見えないのだが、エルネストには、その視線が自分に止まったのが分かった。
『何にせよ、君の腹心が支えになってくれるだろう』
『いえ、私は腹心ではなく……』
それ以上の関係を……と反射的に言いかけたエルネストは既視感を覚えたが、それを考える暇もなく、黒衣の魔法使いはあっという間に夜空へ消えて行った。
◆ ◆ ◆
――生まれ持った幸運を利用しない手はない。
この言葉は、アドルフィーネに強い衝撃を与えた。
ノルディア領主の娘として生まれただけで第二王子の婚約者候補となる運命を持つノルディアの娘は、その運命の枷を付けられ、これからの先の人生も囚われるはずだった。
その枷は、今夜、音を立てて、割れた。
たった一人の魔法使いによって。
「お父様、どうか今夜のことをよく覚えていて下さい。このアドルフィーネの命を見捨てたことを後悔させますから」
黒衣の魔法使いが海産物目当てにノルディアの娘を唆した『復讐劇』は、この瞬間から始まった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
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