【第21話】 季節が戻ってくる場所
「それは荷じゃない。置いていけ」
翌朝、晴真が持ち上げかけた袋を、マルタが作業台へ引き戻した。
「分かってる。確認しただけだ」
「確認する手が、ずいぶん持ち上げるところまで進んでたね」
袋には次の作付け用の種が入っている。その隣には村へ回す分があり、どちらも販売品とは離して置かれていた。
荷車へ積むのは、休眠させた春露葉、容器を分けた夏石芋、上限内の冬蜜。それに、硬化夏石芋を使った保温食だけだ。
フィエルナは冬蜜の容器を一つずつ確かめ、最後の一つを荷から下ろした。
「これは出さないわ」
「品質が悪い?」
「違う。残すと決めた分よ」
迷いのない返事だった。
晴真はうなずき、荷を覆う布を結び直した。前なら、売れるなら出したくなっていたかもしれない。だが今回は、売上を増やすことより、決めた線を現場で越えないことが目的だった。
荷車の端では、ピィロが小籠を覗き込んでいる。自分の報酬用の果実が販売品とは別に入っているのを確かめると、ようやく満足そうに胸を膨らませた。
「見張られてるな」
「ピィ」
「晴真。売り物より先に食べられないようにね」
「どっちを心配してる?」
「両方だよ」
マルタは種袋を抱えたまま鼻を鳴らした。
「条件を守って戻りな。売れた話より、何を残したかを先に聞くからね」
「厳しい送り出しだな」
「来年まで続ける気なら、普通だよ」
農家を出た晴真たちは、携行食を取りながら街道を進み、その日のうちに四辻宿へ着いた。
翌日の販売場所には、すでにネロイが客の流れを作っていた。春露葉は水分を含んだ食感を確かめられるよう小さく切られ、夏石芋は温度の違いで甘さが変わる。保温食は冷めにくさを面白がられ、用意した分が次々に客の手へ渡った。
「クゼさん、次は硬化芋をお願いします」
「俺じゃなくて、そっちへ言ってくれ」
ネロイは布の上へ硬化夏石芋を一つ置き、その隣に小さな果実を示した。
「小さな熱源殿。こちらを温めていただければ、こちらをお渡しします」
ピィロは芋と果実を見比べた。しばらくして芋へ近づき、羽先を橙色に光らせる。じわりと熱が入り、硬かった表面から香ばしい匂いが立った。
客が声を上げる。
ネロイはすぐに芋を切り分けたが、ピィロは別の商品へは向かわなかった。果実の前へ移動し、胸を張る。
「報酬ですね」
ネロイが小さな果実を半分だけ置くと、ピィロはぴたりと動きを止めた。
それから、無言で背を向けた。
「少ないってさ」
「交渉相手が厳しい」
「前に約束した量を減らしたら、そうなる」
ネロイはため息をつき、残り半分を足した。
「これでいかがです?」
ピィロは振り返り、二つを確かめてから羽毛を太陽の輪のように広げた。
「ピロロ」
「契約成立ですね」
「見事に値上げされたな」
「信用を失うより安いものです」
販売は順調だった。
問題が起きたのは、冬蜜の容器が残りわずかになった頃だった。
「これで終わりなのか?」
冬蜜を求めて来た客が、空き始めた棚を見て不満をあらわにした。
「次の容器を出してくれ。値が上がっても構わない」
周囲の客も足を止める。買えると思って並んでいた者たちの視線が、一斉に冬蜜へ集まった。
ネロイなら、追加分を並べればすぐ売れる。晴真にも分かった。今日の売上だけを考えれば、これ以上ない機会だ。
だがフィエルナは、残った容器の前に立った。
「販売分はここまでです」
「まだ持っているんだろう?」
「あります。けれど、売るための物ではありません」
「希少だから値を上げたいのか?」
フィエルナの目が冷えた。
「値段の話ではないわ。次の冬蜜を作るために残す分と、保存に使う分です。今日の甘味のために、次へ渡す眠りを削ることはしません」
場の空気が重くなる。
ネロイが晴真へ目を向けた。
「クゼさん。追加分を作る方法は?」
季節替えを使えば、何かできる可能性はある。だが、それは決めた上限を別の形で破るだけだ。今ここで急造した物が、同じ品質になる保証もない。
「やらない」
晴真は即答した。
「今日は決めた量を売る日だ。足りないから作る日に変えない」
客の一人が舌打ちした。
その音を聞きながら、ネロイは冬蜜の棚を閉じた。
「追加販売はありません」
「商人が売らないのか?」
「次も売るためです」
ネロイは、販売分とは別に認められていた試食用の小容器を取り出した。
「ただし、味を知らずに帰る必要はありません。購入できない方には、こちらを一口ずつ。次に出す時期もお伝えします」
フィエルナが小さな匙へ冬蜜を取った。
