幕間35 よくない真実に気づいた王女の決意
推理回です。ここは一番頭を使いました。
一方、自分の部屋へと戻ったリリアーナは、いろいろなことがあって、腑に落ちない顔を浮かべながら、球体ランプが照らす自室の机の前に座っていた。
(一日目に紫髪の子供がレストランに迷い込み、レレナが昼に送りに出たのに夕暮れまで帰ってこなかったこと。そして二日連続で、同じ子が親を連れずにやってきたこと……。それに加えて、お母様の不自然な動揺と安堵か)
そうこれまでの出来事を振り返り、思考を巡らせてみるものの明確な答えは出ず、リリアーナはため息をついてぼやいた。
「はぁ、色々、おかしなことがありすぎるわね……」
(でも、一番引っかかるのは『キュネ』という名前。不思議と何かに似ている気がするのよね……。少し声に出してみようかしら)
椅子の背にもたれかかったリリアーナは、天井を見上げてスゥッと深呼吸をし、自分にだけ聞こえるような小さな声で口を開いた。
「キュネ、キュネ……インキューネ……!」
自身の口からこぼれ落ちたその言葉の響きに、彼女はハッと青い瞳を見開くと、驚きのあまり勢いよく立ち上がった。
「まさか……! あの子供が、お母様が倒したはずの北のシェフリアの森に住んでいた悪魔……!?」
「まさか、あの子供がお母様が倒したはずの北のシェフリアの森に住んでいた悪魔……!?」
あの子供の正体が『インキューネ』だと気づき、部屋の中で一人立ち尽くすリリアーナ。
そして、彼女はドレスの胸元からいつもの扇子を取り出して口元に当てた。
「いや、そんなわけないわ。だってあの悪魔は、冒険者時代にお母様によって討伐されたはず。なのにキュネがインキューネだなんて、少しできすぎている気がするわ」
ありえないと首を振りながら、リリアーナは扇子を持ったまま部屋の中央に置かれたテーブルに手をついた。天井を見上げ、脳裏にこれまでの記憶を手繰り寄せながら、さらに思考を深めて独り言を呟く。
「……いや、待てよ。一日目の謎の道草と、以前の玉座の間でお母様が見せた反応。そして先ほどの出来事を振り返れば、可能性はあるのかもしれないわね。もし、その悪魔がインキューネ本人だとしたら……」
バラバラだった点と線が見事に繋がり始める。しかし、その先の真実に辿り着こうとした瞬間、リリアーナの青い瞳にハッとしたような戸惑いの色が広がった。
「でも、それだとお母様の討伐が嘘で、悪魔インキューネについて聞いた話とまるっきり違うってことになるじゃない」
信じがたい二つの結論を口にしたリリアーナは、丸テーブルから手を離し、右側の窓の方へと視線を向けて、北門でのナセドの会話を思い出しながら眉間に皺を寄せた。
「それに『引きこもりの言う通り勝てなかった』……つまり、その悪魔はお母様の強さを知っているんだわ。そうか、だから、この前の戦争でも上級悪魔がお兄様たちに倒されることを予見していたのね、きっと」
戦争の結末を見通していたことに納得の顔を浮かべ、リリアーナは窓の方へと近づく。そして扇子を口元に寄せると、一転して困惑した表情になり、玉座の間で見せた母の顔を再び思い浮かべた。
「でも、お母様は何故か動揺していたのよね。だって、強さがわかっている相手ならそんな反応はしないはず。それなのに、お母様は焦った顔をした……多分、あの悪魔が王都に侵入してくるんじゃないかと危惧して」
だが、先ほどの母の様子は違った。玉座の間での反応との落差に疑問を抱き、扇子を手にしたままのリリアーナは、冷めたような顔つきで青い瞳を細めた。
「……でも、さっきは逆だったわね。お母様は私の話を聞いて、ほっとしていた。『引きこもり』とだけしか言っていないのに。もしかして、お母様はその悪魔に、とてつもない弱みを握られているとか?」
