【第5話】 小さな太陽の行き先
晴真が手のひらを見せると、陽片雛は温かな小石をくわえたまま振り向いた。
「お、今度こそ来るか。ちび太陽」
淡い金色の身体が一歩だけ近づく。
晴真が期待して手を下げると、陽片雛はくるりと背を向けた。そのまま畑の縁を跳ね、草むらの向こうへ小石を運んでいく。
「そっちかよ」
しばらく待つと、陽片雛は再び現れた。農家の壁際から別の小石を拾い、また同じ方角へ運ぶ。
三度目には、さすがに偶然ではなかった。
晴真は細い試験区画へ目を向けた。冬苔は一晩分の水を抱え、休眠株側の冷気も残っている。まだ種を播けると決まったわけではないが、今すぐ崩れそうな様子もない。
「セルクさん。あいつ、どこかへ荷運びしてる」
「見れば分かる」
フィエルナは冬苔の間へ指を入れ、水の滲みを確かめていた。
「巣でも作る気かもしれない。ちょっと行ってくる」
「捕まえるつもりならやめろ」
「俺がそんなに信用ない?」
「昨日、湯気を見ただけで畑を掘り返した男だ」
「水の道は見つかった」
「結果の話をしているのではない」
晴真が言い返す前に、草むらの先から短い声が飛んだ。
「ピィ!」
陽片雛が小石を置き、こちらを見ている。
「ほら、呼んでる」
「お前ではなく、置いていかれる荷物を気にしている可能性もある」
「夢のない解釈だな」
「水と食料を持て。日が落ちる前に戻れ。それから、夏性の物を見つけても欲張って運び込むな」
フィエルナは畑から離れる気がないらしい。試験区画と休眠株を交互に見ている。
晴真も同行を求めなかった。ここを守る者がいるから、知らない場所へ向かえる。
「食べられるか確かめる分だけにする」
「その言葉を忘れるな、クゼ」
「持ちきれないほど美味かったら相談する」
「持ち帰る前に相談しろ」
晴真は水と携行食をまとめ、陽片雛の後を追った。
農家を出た直後こそ、晴真は先へ立とうとした。陽片雛が向かっているのは、西に見える赤土の丘だ。大まかな方向なら自分にも分かる。
「こっちだろ、ちび太陽」
呼びかけながら歩き出すと、背後で低い「チチッ」という音がした。
振り返れば、陽片雛は別の獣道の前にいる。晴真が戻るまで動かず、近づいた途端に胸を膨らませて先へ跳ねた。
「案内される側は俺か」
陽片雛は答えず、温かな小石をくわえて進む。
歩みは遅い。飛べるはずなのに長くは飛ばず、草の穂から石へ、石から土の盛り上がりへと短く移る。晴真が距離を空けると、小石を地面へ置いて短く鳴いた。
近づけば、またくわえて進む。
呼んでも戻ってこないくせに、置いていく気もないらしい。
「はいはい。俺がついていけばいいんだな」
「ピィ」
返事に聞こえたが、陽片雛の視線は晴真ではなく、くわえ直した石へ向いていた。
赤土丘へ近づくにつれて、地面の熱が靴底から伝わってきた。雨上がりの廻季原とは違い、こちらの土は乾きが早い。赤茶けた斜面には背の低い草が点々と生え、日に温められた石が露出している。
陽片雛はその中でも熱を含んだ石だけを選び、くちばしで転がした。二つ、三つと窪地へ集め、円を作ろうとしている。
「やっぱり寝床か」
晴真がしゃがむと、陽片雛は集めた石と彼の間へ割り込んだ。
「取らないって」
手を引くと、陽片雛は満足したように石へ腹をつける。しかし、すぐに何かを思い出したように立ち上がり、窪地の外へ駆けた。
向かった先には、土から黒っぽい塊が突き出していた。
石にしては表面がざらつき、細い根のような筋が地中へ伸びている。
「夏の丘の硬い芋……か?」
晴真が指で叩くと、乾いた音がした。食材に見えなくもないが、石と呼ばれても納得する硬さだ。
陽片雛はその塊へ身体を寄せた。羽先が橙色に明るくなり、周囲の空気が揺らぐ。
「待て。石じゃないぞ」
止めるより先に、熱が芋へ移った。
硬い表面から、かすかな湯気が立つ。土と熱の匂いに混じって、甘い香りが鼻先へ届いた。
晴真は目を見開いた。
「そっちも目的だったのか」
「ピロロ」
陽片雛は誇らしげに胸を張った。そして芋の突き出た部分をくちばしで挟み、力いっぱい引っ張る。
抜けない。
もう一度踏ん張り、今度は自分の身体ごと後ろへ転がった。
「食べたいだけじゃないか」
陽片雛は起き上がると、何事もなかったように芋へ向き直った。
晴真は周囲を見渡した。同じような塊が、赤土のあちこちから覗いている。全部掘れば相当な量になるだろう。
だが、甘い匂いがしただけで大量に持ち帰る気にはなれない。畑の食料も水も、まだ安定してはいない。未知の芋を抱え込んで傷ませる余裕もなかった。
「一つだけだ」
晴真は陽片雛へ言い、地面を指で区切った。
「しかも全部じゃない。食べるところだけ試す」
理解した様子はない。陽片雛は芋の前から退かず、早く温めろと言うように羽毛を膨らませている。
晴真は芋の露出した先端、その一部分だけを直接対象に選んだ。
移すのは秋の実り。育てる力ではなく、すでにあるものを食べ頃へ近づける性質だ。
