第32話 暖かな二人の食事
そして、ナセド様が座る席から少し離れた空いているテーブルに辿り着き、私は『どうぞ、キュネちゃん』と座るように促した。するとキュネちゃんは、無邪気な笑顔を見せながら『はい、お姉ちゃん』と言って、私と向かい合うようにちょこんと腰を下ろした。
(よし、と)
キュネちゃんが座ったのを確認した私は、にこやかな笑みを見せながら「じゃあ、私の賄いを持ってくるわね。少し待っててね」と言うと、キュネちゃんはこくりと頷いた。
私は、まずナセド様の料理を運び、そのあとにキュネちゃんの分の賄いも順番に運ぶため、厨房へと向かった。
それから数分後。私は甘い夢の記憶を必死に押し殺し、今まで通りの給仕としての私を取り繕いながら、「はい、どうぞ。ナセド様」と、お盆に乗せた料理――パン、サラダ、そしてスープをテーブルに並べた。これは、ナセド様がいつも注文される料理であり、聞かなくても分かるものだった。
並べ終わると、ナセド様は私の方を見て、優しい笑みを見せながら「ありがとう」と返してくれた。
私は「いいえ」と薄い笑みを返し、そそくさと厨房へと戻った。
(ふぅ、よかった。どうやら上手くやれたみたい)
ほっと安心しつつも、私は今度はお盆に二人分の賄いを乗せた。少し重かったけれど、私は気にせず、厨房から店内へ出て、キュネちゃんが待つ席へと歩き出した。
「お待たせ、キュネちゃん」
私は笑みを崩さずに、二人分の料理やスプーンなどをゆっくりと並べ、空いたお盆をテーブルの端に置いた。(さて、私も座ろうかしら)そう思って、私はキュネちゃんに向かい合うように腰を下ろした。
「さてと、じゃあ食べましょうか」
「はい、いただきます」
キュネちゃんは無邪気な笑顔のまま、両手をちょこんと合わせた。私も彼女に合わせるように手を合わせると、パンを手に取って齧り付いた。キュネちゃんもまた、同じように小さな両手でパンを持ち、一生懸命に齧り付いている。その食べる仕草は、昨日と同じような感じだった。
その懐かしい感覚に、私は頬を緩めた。昨日、この子が美味しそうにパンを頬張っていた光景が、ふと脳裏に浮かんだ気がして、思わずこんな言葉が口をついて出た。
「うふふ。やっぱり昨日と同じように、美味しそうに食べてくれるのね」
私の言葉に、キュネちゃんは歯切れの悪い返事をした。一瞬、戸惑いを見せたような気もしたが、私にはその理由が分からなかったため、深くは気にしないようにした。
「う、うん……」
そうして穏やかな時間が流れていると、近くの席に座っていたナセド様が立ち上がり、私の方へと歩いてきて、
「じゃあ、俺は帰るからな」
キュネちゃんが食べているのをよそに、そう告げたナセド様は、私の前に硬貨を置いた。それを右手で受け取り、エプロンのポケットにしまうと、私は顔を上げた。
「はい、またお待ちしております、ナセド様」
優しい笑みを見せながら、私はそう言った。すると彼は、真面目な顔をしつつも心配そうな表情を見せながら、「おばさんをあまり心配させるなよ。あと、何かあったら言ってくれ」と告げた。私は「はい、ナセド様もおばさんも心配させないように気をつけます」と、安心させるように答えた。
「なら、いい」
彼は軽く手を振って、扉の方へと向かい、店内を後にした。
ナセド様が去ったあと、私は再びキュネちゃんと一緒に食事を続けた。穏やかな時間が流れていき、やがて私たちの食事も、終わりを告げようとしていた。
すると、向かい合わせに座るキュネちゃんが、こちらへ無邪気な笑顔を向けて言った。
「ふぅ、とても美味しかったよ。レレナお姉ちゃん」
その言葉を聞くと、私は胸が熱くなった。何度も思うことだが、昨日も同じように言ってくれたことを思い出したからだ。けれど、その記憶は少し曖昧な部分もある。それでも、また同じ言葉を聞けて嬉しい気持ちになり、私は自然とニコニコしながら微笑んでいた。
すると、キュネちゃんは満足そうな顔をしながら椅子から立ち上がり、「じゃあ、レレナお姉ちゃん。私、帰ります」と告げた。
その言葉に私は、少し寂しさを感じながらも、笑顔で頷いた。
けれど、まだ幼い子を一人で帰らせるのは、やはり気がかりだった。もう戦争はないとはいえ、人が多い中で悪い人に声をかけられでもしたら……と、心配で仕方なかったの。
私はキュネちゃんに、『大丈夫? キュネちゃん。また私が……』と送ろうとしたが、キュネちゃんは私のことを紫の瞳で見つめて、「大丈夫です。一人で帰れますから」と、全然大丈夫そうな顔できっぱりと言った。
その様子に少し目を丸くしたけれど、その小さな身体を見ると、やはり素直に頷くことはできなかった。
(一人で帰る、か。少し心配だけど、キュネちゃんの真っ直ぐな目を見せられてしまったら、私は何も言えないわね。でも、せめて入り口までなら……)
キュネちゃんの言葉を信じつつも、これだけならと思い立った私は、もう一度声をかけた。
「そう? でも、店の入り口までは送るわ」
私の言葉に、キュネちゃんは一瞬考えるような顔をしたが、すぐにいつもの顔に戻って、少し戸惑っているような様子を見せながらも「そっ、そう……」と返した。
私は椅子から立ち上がり、再びキュネちゃんの手を取ると、二人で並んで店の入り口まで歩き出した。近くのガラス窓から見える夕日に染まった店内は、相変わらず賑やかだった。
やがて扉の前に辿り着き、扉を開けて外に出ると、私はキュネちゃんの手をそっと離した。彼女は私の方を振り向き、「じゃあ、またね。レレナお姉ちゃん」と笑顔を向けて手を振った。私も今まで以上の満面の笑顔で「うん、また会いましょうね。キュネちゃん」と挨拶を交わすと、キュネちゃんは前を向いて歩き出していった。
それから数秒後、少女の後ろ姿は見えなくなった。
(ふぅ、今日は色々あったわね。まさか、昨日の少女と再び会えるなんて。それに、一緒に料理まで食べられて。でもよかったわ。それに、甘い夢の余韻を引きずって、ナセド様にあんな顔をしてしまったし……でも、次来た時はしっかりしないと。私は平民で、彼は王族なのだから)
そう息を吐きながら、私は少女が去っていった方角をぼんやりと見つめ、思わず小さく声を漏らした。
「また来るかな、あの子、今度は親を連れて……」
少し笑みをこぼしながら、淡い期待を抱きつつも、「さて、そろそろ仕事に戻ろう」と呟いて、私はくるりと踵を返し、店内の扉を開けて中へ入っていった。そして、仕事を終える頃には、私と少女とナセド様との、色々あった一日にも、静かに幕が下りるのだった。




