【第15話】 眠る葉の目覚め
何が売れたのかを、人づてではなく自分の目で確かめたい。
翌朝、晴真は携行食と水をまとめ、フィエルナとともに農家を出た。畑と生活分の収穫はマルタへ任せ、ピィロには夏区画の境界を越えないよう念を押してある。
「冬蜜が一番だったら、次はそこを伸ばしたい」
街道を歩きながら晴真が言うと、フィエルナは前を向いたまま答えた。
「値段が一番だったら、採れるだけ売るのか」
「まずは結果を見てからだ」
「今の言い方は、もう半分決めている者のものだな」
「反対する準備が早すぎないか?」
「クゼが急ぐ準備をしているからだ」
四辻宿へ着いた頃には、日が傾き始めていた。
ネロイは宿の一角に混合籠を広げていた。籠そのものは空に近く、卓上には残った品と、切り分けられた試食の跡が並んでいる。
「来ましたか、クゼさん。セルク殿」
「結果は?」
「急ぎますね。商人としては嫌いではありません」
ネロイは最初に夏石芋を示した。切り口は乾き始めていたが、甘い香りはまだ残っている。
「これは好評でした。熱を加えると香りが強くなる。食べ方も分かりやすい」
次に、小瓶の底へわずかに残った冬蜜を持ち上げる。
「こちらは別格です。量が少なくても、値段を上げられる。次は今回の倍でも買い手がつくでしょう」
「倍は出さない」
フィエルナが即座に返した。
「まだ量の話しかしていませんが」
「その量を増やす話だろう。冬苔が残す分を削ってまで、需要へ合わせるつもりはない」
晴真は冬蜜の瓶を見た。
高く売れる。少量で代価になる。設備も道具も足りない現状では、魅力的すぎる答えだった。
「上限を守ったまま、採れる量を増やす方法は――」
「順序が逆だ、クゼ」
フィエルナの声が低くなる。
「売れたから増やすのではない。残してよい量を決め、その中で売る。昨日決めたことだ」
晴真は口を閉じた。
反対されることは予想していた。だが、フィエルナは冬蜜を惜しんでいるのではない。売れる量を、客の欲しさだけで決めさせないために立っている。
「では、冬蜜は今回の上限を維持ということですね」
ネロイは不満を隠さなかったが、瓶を卓へ戻した。
「問題はそれだけではありません。こちらをご覧ください」
卓の端に置かれた春露葉は、見る影もなかった。
葉はしんなりと折れ、縁が内側へ丸まっている。腐ってはいないが、採れたての瑞々しさは消えていた。
「移動中にこうなった?」
「荷車へ載せた時点では、まだ張りがありました。宿へ着く頃には萎れ始めています。夏石芋の熱か、冬蜜の冷気か、単に時間の問題か。混合籠では切り分けられません」
「客には?」
「味見した者はいますが、見栄えで手が止まりました。食材は口へ入る前にも値踏みされます」
晴真は萎れた葉を一枚持ち上げた。薄い葉身が指へまとわりつき、蓄えていた水分を失っている。
高値の冬蜜へ集中する方が、商売としては簡単だ。
だが、それでは売れなかった物を置き去りにする。しかも原因すら分からないままだ。
「商品ごとに扱いを分けないと駄目か」
「少なくとも、同じ籠へ入れれば同じ条件で運べる、とは考えない方がよいでしょう」
ネロイはそう言ってから、冬蜜の瓶へ視線を戻した。
「だからこそ、運びやすく高く売れる物へ絞るべきです」
「絞るなら、冬蜜ではない」
フィエルナは萎れた春露葉へ指先を近づけた。
葉へ触れず、その周囲に残るわずかな水気と衰え方を見定めている。
「傷みきってはいない。水を失い、変化が進んでいるだけだ」
「止められる?」
「眠らせれば、進行は抑えられる。ただし見た目はさらに悪くなる」
ネロイの眉が動いた。
「商品へするには不利ですね」
「眠った物を、そのまま売るならな」
フィエルナは晴真を見た。
「冬蜜を売るのではなく、冬の役目を使え。残すための眠りだ」
晴真の中で、欲しかった答えの形が変わった。
冬蜜を増やすのではない。春露葉へ冬を渡し、運ぶ間だけ変化を止める。
「試す。全部じゃない。萎れた葉の一部だけだ」
「クゼさん。見栄えを戻すために能力を使うのですか?」
ネロイの問いへ、晴真は首を振った。
「戻すんじゃない。これ以上進ませない。価値があるかは、起こして食べて決める」
晴真は卓上の春露葉から三枚だけを選び、他の商品から離した。指先で葉の範囲を意識し、宿の部屋や籠全体ではなく、選んだ葉そのものへ対象を絞る。
