第31話 少女の冷や汗と、レレナの言い訳
裏口からキュネちゃんを連れて厨房へ戻ると、そこにはいつも通り、白髪交じりの茶髪を束ねたファナおばさんが立っていた。私が外に出ている間、かまどを見ていてくれたみたいだ。
すると、私たちの足音に気づいたのか、ファナおばさんはかまどを見るのをやめ、驚いたように口を開いた。
「あら、あなたは昨日の……」
「こんにちは、おばさん」
キュネちゃんが薄い笑みを見せながら挨拶を返すと、ファナおばさんは私たちに近づき、身をかがめてまじまじとキュネちゃんを見つめてきた。
その時、体格のいいファナおばさんに顔を覗き込まれて驚いたのか、キュネちゃんは繋いでいた手を離し、私の腰にしがみついてきた。
(あら、おばさんの迫力に怯えているのかしら。それとも恥ずかしいのかしらね。でも、こうされるのも悪くはないわ。けど、こんな風に怯える子は、私が守ってあげないとね)
キュネちゃんを庇うように苦笑しながら、私は声をかけた。
「見過ぎです、おばさん」
するとファナおばさんは「ごめんごめん」と笑いながら立ち上がった。数秒の会話の後、私はこの子について静かに説明した。
「……あのう、おばさん。実はこの子、キュネちゃんって言って、昨日の子なんですけど……」
「キュネちゃん? そう、キュネちゃんっていうんだね。……いい響きの名前じゃないか」
私がそう名前を教えると、ファナおばさんは確かめるように繰り返し、薄い笑みを見せながら褒めてくれた。
それを見た私は(よかった、いい名前って言ってくれて)と嬉しくなり、そのまま話を続けた。
「はい、それでね。今日も私に会いに来てくれたんです。この裏口から……」
「裏口から? なるほど、そんな珍しいこともあるもんだね」
珍しそうな顔で言うファナおばさんは、続けざまに何かを言おうとしたが、一旦口を噤んだ。そして、改めて口を開いた。
「……けど、二日連続で来るとは思ってなかったわ……」
どうやらファナおばさんは途中、何か言おうとしてやめたみたいだ。それが何かはわからないけれど、ほんの少し迷った様子を見せた後、おばさんはそのまま言葉を続けた。
「……まぁ、でも。あんたは色々と事情がありそうだし、詳しくは聞かないでおくよ」
(なるほど、何か言おうとしたのはこの子のことなのね。でも、ファナおばさんの対応はそれでいいかもしれないわね。この子のためにもね)
ファナおばさんの配慮にうんうんと納得していると、おばさんは薄い笑みを見せながら、「よっぽどレレナの料理が気に入ったのね」と言葉を続けた。
そしてファナおばさんはキュネちゃんの顔をまじまじと見つめ、笑みを崩さずに褒めてくれた。
「でも、よく見るとあなた、可愛いじゃない」
(確かに言われてみれば、この紫の髪も、顔立ちもとても綺麗だわ)
改めてキュネちゃんの可愛さに見入っていると、彼女はしがみついていた私の腰から手を離し、ニコリと満面の笑みを浮かべて「ありがとう、おばさん」と愛らしく返した。
その笑顔を見た私は(よかった、どうやら少しは慣れたみたい)と安心していると、ファナおばさんは「いいんだよ。ほら、レレナ。早く、その子をテーブルに案内しな」と、歓迎するかのように左手をパタパタと振った。
けれど、私はおばさんにある『少し言いにくいお願い』をしなくてはならなかった。
(仕事中なのに、この子のために休憩を取って一緒に賄いを食べたいだなんて……)
とても言いづらい。たかだか子供一人のために仕事を抜け、休憩を取りたいと考えるのだから。
でも、私は意を決して尋ねた。
「はい。……あの、おばさん。今日は私も、この子と一緒に食事をとっていいですか?」
私のお願いに、手を振るのをやめたファナおばさんは「どうしてだい?」と不思議そうな顔で問い返してきた。私は困ったような笑みを浮かべながら、この子の事情と自分の思いを説明した。
「この子、人が多いところだと不安みたいなので、私が一緒に食べたら安心するかと思って」
私の言葉に耳を傾けていたファナおばさんは、納得したような表情を浮かべて言葉を返した。
「なるほど、そういうことね。まぁ、二日続けて賄いを振る舞うことになるけど……レレナ、またあんながしっかり面倒を見てあげなさい」
ファナおばさんから『キュネちゃんを見守りなさい』という言葉と共に許可をもらい、私は「ありがとうございます、ファナおばさん」とお礼を言って、ほっと胸を撫で下ろした。
すると、おばさんは「いいんだよ」と優しく返してくれた。
……けれど、その時。キュネちゃんの顔がいま、なんだか呆れた顔をしていたような……?