そこまで口にしたリリアーナだったが、最強たる『消し炭の冒険者』である母に弱点などあるはずがないと考え直す。彼女はそれはないと小さく首を振り、手にした扇子をパチンと閉じた。
「いや、それはありえないわね。……とはいえ、お母様が嘘をついている理由までは、わからないわね。多分、あの悪魔と何かあったと推測はできるけれど……」
そう答えの出ない謎に小さくため息を吐き、リリアーナは窓から離れる。少し歩いて再び中央のテーブルの前で立ち止まると、思考の角度を変え、お母様と悪魔の戦いに思いを巡らせてまた呟いた。
「そもそも、お母様はあの悪魔を逃したのかしら? いいえ、それはないわ。これまで数々の悪魔や魔獣を倒してきたお母様が逃すなんて……それとも、まさか敗れた、なんてことは……」
悪魔との戦いが『敗北』という最悪の結末だったのではないか。自ら口にしてしまったその仮説に、リリアーナは『違う違う』と強く首を振る。そして少し残念そうな顔を浮かべながら、心の中で呟いた。
(いえ、ありえないわ。『消し炭の冒険者』であるお母様が悪魔ごときに敗れるなど……。でも、その悪魔はお母様の強さを知っている……)
最強である母と、その強さを知る悪魔。二つの事実の繋がりが見出せない中、リリアーナはハッとして、もう一つの可能性について口にした。
「もしかして、一度やり合って逃げられたのかしら。それなら、ありそうね。だって、お母様は生きているのだから」
敗北という結末はないと結論づけたリリアーナは、難しい顔で扇子をパッと開き、口元に寄せて新たな疑問を口にした。
「でも、何でその悪魔は『引きこもり』と呼ばれているのかしら。お母様とやり合っている最中に、深手を負ったから……いや、それはないか。二十数年も経っているし」
傷などとうの昔に癒えているはずだと自らの推測を打ち消し、リリアーナはふと天井を見上げる。そして、これまでの母の圧倒的な実績を踏まえ、一つの結論を導き出そうとした。
「もしかして、お母様が怖いから森から出なくなったのかしら……?もし、それが理由なら、他の悪魔たちから『引きこもり』と呼ばれるのも納得できるけれど、それでもおかしいわ」
視線を丸テーブルへと戻したリリアーナの口元から、微かな戸惑いの声が漏れる。最強の母のことを悪魔が恐れているのだとすれば、現在の悪魔の行動はあまりにも不自然であると彼女は思ったのだ。
「そこまで怖がっているなら、普通、二度も王都に来ないはず。なのに、どうして来てしまったのかしら……そこも謎ね……」
おかしな動機に首を傾げながら、リリアーナは扇子をスッと閉じ、机に戻って椅子に腰掛けた。
そして、彼女は手にした扇子を机の上に置くと、母に関する疑問は一旦棚上げにして、別の謎へと思考を切り替えた。
「とりあえず、動揺した理由はわかったとして。その悪魔は結局、侵入してしまっているのよね。北は戒厳令を敷いていないのだし。そして、今日は平和な街に普通にやってきている……多分、次も大丈夫だと思って侵入したとしか考えられないわね」
あまりに図太い悪魔の行動に、両腕を組み、呆れながら息を吐くリリアーナ。しかし、その手段については、すぐに答えが出た。
「おそらく、子供の姿に化けて、王都の入り口の衛兵を騙したのでしょう。まぁ、あのレレナを完全に騙し切るほどなのだから、それくらいはできるかも……しれな、い……っ?」
そう口にした途端、リリアーナは自らの言葉を途中で区切るように、ハッと動きを止めた。ある恐るべき事実に気づいてしまい、驚きを隠せない様子で声を上げる。
「いや、待って。騙されたのはレレナや衛兵だけじゃない。お兄様もよ。つまり、あの鋭いお兄様でさえ、その子供が悪魔だということに気づけなかったということじゃない」
