【第25話】 季節のない廊下
「春の部屋を、もう一つ大きくするのはやめよう」
晴真がそう言うと、植物性住居の入口で葉を整えていたセナトが振り返った。
「僕は広くても困りませんよ」
「セナトはな。今度泊まりたいと言ってる人は、ここじゃ眠れない」
春霧の向こう、農家の軒下には厚手の外套をまとった訪問者が立っていた。農園の評判を聞き、冷えた場所でなければ十分に休めないと申し出た者だ。
試しに植物性住居へ入ってもらったが、開いた葉から落ちる雫と柔らかな温気に、ほどなく外へ出てきた。
「息が詰まるほどではありません。ただ、朝まで眠るのは難しいでしょう」
訪問者は住居を否定せず、そう結論づけた。
「なら、隣に冬の部屋を作る」
晴真は植物性住居の横へ視線を移した。
「同じ場所に泊まれて、好きな方を選べるようにする」
「冬を必要とする者だけ、農園の端へ追いやる配置にはしないで」
フィエルナが条件を加えた。
「部屋が冷えていても、そこへ入るまで一人で遠くを歩かせるなら、居場所とは呼べないわ」
「隣なら問題ない?」
「近ければよいとは限らないけれど、試す価値はある」
「では、春側は僕が調整します」
セナトは壁の葉を一枚つまんだ。
「冬が悪いと言って逃げるのは簡単ですからね。僕の部屋が何を出しすぎているのか、先に見ておきます」
こうして、二つの居室を並べる試作が始まった。
晴真は植物性住居の隣を区切り、冬性居室の内側だけへ冬の性質を移した。土から熱が抜け、壁際の空気が澄む。フィエルナが冷気を整えると、床には薄い霜が広がり、訪問者はそこでようやく肩の力を抜いた。
春側ではセナトが花を減らし、重なりすぎた葉を切り分けた。夜は従来どおり壁を眠らせ、朝に入口と採光部だけを起こす。
最初の夕方までは、うまくいっているように見えた。
だが翌朝、二つの扉の間に白い塊ができていた。
「道が育ったんじゃなくて、道が凍ったな」
晴真は出入口を塞ぐ氷を靴先で叩いた。春側から流れた湿気が、冬側の冷気に触れて凍りついている。薄い膜ではない。夜の間に重なった水が、扉の下から壁際まで硬く固まっていた。
ピィロが近づき、低い「チチッ」という音を鳴らす。光る羽先を氷へ向けたが、冷気を嫌ってすぐ晴真の後ろへ回った。
「境界をもっと強くするか」
晴真は春側と冬側の間を見比べた。
「春の湿気を扉の内側へ押し戻して、冬の冷気も――」
「季節を重ねる場所を増やせば、次は壁か天井が凍るわ」
フィエルナが短く退けた。
「狭い境界で春と冬を押し合せても、干渉する場所が移るだけよ」
「では、離す?」
「部屋は離さない」
訪問者が口を挟んだ。
「冬の部屋を望みましたが、他の者から隔てられたいわけではありません」
セナトが凍った床へしゃがみ込み、氷の端を指でなぞった。
「春を減らす余地はあります。花を半分閉じたままにして、葉も今より少なくする。少し乾きますが、眠れなくなるほどではありません」
「セナトの快適さを削ることになるぞ」
「選んで削るなら、押しつけられるのとは違います」
彼は顔を上げ、二つの扉の間を示した。
「ただ、春を減らしても、ここに冬が届けばまた凍ります」
「なら、ここには何も置かない」
フィエルナが言った。
晴真は一瞬、意味を取り違えた。
「何も?」
「春も冬も与えない短い空間を挟むの。居室の扉より内側だけに季節を留める。ここはただの床と壁にする」
「季節を選べる場所を作るために、季節のない場所を置くのか」
「全員へ何かを与える必要はないでしょう」
その言葉に、晴真は凍った境界を見下ろした。
前なら、空いた場所を見れば別の季節で埋めようとした。温度も湿気も使い方も、能力で整えれば完成に近づくと思っていた。
だが、二人が扉を開けて顔を合わせる場所まで、どちらかの快適さへ染める必要はない。
「決めた。部屋だけに季節を入れる。間は対象外だ」
「珍しく、減らす決断が早いわね」
「失敗が床に張りついてるからな」
まずは凍った水を取り除かなければならなかった。
晴真たちは氷を薄く削り、割れた塊を容器へ移した。季節替えで消そうとはしない。凍った水は既にそこにあり、追加使用を止めてもなくならない。
