【1-15】ヒロイン、ブラン・フィールド
――いいか、ブラン。この場所は我が一族が命を賭けて護り抜いてきた場所だ。その時は必ず訪れる。我々一族の復興の時が必ず。それまで何があっても護り抜くのだぞ。
――ブラン、お前の魔力量は私の父や祖父より多い。きっと神がお前に力を授けて下さったのだ。お前がその人生を賭して我々の雪辱を果たすために。
――ブラン、いつかお前が我々を裏切った王族の血を塗り替えるのだ。そして神からのご加護を賜り、我々の血を再興させるのだ。そのためにお前は生まれてきたのだから。
――それが、お前の命より大事な使命だ。
……ああ。なんて馬鹿らしい。
お前ら貴族はどこまでいっても汚らしい。
お前らが護ってきた花達はこんなにも綺麗に咲き誇っているのに。
もう誰も、この花園に咲く綺麗な花を見ようとしない。貴族として栄えた過去の栄光と未来の再興のことしか考えていない。
……誰か、誰でもいい。この美しい花々を、見てくれ。
頭痛で目を覚ましたブランはゆっくりと瞬きをする。痛む頭を押さえるために手を動かしたいが動かない。椅子に座らされ縄で縛られていたからだ。
懐かしく悍ましい夢を見ていたブランはまだ朧げだ。少しでも情報を得ようと目を動かす。
瞬間、息を呑んだ。
「おや、お目覚めかい?」
そこには目が痛くなるような紫髪の少年と、
――ブランの師匠であるロドリク・モーデンの姿があった。
「なん、で」
自分の声だとは思えないほど掠れた声だったが、そんな事よりここに居るはずのない人物の存在にブランは釘付けになった。
「あぁ……。こんなに老いて痩せ細った姿でも覚えていてくれたんだな。嬉しいよブラン」
ロドリクは濁った茶色の目を細めて笑う。
忘れるはずがない。その目の色も、自分の名前を呼ぶその声も。ロドリクはセルヴァイア時代の恩師だ。今ブランが生きているのはこの人のおかげと言っていい。
だが、こんな風に目を細めて不気味に笑うことはなかった。それだけがブランの記憶にない。
固まったままのブランの顔を覗き込むように少年が近寄る。
「ここがどこかお分かりかな?お弟子さん。というかぁ、どこまで覚えてる?僕のことちゃーんと記憶にある?」
鼻が触れるぐらいに顔を近づけられたことでブランの意識が徐々にハッキリとしてくる。
「……お前がルーチェ・ハイアンを殺せと言ってそれを断ったら、攻撃されたところまでは覚えてるぞ」
「なんだ、ちゃんと覚えてるじゃない」
少年はブランから離れると、パッと両手を広げる。
「じゃあ、ここがどこかは分かる?」
「……今は俺が管理してる花園だ」
「正解!君ぃ、ちょっと好き勝手造り過ぎじゃあない?ここは一応王城だよ?」
少年はブランの自室に侵入した時より幼い口調で喋る。どちらが本当の喋り方なのかは分からない。
地下なのに天井が高く、窓が等間隔に並び外の風景を魔法で映し出しているこの不思議な空間は、花守が戦禍の中でも秘密裏に代々護り抜いてきた花園である。
昔の王族が過剰に魔力を注ぎ過ぎたせいで、増殖した希少植物を管理するために造られただけあって無駄に広い。
しかし、今の花園にある希少植物はタンポポだけだ。
その数は僅か四十七輪。
少年に言われた通り、ブランはこの空間に小さな読書スペースを造ったり、希少植物ではない花も植えたり色々改造していて、今はただの綺麗な庭園のようになっている。
ブランはフンッと鼻で笑った。
「別にいいだろう。今は俺が当主なんだから。それより、俺をここに連れてきて縛り付けて、一体何の用だ?」
ブランは分かっていた。
ロドリクが自分を攻撃してきた者と一緒にこの花園にいるということは、
――自分は先生に裏切られたのだと。
「一体どうやってここを知り、どうやって入った?」
ブランがセルヴァイアの生徒だった時、彼はロドリクに自分の素性を打ち明けていたが、ここの場所までは言った覚えはない。
さらに開錠には自分が持っている鍵と詠唱が必要だ。物理的に扉を壊しても正しい詠唱をしないと中へは入れない。たとえブランの素性を知るロドリクでも。
となると、どこからどう見ても人間には見えない、この少年の仕業だろう。
(……一体何者だ?)