(いいえ、気のせいね)
すぐに思い直した私は、「じゃあ、キュネちゃん。店内へ向かいましょう」と笑顔を向け、手を繋ぎ直して厨房から店内へと向かった。
(誰かと一緒にご飯を食べるなんて、すごく久しぶり……あれ?でも、何か大切なことを忘れているような。なんだっけ?)
久しぶりに誰かと食事をする嬉しさを感じながらも、頭の片隅で引っかかる『何か』を考えつつ、私は厨房から店内へ足を踏み入れた。昼過ぎにも関わらず、相変わらず店内にはたくさんの客がいて、食器の触れ合う音や談笑の声が聞こえてきた。
そんな中、ふと店内のテーブルに座る金髪の男性に目が止まり、私は(あっ、忘れてた!)と心の中で声を上げてしまった。
キュネちゃんとの出会いに気を取られてすっかり頭から抜けていたが、彼を見た瞬間、あの『甘い夢の記憶』が鮮明に蘇り、私は再びカッと頬を染めてしまった。
ナセド様だ。どうやら、まだお帰りになっていなかったのね。
突然足を止めた私の様子に、キュネちゃんは不思議そうな顔をしながら、紫の瞳で私の顔を覗き込んで言った。
「どうしたの、レレナお姉ちゃん?」
「ごめんなさい、大丈夫よ」
私は、少し申し訳なそうに笑いながら、そう答えた。
(落ち着きなさい、私。平常心、平常心よ。あそこにいるのは、甘い夢の中じゃない、現実のナセド様なんだから)
必死に頬の熱を冷まし、あそこにいるのは現実のナセド様なのだと自分に強く言い聞かせる。私はなんとか平気な顔を取り繕い、「行きましょう、キュネちゃん」と声をかけて彼女の手を引いた。
だが、歩いて数秒後。何か良くないものでも見たのか、少女が急に顔をこわばらせて足を止めてしまい、私もつられて足を止めた。
(えっ、どうしたの?何をそんな怯えているの?)
私は少女のことが心配になり、視線を向けて「大丈夫?」と尋ねた。
すると、少女は首を横に振って「ううん、大丈夫です」と答える。だが、あの顔のこわばり方が普通じゃないと私は思った。
だから、私は心配そうな顔のまま見つめて「本当に?」と尋ね返すと、少女はにこやかな笑みを浮かべて、「はい、大丈夫です」と答え返した。
「よかった。でも、何かあったら私に言ってね。力になるから」
私はほっと胸を撫で下ろすと同時に、優しく言葉を紡いで告げた。
何故、ただの子供にそんなことを言ったのか、自分でもわからない。けれど、あのこわばった顔をまた見てしまうと、私は不安で仕方ないのだ。だから、この子があんな悲しい顔をしないように、そう言ったのだ。
すると少女は笑顔のまま、「ありがとう。でも、あそこにいる方って……」と窓の外を見ているナセド様の方を指さした。そちらへ視線を向けた瞬間、『愛しているよ、レレナ』という甘い夢の記憶が脳裏をよぎり、私はまた頬を赤く染めてしまった。
「もしかして、王族なの? レレナお姉ちゃん」
(……もう、なんで私、また赤くなっているのよ。キュネちゃんの前なのに……)
キュネちゃんの問いかけに、火照る頬を必死に隠し、再び平気そうな顔を取り繕うと、「えぇ、そうよ。ナセド様よ」と答えた。
すると、少し考えたようなそぶりを見せたキュネちゃんは、そのまま不思議そうな顔で尋ねた。
「へぇ、そうなんだね。でも、なんで王族がここにいるの? 普通、王城で優雅な生活をしているって、そう聞いたことあるんだけど」
必死に取り繕ったものの、まだ頬を赤く染めたままの私は、桃色の髪を指先でいじりながら答えた。
「そうよね。あなたが驚くのも無理はないわ。私も最初驚いたんだから。でも……ナセド様は、ここの料理を気に入って通ってくださっているのよ」
私がそう答えると、キュネちゃんは納得したような表情を浮かべた。私はもう一度、平気な顔を取り繕い、「とっ、とりあえず、キュネちゃん。そろそろ進みましょうか」と促した。
すると、キュネちゃんは無邪気な笑顔を見せて「うん」と頷いた。私は再び彼女の手を引き、ナセド様がいる方向へと歩き出した。私たちは、その近くの空いているテーブルで食事をするつもりだからだ。
そして、私たちがナセド様の座るテーブルの近くを通った時のことだった。
「戻ったか、レレナ……その子は?」
私たちに気づいたナセド様は、窓の外を見るのをやめてこちらに向き直ると、キュネちゃんの方を向いて不思議そうに尋ねてきた。
すると、キュネちゃんは繋いでいた手を離し、ファナおばさんの時と同じように私の後ろに隠れてしまった。
「あっ、この子、またしがみついて……けど……」
さっきまでとは少し違い、顔を見せないように必死に隠れている様子だ。
