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「平民は愛されない」はずなのに、雲の上の第一王子様から溺愛されています!?  作者: 東明時裕夜
第五章 二度目の悪魔の潜入と、キュネ

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幕間33 公爵令嬢の帰宅と、ガゼット男爵家の黒い噂

 シャフリネとやり合ってから数時間後。レーナが王城から公爵邸へと帰宅し、丸型の魔道ランプが柔らかく照らす玄関へと入ると、部屋着姿のフェルンが立って出迎えた。しかし、いつも控えているはずのメイド、リミアの姿はなかった。


「戻ったのね、レーナ」

「ただいま、お母様」


 レーナが優雅に、しかし今はドレスではなく手合わせで着ていた服のままでお辞儀をすると、フェルンは何かを知っているような顔つきを向けて、こう告げた。


「その顔、どうやらシャフリネと話がついたようね」

「話がついた?」


 どういうことだろうと不思議そうな顔をしていると、フェルンは真面目な顔になり、あることを切り出した。


「王妃様の友人のアシェリから聞いているわ。シャフリネと殿下の関係がバレたことや、お茶会で平民の娘がやってきたことも含めてね」

「なっ……まさか、アシェリ様がこの屋敷に直接来られたんですか?」


 レーナは黒い瞳を大きく見開いて呟いた。何故なら、お茶会から戻った際、フェルンに一度もこの件を話していなかったからだ。というより、あえて詮索しないでおこうと考えていたからである。

 それなのに、自分の知らないところでアシェリが訪れ、話していたことに、驚きを隠せなかったのだ。


 しかし、フェルンは娘を安心させるように、真っ直ぐな彼女と同じ黒い瞳で見据えながら、いつもより穏やかな声で告げた。


「えぇ、あなたがやり合っている間に、ついさっきね。だが、安心しなさい。このことを知っているのは、この場にいる私だけよ」


 その言葉に、レーナは肩の力を落とした。だが、すぐに鋭い視線をフェルンへと向けた。


「私だけ……ということは、他の者やお父様には報告していないのですね」


 そう問いかけたのには理由がある。レーナは、自分の父が厳格であり、さらに平民嫌いだということを知っていた。だからこそ、確認せずにはいられなかったのだ。


「ええ、していないわ。殿下と平民の娘が、互いに想い合っていることなんてね。まぁ、もしそんなことを言えば、あの人のことだわ。過激なことはしないだろうけど、軽い嫌がらせくらいはするでしょうね」


 自分の夫を理解しつつ、公爵家の家訓を大事にするフェルンは、真剣な表情で答えた。


「ですわよね。けど、お母様は知っているのですね」

「当たり前よ。さらに、その娘自身が自分の立場をよく分かっているということも、フィオネ王妃から話を聞いたアシェリを通じて、私にも耳に入っているわ」


 真顔で答え返すレーナに、フェルンは眉間に皺を寄せながら話を続けた。その言葉に、レーナは息を呑んだ。


「そうですか」

「はぁ。しかし、あなたがお茶会から帰ってきた時、私はあなたが何かに負けて帰ってきたのだと思っていた。けれど、まさかその相手が平民の娘だったとはね」


 そうため息を吐きながらフェルンがそう返すと、面食らったように、レーナは自分の胸に手を置いて「負けて……私が」と答えた。


「そうよ。その時のあなたの顔は、そんな感じだったわ」

「そっ、そう……」

(何もかもお見通しか。さすがはお母様ね)


 図星を突かれたレーナは観念したように、胸に当てていた手を下ろしつつ、少しだけ視線を泳がせた。どんな強がりも意味をなさないと悟った様子の娘を見て、フェルンは表情を崩さずにはっきりと続けた。


「けど、所詮は平民の娘。何もできやしない。だが、あなたが負けた顔をしたってことは、その子を認めてしまっているのかしら」


 フェルンの言葉に、レーナは一瞬言葉を詰まらせた。それは、公爵令嬢としてのプライドと、素直な本心との間で揺れていたからだ。だが数秒後、少し悔しげな表情を見せながら、口を開いた。


「はい、少しだけ、認めてしまいました、彼女を……」

「そう……あなたまで認める存在というわけね」

「はい」


 素直に頷くレーナを見て、フェルンは腕を組み、まるで自分自身もその平民の娘と対峙したかのように、悔しさと納得が入り混じった複雑な笑みを浮かべた。


「まぁ、改めて聞いた話では、どちらも両思いらしいし。さらに、その平民はかなりのお人好しで、王妃様にも臆さない芯の強さを持っているそうだから、レーナが認めてしまうことも無理はないわ。だから、私からは何も言わない」


