【第20話】 売る季節、残す季節
晴真が売上の見込みを数えている横から、マルタの手が伸びた。
「これは売らないよ」
食卓に並べた袋の一つが、彼女の前へ引き寄せられる。秋の成熟を経た種が詰まった袋だった。
「いや、全部売るつもりはない。多めに出せれば、納屋の次に必要な物へ手が届くって話で」
「多め、じゃ分からない。残った分で来年を作る気なら、順番が逆だ」
向かいに座ったネロイが、持参した記録へ指を置いた。
「その点は私も賛成です。もっとも、残す量が決まらなければ、売れる量も決まりませんが」
春露葉も夏石芋も、前回は予想以上に反応がよかったらしい。温度で味が変わる珍しさだけでなく、実際に食材として使えることが買い手に伝わった。冬蜜には、次がいつ入るのかという問い合わせまで来ている。
ネロイが提示した量を出せれば、設備を整える資金は早く貯まる。
晴真はその数字に惹かれていた。棚を増やし、加工場所も作れれば、さらに別の商品を試せる。
だが、種袋を抱えたマルタは動かない。
「この大半は次の作付け用だ。村へ回す分も先に取る。売るのは、その後」
「前より収穫を増やせば――」
「増える前の収穫を当てにするな」
短い一言が、晴真の案を切った。
フィエルナは冬蜜の容器に手を添えたまま、さらに条件を重ねる。
「冬蜜も、ネロイさんが望む量は出せないわ。冬苔を維持する分と、保存に使う分を除けば、販売できる量には上限がある」
「需要は待ってくれません、セルク殿」
「冬も、あなたの注文には合わせない」
ネロイは笑みを崩さなかったが、記録へ引いていた線を一本消した。
「では、現物を見ながら決めましょう。『できる範囲で』という言葉が、どれほど当てにならないかも含めて」
「俺を見て言ってる?」
「ほかに誰が?」
反論できず、晴真は立ち上がった。
納屋では、春露葉が浅い休眠棚に静かに収まり、夏石芋は専用の容器に穏やかな熱を抱えていた。奥の冬蜜は匙を入れられる硬さを保ち、常温棚には硬化夏石芋と形崩れ虹穀が分けて置かれている。
保管できるようにはなった。
だからこそ、棚にある物すべてを売り物として数えてはいけない。
マルタは種袋を棚から離れた作業台へ置いた。
「この袋と、次の選別に使う分は販売から外す。村へ回す分も先に確保するよ。来年、同じ物が作れなきゃ、一度高く売れても意味がない」
「供給量が減れば、価格は上げざるを得ません」
「好きにしな。ただし種は出さない」
「交渉の余地がありませんね」
「種を食う交渉ならね」
フィエルナは冬蜜の容器を一つずつ確認し、二つを棚の奥へ戻した。
「これは販売禁止。冬蜜として売る分ではなく、休眠保存と生産維持に使う。こちらも、品質が崩れた場合は出荷しない」
「少し硬い程度なら、別用途として売れる可能性があります」
「冬蜜の名で?」
「買い手へ状態を伝えたうえで、別の使い方を――」
「なら、別の品として条件を決めてから。品質の崩れを、希少性で覆い隠すことは認めない」
ネロイはしばらく容器を見た後、うなずいた。
「分かりました。出荷の可否はセルク殿が判断する。ただし、出荷直前ではなく、荷を組む前に決めてください」
「それなら受けるわ」
晴真は夏石芋の数を見ながら言った。
「春露葉と夏石芋は、生活分を取った残りから――」
「その生活分はいくつです?」
「食べる分だよ」
「何日分です?」
言葉が止まった。
ネロイは逃がさない。
「クゼさんの『食べる分』と、マルタさんの『残す分』と、セルク殿の『守る分』を引いて、最後に余った物を渡されても商売にはなりません。量、時期、責任者を決めてください」
「先に売る数を決めれば、暮らしのほうを数字へ合わせることになる」
「だから両方を決めるのです」
そのとき、ネロイが荷側へ寄せた小籠を見て、ピィロが低く鳴いた。
「チチッ」
籠には夏石芋と一緒に、作業後の報酬として取っておいた果実が入っていた。ピィロは籠へ近づきかけ、果実まで荷札の側にあると気づくと、くるりと背を向けた。羽毛がしぼみ、くちばしを閉じたまま湯気の抜けるような音を鳴らす。
ネロイが片眉を上げる。
「小さな熱源殿にも取り分がある、と」
「働いた後の分だ。そこは売らない」
晴真が果実を籠から出すと、ピィロはすぐには振り向かなかった。少し間を置いてから横目で確かめ、果実が自分の休息場所の側へ移されたのを見て、ようやく胸を戻す。
「人の生活分だけ先に取って、ピィロの分を忘れてたな」
「ピィ」
「悪かった」
ネロイは果実を記録から外した。
「報酬も販売前に分離。妥当です。働き手が次から動かなくなれば、供給量はもっと減りますから」
