幕間23 悪魔の強がりと、心に根付いた少女の笑顔
『えへへ。ナセド様、恥ずかしいです。でも大好き』
人気のない路地裏で甘い声を漏らしながら、とろけたような顔をするレレナと、彼女の頭に左手を乗せるインキューネ。悪魔の少女は、歓喜に満ちた笑みを浮かべていた。
「この子の夢。すごく、すごく甘い。とても甘いわ……。あの金髪の女と同じくらいね。しかし、さっき、レレナは私が引き出した欲望で作り上げた甘い夢を、偽物だと気づこうとしたわね」
つい数秒前のことを思い出す。レレナが夢の中のナセドの手を振り払おうとした――その様子を思い返しながらも、悪魔の少女は余裕のある笑みを崩さなかった。
「まぁ、でも、無駄なんだけどね。さっき喰らったそこの女には使わなかった『欲望を高める甘い香り』を、夢の中で一度、理想の男に嫌われるという小細工をしてからレレナに嗅がせたからね。それを嗅げば、偽物だということも忘れて、その世界に虜になるんだからさ」
そう独り言を呟きながら、幸せそうに眠るレレナに、インキューネは視線を向けた。
「……それにしても、いい寝顔をしているわね、レレナは」
笑みを崩さずに座り込むインキューネは、静かに呟きながらレレナを見つめていた。
それから、太陽の位置が傾いた頃、インキューネは彼女の頭から左手を離した。
「もうこれで十分ね。そろそろあいつらも敗れる頃だし……」
そう言って立ち上がると、目を瞑り、本来の悪魔の姿へと戻った。そして、目をゆっくりと開け再びレレナへ視線を向けた。
「でも、その前にこの子の記憶は消さないとね……。あなたの料理、本当に美味しかったわ、レレナ。でも、一番は甘い夢だけどね。まぁ、寝てるからどうでもいいけど……」
そう『どうでもいい』と強がりながらも、悪魔の心には変な気持ちが残っていた。レレナの優しさに触れたことによる、温かな感情が。
「でも、どうしようかな。この子の記憶、他の人間と同じように、私の存在と正体だけを消すか。もちろん、この子の甘い夢は残すけどね」
茶髪の女の方へ向いてそう呟きながら、インキューネは難しい顔をして首を傾げて考えた。ふと、レストランに入った時、レレナだけでなく、あのおばさんにも姿を見られていた記憶を思い出す。
「いや、あのレストランには、確かおばさんがいたわね。もし私の存在と正体だけを消したら、彼女はどうしてここで眠ったのかわからない顔をするだろう。そこの女と同じようにね。でも、この女は普通に消しても問題ない。けど、レレナは別よね……」
眠っている二人を交互に見つめ、静かに頷くと、インキューネはさらに思考を巡らせた。
「私を見ている者が他にいる以上、ただ消すだけだと不自然になるわね。場合によっては、記憶の蓋が開くかもしれない……」
と、そう判断したインキューネは「仕方ない、ならこうしようかな」と呟き、再び彼女の耳元に囁いて、ある命令を深く刻み込んだ。
「レレナ。あなたは私が『悪魔』だってことを忘れて、迷子の子供を送った後、ここで疲れて眠ってしまった……そう思い込みなさい」
その言葉に従うように、眠ったままのレレナは静かに呟いた。しかし、彼女は催眠にかけられて深く眠っているというのに、未だににやけ顔のままであった。
「はい……」
「でも、夢だけは消さないでおいてあげる。また私の力を使えば、あなたは再びあの夢を見たくなるの。あなたの欲望は、私にとってはご馳走。チャンスがあれば、また夢を喰らうからね」
インキューネは、眠っているレレナに向けて確信に満ちた声で呟いた。一度味わった極上の甘い夢は、決して忘れられるものではない。あえて夢の記憶を残しておくことで、人間が正気に戻る確率が減ることを、悪魔は熟知していたのだ。そんな企みなど知る由もないレレナは、ぐっすりと眠り続けている。
そして、インキューネは隣で眠る茶髪の女性を見下ろし、邪悪な笑みを浮かべた。
「さて、記憶はいじったし。そろそろそこの女性も起きるし、帰るとしますかね。ふふふ。じゃあね、レレナ」
そう独り言をこぼしつつ、最後に彼女の名を呼んで笑うと、インキューネは黒き翼を広げた。そして夕暮れの空高く舞い上がり、北の森へ誰にもバレないように帰っていった。
眠った彼女たちを、そのまま残して。だが、記憶をいじられたレレナの頭の奥底に、人間の姿をした悪魔の少女が美味しそうに料理を食べる光景だけは、強く根付いてしまったことなど――インキューネは知る由もなかった。




