第3話 不器用な招待状と、王城への決意
ナセド殿下がレストランに通い始めてから、はや一週間ほど経ったある日の正午過ぎ。カランと小気味よいベルの音が鳴り、店内の扉が開いた。
そこに現れたのは、茶髪の男性だった。茶色のシャツに黒い長ズボンという平民風の目立たない格好をしているが、背筋が伸びており、どこか身なりの良さや品格を感じさせる。
「えぇっと……あぁ、いたいた」
その男性は私に気づくとゆっくりと近づいてきて、ズボンのポケットから何かを取り出し、私に向かって差し出した。
「レレナ・アティリア様ですね」
「はい、そうですが……? どうして、私のフルネームを……」
見知らぬ男性との接点など、私にはまるでない。私の名前をちゃんと知っているのは宿の店主やこの店のおばさん、それに少し遠くにある親友の仕立て屋さんだけだ。
不思議に思ってそう尋ねると、彼は爽やかな笑顔を向けた。
「実は、とても不器用な親友から、あなたの名前を聞きましてね」
「とても不器用な親友?」
(誰のことか心当たりがない。私、誰かに名前なんて教えたっけ? ……いや、一人だけいたわ。フルネームではないけれど、ナセド殿下に)
「それで、これを君に渡してくれと頼まれましてね」
「これ、ですか?」
私が差し出されたものを受け取ると、男性は「じゃあ、これで」と軽く頭を下げ、足早にレストランを後にしてしまった。
男性から受け取ったそれは、赤いシールのようなもの――貴族が使う『封蝋』で閉じられた、立派な手紙だった。
「なんだろう、これ……」
私は厨房へ戻り、ファナおばさんに見てもらうことにした。
「これ、なんでしょう。ファナおばさん」
「どれどれ……?」
おばさんはそれを受け取り、裏と表をじっくりと確認すると、何か納得したような顔つきになって私に返した。
「どうでした?」
「簡単に言うと、あなた宛ての手紙だね。ほら、ここの下に小さく『レレナ・アティリア様』って書かれているわ」
「わっ、私宛て!?」
私宛てと聞いて、驚きと同時に不安が込み上げた。何故なら、今まで私宛てに手紙なんて来たことがないし、そもそも手紙のやり取りをするような相手もいなかったからだ。
「と、とりあえず、開けてみます」
私は恐る恐る、封を端から横にビリビリと破り、中から一枚の便箋を取り出した。そして、大きく深呼吸をしてからその手紙に目を通した。
『親愛なるレレナ・アティリア殿。
突然の手紙をすまない。俺のことはあのレストランの騒動から知っていると思うが、今から一週間後、王城でお茶会を開く事にした。
そこで、平民である君を招待したいと考えている。
王城に行くのは何かと不安になるだろう。特に身分の違いとかな。だが、それは心配しなくていい。全部、俺がなんとかするから。
明日、再び俺が店に行く。その時に返事を聞かせてほしい。待っている』
これって……王城のお茶会へのお誘い!?
いやいや、なんで私が。私はただの平民よ。そんな場所に行ったら、身分違いで酷い目に遭うに決まってるわ。
……でも、どうして私のフルネームを知っているの? 殿下には「レレナ」としか答えていないのに。
(ということは、さっきの茶髪の男性はナセド殿下の親友だったのね。……わざわざ親友に調べさせたってこと!?)
そう考えると辻褄は合う気がしたものの、今の私にそれを気にする余裕などなかった。
「ど、どうしよう、おばさん! 王城から私に手紙が……!」
動揺した私は、手紙を握りしめたままおばさんに尋ねた。自分では答えが出ないーーというよりは、この手紙に対して私はどうすればいいか分からないのだ。
「なるほどね。やっぱりあの毎日来てたお客さん、本物の王子様だったのね。わざわざこんな手紙まで寄こすなんて、よっぽどあんたに熱を上げてるみたいじゃない」
しかし、おばさんは驚く様子もなく頷き、手紙を覗き込んだ。
「でも、お茶会への招待状か。内容を見る限り、大丈夫じゃない? ちゃんとあなたへの配慮が書かれているし」
「でも、王城なんて……私、ただの平民ですよ」
「平民でも、殿下に気に入られればお茶会に誘われることだってあるわ」
「気に入られるって、そんな……」
私はカッと頬を染め、両手で顔を覆いながらも、どこか満更でもない顔をしてしまった。
その時、ファナおばさんが厨房の近くにあった勤務表のような紙を確認して、大きな声で言った。
「レレナ」
不意に名前を呼ばれ、私は慌てて顔から手を下ろして返事をした。
「は、はい!」
そんな私を見て、おばさんは満面の笑みを浮かべた。
「この日、あんた休みだから行ってらっしゃいな」
「えぇっ!? いいんですか? 私なんかが……」
「大丈夫よ」
おばさんは私の肩にポンと軽く手を乗せて、力強く背中を押してくれた。
私は少しだけ考えた。
さっきから胸の奥で鳴り止まないこの高鳴りは、やっぱり恋なのかもしれない。殿下が私をお茶会に誘うなんて、普通ならありえないことだ。
でも、レストランの短いやり取りだけで物足りない、もっとあの方とお話ししてみたい。そんな気持ちが、不安を上回っていた。
(よし……!)
