【第3話】 小さな夏は穀粒を弾かせる
畑に残った熱を、晴真は指先で探っていた。
「眠ってる株は起こしたくない。でも、この熱を放っておくのも惜しいんだよな」
休眠した虹穀は、昨日と変わらず色を保ったまま静止している。その一方で、刈り取った外周の土には陽だまりのような温かさが残っていた。季節替えを追加していない以上、新しい夏は増えていない。それでも、すでに宿った熱まで都合よく消えてはくれない。
「惜しいという理由で触れば、また範囲を広げる」
隣に立つフィエルナは、眠った株から目を離さなかった。
「広げない使い道を考えてるんだよ、セルクさん」
「考えている間に広がらない保証は?」
「ない。だから見てる」
「見ているだけで止まるなら、昨日の刈り取りは必要なかった」
相変わらず容赦がない。
晴真が返す言葉を探したとき、刈り跡の土がふわりと膨らんだ。
最初は、残った根がまた地面を押し上げたのかと思った。
だが、土の間から現れたのは根ではなかった。淡い金色の綿羽に包まれた、両手に収まりそうなほど小さな雛だった。
雛は土を払うように身体を震わせた。丸い羽毛が一度大きく膨らみ、すぐに元の形へ戻る。頭上には、細い陽炎が揺れていた。
「鳥……ではないな」
晴真が一歩踏み出すと、金色の雛は素早く身を低くした。
逃げるかと思ったが、こちらには来ない。晴真とフィエルナの間を見比べた後、温かな土の上へ腹をつけた。
「捕らえるな、クゼ」
「捕まえるつもりはない」
「今、手を出しかけた」
「近くで見たかっただけだ」
「相手には違いが分からない」
それはその通りだった。
晴真は手を下ろし、金色の雛から二歩離れた。追われないと分かったのか、雛は小さく首を傾げる。だが、二人への興味は長く続かなかった。
農家の前には、選別の途中で運び出した虹穀が少量置かれている。保存候補とは分けてあったが、まだ食用にするか決めていない粒だった。
金色の雛の顔が、そちらへ向いた。
「あ」
丸い身体が跳ねた。
飛んだというより、羽ばたきに押されて転がるような動きだった。金色の雛は虹穀の前へ着地すると、迷いなく身体を寄せる。
「クゼ、離せ」
「俺が近づけば逃げる。何をするか見る」
「保存分へ熱が届けば、昨日の休眠が無駄になる」
「なら、守る方を頼む」
フィエルナは晴真を鋭く見たが、反論より先に動いた。
虹穀の保存候補と種候補の前へ、細い氷の線が走る。線は金色の雛を囲まず、農家側へ抜ける道も残していた。守る範囲だけを切り分けた境界だった。
金色の雛が振り向く。
「チチッ」
薪が小さく爆ぜるような音とともに、羽先が橙色へ変わった。
フィエルナは触れようとしない。氷の線から先へ冷気を広げることもなかった。
雛は一歩だけ境界へ近づき、くちばしを下げる。羽先から熱が流れ、氷の線へ触れた。白い蒸気が細く立ったが、氷は雛へ伸びない。
「試してるのか」
「凍らされるかどうかを見ている」
「ずいぶん慎重な雛だな」
「夏性の幼体が、冷気を警戒するのは当然だ」
フィエルナは、橙色に光る羽先と頭上の陽炎を見つめた。
「季節の力から生まれる生物がいる。季精獣と呼ばれるものだ。この熱と姿なら、陽片雛だろう」
「季精獣。陽片雛か」
晴真が名を口にした途端、陽片雛は胸を膨らませた。
「今のは反応したのか?」
「違う。熱を強めている」
「そっちか」
虹穀へ寄せた身体から、目に見えない熱が広がった。
粒が乾いた音を立てる。
一つ。
二つ。
次の瞬間、虹穀が一斉に弾けた。
ぱぱぱぱん、と小気味よい音が農家前へ響き、色づいた粒が白く花開いて跳ね上がる。陽片雛は驚いて一歩退いたが、すぐに羽毛を大きく広げた。自分が起こした変化だと理解したらしい。
「ピロロ!」
誇らしげな声だった。
「保存候補へは?」
フィエルナが即座に振り返る。
氷の境界の向こうに置いた束は、色も形も変わっていない。休眠中の畑にも目立った動きはない。
「届いていない。だが、こちらの分は戻せない」
弾けた粒を見下ろし、フィエルナは短く言った。
「そうだな」
晴真にも、元の穀粒へ戻せる感覚はなかった。加熱はすでに起きた。季節替えを使わなかったからといって、陽片雛が与えた夏まで消えるわけではない。
損失ではある。
だが、立ち上る匂いは焦げ臭くなかった。煎った木の実に、熟した果実の甘さを混ぜたような香りがする。
晴真はしゃがみ込んだ。
