【第22話】 春をつなぐ道
「商品じゃなくて、ここでできる仕事を見たいんです」
納屋の棚を横目に、花翼の季節労働者はそう言った。
背から伸びた薄い翅には、淡い花粉がまとわりついている。芽吹き林の方角から歩いてきたらしく、衣服の裾には湿った草の種がいくつも付いていた。
晴真は閉じかけていた納屋の扉から手を離した。
「仕事ならある。春区画を広げたいと思ってたところだ」
「広げる、ですか」
「春霧を集めて、春性の植物を育てる場所にする。林へ戻らなくても働けるくらい濃くすればいい」
交易で得た物資を、商品棚や畑だけへ注ぎ込むつもりはなかった。廻季原を、品物を買って帰るだけの場所から、過ごしたいと思える場所へ変えたい。
最初の相手が春を必要とするなら、春を用意すればいい。
だが、花翼の季節労働者は農園の春区画と芽吹き林を交互に見た。
「そこだけ春でも、林と切れていたら長くは働けません」
「春霧の濃さが足りない?」
「濃さだけじゃないです。流れてくることが大事なんですよ。閉じた春は、花瓶の中の枝みたいなものです。咲いている間は綺麗でも、根を張る場所にはならない」
晴真は口を閉じた。
相手のために春を用意する。その考え自体が、もう自分の完成図を押しつける形になっていた。
「じゃあ、欲しいのは区画じゃない?」
「林からここまで、春が途切れない道です。仕事場は、その先で選べます」
答えははっきりしていた。
晴真は笑った。
「それ、面白いな。俺は久瀬晴真。こっちはフィエルナとピィロだ」
「セナト・リーヴです。春霧を追って働いています」
「セナト。道を作るなら、どこを通したい?」
「晴真さん、話が早いですね」
「さっき一回外したからな。次はそっちの完成図を聞く」
セナトは目を細め、それから農園の外縁へ歩き出した。
芽吹き林と廻季原の間には、草の薄い開けた地面が続いている。春霧は林を離れるほど薄くなり、農園へ届く前に散っていた。
セナトは地面へしゃがみ込み、点々と伸びる蔓を指で持ち上げた。
「これを使えます。囲うんじゃなく、林から農園までつなげる。霧が葉の間を通れるように、低いところと高いところを作りたいです」
「蔓なら春の成長を移せる」
「地面いっぱいに増やさないでくださいね。歩けなくなりますから」
「先に釘を刺された」
「晴真さんの顔が、全部育てたい顔をしていたので」
背後で、フィエルナが短く息をついた。
「判断は正しいわ」
「二対一になってないか?」
「まだ作業は始まっていないでしょう」
フィエルナは冬区画と貯蔵設備の位置を確かめ、地面へ細い氷の線を引いた。
「ここから先へ蔓と湿気を入れないで。冬区画の境界と、貯蔵設備へ続く地面は残す」
「春を止めるんですか?」
セナトの声は明るいままだったが、翅がわずかに閉じた。
「この線の内側だけよ。あなたの春を消すつもりはない。残す冬まで覆われるなら、私は協力しない」
「なるほど。春が嫌いだからではなく、越えてほしくない場所がある」
「同じ意味に聞こえた?」
「少しだけ」
「では、今ので違うと覚えて」
セナトは氷の線を見つめ、やがて笑った。
「分かりました、フィエルナさん。線までは近づけません」
「守れるなら、育て方は任せるわ」
晴真は自分が考えていた春区画の位置を靴先で消した。
「決まりだ。春を集めるのはやめる。林から春を連れてくる道にする。俺が触るのは、この蔓だけだ」
蔓の根元を一つずつ選び、季節替えの対象を絞る。
林の春から取り出したのは、植物を押し上げる成長の性質だった。晴真の手の下で、細かった蔓が震える。節から新しい芽が開き、緑の先端が地面を這い始めた。
「伸びる方向は?」
「僕が決めます」
セナトが指を鳴らすと、翅から舞った花粉が薄い帯になった。花粉は芽の先へまとわりつき、左右へ散りかけた蔓を一本の流れへ集めていく。
蔓は地面を覆うだけではなかった。途中で互いに絡み、持ち上がり、緑の弧を作る。そこへ別の枝が重なり、葉が小さな屋根のように開いた。
「それが、花粉を使う魔法か」
「花粉魔法です。無理に形を作るんじゃなくて、どちらへ伸びたいかを少し揃えます」
晴真は蔓の勢いを保ち、セナトは行き先を導く。
葉の屋根が一つ、二つと連なった。林から流れた春霧が葉裏にまとわりつき、薄い白緑の筋となって農園側へ伸びてくる。
「ピィ?」
揺れる葉と花粉へ、ピィロが首を傾げた。
