【第26話】 同じ食卓、違う一皿
「その朝飯、部屋へ持っていくのか?」
晴真が声をかけると、セナトは二つの器を抱えたまま足を止めた。一方には湯気の立つ虹穀の粥、もう一方には冬蜜を添えた冷たい虹穀が入っている。
「僕は春の部屋で。こちらは冬の部屋へ運びます」
冬性の訪問者も、小さくうなずいた。
「同じ場所で食べるより、その方が落ち着きますので」
二人は同じ夜を越し、同じ共用部へ出てきた。それでも食事になれば、また別々の扉へ戻っていく。
晴真はその背中を見送りかけて、やめた。
「昼は一緒に食う」
「決定ですか?」
「全員が食べられる一皿を作る。せっかく寝床を並べたのに、飯だけ別室じゃ郷になった気がしない」
「全員向け、ね」
フィエルナが冷たい虹穀の器を見た。
「誰の好みを基準にするの?」
「真ん中だ。熱すぎず、冷たすぎず。香りも甘味も強すぎない」
「既に美味しくなさそうですね」
セナトの言葉に、晴真は眉を寄せた。
「食う前から失敗扱いするな」
「では、成功したら僕が謝ります」
「いいだろう。昼までに謝らせる」
農家の調理場所へ移ると、晴真は生活分と採種分を避け、虹穀と夏石芋、冬蜜を少量ずつ取り分けた。
虹穀を柔らかく炊き、潰した夏石芋を混ぜ、最後に冬蜜を落とす。冷たさを残せばセナトには重く、熱を上げれば訪問者とフィエルナには強すぎる。晴真は器を火から離し、冷気にも当てず、手で触れて温かいとも冷たいとも言えないところまで待った。
見た目だけなら悪くない。淡い虹色の穀粒へ白い芋が絡み、冬蜜が薄く光っている。
「完成だ」
「どの季節の料理なの?」
「全員の季節だ」
フィエルナの視線が、料理より先に晴真へ刺さった。
まず冬性の訪問者が口へ運んだ。ゆっくり噛み、器を置く。
「食べられます」
「その言い方は危険だな」
「温度が、落ち着きません。冷たさを待つには温かく、温かさを楽しむには冷えています」
フィエルナも一口食べた。
「冬蜜の甘味が鈍いわ。冷えていれば静かに残る味が、途中で消えている」
セナトは香りを確かめ、首を傾ける。
「夏石芋は温めた方が芽吹き香を立てます。これは、眠い芋ですね」
「芋にまで眠そうと言われるのか」
最後の判定を求めて、晴真はピィロの前へ小皿を置いた。
ピィロは一度だけくちばしを近づけた。だが香りを嗅ぐと、興味を失ったように背を向け、窓辺の日だまりへ歩いていく。
「お前までか」
「誰も不味いとは言っていませんよ」
「誰も二口目を食ってない」
晴真自身も口へ運んだ。甘い。柔らかい。腹にはたまる。だが、虹穀の香ばしさも、夏石芋の温かな香りも、冬蜜の澄んだ甘味も、互いに遠慮して引っ込んでいる。
全員へ譲った結果、誰も選びたくない味になっていた。
「負けた」
晴真は匙を置いた。
「潔いわね」
「これを公平だと言い張ったら、次から試食してもらえなくなる」
「なら、鍋の中で全部を完成させるのをやめな」
入口から声が飛んだ。
マルタは晴真の返事を待たず、残った料理を一口すくった。噛み終えると、容赦なく言う。
「同じ味に揃える必要はない。同じ収穫を、捨てずに分けられれば十分だ」
「材料を別々にする?」
「逆だ。途中まで一緒にする」
マルタは虹穀、夏石芋、冬蜜を順に指した。
「腹を支える部分は虹穀で共通にする。芋と蜜は最後に分けろ。一鍋で全員の好みまで決めようとするから、どれも弱くなる」
晴真は炊いた虹穀を見た。
「共通なのは完成品じゃなく、土台か」
「来年へ残す種も、今日食べる穀も、元は同じ収穫だ。それで困る者はいない」
「フィエルナ、反対は?」
「秋の実りを加える対象を虹穀だけに限るなら。冬蜜まで変えないで」
「決まりだ」
晴真は新しく取り分けた虹穀だけを対象に選んだ。
そこへ移すのは、秋の実り。粒の奥に眠る味と腹持ちを、今食べる分だけ前へ出す。能力を重ねると、虹色の粒が少し濃くなり、乾いた穀物の香りが豊かに広がった。
移した実りは、手を離しても消えない。晴真はそれ以上を加えず、虹穀を三つの器へ分けた。
「ここからは別々に完成させる」
「それなら僕は温かい方を」
セナトが夏石芋を潰し、温めた虹穀へ混ぜる。湯気とともに青い芽を思わせる香りが立ち、彼の翅が嬉しそうに震えた。
冷たい仕上げは、フィエルナとマルタが受け持った。
