【1-11】ブラン・フィールドのとある一日
「聞いたか。あの没落貴族、ルーチェ様と共同研究をしているらしいぞ……」
「一体どんな手を使って……」
「ルーチェ様も平民と過ごすなんてお気の毒ね……」
研究室に向かう途中、ブラン・フィールドに浴びせられるのは彼への中傷ばかり。しかしブランは幼い頃からずっとこんな視線を浴びてきたので今更傷ついたりはしない。
傷ついたりはしないのだが……。
「聖女様の目に留まりたくて仕方がないんだろ?」
聖女様。それはハイアン公爵令嬢ルーチェ・ハイアンを指す名だ。
(聖女?あの嬢ちゃんのどこが聖女なんだ?)
聖女という名を聞く度にブランはどうしても鼻で笑ってしまう。
希少植物『タンポポ』が発見されてから急に研究室へやってきた貴族ルーチェ・ハイアンは、美しい金髪に翡翠の目を持つ、まさに創造主ルーエンの生き写しの如き姿をした令嬢である。
だがこの令嬢、普通の令嬢ではない。
(自作の白衣まで持参して、俺たちと一緒に一日中研究室に篭る聖女がいてたまるかよ)
廊下を歩きながら周囲の中傷を無視し続けていたブランを面白く思わなかったのか、聖女と口にしていた一人の男貴族が顔を顰めブランの前に立ち塞がった。
「おい、聞いているのか、ブラン・フィールド。庶民の貴様がなぜ王城に居座り聖女様と時間を共にしているのだ?」
ブランは片方の手を白衣のポケットに入れ、もう片方の手で耳をほじりながら戯言にケッと悪態を吐く。
「気持ち悪りぃ言い方してんじゃねぇよ貴族のお坊ちゃん。俺が城にいる理由を知らねぇなんて勉強不足だ、出直しな」
これ以上構う理由はない。ただでさえ今日は研究室に行く時間に遅れているのだ。これ以上遅れるとルーチェにグチグチと文句を言われてファーン兄弟に叱られてしまう。
立ち塞がった男貴族の横を素通りしようとすると、案の定その態度に腹を立てブランに殴り掛かろうとした。想定内だったブランは防御結界を発動しようと――。
「あら。ブランさんこんな所に居たのですね」
背後から聞こえたのはこの場に似合わないおっとりとした声。ルーチェ・ハイアンだった。
ルーチェが発動した防御結界は男貴族の拳からブランを見事に守った。
緩和魔法は使っていないので、ルーチェの強力な結界で弾き飛ばされた拳はヒビが入っていれば良い方、高確率で折れているに違いない。
男貴族が苦痛の顔で指を凝視しているとその一秒後、その折れた拳が彼自身の顔に目掛けて飛んでいき、体は壁に叩きつけられた。まるで拳が意志を持っているかのように。
あれは、ただの防御結界ではなく攻撃が反射する魔術式を書き加えてある高度な結界だということがブランには分かった。それをした犯人が涼しい顔をしているルーチェだということも。
「あらあら。あちらの方は何故ご自分をお殴りになられたのでしょうか。お労しい」
令嬢らしいおっとりとした口調からは想像がつかない威圧感をここにいる者達皆が感じ取った。
ルーチェは高いヒールでコツコツと音を刻みながら、壁で伸びている男貴族へ近づく。
ルーチェを通す為、周囲にいた者達は綺麗にはけていった。
「ねぇ。聞いてくださらない?ほら、起きなさいな」
手に持っていた装飾の豪華な扇子で、伸びている男貴族の頬を雑に突く。飾具で先が尖っているせいで地味に痛そうである。
痛みで目を覚ました男貴族がルーチェの顔を見るなり、「ヒィッ」と情けない声を出して後退りしようとするが彼の背後にはすでに壁しかないので虫の様に蠢いただけだった。
「先程、貴方が研究室へ向かうブランさんに大変失礼な態度をとっておられましたけれど……。王家主導の研究を邪魔したいと捉えてよろしいかしら?ハイアンは勿論、王族に何か文句がおありでして?」
十五歳とは思えぬ冷徹な目で見下す様は、まさに皆が想像する公爵家の娘であった。
ブランをコソコソと中傷していた者達が目線を逸らし、そそくさとこの場から立ち去っていく。
「お、王族と言ってもシルヴァン殿下が発案なさったとか」
まるでシルヴァンを蔑むような口ぶりで男貴族はヘラヘラと笑った。
(ふーん。王城で堂々と王子殿の悪口か。根っからの第一王子派ってとこだな。王子殿がやることなすこと批判する面倒なタイプとみた)
ルーチェの領地、ハイアンも一応第一王子派なので必然的にルーチェも立場上第一王子派ということになる。
故に、男貴族は自領の常識で同じ派閥のルーチェを丸め込めると思っているのだろう。指もバキバキに折られたというのに、大した仲間意識である。
ルーチェは何を考えているのか分からない表情で目を眇めて男貴族をじっと見つめる。思っていた反応が得られなかった男貴族は慌てふためき中傷の矛先を変えた。
「し、し、しかも、なによりその者は平民でして」
汚い唾を吐きながら震える指で指し示した先には、白衣のポケットに手を突っ込んで太々しい態度で成り行きを見守っているブランの姿があった。ルーチェはそれを見てクスリと笑った後、男貴族に目を戻す。
「あらまぁ。先程から本当に文句がおありの様で。お父様と陛下にご報告しなければ」
「ち、ちがっ!私が言っているのはそこの平民の……」
「平民のブラン・フィールドに貴族である貴方が劣っているからと言ってそこまで喚く必要はないですわ。彼は天才ですから仕方ありません。カスパー・ハーゲン卿?」
