【第9話】 石皮の中の夏蜜
土の下から漂う甘い匂いに、ピィロの綿羽がぶわりと膨らんだ。
「まだだぞ。今日は勝手に焼く日じゃない」
「ピロロ」
返事はやけに誇らしい。
マルタから受け取った試験種の一つを播いてから、何日かが過ぎていた。水は井戸の残りと雨水を分け、小区画へ必要な分だけ使った。葉は地面へ低く広がり、朝日を浴びた表面には、触れなくても分かるほどの熱がこもっている。
晴真は一株の前へしゃがんだ。
「赤土丘で採った夏石芋に似てるが、葉の勢いはいい。今日はまず普通に掘る。それから、ピィロにも一株だけ――」
「ピィ!」
金色の塊が晴真の肩口をかすめた。
「あっ、待て!」
ピィロは最初の株へ着地すると、胸を張って熱を放った。葉が一斉に持ち上がり、土の下から甘い香りが濃く立つ。
そこで止まれば、まだよかった。
ピィロは次の株へ跳ねた。さらに次へ。畝の間を金色の火花のように駆け抜け、通り過ぎるたびに葉先が橙色へ輝く。
晴真は地面を二度たたいた。
「ピィロ、待て。ここだ」
ピィロは一度だけ振り返った。けれど、晴真より先に隣の株から立った甘い匂いへ顔を向け、そのまま飛びついた。
「選択的すぎるだろ、その理解!」
「褒められると思っている」
区画の外からフィエルナが告げた。彼女は冷気を放たず、熱の広がりを目で追っている。
「境界の外までは届いていない。だが、株の下では変化が続いている」
晴真が土を掘ると、指先へ硬いものが当たった。
引き抜いた芋は、赤土丘で採った夏石芋と同じ形をしていた。だが、石を削って作ったような姿になっている。赤褐色の外皮は光を鈍く返し、爪を立てても跡がつかない。
「元気にする加減を、完全に飛び越えたな」
「ピロロ!」
ピィロは胸を限界まで膨らませた。自分が成し遂げた結果を疑っていない。
そこへ、畑の様子を見に来たマルタが歩いてきた。晴真の手にある芋と、畝の上で誇らしげに輝くピィロを交互に見る。
「収穫だと聞いたが、石拾いに変えたのかい」
「見た目ほど単純じゃないかもしれない」
「刃が通ってから言いな」
マルタは芋を受け取り、腰の刃を当てた。硬い音がして、刃先が外皮を滑る。
「食用作物としては失敗だね」
ピィロの羽毛が、目に見えてしぼんだ。
先ほどまで立っていた陽炎も消え、畝の上へ小さく丸まる。マルタは見向きもせず、別の株を掘った。そちらも硬い。株によって程度は違うが、どれも手では割れそうになかった。
「熱を入れた量が揃っていない。次へ残す芋としても、これじゃ選べない」
「秋の実りを重ねれば、柔らかく熟させられるかもしれない」
口にした瞬間、晴真の頭には畑全体へ秋を流す景色が浮かんだ。硬さを揃え、甘味を整え、全部を同じ収穫へ戻す。
だが、それをすれば、ピィロがどの株へどれだけ熱を入れたかという差まで消える。
そもそも秋を加えた結果が柔らかさになる保証もない。未確認の変化を重ねれば、失敗の原因も、使える性質も分からなくなる。
「いや、やめる」
「珍しいな。思いついた直後に捨てるのか」
フィエルナが僅かに眉を上げた。
「全部を同じに直したら、何が起きたか見えなくなる。硬くなったなら、まず硬いまま確かめる」
晴真は最も硬い芋を選び、平たい石の上へ置いた。別の石を両手で持ち上げる。
「食べ物に対する扱いじゃないね」
「まだ食べ物かどうかを確かめるところだ」
振り下ろした石が、鈍い音を立てた。一度では割れない。二度目で外皮に白い筋が走り、三度目でようやく殻が裂けた。
割れ目から、黄金色の中身がゆっくりと押し出された。
「……蜜?」
芋肉はほとんど崩れていた。水分と甘味が中心へ集まり、濃い蜜のように艶めいている。外皮の内側だけは褐色に焼け、香ばしい匂いを立てていた。
晴真は割れた欠片を指ですくった。
「待て、クゼ」
「最初に食べるのは俺だ」
「止めても食べるのだろう」
「よく分かってきたな、セルクさん」
蜜状の芋肉を口へ入れる。
舌へ触れた瞬間、濃い甘味が広がった。夏石芋らしい土の香りは残っているが、熱によって角が取れ、焦げた外側の香ばしさが甘さを引き締めている。
「これは失敗じゃない」
「刃物では食べられないよ」
「割れば食べられる。しかも、普通の芋とは別物だ」
