【第14話】 四季の値段
余った収穫を並べてみると、晴真の頭には畑より先に棚が浮かんだ。
春露葉を乾かさず置ける棚。夏石芋を掘り上げたまま保てる箱。冬蜜の冷たさを逃がさない小さな貯蔵場所。どれも今の農家にはない。
「売れたら、まず何を手に入れる?」
独り言へ答えるように、荷車の車輪が土を踏む音が近づいてきた。
農家前の道へ現れた男は、荷台いっぱいの箱と袋を軽々と御していた。留め具は陽を弾き、積み荷の隙間から熟した果実の香りが流れてくる。
ピィロが真っ先に顔を上げた。
「ピィ」
「待て。客かもしれない」
晴真が地面を二度たたくと、ピィロはその場へ残った。ただし視線だけは、荷車の果実へ張りついている。
男は四つの区画を見回し、愛想のよい笑みを浮かべた。
「季節の違う作物が、同じ農家から出たと聞きましてね。話を盛る者は多いですが、これは盛る必要がなさそうだ」
「見に来ただけですか。それとも買いに?」
「話が早い。季節商人のネロイ・ヴァンです。四辻宿を拠点に、売れる季節を売れる場所へ運んでいます」
晴真も名乗り、フィエルナとマルタを紹介した。ネロイはそれぞれへ短く頭を下げる。
「クゼさん。まずは現物を見せていただけますか」
その呼び方だけで、見物人ではなく商談相手になった気がした。
晴真は農家前の卓へ収穫を並べた。春露葉、夏石芋、虹穀、そして小瓶に分けた冬蜜。いずれも生活分と次作に必要な分を除いた余剰だが、まだ売る量までは決めていない。
ネロイは春露葉を持ち上げ、葉脈へ光を透かした。指で折らず、端だけをわずかに曲げて水分を確かめる。
「運べれば、乾いた土地で価値が出る」
夏石芋は重さを量るように両手で持ち、虹穀は一粒だけ噛んだ。
「硬さはありますが、香りが残る。加工次第でしょう」
「加工の方法まで買ってくれるなら、値段を上げてもいいですよ」
「まだ使い道も決まっていない品へ、先に上乗せを求めますか」
「決まってないから増えるんです」
ネロイは笑ったが、否定はしなかった。
最後に冬蜜の瓶を手へ取る。表面についた冷気を指先で拭い、光へかざした途端、その目から愛想が消えた。
「これは在庫すべて買いましょう」
提示された額に、晴真は思わず瓶を見た。
農家の傷んだ箇所へ手を入れられる。貯蔵用の箱も、畑に必要な道具も選べる。今まで交換だけで補っていた物を、自分たちの収穫で手に入れられる金額だった。
「冬蜜だけで?」
「いえ。春露葉、夏石芋、虹穀も含めて、今ある余剰を一括で。希少なうちに流れを押さえたい」
「断る」
フィエルナの声が、晴真の返事より先に落ちた。
ネロイは瓶を置き、彼女へ向き直る。
「理由を伺っても?」
「冬蜜は、冬苔が時間をかけて残したものだ。採れるだけ持ち出せば、次に渡す分がなくなる。珍しい甘味として消費させるために冬を守っているわけではない」
「市場へ出さなければ、価値は広がりません」
「広げることと、空にすることは違う」
今度はマルタが虹穀の袋を引き寄せた。
「こっちも全部は売らないよ。食べる分と次作用の種が先だ。値段が高いからって、来年の畑を荷車へ載せる気はない」
「種まで買うとは言っていません」
「一括と言っただろ。曖昧な言葉で袋をまとめる相手へ、種は触らせない」
ネロイの笑みは崩れなかった。しかし、視線は品物から三人の顔へ移っていた。何が売れるかではなく、誰が何を手放さないかを測っている。
その間に、ピィロが一歩ずつ荷車へ近づいていた。
狙いは光る留め具か、その奥の果実か。首を左右へ傾けながら、羽毛をわずかに膨らませている。
ネロイは振り返らず、片手だけで荷布を引いた。果実の入った箱が見えなくなる。
「ピィー」
「これは売り物です」
「説明しても、たぶん果実の方しか聞いてませんよ」
晴真が言うと、ピィロは不満げに背を向けた。だが数歩離れただけで、片目はまだ荷車を見ている。
晴真は卓上の冬蜜へ視線を戻した。
高値は惜しい。今すぐ欲しい物はいくつもある。けれど、全部を差し出して空いた棚を、新しい道具で埋めても意味がない。
「ヴァンさん。売る目的を変えます」
「といいますと?」
「今ある物を全部高く処分するんじゃない。この農園の品が、外で何に使われるか確かめる。その入口だけ作る」
晴真は虹穀の袋をマルタへ押し戻した。
「生活分と種は先に取ってください。売っていい余剰だけ分ける」
「最初からそうしな」
「高値を聞く前と後じゃ、決める重さが違うんですよ」
マルタは鼻を鳴らしたが、すぐに袋を分け始めた。
晴真はフィエルナへ冬蜜の瓶を示す。
「売ってもいい上限を決めてほしい。残す分を先に確保して、それ以上は出さない」
「一瓶では多い。この小瓶の半分までだ」
「少なすぎませんか?」
ネロイが口を挟む。
「少ないから境界になる。冬蜜そのものを売らない選択も残している」
フィエルナは譲らなかった。
「分かりました。そこまでにします」