「なっ!?」
まさか名前を知られていると思っていなかった男貴族の威勢の良さは消えビクリと肩が跳ねた。ルーチェを落ち着かない目で凝視している。
「それから……」
ルーチェは綺麗な笑みを深めてしゃがみ込み、カスパーと目線を合わせる。彼は可哀想なぐらいに顔色が真っ青になり震えていた。きっと魔力威圧をかけている。
「貴方はここで勝手に転んで勝手にお怪我をなさった。……そうですわよね?」
ここでルーチェが負わせた怪我は全てカスパー自身のせいだという言質を取ろうとしている。
「は、はぃぃ!」
ぶんぶんと情けない顔を縦に振るカスパーを見てルーチェは満足そうに一つ頷いた。そしてまだ周囲にいる野次馬共に言い聞かせるよう、朗々とした声で忠告する。
「希少植物研究室のブラン・フィールド、オルレン・ファーン、フロラル・ファーンに手を出す者は王族とハイアンを敵に回す事だということをゆめゆめ、お忘れ無く」
釘をグサグサ刺すルーチェにブランは頰を引き攣らせるしかなかった。余計なことをするなと言ったはずなのに。
「さぁ、行きましょう。ブランさん」
(……こえぇ)
ブランは声に出さずそう思ったが、何もかも見通せるような翡翠の瞳で、自分を真っ直ぐに見てくれるルーチェを悪くは思わなかった。
「おかえり」
研究室の扉を開けると、薬室の仕事を終わらせたフロラルとオルレンがすぐに出迎えてくれた。研究室に行けばブランもルーチェもいなかったので心配していたようだ。
ブランはフロラルの頭にポンと手を乗せた。
「遅かったですね、心配しましたよ。何かありましたか?」
オルレンは作業の手を止めて心配そうに眉尻を下げた。
(……何か、何かは、まぁ、あったな)
頬に手をやったルーチェの視線が、ほんの一瞬だけ泳いだ。
……どうやら、やり過ぎた自覚はあるらしい。
そして誤魔化すように憂い顔で溜め息を吐いた。
「ブランさんが悪い男に絡まれていたのでちょっと助けに入ったんです」
「っ!?」
ルーチェの悪意のある言い方にブランは吹き出した。オルレンは笑いを堪えるようにぷるぷる震えている。
「っそれじゃぁ、ブランおじさんが、か弱い女の子みたいにっ、聞こえます」
オルレンはブランへの中傷の数々を知っているので道中何があったのかを何となく察した。笑うのは悪いと思っているが、ルーチェが言ったように想像するだけで面白くて仕方なくじわじわ笑いが込み上げてくる。
ブランは嫌な顔をして、オルレンを睨みつけた。
「お前らも笑い事じゃねぇぞ」
力無く溜め息を吐く様子にオルレンとフロラルは顔を見合わせた。ルーチェは機嫌良く微笑んでいるだけだ。
「野次馬貴族の前で、嬢ちゃんはお前ら二人の名前も出したからな。……明日薬室に行けば分かるはずだ」
ブラン程の表立った中傷はなくてもファーン兄弟に妬ましい感情を抱く者は多くいる。そのせいで、二人は薬室の通常業務に加え、普段やらない雑用も押し付けられていた。この研究に支障が出る様に。
きっと明日になればルーチェの噂を聞いた薬室の人間が掌を返して二人の仕事量を減らしてくれるだろう。
……人の良いこの二人が、そんな些細な嫌がらせに気づいているか否かは別であるが。
ファーン兄弟は二人揃って顔を青くする。
「ルーチェ様、一体何をしたんですか!?」
「何をしたんですかっ」
二人にそう責められルーチェは切なげな顔で翡翠の目に影を作る。善意でやった行動を非難され落ち込んでいるかのような表情だ。
「皆さんを守る為に、わたくしに出来ることをしただけですのに……」
「誤魔化さないで下さいっ!」
この顔がルーチェの誤魔化しの顔であることを見破れる者は中々居ない。バレたルーチェは目を丸くして「すごい!なんで分かったんですか!?」と何故か嬉しそうに目を輝かせた。先程の貴族然とした令嬢の姿はもう、どこにも存在しなかった。
そんなやり取りを聞きながらブランは外に目を遣る。
――密かに願う。こんな日々が続けばいいのに、と。
翌日、いつも一番乗りで研究室に到着するルーチェの前にファーン兄弟が到着していた。ブランはいつも安定して五分遅刻する。
「お二人とも、今日は早いですね」
「ええ。何故か薬室の皆んなが仕事を代わってくれて……」
「薬室長、優しかった」
二人とも困惑しながら薬室の皆んなに言われるがまま仕事を任せて研究室に来たと言う。
言わずもがな、ルーチェが昨日見せしめにやった騒動のせいである。噂を聞きつけた薬室長は震え上がりすぐさま二人への嫌がらせをやめた。
次にシルヴァンの側近のパトリックもやってきた。いつもの無表情のまま目線だけをファーン兄弟に向ける。
「やはり、噂は本物でしたか」
パトリックはボソリとそう呟いたがファーン兄弟は揃って首を傾げる。
昨日の流れからして、ルーチェが何か手を回したのだということは分かっていたのだが、本人達は押し付けられた仕事でも淡々とこなしていたため自分達が嫌がらせを受けていること自体に自覚がなかった。
ルーチェは口の端を上げてニヤリと笑う。
兎にも角にもこれで二人はこちらの研究に集中できる。
「おぅ、今日はさすがに早いな…………なんで嬢ちゃんはそんな意地汚く笑ってんだ?気味悪ぃな」