「鍵は君が気絶してる間に拝借したよ。見覚えがあったからすぐに分かっちゃった」
「見覚え、だと?詠唱はどうした?」
「詠唱も花守が言っていたのを覚えていたから分かるもん」
ブランはますます眉を顰める。そんなブランを少年は感情が分からない紫の目で見つめた。
「僕はここで生まれた存在だからね」
その発言でブランは答えに辿り着く。
「精霊、なのか」
「まぁ、半分当たりだね。正しくは人工精霊だから」
精霊は、――人間とも、神とも次元が違うもの。
存在自体が稀有でなかなか人間の前に姿を現さないのでそのルーツは未だ解明されていない。
だが、下位精霊を人間が使役できるように造り替える人工精霊が一時期問題になった。
事故が多発したため、先の国王の政権時に禁止となったのだが、この人工精霊は一斉処分から免れたのだろうか。
「実は僕、『アサガオ』の下位精霊だったのさ」
「『アサガオ』だと?」
『アサガオ』は希少植物の一種だ。ブランはもちろん、ブランの父も、祖父もアサガオが花園に咲いているのを見たことはないし、王家に伝わっている図鑑でしかその存在を知らない。絶滅したと聞かされている。
精霊は植物や動物、物からも生まれる存在だ。だからこの精霊が元はアサガオの下位精霊だったとしても不思議ではない。
いつから人工精霊になったのかは分からないが数百年は生きている精霊だ。
「まぁ、僕のことはこれくらいにしておいて……」
「ルーチェ・ハイアンを殺す件なら何度言われても……」
ブランが拒否の言葉を口にしようとした瞬間、彼の腹部に激痛が走った。ロドリクが脚で蹴り上げたのだ。一瞬目の前が真っ暗になるが体が反射的に咳き込み、辛うじて気絶を免れた。
「っ!ゲホゲホッ……っ!」
続けて顔目掛けて脚で殴られ、椅子ごと派手に倒れた。
手脚は椅子に魔力封じの紐で括り付けてあるため体を守る術はなく、ブランの体は床に叩きつけられ、頭は床に踏み付けられる。
「あーあ。ロドリクだめだよ。人間は脆いんだから死んじゃうよ?」
少年はそう言いつつ成り行きを見守るだけだ。
ブランは先程からロドリクを視界に入れないようにしていた。それは現実を受け入れられない気持ちと、ああ、やはりそうか、という気持ちが入り混じり直視できなかったからだ。
ロドリクはそれが我慢ならなかった。
「ブラン……。あぁブラン!!俺はお前にずっと言いたかったんだ」
ロドリクは何かに取り憑かれたようにかつての愛弟子を睨みつける。
「何もなかったお前が……、俺のッ!この俺のおかげで今何不自由なく暮らせている!そうだろう!?」
ブランの前髪を雑に持ち上げ無理に顔を上げさせる。
そしてロドリクは光の無い眼でかつての愛弟子を見つめ、静かにこう言った。
「だから俺のために罪を被り、また一緒に過ごそう。忘れ去られた貴族の末裔に相応しい生き方だと思わないか?」
……ああ。やはり先生が犯人か。
ブランは希少植物が見つかったと聞いた時のことを思い出す。あの時は息ができなかった。
花守の知識として、タンポポは植物としての繁殖機能がないことをブランは知っていた。
だから希少植物が見つかったと知らされた時、すぐに花園を確認しに行った。
そしたらどうだ。雑にタンポポがむしり取られているではないか。
まるで隠すつもりはないと言わんばかりに。
扉を開ける鍵も詠唱も自分しか知らない。最初は第一発見者のルーチェを疑った。聖女と名高い令嬢が、神から与えられた花を見つけたとなれば入学前に箔がつくからだ。あとは証拠を見つけ出してやるだけだ、と。
だが、ブランはルーチェと接していく内に犯人が彼女ではないことを確信した。
のちに発見場所がダルス領の馬車止めだったことを知って、タンポポが政治絡みに使われたことを察した。
(……そろそろあいつらはタンポポに繁殖機能がないことに気付くだろう)
ルーチェ達がそのことに気付き王族に報告すれば、タンポポを使いダルス領を陥れようとした犯人として真っ先に疑われるのは、――花守の末裔である自分だ。
