幕間26 悪魔の疑念と、見過ごされた違和感
月明かりに照らされた夜のシェフリアの森。一番高い木の上に登って、王都越しに南の戦場跡地の方角を見つめるインキューネ。
「ふん、あいつら、負けた、負けたわね。まぁ、予想通り。予想通りだわ」
他の悪魔がやられたことなど気にも留めず、クスクスと笑い飛ばすインキューネ。彼女は歓喜に打ち震えていた。二十数年ぶりに夢を喰えたのだから。
「にしても、甘かった。実に甘い欲望の夢を持った女だったわ、レレナは……。でも、あの子の夢の中の理想の男性、たしか金髪の男だったような……」
ふと夜空を見上げると、思い出したように続けて呟いた。
「どこか、あの女に似ていたわね……もしかして、王族、王族かしら。あの金髪の女と同じ!」
昔やられた傷はすでに癒えているものの、彼女は少し顔をこわばらせ、自身の左手と尻尾を見つめながら、ガタガタと震え上がった。
「いや、ないない。あの子の理想の男性が、本物の王子様だなんて。多分あれだわ。ただの空似、他人の空似よ」
現実逃避をして「違う」と自分に言い聞かせるインキューネ。しかし、彼女はあの金髪の女の恐ろしい顔を片時も忘れたことなどなく、心の底では、あの男が王族の血を引く者だと疑っていたのだ。
「もし、あの男が王族なら。あの子を狙うのは難しいじゃないの、難しくなるわ……いや、まだ、彼女が王族と関わっていると決まったわけじゃない。とっ、とにかく、また王都へ行くチャンスを見計らおう」
そう決意を固めたインキューネ。けれど、もう一つ、彼女の心には、お人好しで優しいレレナから受けた『変な気持ち』が残っていた。
「そういえば、レレナが作ったパンとスープ、美味しかったわ、美味しかったわね。悪魔がこんなことを言うのも変だけど……また食べたいなんて気持ちがあるのは、なぜかしら、なぜかしらね。私は甘い夢を喰らうのが好きなはずなのに、はずなのにね」
そう変な気持ちを抱くインキューネ。レレナは悪魔である自分に温かい手料理を振る舞ってくれたが、それはあくまで、無害な子供の姿をしていたからにすぎない。本当の姿を見せたことは一度もないのだ。
「もし、レレナが私の本当の姿を見たら、どう思うんだろうね……とりあえず、今日はもう寝よう。疲れたし、疲れたしね」
レレナのことを想い、そう呟きながら木から降りると、インキューネは月明かりに照らされた森の奥へと帰っていった。
一方、同時刻。街灯の炎が壁を照らす北の門の入り口。戦争を終えたナセドは、リシェルに「城下町全体の守りを見てくる」と告げると、城内の東に常駐している、白と青の毛並みが混ざり合った自身の馬を走らせて、北へと向かっていた。
そして、馬から降りたナセドは、衛兵に声をかけた。
「衛兵!」
「あっ、これはナセド殿下」
北の門の前に立っていた二人の衛兵が振り返り、ナセドに軽い会釈をした。
ナセドは衛兵たちに、今日一日の様子について尋ねた。
「今日一日、何もなかったか?」
「はっ、ここに侵入しようとする人間は一人もいませんでした」
衛兵たちは彼の問いに対し、いつも通り真面目な様子で、淡々とそう答えた。
「そうか、わかった」
(異常がないなら、俺の気のせいか。……だが、彼らの目、少し疲れているように見えたが)
内心で少しばかり違和感を覚えながらも、今は納得し、これ以上の追及はせず、彼らに労いの言葉をかけた。
「今日一日は、ご苦労だった。しっかり休んでくれ」
「はい、ありがとうございます」
衛兵たちは北門を閉じ、自身の詰所へと戻って行った。
「じゃあ、俺も帰るか、王城へ……明日、またレストランに行こう」
そう呟きながら踵を返すと、ナセドは馬に乗り、王城へと歩みを進めた。
しかし、彼はその違和感を見落としていた。北の門を、すでに何者かが静かに通り過ぎていたことにも気づかぬまま――夜は、静かに更けていった。