決意が固まり、私はファナおばさんに真っ直ぐな瞳で告げた。
「私、行きます。王城へ」
そして翌日。約束通り、ナセド殿下がまた店にやってきた。
「いらっしゃいませ、ナセド殿下」
「ああ。また来たぞ」
私にそう言って、ナセド殿下は店内の真ん中くらいのテーブルへと向かった。彼が席につくのを確認してから、私は近づいた。
「それで、その……」
私は席についたナセド殿下の前で、モジモジしながらも、戸惑う気持ちと、どうしても気になっていた疑問をぶつけた。
「あのぅ、殿下。どうして私なんか……いや、平民の女である私を、お茶会なんかに誘ってくださったんですか……?」
「どうしてかって? それは簡単なことだ」
殿下は私の目を真っ直ぐに見つめ、さらりと言ってのけた。
「君が可愛いから。ただ、一緒にお茶会をしたいだけだ」
「そっ、そんな……可愛いだなんて……!」
そのストレートすぎる言葉に胸を射抜かれ、私の顔は一瞬で真っ赤に染まった。言葉が出てこない。
「それと身分については気にしなくていい。あの手紙に書いた通り、俺がなんとかするから。……君のためなら」
『君のためなら』――それはもう、さらなるトドメに近い破壊力だった。だけど、なんとか平静を装わなくてはいけない。
「それで、レレナ。手紙の返事は……」
少しだけ不安そうに答えを待つ殿下に対して、私は昨日決めた通りに、はっきりと笑顔を向けて答えた。
「はい。……喜んで、行かせていただきます」
「そうか……よかった」
殿下は心の底からホッと安心したように表情を緩めた。
その穏やかな顔を見て、私は手紙を読んだ時からずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「あの、もう一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「どうして私の名前を、フルネームで知っていたんですか? 私は『レレナ』としか名乗っていないはずですが……」
私が不思議そうに首を傾げると、殿下は少しだけ視線を逸らし、咳払いをして言った。
「王族だから知っているだけだ」
「……はい」
(いや、全然理由になってないよ、ナセド殿下!)
心の中で思い切りツッコミを入れたものの、殿下は話を逸らすように言葉を続けた。
「それと、俺の事は『ナセド』でいい」
「えっ!? いや、殿下に対して呼び捨てなんて……!」
「君だからいいんだ。……嫌か?」
悲しそうな目で見つめてくるナセドに、私は慌てて首を横に振った。
「嫌じゃないです! でも私、ただの平民です、よ。そんな、王族の方を呼び捨てにするなんて……」
「大丈夫だ、俺が許す」
さらりとそう言ってのける殿下に、私はタジタジになりながらも、なんとかその名前に挑戦してみることにした。
「わ、わかりました。えぇっと……ナ、ナセド……」
(…………いや無理! やっぱり王族の方を呼び捨てになんてできないわ!)
舌が回らず、顔から火が出そうになる。
必死に考えた結果、私は彼の事を妥協点としてこう呼ぶことにした。
「……ナセド、様」
「まぁ、それでもいい。よろしくな、レレナ」
私の提案に殿下は優しく微笑んで、また私の名前を呼んだ。
「はい、ナセド様」
なんだかすごく特別な関係になれた気がして、私の胸はまた大きく高鳴った。
ナセド様はふっと表情を和らげると、いつものように私を見上げた。
「じゃあ、いつもの料理を頼むよ」
「はいっ、かしこまりました。ナセド様!」
こうして、平民である私の、王城のお茶会への参加が決まったのだった。