 貴族が平民を認めたことを責めず、肯定的に受け止めてくれた母に、レーナは深く頭を下げて礼を述べた。


「ありがとうございます、お母様」


 だが、顔を上げた瞬間、わずかな疑問が彼女の脳裏に浮かんでいた。レレナの芯の強さについては、レーナ自身も痛いほどわかっている。だが、母が口にした後半の言葉に、少し引っかかりを覚えたのだ。


「……でも、芯を持っている、それはわかりますわ。けど、王妃様にも臆さない? それは、どういうことですか?」


 その引っかかりについて不思議そうに首を傾げると、フェルンはふっと薄い笑みを見せながら、意外そうな顔をした。


「あら、聞いていないのかしら。王妃様の前で、淑女の礼をしたことを」

「それは知っていますわ……」


 フェルンの問いに、レーナはお茶会での光景を思い出しながら、そう短く返した。すると母は、意地悪っぽい笑みを浮かべながら、娘に一歩近づいた。


「なるほど。でも、それだけじゃないの」

「それだけじゃない?」


 まだ何かあるのかと、不思議そうなまま問い返すレーナに、フェルンは口元に手を当て、笑みを崩さずに言葉を返した。


「ふふふ、実はね。色々あって王妃様からリリアーナ王女が説教されて、その平民の娘が仲裁に入ったのよ」


 淑女の礼や芯の強さ以外にも、そんな出来事があったなんて。平民が王族を庇うというありえない話に、レーナは黒い瞳を見開いて驚きを露わにした。


「なっ……なるほど、王妃様が言ってた喧嘩って、そういうことでしたのね」


 そして、レレナの家族の話を思い出したレーナは、納得しながらも、そっと左手を口元に当て、信じられないといった様子で問い返す。


「内容については触れませんが、あの子が、王妃様を相手に、リリアーナ様を庇ったというのですか?」

「えぇ、そうよ」


 全く驚く様子もなく平然と頷く母を見て、レーナは、お茶会の席でリリアーナが『あまり言いたくありませんわ』と頑なに口を閉ざしていたことを思い出し、ストンと腑に落ちた表情を浮かべた。


「……そうでしたのね。だから、お茶会でリリアーナ様が、あんなに口を閉ざして……けど」

(どうやら、私が少し認めてしまったレレナは、ただ芯のあるお人好しではないようね)


 レーナは口元に当てていた左手をゆっくりと下ろし、レレナの底知れぬ度胸と芯の強さに改めて深く感心して、静かに目を伏せた。その様子を見て、フェルンもまた感心の色を浮かべながら呟いた。


「本当、平民の娘なのに、すごい子よね……」

「はい、そうですわね。お母様」


 母の言葉に深く同意して頷き返したレーナは、少しの沈黙の後、申し訳なさそうな顔を浮かべて軽く頭を下げた。


「……とりあえず、王妃様たちのことは、わかりました。……でも、私はお茶会から帰ってきた後、何も言えませんでした。こんな形で耳に入ってしまって、申し訳ありませんわ」

「大丈夫。問題ないわ」


 謝罪する娘にフェルンは即答し、柔らかな笑みを見せた。


「あなたがプライドが高いことくらい、私はよく知っているもの」


「はい。そうですね」


 そうレーナは視線を戻し小さく深呼吸をすると、先ほどの悔しさを振り払うかのように背筋を伸ばした。その顔が、いつもの気高さを取り戻したように見えた瞬間、フェルンは腕を組むのをやめ、力強い口調で告げた。


「まぁ、とりあえずあなたがなすべきことはただ一つよ。残り半年、その平民の娘を忘れさせるように、あなたらしさを彼に見せて、他の令嬢たちよりも先に殿下を射止めなさい」


「はい、わかりました。お母様。私はあの平民の娘に負けないくらい、妃候補として他の誰よりも必ず殿下を射止めてみせますわ」


(そうよ。ただの平民じゃない『あの子』にだけは、絶対に負けない。さっきシャフリネにも宣言したばかりじゃない。明日、ナセド殿下にお会いする日がある……この想い、いつか必ずぶつけるわ。残り半年、時間はまだいくらでもあるのだから)