マルタも小さな欠片を取り、慎重に舌へ乗せた。数度噛んだ後、もう一度割れ目を覗き込む。
「味は認める。だが、株ごとに中身が違う。硬ければいいわけでもないし、種芋に使えるかも分からない」
「そこは分ける。硬化した分は食べる。残ってる株で、普通の収穫と加温した収穫を比べる」
「また、ピィロにやらせるのか」
フィエルナの視線の先で、ピィロは畝の端へ縮こまっていた。逃げてはいない。晴真たちの反応を窺いながら、足元へ温かな小石を一つ置いている。
「やらせるんじゃない。もう一度、選べる形にする」
晴真は硬化していない株を三つ選び、周囲の葉と土を片づけた。そのうち一株だけを中央へ残し、他の株とは距離を取る。
畑全体を見せたまま一株だけ選べと言っても、今のピィロには難しい。なら、仕事の範囲そのものを狭くすればいい。
晴真は手のひらを見せた。
「ピィロ。来るか?」
金色の頭が持ち上がる。すぐには動かない。
晴真が待っていると、ピィロは温かな小石を置いたまま、畝を回り込んで近づいてきた。差し出した手には乗らず、その横へ降りる。
晴真は中央の株を指し、それから地面を二度たたいた。
「まだ待つ」
ピィロは株へ顔を向けた。甘い香りに羽毛が広がりかける。
別の硬化芋から蜜の匂いが流れてくると、そちらへ一歩跳ねた。
晴真は声を強めなかった。硬化芋を籠ごと離し、ピィロと中央の株の間に余計な対象が入らないようにする。
もう一度、地面を二度たたく。
ピィロは不満そうに、くちばしを閉じたまま湯気の抜けるような音を鳴らした。それでも今度は動かない。
「そう。待ててる」
晴真が株を指す。
「ここだけだ」
「ピィ」
ピィロは一度だけ晴真を見てから、指定された株へ戻った。
胸元に淡い光が集まる。先ほどのような激しい熱ではない。葉がわずかに持ち上がり、土の下から甘い匂いが強くなったところで、ピィロは自分から熱を弱めた。
「そこで終わり。ピィロ、よくやった」
「ピロロ!」
羽毛が太陽の輪のように広がる。ピィロは株から離れ、晴真の手首へ一瞬だけ身体を寄せたあと、すぐに畝へ戻った。
マルタが加温した株を掘り出す。外皮は硬いが、石ほどではない。晴真が力を込めると、乾いた音を立てて二つに割れた。
中身は通常の夏石芋より濃い黄色をしていた。最初の硬化芋のように蜜だけが中心へ偏らず、芋肉全体へ甘味が回っている。
マルタは通常株、硬化株、限定加温株を順に食べ比べた。
「普通の分は食用になる。硬い分も、割れば使える。今の一株は甘いが、次も同じになるとは限らない」
「十分だ。今日は三つの違いが残った」
「種芋は別だよ。どれを残せるかは、まだ決めない」
「そこまで成功扱いにはしない」
マルタは小さく切った芋片を一つ持ち、ピィロへ向き直った。
「ピィロ」
呼ばれた金色の雛が、ぴくりと顔を上げる。
「勝手に全部温めた分には、やらない。今の一株は仕事だ」
マルタが芋片を地面へ置く。ピィロはすぐには飛びつかず、彼女の大きな声と芋片を見比べた。
やがて一歩ずつ近づき、芋片をくちばしでついばむ。
「ピィ」
「次も同じようにできたら、また考える」
ピィロは芋片を飲み込むと、マルタの周りを一度だけ小さく回った。ただし足元までは寄らず、土と種の匂いを確かめるように首を伸ばしてから、晴真のそばへ戻ってくる。
夕方、農家の食卓には三種類の夏石芋が並んだ。素朴な通常芋、石皮の中へ甘味が集まった硬化芋、ほどよく熱を入れた濃い甘さの芋。
どれも同じ品質ではない。次作へ残す芋も決まっていない。ピィロが次も待てる保証もなかった。
それでも、朝には制御不能だった熱が、一株だけなら仕事になった。
晴真は硬化芋の殻を割り、黄金色の中身を皿へ落とした。
「夏は、ただ早く育てるだけじゃないな。水分を飛ばして、甘味を集める」
「次は秋へ手を出す顔をしている」
フィエルナが言う。
「秋は成長じゃなくて、香りや熟し方を選べるかもしれない」
「まず、この三種類を混ぜずに残しな」
マルタの声に、ピィロが芋片をくわえたまま振り向いた。
晴真は笑い、地面ではなく食卓を二度たたいた。
ピィロは一瞬迷ってから、今度は自分で晴真のそばへ戻ってきた。