(どうして、ナセド様から隠れるんだろう。キュネちゃんには彼が怖い人に見えているのかしら。あっ、もしかして、さっき怯えていたのってナセド様を見て……? いや、さすがにそれはないか……でも、何か引っかかる気がする)
少し引っ掛かりを覚えつつも、私はこめかみを押さえて思考を戻した。私の中の曖昧な記憶の中に、何か良くないものがあるような気がしたけれど、今は考えないようにして、ナセド様にキュネちゃんのことを説明することにした。
「実はこの子、昨日このお店に迷い込んできまして……」
私がそう説明を終える前に、ナセド様は何かに思い当たったような顔を見せ、私の言葉を遮るようにして言葉を返してきた。
「あぁ、知っている。さっきおばさんから聞いたぞ。……そうか、その子が噂の迷子の子か」
「えっ? 知っているんですか? ナセド様」
面食らったように目を丸くして尋ねた私に、ナセド様は「うん」と頷いた。
どうやら、私が厨房や裏口でキュネちゃんと会っている間に話したらしい。おそらく、ファナおばさんは私の『道草をしていた』という嘘を心配して、ナセド様に話したのだろう。
おばさんが何を話したのかを察した私は、思わず眉間に皺を寄せて呟いた。
「もう、ファナおばさんったら。私は大丈夫って言ったのに」
眉を寄せたまま私がそうぼやくと、ナセド様は呆れたように正論を返してきた。
「大丈夫って、あのなレレナ。昼間に迷子の子供を送りに出て、道草をして夕暮れまで帰ってこないなんて、普通は心配するだろう」
その言葉に、私は少し言葉を噛みそうになりつつも、なんとか平気な顔を取り繕って口を開いた。
「そっ、そうですけど。でも、本当に私は何ともありませんから! ただ、この子を送った後、途中で綺麗な露店を見つけて見入ってしまって……それで夕暮れ時になってしまったんです」
私がそう言い訳すると、ナセド様は青い瞳を細め、疑わしげな視線を向けて「南で戦争中に、本当か?」と尋ねてきた。
私は苦笑しながらも真面目な顔を作り、「本当ですって、ナセド様。ただ、露店を見て回っていただけなので……私は大丈夫ですから。でも、心配してくれてありがとうございます」と話を終えた。
優しく顔を向けてナセド様に礼を言うと、彼は左手で金髪を掻きながら表情を崩し、照れ隠しのようにこう返した。
「そうか……でも、レレナにありがとうって言われるなんてな。まぁ、悪くない」
そんな顔を浮かべるナセド様に、私は(悪くない、か……)と思いつつ微笑む。それと同時に、彼はキュネちゃんへと目を向け、疑問の表情を浮かべて尋ねてきた。
「だが、一つ聞いていいか。その子、昨日の迷い込んだ子だろう。何故、今日もここへやってきたんだ? 親を連れていないように見えるが…」
そう尋ねられると、キュネちゃんは少し嫌な顔をした。それは、自分のことを、あまり話したくない、そんな顔だった。私は、困らせないようにと、ナセド様にこう告げた。
「実は、今日は迷い込んだわけではなくて、私に会いに来たんです」
「そうなのか?」
「はい、ナセド様」
私がそう答えると、ナセド様は「そうか、レレナに会いにか」と、言いたげな微妙な顔で頷いた。
「はい。だから、あまりキュネちゃんを詮索するようなことを言わないでください」
私はこの子を守りたい一心で、ナセド様に対しても少し強い言葉が出てしまうと、キュネちゃんは何故驚いたよう顔をしたが気にしなかった。
「わかった。まぁ、ファナおばさんからも、その子が訳ありだと聞いているからな」
「ありがとうございます」
ナセド様の温かい言葉に私はほっとしながら、キュネちゃんへと視線を戻す。キュネちゃんもまた、安堵したような顔を見せていた。そんな二人の様子を見て、私はここらで話を切り替えようと、明るい口調で口を開いた。
「じゃあ、ナセド様。私は今日、キュネちゃんと一緒にそこの空いているテーブルで食事をいただくので、ナセド様の料理はそのついでにお持ちしますね。少し待っていてください」
私は優しくそう告げて、私たちのやりとりを大人しく聞いていたキュネちゃんの手を再び繋ぎ直した。
すると、ナセド様は不思議そうな顔で「わかったが、何故また、見ず知らずのその子に賄いを与えてさらには、レレナと一緒に食べるんだ?」と、青い瞳を見開いて尋ねた。
「えぇっと、私がこの子と食べたいと思ったからです。それに、少しだけ……故郷の妹に似ているので」
「なるほど、レイミか……わかった」
ナセド様は深く納得し、私たちは再び歩き出し、キュネちゃんと一緒に食事をとるべく空いているテーブルへと向かった。背後でナセド様がキュネちゃんのことをじっと見つめている視線を感じたけれど、そのまま気にせずに歩みを進めた。




