【第31話】 断っても残れる場所
「これで、次からは迷わない」
晴真は共同食事場所の卓上へ、昨夜使った木札を並べた。
春性居室はセナト。冬性居室はフィエルナ。共用空間の確認は自分。加温が必要なときはピィロ。
強い冷え込みを越えた直後だからこそ、曖昧なままにはしたくなかった。昨夜は誰かが気づき、誰かが止めたから無事だった。次も同じ偶然を期待するのは、暮らしではない。
「植物の壁と連絡路はセナト。冬側と休眠の判断はフィエルナ。俺は全体を見て、必要なら役を入れ替える。ピィロは――」
「その分け方、僕は嫌です」
平焼きパンをちぎっていたセナトが、軽い調子のまま言った。
だが笑ってはいなかった。
「植物が相手なら僕。冬ならフィエルナさん。熱ならピィロ。分かりやすいですけど、春が弱い間も僕は春の人として働き続けるんですか?」
「見回りだけだ。無理に芽吹かせろとは言ってない」
「見回って、弱っているのを見つけて、何もしないで戻れます?」
晴真は答えかけて止まった。
セナトは植物の呼吸を読める。壁が乾けば気づく。根が道を押せば気づく。気づいた者へ、その先まで背負わせる案になっていた。
「残るために、春らしく働き続けるのは違います」
「そうね」
フィエルナが冷たい保存食の器を置いた。
「冬側も同じよ。異常を最初に見つける者と、最後まで処理する者を同じにすれば、昨夜の私を担当として固定するだけになるわ」
「自分で言うか」
「あなたがまた割り振る前に言っているの」
氷台の上では、ピィロが温かな小石をくちばしで転がしていた。自分の名が聞こえるたびに顔を上げるが、仕事の話には加わらず、小石の位置へこだわっている。
晴真は並べた木札を見下ろした。
得意な者へ任せれば効率がいい。そう考えた。だが季節も体調も変わる土地で、得意分野はそのまま逃げられない役目になる。
「撤回する」
晴真は木札をまとめて裏返した。
「担当する人間を先に決めるのをやめる。何が起きたら、誰が知らせ、誰が作業し、誰が止めるかを分ける」
「今度は随分、面倒な方を選びますね」
「選べる不便なら認めるって、昨日言ったからな」
「覚えていたんですか」
「言った本人だからな」
食事を終えると、四人は共用空間から連絡路へ出た。朝の冷え込みは緩み始めていたが、春性居室の蔓はまだ眠ったままだ。花粉の香りも薄く、セナトの翅の動きには普段ほどの軽さがない。
晴真は木札を持たず、実際の場所を指した。
「ここで何が分かる?」
「壁の呼吸が弱いか。根が板を押していないか。歩いて危険がないか」
「できることは?」
「状態を伝えるところまでです」
セナトは連絡路の端へしゃがみ、板の隙間をのぞいた。
「枝を選んで絡ませる程度ならできます。でも春を強める責任は引き受けません。今の僕では、植物の要求と自分の都合を間違えるかもしれないので」
「それでいい。状態を伝える役と、手を入れる役は別にする」
「晴真が春を足したいと言っても?」
「知らせたお前に決定まで押しつけない。俺がやりたがっても、止める奴を別に置く」
フィエルナが冬性居室の入口へ立った。
「冬側の停止条件は三つ。居室の冷気が共用部へ広がり続けること。休眠が必要な範囲を越えること。担当する者が、自分で判断を続けられないほど消耗すること」
「最後の判断は本人か?」
「本人だけでは遅れる場合があるわ。昨夜のように、他者が異常を指摘した時点でも止める」
氷台の上からピィロが「ピィ」と鳴いた。
「お前の指摘も入っているそうだ」
晴真が言うと、ピィロは胸を膨らませた。フィエルナは否定せず、氷台の端を指で軽く叩く。
「鳴き方や行動に明確な拒否が出た場合も、継続の根拠にはしないわ」
「では、ピィロの役も決めるか」
晴真は春側の壁際を指した。昨夜、セナトが暖を取った場所だ。
「ここが冷えたときだけ、少し温めてもらう。どうだ、ピィロ」
ピィロは指された場所を見た。
次に晴真を見た。
そしてくるりと背を向けると、連絡路の脇に置かれた温かな小石のそばへ移り、身体を丸めた。
「見事に断られましたね」
「報酬の交渉以前の顔だな」
晴真は呼び戻さなかった。手のひらを見せてもいない。
「ピィロは担当に入れない。自分から対象へ近づいて、熱を使う意思があるときだけ借りる」
「離れたら加温終了ね」