ナセドが同じレストラン内にいたにも関わらず、正体を見抜けなかった。その恐るべき真実に唖然とし、リリアーナは組んでいた腕をスッと解く。驚きに眉を跳ね上げた後、すぐに真剣な顔つきへと変わった。
「となると、その悪魔はお兄様の目すら欺くほど、完全に魔力を隠蔽する力を持っているというの? ありえないわ。今まで、そんな悪魔なんて聞いたことがないもの」
そう驚愕するリリアーナは王族としての教育を受け、悪魔や魔獣、さらには世界の歴史に至るまで深い知識を有している。だからこそ、その悪魔が持つ規格外の能力がいかに『ありえない』かを誰よりも理解していたのだ。
「でも、実物をこの目で確かめてはいないけれど、それが真実なのよね」
兄から聞いた話を信じるリリアーナは、再びそう感じた。そして、はぁと深くため息をつき、これまでの推理を振り返りながら、悪魔の『実態』と『伝説』の凄まじい落差について再び口にした。
「それにしてもほんと、あの伝説は何だったのかしら。女性ばかりを狙って悪夢を見せる凶暴な悪魔でもないし、ただの迷子の子供のように人間と接する悪魔なんて」
そんな信じられない話に息を吐きながら、リリアーナは机に置いていた扇子を再び手に取り、トン、と机を突いた。
「けど、一つだけわかることがあるわ。一日目の道草の謎よ。多分、その悪魔はレレナのレストランに偶然迷い込み、悪魔なのに人間の食事をした。そして、レレナが家まで送ってあげた」
確信めいた口調で、リリアーナはレレナの道草の件へと推理を繋げた。
「でも、レレナはただ迷子の子供を送ったんじゃない。きっと、送っていく途中で正体がレレナにバレてしまって、人を操るような魔法で『悪魔を見た』という記憶を消した後に眠らせたんだわ。それなら、帰るのに夕暮れまでかかったという筋が通るし、体に何ら異変がないのも頷けるわ」
「いえ、待って。そもそも、レレナは何でお兄様に『道草をした』なんて嘘をついたのかしら」
レレナらしくない行動に首を傾げたリリアーナだったが、その性格を知る彼女は、数秒でその答えを導き出した。
「いや、考えなくてもわかるわね。あの子だもの。記憶をいじられて、目が覚めた後、何が起きたのかわからないまま、ただ『迷子の子供を送った』という事実と空白の時間だけが残った。だから、レレナはお兄様や他の人たちに心配をかけまいと、とっさに嘘をついたのね」
リリアーナは、あのレレナらしい不器用な心遣いに納得し、「全くレレナったら……」と呆れながら呟いた。だが、すぐにある違和感に気づき、また難しい顔を浮かべる。
「でも、人を眠らせるのはわかるとして、記憶を操る魔法なんて聞いたことがないわ。それに……おかしいわね。記憶を完全に消したのなら、『迷子の子供』の記憶すら覚えているはずがないもの」
記憶の矛盾点を突いたリリアーナは、また天井を見上げた。
「なのに覚えている。多分、その悪魔は、何のためにかわからないけれど、次の日もう一度レレナに会うために、都合よく記憶をいじったかもしれないわね」
視線を机へと戻し、改めて悪魔の規格外の力に顔をしかめるも、リリアーナは、表情を和らげ、ふっと肩の力を抜いた。
「でも、レレナに身の危険が及ぶというわけではないから、今のところは大丈夫か。街で暴れたということは聞いていないし」
少なくとも、レレナの様子にも、王国にも、何かが起きる気配はない。そのことに安堵の色を浮かべたリリアーナだったが、すぐに困ったような顔つきへ戻ると、左手を顎に置いて呟いた。
「はぁ、でも、この事実、どうしたものかしら。さっきお兄様には『詮索するな』と強く言われているし……それに、こんなことレレナが知ったら、相手は悪魔であっても、悲しむ可能性だってあるわ」
