【プロローグ】ボーナスタイム
「やぁルーチェ。目が覚めたかい?」
(だれ?まだ寝ていたいんだけど……。昨日だって碌に寝てないんだから……)
雲のように柔らかい布団と、花畑のような淡い香りに微睡みながらルーチェと呼ばれた女は重たい瞼を持ち上げる。
「ああ。思った通りだ。君の魂はこの箱に相応しいよ。ルーチェ」
甘く低く囁く声がより一層睡魔を誘う。
だがルーチェと呼ばれたこの女は睡魔に抗わなかった。なぜならば、彼女はルーチェではなく、星守綾奈だからだ。
(こんなにいい、お布団があるんだ。今寝ておかないと、次お布団で寝られるのはいつになるやら……)
わたしのことではないならば、関係ない。さらに言うならばちょっと静かにしてほしい。
「……」
ああ、やっと静かになった、と思ったところで、右のほっぺをぐににににににと何かに引っ張られ激痛が走る。
「あだだだだだだ!」
「星守綾奈。君のことを言っているんだよ?」
「は、はぃぃ!」
そこでわたしは漸く意識が覚醒した。
「あれ、どこ?だれ!?なんでほっぺ引っ張るんですか!?」
「はぁ。全く。漸く目が開いたと思ったらまさか二度寝をするとは思わなかったよ」
そこにいたのは金髪で翡翠の色の目を持つ顔立ちの整った青年だった。色素的に日本人ではないだろうが目の前のこの人は流暢な日本語を話している。日本で生まれ育った人なのだろうか。
「僕は今から君が転生する世界の創造主。つまり神様だ」
……はい?
「君が他の世界で死んで星になった時、その輝きに僕は惹かれたんだ。だから君を僕の箱に入れて観測することに決めた」
……はい?
星守綾奈は困惑した。
この空間、ふわふわと浮く身体。なるほど確かに星守綾奈は死んだのかもしれない。ここはその狭間であると言われても皆が信じるだろう。
「転生……。いや、ラノベの読み過ぎじゃない?わたし」
きっとこれは死ぬ前に見ている夢なのだろう。走馬灯的な。だとしたら潜在意識にこういう、ありきたりな展開が、世界が、転生があるのだと心の何処かで信じていたということになる。
「いや……。結構現実見て生きてきたんだけどなぁ」
「何を残念がっているんだい?人間の宗教はそういうものではないか。無に還ると信じる者は無に還る。天国、地獄なるものがあると信じる者はどちらかにいく。転生すると信じる者は転生するのだ。だから僕達神は存在できる」
ラノベの読みすぎを宗教に当てはめられるのは少々引っかかるが、目の前にいる男の妙な説得力と、少し苛立った口調の威圧感で「あ、そうですね。おっしゃる通りです」と言うしかなかった。
星守綾奈が反論せず肯定を口にしたことで神を名乗る男は満足そうに頷いた。
「じゃあ、本題に入るよ。今から君はセラレオール王国に住まうルーチェ・ハイアンという公爵令嬢に転生する」
公爵令嬢……。あるある過ぎる。
だが、星守綾奈は素直に喜べなかった。
(だって、めっちゃ忙しそうじゃん)
令嬢として相応しい教育を受けたり、陰謀に巻き込まれて殺されかけたり、悪役令嬢に虐められたりして大層大変な生涯である。読む分にはハラハラドキドキして楽しいが、どのラノベを読んでも実際に令嬢になりたいとはとても思えなかった。令嬢の周りにいるメイド達や平民の職人として生きる方が絶対に楽しいと常々思っていたのだ。
(きっと寝る時間もないはず……)
なんとか下町の人間、もしくはメイドさんの設定に変えてもらえないだろうか。いや、神様なら今からでも変えられるはず。
「あの、今からでも設定を……」
「無理だね」
星守綾奈が最後まで言うまでもなく、神を名乗る男は笑顔でバッサリと却下した。
「君の魂は星を守る性だからね。それは僕にも変えられないし、変えたくない」
何を言っているのかさっぱりだが、何とか食い下がれないだろうか。
ぐぬぬと男を睨んでいると、彼は「ふむ」と何やら思案顔になった。やがてポンと手を打ちニヤリと笑う。
「貴族になれば魔法が使える。魔法を使えばこの布団が作れるよ?でも下町の人間になれば魔法はまず使えない。ニホンという文明が進化した土地で暮らしてきた君には、平民が使う藁を敷き詰めたベッドは耐えられないんじゃないかな」
な、な、なんてこと………………!!!!
わたしはさっきまで被っていた雲のようなふわふわお布団を握りしめる。
欲しい……。これ。これを被ってスヤスヤ眠りたい。泥のように寝たい。ノンレム睡眠取りたい。お昼寝……窓を開けて優しい風に包まれながらお昼寝したい。
星守綾奈は睡眠に飢えていた。それというのも、彼女の死因は疲労の末の……。
「じゃあ決まりだね、星守綾奈」
「はい!」
「ああ、それから、僕も箱の中に入って生活するつもりだから。よろしく」
「……はい?」
ここは、わたしが困った時にパーッと天から現れて助けてくれるのが定石ではないのか。
「……じゃあわたしが魔法を使えるようになって、いざお布団を作る時、あなたはどうやって作り方を教えてくれるんですか?」
この神様が世界に入るのなら、お布団を作る時に彼を見つけ出さなければならないではないか。貴族がいる世界なわけだし、きっと広いはず。探し出せなければどうしてくれるというのか。
神を名乗る男はポカンと星守綾奈を見つめていた。この子は一体何を気にしているのだろうかと思考停止している。
「あ、じゃあ呼んだら来て下さい。魔法が使えるようになったら、あなたを呼びますから。わたしを観測するんだから視えるんでしょう?」
更に数十秒、神の思考は停止した。この子は一体何を言っているのだろうかと。布団で焚き付けたのは間違いだったかもしれないと。
「君は神である僕に何を言っているのかなぁ?」
確かに彼はルーチェを観測するので彼女が呼んだ時に彼女の元へ行くことは可能だ。だが、彼はこれでも神様。些か扱いが雑ではないだろうか。今から行く世界は彼を信仰しているというのに。
それともニホンはそういう国だったのだろうか。いや、そんな筈はない。宇宙と地球を創った神は常識人で有名だから。
つまり、彼女がちょっとズレている。
神を名乗る男は思考回路が回復すると、その美しい顔を紅潮させて口の端を上げた。
(この子は布団一つで、僕の創ったこの世界をどれだけ輝かせられるのだろうか)
「いいよ。でも条件がある。実はこのふわふわお布団を作るにはかなりの魔法の技術が必要だ。一朝一夕ではいかない」
一朝一夕なんてことわざ、どこで知ったのだろうと頭の隅で考えながら星守綾奈はうんうんと一生懸命に聞く。
神を名乗る男は先程つねった彼女の頬に今度は優しく触れた。
「まずは僕がいる場所を自力で探しなさい。それが条件だ。そのためにはまず魔法を極めなければならない。時々様子を見に行くから」
「そんな!すぐに手に入らないんて……」
この時、ルーエンの扱いを雑にした彼女への意地悪で、属性の設定を若干変えられたことには全く気付いていなかった。
布団をぎゅっと握り締め目に涙を溜めて嘆く彼女を見て神を名乗る男は溜飲を下げていた。大人気ない、いや神様気ない神様であった。
星守綾奈改め、ルーチェ・ハイアンは、より良い睡眠のため、ひいてはふわふわお布団を手にするため、魔法を極めることを決意したのであった。