春の性質が弱った葉へ、冬の眠りを移す。
冷たさは一気に広げなかった。フィエルナが葉脈へ指を添え、凍結へ傾く手前で晴真へ合図する。
「そこまでだ。水まで固めれば、目覚めたときに組織が崩れる」
晴真は追加の移植を止めた。
葉はすぐに瑞々しさを取り戻さなかった。むしろ縁がさらに縮み、薄く折り畳まれたようになる。触れると冷たいが、凍ってはいない。
「見事に売れなさそうな姿ですね」
ネロイが率直に言った。
「眠ってる姿に愛想まで求めるなよ」
「客は求めます」
「なら、起きた後で勝負する」
フィエルナは葉の一枚を確かめ、短く頷いた。
「傷みの進行は止まっている。ただし、追加使用をやめたからといって勝手には目覚めない。このまま置けば眠ったままだ」
「明日の朝、水で起こす」
「一度だけだ。目覚めた後に、同じ葉をまた眠らせられる保証はない」
晴真はその条件を受け入れた。
その夜は四辻宿へ泊まり、翌朝、三人は再び卓を囲んだ。
休眠させた春露葉は、昨夜のまま小さく縮んでいた。晴真は浅い器へ水を張り、葉を一枚ずつ離して浸す。
最初は何も起きなかった。
「水へ入れれば戻る、という見世物ではなさそうですね」
「急かすな。寝起きが悪い葉かもしれない」
「クゼよりは静かだ」
フィエルナの皮肉へ返そうとしたとき、葉の端がわずかに動いた。
縮んでいた縁が、水を吸いながらゆっくり開いていく。葉脈へ透明な張りが戻り、折れていた部分が持ち上がった。
一枚、二枚と、器の中で春露葉が広がっていく。
採れたてほど厚くはない。けれど、昨夜の萎れた姿とはまるで違う。指で持ち上げると、葉は垂れずに自分の形を保った。
「戻った」
「完全ではない」
フィエルナはすぐに訂正したが、その目は葉から離れなかった。
「眠らせる前に失った水分までは戻っていない。だが、食感は確かめられる」
「最初は俺が食べる」
晴真は水を切った葉を一口かじった。
歯の間で、しゃくりと小さな音がした。採れたての弾けるような瑞々しさには届かない。それでも、萎れた葉を噛んだときの頼りなさはない。水分を含んだ歯触りが戻り、青い香りも残っている。
「売れなかった葉より、ずっといい」
フィエルナも小さくちぎって口へ運ぶ。
「一度の保存なら使える。だが、目覚めた後は早く食べるべきだ。再び眠らせる前提にはしない」
ネロイは最後まで葉の形を見てから試食した。
「採れたてとして売れば苦情になります」
「保存後と書けば?」
「まだ何も決まっていません。価格も、輸送後の品質も、客が水で戻す手間を受け入れるかも」
「でも、捨てる葉ではなくなった」
晴真が言うと、ネロイは器の中の葉をもう一枚持ち上げた。
「ええ。冬蜜ほど高くはなくとも、遠くへ運べるなら買い手は増える。特に、水を確保できる場所なら扱いやすい」
商人の目が、冬蜜の瓶ではなく春露葉へ向いた。
晴真はその変化を見て決めた。
「次に試すのはこれだ。保存用の春露葉。夏石芋とは分けて梱包して、実際に荷車で運ぶ」
「冬蜜は?」
「上限のまま。増産はしない」
フィエルナが晴真を見る。褒める言葉はなかったが、反対もなかった。
ネロイはしばらく考えた末、指を一本立てた。
「試験分だけです。輸送後に開封し、食べられる状態なら価格を決める。途中で傷んだ場合の扱いも、その結果を見てから詰めます」
「正式契約はまだ」
「ええ。取り分も供給量も損失分担も未定です」
「それでいい。今は、一度起きた葉が食べられたところまでだ」
晴真たちは条件をそれ以上広げなかった。
四辻宿を出たのは、翌朝の確認を終えてからだった。帰りの街道で、晴真は前日より軽い足取りで歩いた。
「冬蜜を増やすより、面倒な商品を選んだな」
フィエルナが言う。
「面倒だから、まだ俺たちにしか作れない」
「商人の言い方に染まってきたか」
「フィエルナの冬を、売らずに価値へ変えたんだ。悪くないだろ」
彼女はすぐには答えなかった。
「採れたてより落ちる食感を、誇張して売らなければな」
「そこはヴァンさんと揉める役を任せる」
「クゼも揉めろ。自分の商品だ」
農家へ戻る頃には、日が傾き始めていた。
持ち帰ったのは高値の契約ではない。休眠させれば一度だけ食卓へ戻せる春露葉と、次は別々に運ぶという試験条件だけだ。
それでも、売れなかった葉は捨てられずに済んだ。
冬は、瓶の中の蜜だけではない。
春の瑞々しさを、遠くまで残す方法にもなった。