止める間もなく、自分からセナトの近くへ走り寄る。捕まえようとしなかったセナトは、代わりに花粉をまとった小さな花を一輪、地面へ置いた。
「君がピィロ?」
「ピィ」
ピィロは呼びかけへ一瞬だけ顔を上げた。それから花へ近づき、羽先を橙色に光らせる。
「それ、温めると――」
セナトが言い終える前に、花がぱっと開いた。
同時に、周囲の葉まで一斉に広がる。頭上の葉屋根が傘を開くように膨らみ、セナトの顔へ柔らかな葉先が落ちてきた。
「うわっ」
「ピィッ」
驚いて飛び退いた二者が、そろって葉を見上げる。
次の瞬間、セナトは吹き出した。
「君、夏を足したんだ。勝手に」
ピィロは胸を膨らませたが、もう一度熱を加えようとはしなかった。セナトの翅から落ちる花粉と、揺れる葉の間を行き来し、何が起きたのか確かめるように首を動かしている。
「面白い相手を見つけたな」
「扱える気はしませんけどね」
「正しい判断よ」
フィエルナが言うと、ピィロは不満そうに背を向けた。
その間にも、地面の下では根が伸びていた。
晴真の足元が持ち上がる。土が割れ、太い根が歩くはずの幅へせり出した。
「止める」
晴真は季節替えの追加を切った。
だが、持ち上がった根は沈まない。蔓の先端も、すでに与えた成長の勢いで動き続けている。
「もっと春を足して、上へ逃がすのは?」
口にしてから、晴真は首を振った。
「いや、悪化するな。増えた根は消えない」
「僕が向きを変えます」
セナトが前へ出た。花粉を低く流し、地面へ向かっていた芽を左右の支えへ誘導する。絡み合った蔓が根の上へ橋のように渡り、さらに上部へ伸びた。
「フィエルナさん、右の先だけ止めてもらえますか。線へ届きます」
「そこだけなら」
フィエルナが指を向ける。氷の線へ迫っていた先端が白く縁取られ、動きを緩めた。凍らせて折るのではなく、境界手前で眠らせている。
晴真は根の間へ溜まった水を外へ逃がし、足を取られる土を脇へ寄せた。張り出した根そのものは残る。だから避ける幅を決め、蔓を左右へ持ち上げて歩行面を確保した。
やがて、芽吹き林から農園まで、葉の屋根が途切れず続いた。
三人と一羽は林側へ回り、実際に通路を歩いた。
葉陰は柔らかく、直射を避けながらも暗すぎない。春霧は葉の間をゆっくり流れ、農園へ向かうほど薄まりながら、完全には途切れなかった。
セナトは晴真たちより先へ進み、途中で立ち止まって翅を広げた。
「ここなら力が落ちません。林へ戻る道も分かる」
「農園まで一人で来られる?」
「この道が暴れなければ」
「そこは今後も見る。今日は通れると分かっただけだ」
農園へ戻ると、晴真たちは既存の食事と水を分けた。セナトは葉陰の入口を眺めながら、食事を口へ運ぶ。
「春区画で、育てたい物はある?」
「何でも、とは言いませんよ」
「言うと思ってない。短期で終えられる仕事を選んでくれ」
セナトは少し考え、春区画の一角を指した。
「まずは、あそこにある植物の育ち方を見ます。林の春霧が入った後で、反応が変わるか確かめたい。僕がいなくても維持できる形までなら手伝えます」
「それで頼む」
「寝床まで用意してくれる、とは言わないんですね」
「まだ言わない。今日作ったのは通う道だ。住める場所じゃない」
セナトは軽く笑った。
「安心しました。最初から住めと言われたら、逃げるところでした」
「逃げ足は速そうだな」
「春霧よりは」
夕方前、セナトは植物の通路を通って芽吹き林側へ戻っていった。今夜も既存の野営地で休む。農園には、彼が眠れる住居も、季節が変わった後まで働ける保証もない。
それでも、葉の屋根は残った。
林から流れ込む春霧が、農園の入口で細く揺れている。商品を運ぶ道ではない。誰かが自分の力を保ったまま、仕事を選びに来るための道だ。
「春を作るより、春につなぐ方が難しいな」
晴真が言うと、フィエルナは葉屋根の端を見上げた。
「あなたが完成形を先に決めなければ、少しは簡単になるわ」
「今日は途中でやめただろ」
「最初に決めた後でね」
ピィロは二人の足元を抜け、セナトが置いていった花の周りを一周した。花はまだ大きく開いたままだ。
「次は住居か」
「通路ができただけよ、クゼ」
「分かってる。だから次は、本当に休める場所を考える」
晴真は葉陰の先を見た。
農園の外から、季節を持った誰かが通ってくる道ができた。
廻季原は今日、畑を一つ増やしたのではない。
帰る場所を残したまま、ここへ来られる入口を得たのだ。