「冷たさを楽しむだけの蜜ではありません。冬苔が休みながら時間をかけて集めたものです。食材を眠らせ、傷みを遅らせ、次の季節へ残すためにも使う。だから、すべてを今売ることはできません」
短い説明だった。
だが、口へ入れた客の表情が変わった。冷たさの奥からゆっくり甘みが広がり、急いで飲み込むより、舌の上で待つほど味が増す。
「次はいつだ?」
「冬蜜を出せる時期は、事前に知らせます」
ネロイが答える。
「量は今回と同じく限定です。予約による独占は受けません」
「厳しいな」
「セルク殿の条件ですので」
「あなたも同意したでしょう」
「もちろんです」
不満は消えなかった。それでも、怒って帰る者より、次の予定を尋ねる者が増えていく。
晴真は売り場を見渡した。
冬蜜を目当てに来た客が入口付近へ固まり、その先の商品へ目を向けていない。欲しい物が買えないなら、別の商品を押しつけても反発されるだけだ。
なら、順番を変える。
「ネロイさん。冬蜜の試食を奥へ移したい」
「理由は?」
「そこへ行くまでに、今買える季節を通ってもらう」
晴真は春露葉を入口側へ移し、その先へ夏石芋、さらに保温食を並べた。冷たい冬蜜へ向かう途中で、水を含む葉の瑞々しさ、温めた芋の甘さ、熱を保つ食事を順に味わえるようにする。
前世で催事の空間を作っていた頃、目玉だけを正面へ置けば、人はそこへ直行して他を見ない。期待へ至る道そのものを体験にすれば、途中にも意味が生まれる。
「冬蜜を隠すつもりですか?」
「待つ理由は残す。でも、今日は今日で買える物を楽しんでもらう」
ネロイは配置を見て、すぐ価格札の位置を変えた。
「では春露葉と夏石芋は単品。保温食は試食後に組み合わせで勧めます。冬蜜を買えない方へ値引きはしません。代用品ではなく、別の商品ですから」
「任せる」
動線を変えると、客の足が止まる場所も変わった。
冬蜜だけを求めていた者が、春露葉を噛んで驚き、温めた夏石芋を追加で買う。保温食を持ち帰り用に求める客も現れた。
冬蜜の追加販売はしなかった。
それでも、日が傾く頃には、用意した複数の商品がきれいに売り切れていた。
四辻宿で一泊した翌朝、ネロイは記録と代価を食卓へ並べた。
「生活分、種、村への供給、販売禁止分には手をつけていない。合意外の損失もありません。取り分はこちらです」
晴真は金額を確かめた。最大まで売った場合には届かない。それでも、次も同じ条件で続けられる売上だった。
「次回も、季節ごとに主力を替えます」
ネロイが言う。
「冬蜜の追加要求は受けません。代わりに、試食分と次回時期を先に示す。春露葉と夏石芋は、今回の客層へ継続して案内します」
「契約どおりだな」
「不利な場面でも変えないことを確認できましたから」
晴真は差し出された記録を受け取り、笑った。
「じゃあ、次も頼む。ネロイ」
呼び方が変わったことに、ネロイは一瞬だけ目を細めた。
「承知しました、クゼさん。ですが、販売量の交渉では手加減しませんよ」
「そこは期待してない」
フィエルナも記録へ目を通し、冬蜜の項目で指を止めた。
「売らない分まで含めて評判へ変えた点は認めるわ、ネロイ」
「セルク殿に認めていただけるなら、試食分を無償にした甲斐もあります」
「次は先に相談して」
「では、作る前から条件を伺いましょう」
「それならいい」
翌日、晴真たちは代価で得た農園の維持と拡張に必要な資材を荷へ積み、四辻宿を発った。
農家へ着いた頃には日が傾き始めていた。マルタが種袋を抱えて待っている。
「何を残した?」
「全部、決めたとおり」
「なら売上を聞こうか」
晴真は笑いながら、納屋の戸を開けた。
空けておいた棚へ、外から得た資材が収まっていく。商品を置く棚と、代価で戻った物を受け取る場所が、初めて同時に使われた。
次回分の商品を置ける空間も残っている。貯蔵設備には品ごとの区切りがあり、持ち帰った物資も混ざらず収まった。
ピィロは自分の果実が入った小籠を先に見つけ、満足そうにその横へ座り込む。
「売った物はなくなったのに、前より増えたな」
晴真は棚を眺めた。
農園で育った物が外へ出て、誰かの食卓や暮らしへ渡る。その代価が、次の収穫と生活を支える物になって戻ってきた。
ただ売れたのではない。
残す約束を守ったまま、次へ進む力へ変わったのだ。
ネロイが持ち帰った評判の中には、商品ではなく、季節の違う農園そのものを見たいという声もあった。
晴真は納屋の戸を閉める前に、四季の区画へ目を向けた。
次にここへ来る者が欲しがるのは、棚の品物だけとは限らない。
それでも今は、物資の並んだ納屋を見ていたかった。
空だった場所へ、農園の季節が姿を変えて戻ってきている。
その循環は、もう一度きりの偶然ではなかった。