フィエルナが虹穀へ薄い休眠を与えると、粒の動きが静まり、表面の熱が落ち着いていく。そこへ冬蜜を落とせば、甘味は急に広がらず、舌の上へゆっくり残るはずだった。
「もう少し休ませるわ」
「長い」
マルタが即座に返した。
「粒が締まりすぎる。冬蜜を乗せても噛み心地が死ぬ」
「まだ中心に熱が残っている」
「食べる者は種じゃない。眠らせすぎるな」
「保存しているのではなく、甘味を落ち着かせているの」
「なら、落ち着いた瞬間を見ろ。完全に止まるまで待つな」
二人は同じ器から粒を一つずつ取り、指で割った。フィエルナは中心の温度を確かめ、マルタは歯触りを見る。片方の記録だけで決めず、もう一度、短く休ませた。
「今よ」
「今だ」
声が重なった。
マルタが先に粒を噛み、フィエルナが冬蜜を一滴落とす。
「甘味は残っている」
「食感も落ちていない」
二人は互いの顔を見た。譲った様子はない。ただ、次も同じ境界を使うと決めた者の目だった。
「次の冷仕上げも、この時点で止めるわ。マルタ」
「呼び方だけ変えて、判断まで甘くするんじゃないよ、フィエルナ」
「その心配は不要よ」
「なら結構」
短いやり取りの後、二人は次の器へ同時に手を伸ばした。
夕方、共用の食卓には三つの仕上げが並んだ。
冬蜜を乗せた冷たい虹穀。夏石芋の芽吹き香が立つ温かな虹穀。そして、晴真の前には秋味を強く残した香ばしい虹穀がある。
配膳を待っていたピィロが、冷たい皿へ近づいた。冬性の訪問者の器から熱がないと分かると、羽先を橙色に光らせる。
「ピィロ」
晴真が低く呼ぶ。
同時にフィエルナが、冷たい二皿の手前へ細い氷線を引いた。
ピィロは止まった。冷たい皿、氷線、晴真の顔を順に見て、くちばしを閉じたまま不満そうな音を漏らす。
「それは元気がないんじゃない。冷たいままで完成だ」
「ピィー」
「温めていいのは、こっち」
晴真が自分の小皿と、セナトが取り分けた温仕上げを示した。
ピィロはすぐには動かなかった。しばらく二つを見比べてから、自分の小皿へ歩み寄る。羽毛を膨らませ、そこだけへ熱を送った。
虹穀の表面がぱちりと弾け、香ばしい匂いが立つ。
「僕の方もお願いします、ピィロ」
セナトが器を寄せると、ピィロは一度胸を張り、許された分だけを温めた。冷たい皿へは戻らない。
「仕事を選べたな」
晴真が言うと、ピィロの綿羽が太陽の輪のように広がった。
全員が席につく。
冬性の訪問者は冷たい虹穀を口にし、今度はすぐ二匙目を取った。
「これは落ち着きます。冬蜜の甘さが、後から残る」
「休ませすぎてはいない?」
フィエルナが尋ねる。
「いいえ。噛めば粒の味も分かります」
マルタが満足そうに鼻を鳴らした。
セナトは温かな皿へ顔を近づけた。
「香りだけで春の朝みたいですね。晴真さん、冷たい方も一口交換しませんか?」
「さっきまで別室で食うつもりだったのに、急に積極的だな」
「同じ味ではないなら、比べたくなります」
晴真も冷たい仕上げを一口もらった。澄んだ甘さが遅れて広がる。温かな方は夏石芋の香りが強く、ピィロの加温仕上げは粒の端が弾けて歯触りまで違った。
同じ虹穀なのに、誰の皿も同じではない。
「全員向けの一皿は失敗したが」
晴真は食卓を見回した。
「全員が選べる食卓にはなったな」
「最初からそう言えば、昼の鍋は要らなかったわ」
「失敗したから分かったんだよ」
「その鍋も捨てるんじゃないよ」
マルタが残りを指した。
「温仕上げに回せる分と、冷やして残せる分へ分ける」
食後、余った虹穀は仕上げ前のもの、冷たいもの、温めたものに分け、それぞれ既存の貯蔵場所へ戻した。誰か一人の好みに合わせて作り直すのではなく、次に選べる形を残した。
夕暮れの食卓には、冬蜜の冷たい甘さと夏石芋の温かな香りがまだ混じっている。
セナトと冬性の訪問者は、それぞれ違う器を空にしていた。それでも立ち上がるまでは、同じ場所にいた。
「次は、ここまで毎回迷わず来られる道ですね」
セナトが居室の方角を見る。
「食卓は待ってくれますが、季節は道の途中で変わりますから」
晴真は窓の外へ目を向けた。
同じ料理を食べる必要はない。だが、好きな一皿を持って同じ場所へ来るには、まだ足りないものがある。
「なら次は、飯が冷める前に歩ける道だ」
その言葉に、ピィロが満腹の腹を揺らしながら「ピロロ」と鳴いた。




