幕間34 フィオネとリリアーナの探り合い
夕暮れ時、南の建物の二階。廊下に灯るランプの光の中、リリアーナは母がいる部屋の扉の前に立ち、トントンとノックした。
「はーい」
その部屋の中から、機嫌の良さそうな高い声が聞こえてきた。
「私です、お母様」
「リリアーナね。入りなさい」
はい、と小さく頷き、ガチャリと扉を開ける。すると、そばに置かれた球体ランプが照らす左側のいつもの机で、書類を片手に仕事をしている、いつもの仕事着を着たフィオネがいた。
フィオネは視線をリリアーナに向けると、娘の姿に気づき、柔らかな笑みを浮かべつつも、不思議そうな顔で話しかけた。
「どうしたの、リリアーナ。こんな時間に。もう夕食の時間かしら?」
「いえ」
リリアーナは首を横に振りながらゆっくりと扉を閉め、母の机に歩み寄る。そして机の前に立つと、両手をそっとテーブルについて口を開いた。
「この前、お母様が『引きこもり』の悪魔について尋ねていたことがありましたわよね」
「それが何? リリアーナ」
(また、その話……。確かに、気になってはいるけれど、何故今さら)
娘の問いかけに、フィオネは柔らかな笑みを崩すことなく書類を机に置いた。しかし、心の中でそう呟く彼女の瞳は少し泳いでいた。そんな母の様子を見逃すことなく、リリアーナは真面目な顔で言葉を繋いだ。
「実は、先ほど、その悪魔が言ったことの続きを、お兄様に聞きました」
「そっ、そうなのですね。それで……?」
フィオネは胸の内を娘に悟られないように平静を装いながら先を促すと、リリアーナは机から手を離した。
「はい。その悪魔は、どうやら、私たちの勝ちを、予見していたようでした」
「勝ちを、予見していた?」
表情を崩さず不思議そうに聞き返すフィオネに、リリアーナは静かにこう答えた。
「『結局、引きこもりの言う通り、勝てなかった』と……」
「へぇ、そうなのですね、リリアーナ」
上級悪魔の最期の言葉を聞いたフィオネは、胸の内で張り詰めていた緊張の糸が解けていくのを感じ、ほっと胸を撫で下ろした。
(なんだ。てっきり私の過去をペラペラ喋ったのかと思ったわ……。どうやら、あの悪魔には私への恐怖がしっかり根付いているみたいね。でも、あの上級悪魔とあいつが接触していたことは、これで確定だわ)
「そうですか。教えてくれてありがとう、リリアーナ」
「いいえ……」
穏やかな笑みを取り戻した母の様子に、リリアーナは心の中で静かに思考を巡らせた。
(でも、何故かしら。『引きこもり』の悪魔が言った言葉を伝えたら、お母様は逆に安心したような顔をしたわね……)
リリアーナはそのままじっと母の瞳の奥を探ろうとしたが、そこには動揺や焦りなど微塵もなかった。
(しかし、やっぱりお母様は何か隠しているわね。でも、これ以上追及しても何も出なそう。紫髪の子供の件と同じで……)
ナセドと会話した時と同じように、今の段階で真実を引き出すのは不可能だと悟り、リリアーナは少し諦めたような顔つきで追及をやめ、いつもの王女の顔に戻って微笑みを浮かべた。
「お母様、お仕事のお邪魔をしてしまってごめんなさいね」
申し訳なさそうに言うリリアーナに、フィオネは平気そうな顔を向けた。
「いいえ、大丈夫よ……あぁ、それとリリアーナ。あなたに一つ言うことがあったわ」
フィオネが思い出したかのように続けざまに告げると、リリアーナは不思議そうな顔で小首を傾げた。
「ええ、何でしょう、お母様?」
「明日、あなたの従者のナットと護衛を何人か連れて、レレナさんの親友の仕立て屋へ行きますわよ」
思いがけない外出予定に、驚いたリリアーナは目をパチクリとさせながら言葉を紡いだ。
「仕立て屋ですか……でも、親友の方の場所はご存知なのですか? あのお茶会の後、お兄様から名前は聞いていますけれど、場所までは聞いていないのでは。レレナさんもそこまではおっしゃっていなかったはずですし」
リリアーナは困惑したような顔つきで問い返した。彼女は、ナセドが「リーア」という名前を聞いていたことは知っていたが、具体的な家の場所までは知らなかったのだ。そんなリリアーナの様子に全く動じず、余裕のある笑みを浮かべながらフィオネは答えた。
「その点については大丈夫ですわ。聖騎士団の本部で、国民に関するこの国の地図を念入りに調べておいたから。場所は既に把握済みよ」
「なるほど、聖騎士団ですか。確かにあそこなら情報は見つかりますわね」
自分の母親の有能さと、聖騎士団で保管されている記録のことをある程度は知っているリリアーナは、深く納得しながら頷いた。
「出発する時間は、明日の九時半過ぎ。ナセドが妃候補たちの相手をしている間にしましょう。北の門に馬車を止めてあるから、それで向かいますからね」
「はい、わかりました、お母様」
そう明日の予定を告げると、フィオネはこれで話は終わりだと言わんばかりにテーブルの書類を再び手に取り、声をかけた。
「じゃあ、もう行っていいわよ」
「はい、失礼しますわ、お母様」
リリアーナは優雅にお辞儀を返し、扉の方へ向き直って部屋を後にした。パタン、と静かに扉が閉まる。
そして、一人残されたフィオネは、ふぅと息を吐いた。
「よかった。本当に、あの悪魔が、余計なことを言っていなくて」
安堵したフィオネの脳裏に、ふと、自らの過去の因縁の地である『シェフリアの森』で起きているもう一つの事件が思い浮かんだ。
「しかし、あの件も少し気掛かりなのよね。今のところ、アシェリが調べる必要はないと言っているとはいえ……でも、本当に記憶を消して眠らせただけかしら。それとも甘い夢を残したのかな」
かつて自分が対峙した悪魔の性質を再び思い出し、フィオネは眉をひそめたが、すぐに小さく首を横に振った。
「……いや、そんなわけないわ。わざわざ自分の存在を明かすような真似、するはずがない。きっと私が怖くて、震えて隠れているはずだもの」
(そう、あいつはただの『引きこもり』。私の前には絶対に二度と姿を現さないはずよ)
そう自分に言い聞かせるように呟くと、強がりを見せるフィオネは書類の文字を指でなぞりながら、「さて、仕事、仕事」と王妃としての公務を再開した。