「触るな。内部までどう変わったか分からない」
「だから俺が試す」
「判断が早すぎる」
「捨てる判断よりは遅い」
晴真は弾けた粒を一つ拾い、手のひらで転がした。熱が引くまで待ち、表面を割って確かめる。黒ずみも、妙な汁もない。
口へ入れる。
さくり、と軽い音がした。
元の虹穀にあった噛み応えは消え、代わりに薄くほどける食感がある。噛むほど、青い粒に似た爽やかな甘みと、赤い粒に近い果実の香りが強くなった。
「うまい」
陽片雛の羽毛が、さらに膨らんだ。
「ピロロ」
「褒めたつもりはなかったんだが、伝わったらしいな」
「味だけで安全を決めるな」
「分かってる。比べる」
晴真は弾けていない虹穀を少量だけ取り分けた。農家の炉へ戻り、保存分とは離したまま、乾いた鍋で慎重に温める。
粒は香りを増したが、硬いままだった。さらに熱を加えても、表面が乾き、一部が焦げかけるだけで、陽片雛が作ったようには均一に開かない。
農家前へ戻ると、陽片雛は氷の境界から距離を取りつつ、まだ同じ場所にいた。
「普通の火じゃ駄目だ」
晴真は二種類の粒をフィエルナへ見せた。
「こっちは熱くなっただけ。あっちは中から弾けてる。生きた夏の力が、虹穀の中に隠れていた性質を引き出したんだ」
「可能性は認める」
「ずいぶん素直だな」
「保存分へ近づけてよいとは言っていない」
「そこは譲らないか」
「譲る理由がない」
晴真は笑い、弾けた粒を一つ地面へ置いた。陽片雛との間には手が届かないほどの距離を残す。
「ほら、ちび太陽。お前が作ったんだろ」
陽片雛は動かなかった。
呼びかけに反応した様子はない。けれど晴真が粒をもう一つ食べると、丸い胸をまた膨らませた。
晴真が手を伸ばさずにいると、陽片雛は少しだけ近づいた。置かれた粒をつつき、すぐに後ろへ跳ぶ。捕まえられないと分かるまで、こちらをじっと見ていた。
「食べないのか?」
陽片雛は弾けた粒へ再び近づき、今度はくちばしで横へ押した。自分で食べるより、晴真がどう反応するか確かめたいらしい。
晴真が拾って口へ入れると、陽片雛は「ピィ」と短く鳴いた。
「役に立ったって顔だな」
「推測で都合よく解釈するな、クゼ」
「でも、得意げなのは否定しないだろ」
フィエルナは陽片雛を見た。
陽片雛も見返す。氷の境界へ一度だけ熱を当てたが、それ以上は近づかなかった。
「陽片雛」
フィエルナの呼びかけに、雛は羽先をわずかに光らせる。
「この内側へ熱を入れるな」
言葉を理解した様子はない。ただ、フィエルナが氷の線を指したことには注意を向けていた。
晴真は弾けた粒と、守られた保存候補を見比べた。
「次に来るなら、熱を使っていい場所を分ける必要があるな」
「来ると決まったわけではない」
「決まってないから、囲わない。来たときに選べるようにする」
「熱源として置いておくつもりなら許可しない」
「熱源じゃない。勝手に熱を使う相手だ。だから、使っていい範囲を見せる」
フィエルナはすぐには答えなかった。氷の線の外で丸く膨らむ陽片雛と、線の内側に守られた虹穀へ交互に目を向ける。
「境界を越えれば止める」
「そのときは先に俺にも言ってくれ」
「止める必要があるなら、先に止める」
「監視者として正しい返答だな」
陽片雛は二人の声を聞きながら、急に農家から離れた。
短い羽ばたきで畑の縁へ跳び、そこから金色の塊のように草の向こうへ消える。晴真は追わなかった。
姿が見えなくなる直前、陽片雛が一度だけ振り返った。
農家と、眠った畑と、晴真たちを見る。
それから小さく「ピィ」と鳴き、今度こそ姿を消した。
農家前には、白く弾けた虹穀が残った。
再栽培の答えにはならない。保存食が完成したわけでもなく、水や食料の不足も変わっていない。
それでも、用途のなかった夏の熱は、新しい味を一つ残した。
晴真は弾けた粒をつまみ、隣へ差し出した。
「セルクさんも食べるか?」
「一つだけだ」
フィエルナは粒を受け取り、慎重に口へ運んだ。
軽い音がする。
「どうだ?」
「香ばしい」
「昨日より感想が長い」
「次は保存分から離れた場所でやれ」
「次があればな」
晴真は陽片雛が消えた草むらへ目を向けた。
呼べば戻るわけではない。熱の加減も、こちらの言葉も分からない。仲間と呼ぶには、まだ何も始まっていなかった。
ただ、無関係なままでもなくなった。
農家前に残った小さな夏の匂いを、冷たい風がゆっくり運んでいった。




