【第34話】 売らない契約
「冬蜜と種を目玉にしましょう」
翌朝、納屋の卓へ並べた品を前に、ネロイは迷いなく言った。
「高値を払える客だけに予約を絞れば、人数を増やさず収益を出せます。混雑も抑えられる。季節祭の最初の実績としては悪くない」
小瓶に入った冬蜜と、封をした種袋。その横には夏石芋、保存中の春露葉、虹穀の加工品が置かれている。
晴真は冬蜜の瓶を見た。少人数で済み、納屋での収入も増える。浮いた資金を道や設備へ回せるなら、祭の準備も進めやすい。
「客を絞る方法としては分かりやすいな」
「却下するわ」
フィエルナの声が、晴真の考えを途中で断った。
彼女は瓶を手に取らず、ネロイを正面から見る。
「冬蜜は高価な冷たい甘味ではない。冬苔が時間をかけて集め、休みと保存を次へ渡したものよ。値段だけで客を選ぶ見世物には使わせない」
「価格を付けること自体が問題ですか?」
「用途が問題なの。冬の意味を切り落として、希少だから見せる。その条件なら売らない」
ネロイは反論せず、視線を種袋へ移した。
「では、種は?」
「そっちも駄目だよ」
マルタが種袋を自分の側へ引き寄せた。
「これは商品候補じゃない。来年の食卓だ。いくら積まれても、客寄せに数える物じゃないね」
「保存分の一部でも?」
「保存種に余りはない。次作へ回す量を確保して、残った物が初めて余剰だ。順番を逆にする話なら、値段を聞く必要もない」
二人とも晴真を見なかった。許可を求めず、それぞれが守る範囲をネロイへ直接突きつけている。
ネロイは冬蜜と種袋を見比べ、卓の端へ置いていた帳面を開いた。
「なるほど。値下げ交渉ではなく、販売対象から外す、と」
「最初からそう言っているわ」
「ええ。だから商談を続けられます」
彼は冬蜜と種の項目へ線を引いた。
「希少品を告知して客を集め、当日になって提供できなければ、予約金を返すだけでは済みません。祭そのものより先に、私と廻季原が約束を守らない場所だと覚えられる」
「提供できる量が読めない品を目玉にする方が、利益より損が大きいか」
「特に初回は。二度目があると信じてもらう方が、一度高く売るより難しい」
ネロイは残った品を順に指した。
「冬蜜と種を除けば、集客力は落ちます。そこでクゼさんの季節替えを実演し、当日限定品を――」
「それもやらない」
今度は晴真が断った。
「祭のために新しい季節性を足して、供給量をごまかす気はない。前に使った境界だって、まだ休ませてる途中だ。売るための実演には回さない」
「では、何を売ります?」
「今まで繰り返し出せた物だけだ。夏石芋、保存した春露葉、虹穀の加工品。生活分と次作分を引いて、それでも残る範囲だけ」
派手さはない。冬蜜ほど希少でもなければ、能力実演ほど目を引かない。
だが、どれも一度きりの奇跡ではなかった。育て、保存し、食べ、取引を続けてきた成果だ。
「体験したら買わなきゃいけない形にもしたくない」
晴真は四季へ分かれる経路図を卓へ広げた。
「春だけ見て帰ってもいい。冬へ入らなくてもいい。何も買わずに休んで帰っても、季節祭に来たことは失敗じゃない」
「購入者を優先して案内する案も?」
「なしだ。体験と商品を交換条件にしない」
ネロイは少しだけ眉を寄せた。
「収益を取りに来た商人へ、ずいぶん厳しい注文をしますね」
「俺も収益は欲しい。でも、売上が足りないから住民の食事や来年を削るなら、祭をやる意味が違ってくる」
「その言葉は契約に入れられません」
「じゃあ、入る形にしてくれ」
ネロイは口元だけで笑った。
「ええ。そのために私がいます」
四人は販売候補の保管場所へ移った。マルタは夏石芋を実際に数え、春露葉の保存状態を確かめ、虹穀の加工品を生活用と販売用に分けた。
「ここから先は売らない」
彼女が取り除いた分へ手を置く。
「食卓用、次作の種、試験用。販売上限は残った量の中で決める。それ以上の予約は受けない」
「祭当日の追加分は?」
ネロイが尋ねる。
「出さない」
晴真が答える前に、マルタが切った。
「売れたから倉を開ける、はなしだよ」