真実にたどり着いたはずのリリアーナは、ひどく悲しげな表情を浮かべる。レレナは、あの紫髪の子供を自分の妹と重ねて可愛がっていた。
もし、その子供の正体を知れば、心優しい彼女が深く傷つくのは目に見えている。そう思うと、リリアーナまで複雑な感情を抱いてしまうのだ。
「あんなお人好しすぎる平民の娘なんて、私には関係ないとはいえ……お茶会での借りもあるし。何より、あの娘の笑顔が崩れるのは嫌だわ。……お兄様も悲しむもの」
お茶会での淑女の礼の説教事件を思い出しながら、ポツリとこぼした本音。問題はこれだけではないと王女としての直感で悟り、彼女は重いため息とともにまた天井を見上げた。
「それに、お母様が悪魔を倒していないことが、お父様たちに知れ渡れば、国が傾く可能性だってあるしね」
フィオネはこの国で絶大な尊敬を集める王妃だ。その実績の一つである伝説が『嘘』だったとなれば、国家を揺るがすとてつもない爆弾になる。知られれば、貴族や王家だけでなく、国民でさえも母に失望の目を向けてしまうだろう。
あまりにも重い問題に再び頭を抱え、リリアーナは見上げていた天井から視線を戻した。
「とりあえず、今は、あの悪魔が何の事件も起こすことなく、また誰にもバレずに森へ帰ることを、祈るしかないわね」
王女として、今はその悪魔に対して何もできないリリアーナは、そう願うしかなかった。
しかし、ただ願うだけでは何の解決にもならないと悟る。気を取り直した彼女は、これからどう動くべきかを口にした。
「ともかく、さっき気づいた違和感については調べる必要があるわ。もしかしたら討伐隊の者たちも嘘をついているかもしれないし。それから、お母様が事実を隠している理由もわかる可能性だってあるのだしね」
真実を知ろうと決意したリリアーナは、真顔のまま、プライドが高く強情な母の顔を思い浮かべた。
「こちらからお母様に『嘘に気づいた』と言っても、素直に教えてくれなさそうだし。もし伝えるにしても、すべての事実を知った上で話した方がよさそうね。……場合によっては、説教も辞さない……ふふふ」
(この前のお茶会では、レレナの仲裁が入ったとはいえ、こってり絞られましたからね。そのお返しも兼ねてよ)
完璧な母の嘘を暴くことと、母への逆襲を考えて、何故か少し面白そうに不敵な笑みを浮かべながら証拠集めを企むリリアーナ。だが、すぐに真面目な顔へと戻り呟いた。
「あとは誇り高き王族として、この国を守るためにも真実を探り出さないといけないしね。まぁ、レレナを守るのはついでよ、ついで」
そう言い聞かせるように左拳を胸に当てると、彼女は再び机に向き直り、具体的にどんな手段で証拠を得るべきか、少し困ったような顔つきで考え込んだ。
「でも、調べると言っても、どうしよう。……そうだわ、聖騎士団と冒険者ギルドね。この二つの記録を王女の権限で調べてもらうようにしましょう。まずは聖騎士団のリカードに話をつけて、冒険者ギルドの方はシャフリネに頼めばいいわ。あそこは彼女のお母様が管理しているしね」
頭の中で計画を組み立てたリリアーナは、手にした扇子を再び机に置き、スッと立ち上がった。
「よし。明日、仕立て屋と昼食が終わったら、お兄様たちにバレないよう聖騎士団の方へ行きましょう」
そう決意して明日の予定を固め、ふと窓の外へ視線を向けると、空は夕暮れを過ぎてすっかり薄暗い夜の闇に包まれていた。
「……もう、こんな時間かしら。そろそろ夕食ね。とりあえず、お兄様やお母様たちに悟られないように、今まで通りの私で行きましょう」
リリアーナはそう気を引き締めると、暴いた真実を胸の奥に深く隠した。そして、いつもの優雅で完璧な『王女』の微笑みを浮かべて自室を後にし、家族の待つ夕食の席へと向かったのだった。