棚の前で数を押し合うほど、売れる量は細くなった。
種を残す。村へ回す。生活に使う。維持に必要な冬蜜を守る。品質の悪い品は出さない。ピィロの報酬も先に分ける。
すべて必要だった。だが、全部の商品を毎回そろえるには足りない。
晴真は棚を見渡した。春露葉、夏石芋、冬蜜。それぞれ保存の仕方が違うように、出せる時期も同じである必要はない。
前世の催事でも、一年中同じ物を並べていたわけではなかった。桜の次に夏の飾りを出し、秋の実りを見せた後で冬へ替える。常に全部があるから人が待つのではない。次に何が来るか分かるから、足を運ぶ。
「全部を切らさないのをやめよう」
ネロイが顔を上げた。
「品切れを認める、と?」
「違う。最初から、出す季節を分ける」
晴真は春露葉を指した。
「春露葉を出す時期は、これを中心にする。夏石芋が十分に取れる時期は、そっちを主力にする。種を残す時期と、冬蜜を休ませる時期は販売を減らす」
「買い手は、欲しいときに品がないことを嫌います」
「次に出る時期を先に知らせる。常に三つあるとは約束しない。その代わり、約束した時期には、決めた量を出す」
ネロイはすぐには答えなかった。棚から棚へ視線を動かし、指先で記録を叩く。
「今は春露葉。次は夏石芋。その後に数量限定の冬蜜。品ぞろえが替わること自体を売りにするわけですか」
「ここは季節を売る農園だろ。同じ棚を一年中埋めるより、らしいと思う」
「数量を増やす案ではありませんね」
「むしろ減る」
「胸を張るところではありません」
それでもネロイの目には、商人らしい光が戻っていた。
「ですが、入荷予定を先に示せるなら、買い手を待たせる理由にはできます」
食卓へ戻ると、晴真は一枚の紙を中央へ置いた。能力で収穫を増やす案は書かない。今ある作物と、無理なく次へ残せる量だけで組む。
最初に、生活分とピィロの報酬。次に、マルタが管理する採種分と村への供給。その後で販売分を決める。冬蜜はフィエルナが販売禁止分を取り置き、出荷上限と品質を判断する。
晴真は時期ごとの販売品を決め、ネロイが買い手と価格を調整する。
「輸送前に傷んでいたら、こっちの責任だ」
「合意した条件を外れた積み方や運び方で損が出れば、私が負います」
ネロイが続ける。
「ただし、条件どおりでも季節性が予測不能に変わった場合は?」
「片方へ全部押しつけない。損失を限定して分ける。ただし、何でも半分じゃない。原因を見て決める」
「曖昧さが残ります」
「予測不能な物まで先に決め切ったふりはできない。その代わり、一度に運ぶ量を制限する」
マルタが紙を引き寄せ、採種分の欄を確かめる。
「種を先に抜く。村へ回す分も私が見る。そこを変えないならいい」
フィエルナも販売禁止の欄へ目を落とした。
「冬蜜と休眠品は、私の許可なしに荷へ入れない。品質を落とした物を、値引きだけで出さない」
「承知しました、セルク殿」
ネロイは最後に販売量を見て、あからさまに息をついた。
「少ないですね」
「知ってる」
「最初の案なら、もっと早く設備を増やせた」
「その代わり、来年売る物がなくなるかもしれない」
晴真は、最初に計算した最大収入の数字へ線を引いた。
「早く稼ぐ案は捨てる。農園を空にして棚だけ増やしても仕方ない」
マルタが鼻を鳴らした。
「ようやく順番を覚えたね」
「褒めるなら、もう少し素直に頼む」
「来年も同じ判断ができたら考えるよ」
フィエルナは紙の端を押さえたまま、晴真を見た。
「能力で不足を埋める、と言い出さなかった点は評価するわ」
「その言い方、普段は言い出すと思ってるだろ」
「違うの?」
「今回は違う」
「なら、今回はそれでいい」
ネロイが紙を自分の側へ回し、条件を一つずつ読み直した。誰も異論を挟まなくなったところで、彼は販売予定と責任範囲を写し取る。
「不満はありますが、契約にはできます。次に何が出るかを先に約束する。その約束を守れる量だけ扱う」
「決まりだな」
「販売が済むまでは、成功とは申しませんよ」
「そこは分かってる。今日は、売る前に何を残すかを決めた日だ」
夕方の光が食卓へ伸びていた。
紙の上には、生活分、種、村への供給、販売分、禁止物、季節ごとの品ぞろえ、判断する者、損失を負う範囲が残っている。数字は晴真が最初に望んだほど大きくない。
だが、誰かの善意や我慢に隠れた負担もなかった。
ピィロは自分の果実の側で胸を膨らませ、ネロイの荷を一度見てから、満足そうに「ピロロ」と鳴いた。
晴真は最大収入の数字を消した紙を折り、販売予定の隣へ置いた。
農園を守った残りを売るのではない。
何を守るかを先に決めたから、次も売れる。
その順番だけは、もう曖昧ではなかった。