「妥当です」
ネロイは意外なほどあっさり頷き、帳面へ数字を書き込んだ。
ただし、晴真が考えていた上限より、さらに少なかった。
「少なすぎないか?」
「少ないですね」
「じゃあ増やそう」
「増やしません」
ネロイは帳面を晴真へ向けた。
「クゼさんは祭が成功した後の追加注文まで、今の収穫へ背負わせようとしている。予約分を出したうえで普段の取引も続けるなら、この上限です」
「成功したら増産すればいいだろ」
「成功する前に増産を約束してはいけません。祭が中止になっても、畑と食卓は残る。その条件でなければ、私は予約を取りません」
利益を求める本人から、売る量を減らせと言われるとは思わなかった。
だが、ネロイは善意で譲っているのではない。供給が崩れれば、自分の信用も販路も傷つく。その損失を避けるために、晴真より厳しく線を引いている。
「分かった。その上限でいく」
「増やせた量だけ、後から知らせてください。先約はしない」
晴真が頷くと、ネロイは次の欄へ進んだ。
「祭中止時は予約金を全額返還。代替品への変更は、客が希望した場合のみ。こちらから強制しない」
「告知や運搬準備で出た損は?」
フィエルナが問う。
「私の販路で発生した分は私が負います。ただし、生産側の都合で確保済みの商品が出せなくなった場合は、クゼさん側にも負担していただく」
「逆に、ネロイの告知で上限を越えた注文を取ったら?」
「私の損失です。廻季原へ回しません」
晴真は契約書の空いた場所を指で押さえた。
「中止の原因を全部こっちかそっちかに押し込むのは無理だ。準備した担当ごとに分ける。俺たちが用意した品の損はこっち。外への告知と注文処理はネロイ。共通で使った分は、先に割合を決める」
「その方が揉めますよ」
「後で責任を押しつけ合うより、今揉めた方がいい」
ネロイは数秒黙り、やがて新しい欄を作った。
「では、担当範囲を明記します。曖昧な損失は折半。ただし上限超過分は、受けた側の全額負担です」
「いい」
「冬蜜についても書いて」
フィエルナが契約書を見下ろした。
「今回は売らない、では不十分よ。私が販売可能と判断しない限り、季節祭の予約品へ入れない」
ネロイは彼女を見た。
「最終判断をセルク殿へ任せる、と?」
「冬の内側の判断は私がする。外へどう届けるかは、あなたが決めればいい。ただし、売らないと決めた物を、別の言葉で売ろうとしないこと」
「承知しました。その代わり、販売可能と判断した品の客層は私に任せていただきます」
「冬の意味を偽らない範囲なら」
「十分です」
契約書から冬蜜の欄が消え、代わりに販売禁止の条件が一行増えた。
午後、ネロイは既存の取引先から受けていた少量注文を、新しい予約条件へ書き換えた。対象は夏石芋、春露葉、虹穀の加工品のみ。数量上限、予約金、中止時の全額返金、代替品を強制しないことも記されている。
納屋の卓上へ、銅貨が置かれた。
晴真はその音を聞き、思わず契約書と三つの商品を見比べた。
「本当に入ったな、予約金」
「注文は一件です。祭の成功ではありません」
ネロイはすぐに釘を刺す。
「供給物もまだ確保していない。受付から退出までの運用も未試験です」
「分かってる。でも、一件は一件だ」
冬蜜も種も売らなかった。能力で目新しさを足しもしなかった。増産の約束さえ断った。
それでも、積み上げてきた作物だけで金が動いた。
「次は、確保できた量だけ知らせてください」
ネロイが契約書を畳む。
「期待ではなく、現物で」
「マルタさんに同じことを言われそうだな」
「もう言ってるよ」
マルタは販売分の籠を持ち上げた。
「次は祭用を取った後でも、来年と食卓が残る収穫にする。そこを間違えたら、この予約は返すからね」
「厳しい客と、厳しい商人と、厳しい種守か」
「冬を抜かさないで」
フィエルナが冷たく言う。
「売らない判断も、契約の一部よ」
晴真は笑い、納屋の棚へ予約済みの札を置いた。
派手な目玉はない。約束した量も少ない。
だが、その小さな札は、暮らしを削らずに祭へつながった最初の取引だった。