ブランは犯人に目星を付けていた。
ブランが花守だと知っている。
ダルス領に恨みを持っている。
セルヴァイア魔法学園の構造、つまりはダルスの馬車が何処に止まるのかを知っている。
……ブランに罪を擦り付けたいと思うほど恨みを持っている。
そんな人は一人しか思い浮かばなかった。
ブランの師匠でセルヴァイア魔法学園の元教授かつ、ダルスの政変により生活が苦しくなり、ブランに執着している人物――。
ロドリク・モーデン。
一週間は経っただろうか。
時折死なないだけの水と食料を貰っていたが、蹴られた痛みで碌に食べられず、ロドリクの機嫌で殴られ続けていたブランは気絶を繰り返していた。
「ハァ。もうお弟子さんがルーチェ・ハイアンを殺す気はないってのは分かったからさ、本人を直接誘い出すことにするよ」
意識が朦朧としながらもブランはルーチェを誘い出すという言葉に小さく舌打ちした。
ルーチェがこの人工精霊に殺される心配をしているわけではない。
ブランはいつかルーチェを自分で花園に案内し、驚かせるつもりだったのだ。
その小さな望みすらも潰されたことに酷く腹が立った。
「そこで果し状を送ろうと思うんだけど、お弟子さんはさ、ルーチェ・ハイアンのことを何て呼んでるの?」
「…………ルーチェ、様だ」
「なんだぁ、普通じゃん。面白くないなぁ」
感覚のない口を開き、そう答えた。
正直に答えるのが癪だったからだ。……それに、あいつらならきっと、おかしいと気づく。
ブランが彼女を「様」付けで呼んだことなど、一度もないのだから。
人工精霊はつまらなさそうに口を尖らせ何やら書き込み、それを白い封筒に入れたのをブランは霞がかった意識でボーッと見ていた。
そして、これは研究室組にとって、ブランが誰かに連れ去られたことの確証になった。
そうとは知らずブランはそのまま意識を暗転させた。
また痛みで目を覚ます。ロドリクが腹を蹴ったからだ。どのくらい気絶していたかは分からない。一日中だった気もするし、ほんの数十秒だった気もする。
ロドリクはまた不気味に笑いながらゆっくりと瞬きをする。
「なぁブラン。お前が最近出した本、読んだぞ。すごく良かった。俺が教えた通りお前は成長し学を身につけた」
ロドリクがブランの髪を掴むとブランは小さく呻き声を上げた。
「なのにすぐ絶版にしたみたいじゃないか。何が気に食わなかったんだ?意固地になるのはお前の悪い癖だぞ」
掴んだ髪を雑に振り離し、力無く落ちていく頭を蹴り上げる。
「聖女様と共同研究もしてるんだもんなぁ。しかもブランがずっと独りで研究してた希少植物だろう?仲間ができてよかったなぁ」
「……ぐぁ、っ」
それらは師匠から成長した愛弟子に贈る、
――愛憎と嫉妬に染まり切った言葉。
こんな狂った状況じゃなければ、ブランはロドリクの言葉を素直に喜べただろうか。
その時が来れば、自分が罪を被ってもいいとブランは思っていた。だからロドリクが犯人だと目星を付けていても誰にも言わなかった。それが師匠への恩返しになるのなら、それでいい、と。
それでいい、と……。
何もかも諦めて惰性のまま生きてきたブランの前に現れた眩しい光。
その光に当てられたブランが今、想うのは――。
「研究室に、帰りたい」
意識はないままポツリと落としたのは、ブランの本音だった。
「……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!?!?」
ロドリクは濁った目を見開き、醜い形相で床に転がるブランを見下す。
「何言ってんだてめぇ!俺をまた、俺をまた一人にする気かぁぁぁ!!」
叫び声と共に耳鳴りのようなキンッとした音が響き渡った。
ロドリクがブランに手を振りかざした瞬間。
入り口の方から何かが爆発するような轟音がした。ロドリクが反射的に振り返れば、扉が木っ端微塵に砕け散って跡形もなくなっている。
そこに姿を現したのは――。
「やっと見つけました。ブランさん」