集めた水は、冬苔へ少しずつ吸わせた。冷えた苔は水分を含むにつれて厚みを増し、淡い蜜の香りを返す。
ピィロが興味を引かれ、冬苔へ近づいた。羽先が橙色に灯る。
「ピィロ、待て」
晴真が手のひらを見せる。同時にフィエルナが苔の手前へ細い氷の線を引いた。
ピィロは線の前で止まり、晴真と冬苔を交互に見た。くちばしを閉じたまま、不満そうに湯気の抜ける音を鳴らす。
「温める仕事じゃない」
「ピィー」
「見てるだけなら頼む」
ピィロはしばらく胸を膨らませていたが、やがて熱を引っ込めた。氷線の外へ座り、冬苔が水を吸い終えるまで動かなかった。
セナトは春側の花を選び直し、朝に開く数を減らした。湿気を抱え込む葉も切り分け、入口へ流れる雫を外側へ逃がす。
フィエルナは冬性居室の範囲を扉の内側へ引き戻した。
「冷気がこの線を越えたら、その日の使用は止める。床に霜が残る程度ならよいけれど、扉の外で水が凍れば範囲が広すぎる」
「停止した後も、凍った分は残る」
「ええ。だから毎朝、床を見る必要があるわ」
晴真は春側の入口と採光部だけへ成長を移し、冬側は居室内部だけを直接対象に選んだ。
二つの扉の間には手を出さなかった。
春の葉が揺れる入口。薄い冷気をたたえた冬の扉。その間には、土を固めただけの短い床が残った。花も霜もなく、光も色も目立たない。
完成というには、あまりに地味な場所だった。
だがピィロがそこへ足を踏み入れても、羽先は光らない。冷気に身を縮めることもなく、二つの扉を見比べて首を傾げた。
数日の調整後、試験宿泊の日が来た。
夕食を済ませると、セナトは春性居室へ入り、自分で入口の葉を確かめた。冬性の訪問者は反対側の扉を開き、冷えた空気へ深く息を吸う。
「こちらを使います」
誰かに割り当てられたのではなく、本人が選んだ答えだった。
「異常があれば農家へ」
晴真が告げる。
「農家まで行く前に、ここを通れるか確かめておきます」
訪問者は冬側の扉から共用部へ出た。セナトも春側から顔を出す。
二人の間には、冷気も花粉も流れていない。
「夜中に僕の花が起きたら、先に叩いてください」
「壁をですか?」
「僕をです」
「起きるのなら、眠れていないのでは」
「厳しい判定ですね」
扉越しに言葉を交わし、二人はそれぞれの部屋へ戻った。
夜半、晴真は農家の窓から居室の方角を見た。ピィロは暖炉の近くで丸まり、戸口へ警告に来る様子はない。
翌朝、二つの扉の間の床は乾いていた。
晴真が春側の入口と採光部へ成長を移すと、葉が朝日へ向かって開く。冬側ではフィエルナが定めた範囲に冷気が保たれ、扉の外へ霜は出ていない。
先に春側の扉が上がり、セナトが出てきた。翅を広げ、朝の霧を確かめる。
続いて冬側の扉が開いた。訪問者は外套を整え、共用部へ足を置いた。
二人は、季節の色が消えた短い床の上で向かい合った。
「眠れましたか?」
セナトが尋ねる。
「ええ。あなたの部屋の音も聞こえませんでした」
「こちらも凍る音は聞こえませんでした。褒め言葉としては不思議ですが」
訪問者はわずかに笑った。
ピィロが二人の間を駆け抜け、「ピロロ」と鳴く。春の扉へ寄ってから冬の扉を避け、最後は何もない床の中央へ戻って胸を膨らませた。
「そこはピィロの成果じゃないぞ」
「見守っていたものね」
フィエルナが言うと、ピィロの綿羽が太陽の輪のように広がった。
「褒めるのかよ」
「熱を使わなかったことを評価しただけよ」
「次は何も温めない仕事を探し始めるぞ」
晴真は乾いた床を踏み、左右の扉を見た。
一方には朝の葉が揺れ、もう一方には静かな冷気が残っている。どちらかを薄めて同じにしたのではない。異なるまま眠り、同じ場所へ出てこられた。
「寝床はできた」
晴真が言う。
「次は、ここから同じ場所へ飯を食いに行けるかだな」
「食事まで無季節にするつもり?」
「それは味がなさそうだから却下」
「まだ何も決めていないのに、却下だけは早いですね」
セナトが笑う。
春と冬の間に残された静かな床は、何も生み出さなかった。
だからこそ、二人がそれぞれの季節を選んだまま、同じ朝へ出てくる場所になっていた。