 フェルンの強い口調にレーナは胸を張り、公爵令嬢としての誇りを込めて、そう改めて心に誓った。


「よろしい、それでこそ公爵家の娘ね」


 胸を張り、妃候補として、そして一人の女として負けないと宣言したレーナを見て、フェルンは満足げな顔を浮かべた。


「……だが、その娘にも私自身、興味があるわ」


 フェルンは表情を緩め、平民の娘への興味を浮かべた顔つきで口を開いた。その予想外の言葉に、レーナは不思議そうに首を傾げた。


「興味ですか?」


 そう問い返してきたレーナの様子に、フェルンは思わず少し笑みをこぼしながら答えた。


「そうよ。アシェリから大まかには聞いたけれど、あなたの口からはまだ詳しく聞いていないからね。あなたは着替えを終えたあと、私の部屋で詳しく話してくれないかしら」

「はい、分かりましたわ。お母様」


 フェルンにそう促されたレーナは、素直に頷いた。すると、彼女はふと何かを思い出したかのように、指先をレーナの胸元に向けた。


「それともうひとつ、明日あなた、また他の令嬢たちと茶会でしょ」

「はい、そうですが」

 真顔で答え返すレーナに、フェルンは指先を向けるのをやめ、少し険しく、かつ真面目な顔を向けて言った。


「レーナ、あなたが他の令嬢たちに、殿下と平民の娘について口外することはないと思うが……あの女には気をつけたほうがいい」

「あの女?」


 誰のことかと問い返すような顔つきでそう尋ねるレーナに、フェルンは表情を崩さないまま、眉間に皺を寄せて答えた。


「ガゼット男爵家の娘よ」

「ガゼット男爵家……」


 少しばかりの沈黙の後。レーナは首を傾げながら、これまでの交流の記憶を手繰り寄せた。そして、脳裏に翡翠の瞳を持つ、青黒い長髪の令嬢の顔が浮かび上がった。


「あっ……あの薬師の家系の。私と同じ妃候補の中にいましたが、まったく私の眼中にはなかった令嬢ですわね」


 そう強く言い放つレーナは、その意外な名前に驚きつつ、目を丸くした。これまで彼女にとって、ガゼット男爵令嬢はただ近くにいるだけの存在に過ぎず、特に意識していなかったのだ。ただ、表面上は様付けで呼ぶことはあっても、爵位が自分より下であるがゆえに、軽く命令口調で話す程度の相手であった。


「そうよ。だけど、その令嬢について、アシェリから妙な黒い噂を耳にしたのよ」

「黒い噂?」


 フェルンの言葉に、レーナは眉を上げて険しい表情で問い返した。フェルンは声を潜めながら、末恐ろしい話を告げた。


「えぇ、毒薬を作って一家揃って他国に売り捌いているという噂をね」

「どっ、毒薬……? あの傷を治したり、体を癒したりする薬を作るガゼット家が?」


 人を治すはずの家系が毒薬を作っているという発言に、信じられないといった様子で目を見開くレーナに、フェルンは言葉を続けた。


「えぇ、そうよ。薬師だからこそ、毒を作るのも容易いのでしょう。だが、あくまでも貴族街で聞いた噂でしかない。証拠はないからね」

「なるほど……」


 薬と毒、そして証拠のない噂——それらの情報を受け止めるように、レーナは小さく頷き、気を引き締めるような顔を向けた。


「だが用心はしたほうがいい。アシェリからフィオネ王妃様にも報告していると思うけどね」

「分かりましたわ。もし、明日、その女と会話する時に何かあれば、その時はご報告しますわ」


 念を押すように、そう真剣な表情を向けて忠告するフェルンに、レーナは胸に手を当てて、力強く頷いた。

「えぇ、そうしてちょうだい」


 一区切りがつくと、まだ一つ伝えるべき懸念があったことを思い出し、フェルンはレーナを黒い瞳で見つめ、静かに口を開いた。


「……それとね、アシェリからは、最近人さらいが流行っているとも聞いているのよね。あなたも一応、気をつけるのよ」

「はい、その点については大丈夫です。私、強いですから」


 フェルンのさらなる忠告にも恐れることなく、レーナは胸に当てていた手を高く掲げ、力強く拳を握った。彼女は三属性魔法を持っているため、相手が襲ってきても容赦しないと、装飾品を扱う家の娘でありながら、自信満々にそう言い切るのだった。


「そうでしたわね」


 その娘の頼もしい姿を見たフェルンは、頷きながら納得した。


「じゃあ、私は着替えてきますわね、お母様」


 レーナは掲げていた手を下ろし、自分の服に視線を落としたあと、フェルンに向けて軽く優雅に会釈をした。踵を返して歩き出す娘の後ろ姿に、フェルンは「あぁ、行ってらっしゃい」と軽く手を振った。


 このあと彼女は一度自分の部屋へ戻り、戦闘服からいつもの銀色のドレスに着替えると、そのままフェルンの部屋へと向かった。そして夕暮れまで、じっくりと平民の娘について語り合ったのだった。

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