フィエルナが即座に加えた。
「途中で別の物へ興味を移した場合も同じ。追いかけて続けさせない」
「それだと、必要な時に当てにできませんよ」
「最初から、当てにしすぎない仕組みにする」
晴真は眠る蔓へ触れず、春性居室の入口から手を離した。
季節替えを使えば、今すぐ春を強めることはできる。だが、春を足さないと決めても、眠っている植物が勝手に目覚めるわけではない。弱った花粉魔法も戻らない。
だから、動けない時にも残れる形が必要だった。
共用空間へ戻ると、晴真は卓上へ三枚の木札だけを置いた。
「知らせる。作業する。止める。この三つは、同じ奴が持たなくていい」
「不参加は?」
セナトが尋ねた。
「理由を説明できなくても断っていい。体調でも、季節でも、今日はやりたくないでもいい。ただし、担当できないと分かった時点で伝える」
「止めた後は?」
「農家、完成済みの居室、迂回路を使う。必要なら四辻宿へ退く。未完成の方法で埋めない」
フィエルナは三枚の木札を順に見た。
「停止を決めた者へ、復旧までの責任を負わせないことも加えて」
「採用する」
「決断が軽いわね」
「正しいと思った案を、重そうに採用する趣味はない」
セナトが吹き出した。ピィロは笑い声へ反応して近づいたが、晴真が先ほど示した春側の位置へは行かず、卓の脚元に温かな小石を置いた。
「参加する仕事は自分で選ぶ、か」
「ピロロ」
晴真は小石を拾わず、その場へ残した。
昼が近づくころ、合意した内容を実際の動線でもう一度確かめた。セナトは連絡路を歩き、根の隆起がないことを伝えた。フィエルナは冬性居室の入口で冷気の範囲を見て、作業不要と判断した。晴真は二人の報告を受けたが、追加の季節は移さなかった。
共用空間へ戻ったところで、晴真はセナトへ向き直った。
「春がもっと弱くなったら、残る義務はない」
「今さら追い出す準備ですか?」
「逆だ。残ると言わせるために、逃げ道を塞ぎたくない」
セナトはいつものように肩をすくめかけた。
「では、花が戻るころに、また季節労働者として――」
言葉が途中で止まる。
晴真は急かさなかった。フィエルナも慰めず、ただセナトを見ている。ピィロは二人の間を歩き、先ほどの小石のそばへ戻った。
「僕は、植物と道の状態を伝えます」
セナトの声から軽さが消えた。
「春を強めるかは決めない。できない日は断る。拒否されても、勝手に去ったことにはしない。条件が合わなければ、ここで話し直します」
「ああ」
「春が弱くても――僕は残る」
晴真は胸の奥で、張っていたものがほどけるのを感じた。
「分かった、セナト」
「分かった、で終わりですか」
「お前が決めたことを、俺の許可みたいに言いたくない」
セナトは目を伏せ、それから小さく笑った。
「そういうところは、面倒ですね。晴真」
名前だけが短く落ちた。
晴真は一瞬遅れて笑い返した。
「残る奴に言われるなら、受け入れる」
合意の後も、暮らしは止まらなかった。
四人で昼の共同食を片づけると、セナトは自分の判断で春性居室へ戻った。フィエルナも冬性居室へ向かい、扉の前で一度だけ晴真を見る。
「冬側で異常がなければ、今日は休むわ」
「止める判断も担当のうちだ」
「ようやく理解したのね、クゼ」
ピィロはどちらにも従わず、氷台と温かな小石の間を見比べた末、小石を一つくわえてフィエルナの後を追った。
晴真は共用空間に残り、異なる扉を見渡した。
同じ季節に揃えなくていい。得意な者が永遠に同じ役を背負わなくていい。残ることも、断ることも、止めることも、住む者が選べる。
それは農園の延長でも、便利な宿でもなかった。
「第五季の郷」
口にすると、フィエルナとセナトがそれぞれの扉の前で振り返った。
「異なる季節を選んだまま暮らせる場所にする。役目も、休む時も、自分で決められる郷だ」
「大きな名前を付けたわね」
「まだ受入人数も、外へどう伝えるかも決めてませんけど」
「だから目標だ。完成したふりはしない」
フィエルナは短く息をつき、冬性居室の扉へ手を掛けた。
「では、その名前に冬を含める方法は、私が決めるわ」
「春の側からも注文しますよ」
「受け付ける。断る権利も込みでな」
二つの扉が、順番に閉じた。
共用空間には同じ温度ではない空気が残り、その中央でピィロの置いた小石だけが、穏やかに温かかった。