晴真は春露葉を数枚、夏石芋を二つ、虹穀を小袋一つ、冬蜜をごく少量だけ籠へ収めた。
「四季を一つずつ。混合籠一つだけです」
ネロイは籠を見下ろした。
「量が少ない。これでは輸送と販売の手間に対し、採算が読めません」
「だから試すんでしょう。希少だから高いだけなら、一度で終わる。でも食べた客が別の使い道を見つければ、次の値段は品ごとに変わる」
「見栄えを整えれば、最初の反応はもっと取れます。季節替えで色や熟れ方を上げられるのでは?」
「やりません」
晴真は即答した。
「今ある品質に値段を付けてください。売るたび能力で飾らないと価値が出ないなら、農園の商品じゃなく俺の実演になる」
ネロイはしばらく黙り、籠の品を順に見た。
「採算より、使い道を買わせるわけですか」
「その使い道が増えれば、ヴァンさんの儲けにもなる」
「増えなければ?」
「今回は一籠で終わりです」
晴真が答えたとき、荷車の横で小さな音がした。
ピィロが再び果実の匂いへ寄り、ネロイが箱を抱えるように移動させている。両者の間には、明らかな不信があった。
「その小さな方は、いつも商品へ近づくので?」
「興味がある物へは。止めても、自分で納得しなければ戻ります」
ネロイは荷台の端から、陽を吸って温まった小石を一つ拾った。果実箱から離れた地面へ置く。
ピィロは低く「チチッ」と鳴いた。すぐには近づかず、ネロイと小石を交互に見る。
「ピィロ。好きにしていい」
晴真の呼びかけに、ネロイが小さく眉を上げた。
「ピィロ、ですか」
「名前です。熱源じゃなくて、こいつ自身の」
「なるほど」
ネロイは手を伸ばさなかった。
ピィロはようやく小石へ寄り、その隣に置かれていた試食用の夏石芋へ身体を寄せた。羽先が淡く橙色に光り、芋から甘い香りが立つ。
ネロイはすぐに芋を取り上げず、表皮の変化を見届けてから半分に割った。
「勝手に温めるのは困りますが……味は確かめる価値がある」
一口かじり、今度こそ商人らしい笑みを浮かべた。
「小さな熱源殿、と呼ぶには判断がありすぎるようだ」
「商品扱いしなければ、それで十分です」
晴真が言うと、ピィロは温かな小石を抱え、ネロイから距離を取った。気に入ったらしいが、近づくことまで許したわけではない。
商談はそこからもう一度動いた。
ネロイが最初の提示額を下げ、晴真が混合籠の未知の用途を理由に押し戻す。フィエルナは冬蜜の量を変えず、マルタは籠へ種が混ざっていないか最後まで確認した。
やがて、ネロイが銅貨と銀貨を卓上へ置いた。
「この額で混合籠一つ。客の反応を見て、次を考えます」
「保存期間も、輸送中に品同士が影響するかも分かってません」
「ええ。損が出た場合の分担も、次回量も未定です。今回は私が持ち帰り、四辻宿で確かめる。それ以上の約束はしません」
「こちらも同じです。次も出せるとは約束しない」
「それで結構です、クゼさん」
晴真は差し出された代価を受け取った。
硬貨は重くも大きくもない。それでも掌へ落ちた音が、農家のどんな作業音とも違って聞こえた。
春露葉も、夏石芋も、虹穀も、冬蜜も、晴真たちにはすでに食べ物であり、次へ残す資源だった。そこへ初めて、外からの値段が加わった。
ネロイは混合籠を荷台へ固定した。
「何が一番売れると思います?」
晴真が尋ねる。
「答えが分かっているなら、私はここまで来ていません。客に食べさせて、使わせて、欲しがった理由を拾います」
「気に入った」
「私はまだ、クゼさんを気に入る段階ではありません。採算より好奇心を優先する生産者は、商人にとって扱いづらい」
「ヴァンさんも、何でも値札にしそうで油断できません」
「では、次も条件から始めましょう」
ネロイはフィエルナへ向き直った。
「セルク殿。冬蜜は、今回の量を越えて扱いません」
「今回だけの線引きだ。次も同じとは限らない」
「承知しました」
マルタには、種へ触れていない袋を見せてから荷布を閉じる。
夕方の光が傾く頃、荷車は四辻宿へ向けて農家前を離れた。ピィロは追わず、抱えた小石を自分の足元へ置いて見送った。
卓上には、受け取った硬貨が残っている。
「初収入だ」
晴真が一枚を持ち上げると、マルタがすぐに言った。
「浮かれて種まで売るんじゃないよ」
「もう分けたでしょう」
「次も分けられるかを見るんだ」
フィエルナは残した冬蜜の瓶を確かめ、元の場所へ戻した。
「売らなかった物を忘れるな、クゼ。今日残したから、次を選べる」
「分かってる」
農家には生活分がある。次の作付け用の種も、冬蜜も残っている。初収入を得ても、明日からの暮らしを硬貨へ頼るわけではない。
売れたのは、一籠だけだ。
保存できる期間も、運ぶ間に四季が干渉するかも、誰がどの損を負うかも決まっていない。交換所も貯蔵設備も、まだ影すらない。
それでも晴真は、掌の硬貨を握って笑った。
四季農園の成果は、畑と食卓の外でも価値を持った。
しかも、守る物を減らさずに。