指先から伝わった季節が、硬い表皮の内側へ沈む。変化させる範囲を狭く保ち、根元や周囲の土には広げない。
少し待つと、表面の張りがわずかに緩んだ。
「ちび太陽。ここだけ温められるか?」
晴真が先端を指す。
陽片雛は指先ではなく芋全体を見た。次の瞬間、勢いよく熱を放とうとする。
「そこまで!」
晴真が手のひらで根元側を遮ると、陽片雛は不満そうに「ピィー」と鳴いた。それでも晴真が指し続けた先端へ身体を寄せ、短く熱を送る。
甘い香りが一気に濃くなった。
晴真は小さく切り分けた部分を手に取り、まず自分の口へ入れた。
表面には焼いた根菜のような香ばしさがあり、中は驚くほど柔らかい。舌へ広がる甘味は強いが、後味には赤土を思わせる素朴な風味が残る。
「うまい」
思わず声が漏れた。
陽片雛が跳ねる。
「夏の熱で甘くなって、秋の実りで食べ頃になる。夏石芋ってところだな」
晴真が残りを差し出すと、陽片雛は一口で奪った。目を細め、身体全体を丸く膨らませる。
「気に入ったか」
「ピロロ」
直後、陽片雛は地面に残った芋へ両羽を広げた。
自分のものだと主張しているらしい。
「全部は駄目だ。持ち帰るのは試した分と、もう一つだけ」
「ピィー」
「俺を連れてきた報酬としても多すぎる」
陽片雛は芋へ腹を押しつけた。抱え込んだつもりなのだろうが、地中に埋まった芋はほとんど隠れない。
晴真は笑いながら、先ほどと同じく一個だけを必要な分だけ成熟させた。採取した夏石芋は携行袋へ収め、陽片雛が集めた温石のうち、運べる数だけを別に包む。
残りには手をつけなかった。
帰路でも、陽片雛は晴真の後ろを素直についてはこなかった。
「農家はこっちだぞ」
晴真が先へ進むと、陽片雛は斜面を横切って別方向へ向かう。そこには温かな石が一つ転がっており、当然のように拾ってから元の道へ戻った。
「寄り道込みの案内か」
陽片雛は自分の進路を変えない。晴真が近道を選ぼうとすれば立ち止まり、離れれば鳴く。結局、来たときとほぼ同じ道をたどることになった。
日が傾き、農家の屋根が草原の向こうに見えた頃、陽片雛は突然飛び立った。
金色の身体が晴真の頭上を越え、農家とは少し外れた草むらへ消える。
「おい、ちび太陽」
返事はない。
晴真は足を止めた。
追えば見つけられる距離かもしれない。だが、ここまで来たのも、赤土丘から戻ったのも、陽片雛自身が選んだことだ。最後だけ捕まえて農家へ連れ込めば、今日ついてきた意味がなくなる。
晴真は農家へ向き直り、歩き出した。
数歩進んだところで、背後の草が鳴る。
「ちび太陽」
今度は呼びながら、陽片雛のいる方へ視線を向けた。
草の間から丸い頭が覗く。
陽片雛は晴真を見た。すぐには動かない。晴真も手を伸ばさず、ただ待った。
やがて金色の身体が草むらを抜け、自分から晴真の足元近くまで戻ってきた。くちばしには、赤土丘から運んできた小さな温石がある。
晴真はしゃがみ込んだ。
「呼ばれたからじゃなくてもいい。戻る方を選んだんだな」
陽片雛は温石を置き、晴真を見上げる。
鳴き声と、熱を放ったときに羽毛が輪のように広がる姿。その二つが、晴真の中で一つの音になった。
「ピィロ」
陽片雛が首を傾げる。
「お前の名前だ。ピィロ」
今度は視線を合わせ、はっきりと呼ぶ。
ピィロは羽毛をふくらませた。
「ピィ」
偶然かもしれない。だが、晴真がもう一度名前を呼ぶと、ピィロはその場から逃げず、温石をくちばしで押して農家の方へ転がした。
畑のそばでは、フィエルナが氷線を直していた。晴真の袋と、その後ろから来る金色の姿を見て、手を止める。
「欲張ってはいないようだな」
「芋は一つ。石はこいつの持ち込み分だけだ」
「陽片雛も戻ったのか」
「ピィロだ」
フィエルナの目がわずかに細くなる。
「名付けたのか、クゼ」
「俺についてきたからじゃない。俺を連れていって、自分でここへ戻ってきたからな」
フィエルナはピィロを見る。
「ピィロ」
呼ばれたピィロは、彼女の足元ではなく、氷線の手前へ温石を置いた。石の熱で氷の端がわずかに濡れる。
フィエルナは無言で、石を避けるように線を引き直した。
ピィロは胸を張る。
「名前がついても、やることは変わらないな」
「変わる必要があるのか」
「いや。そのままでいい」
晴真は持ち帰った夏石芋を掲げた。
これだけで食料不足が解決するわけではない。育て方も、安定して採れるかも分からない。試験区画の種はまだ播かれておらず、水にも余裕はなかった。
それでも今日は、新しい味を持ち帰った。
そして呼べば必ず来るわけではない、小さな同行者に名前ができた。
「ピィロ。芋を食べるなら、今度も場所は自分で教えろよ」
ピィロは晴真を見ず、袋から漏れる甘い香りへ一直線に近づいた。
「そこは返事より早いのか」
晴真が袋を持ち上げると、ピィロは不満そうに長く鳴いた。
夕方の農家の前に、夏石芋の甘い匂いと、フィエルナの小さなため息が重なった。




