第26話 レレナとインキューネ
レストランを出ると、南で戦争中だからか、相変わらず人通りは少なかった。けれど、私と紫髪の少女は数分後、人気のない路地裏へとたどり着いた。
「この路地裏を通った先にあるの、私のお家」 「えっ、ここ?」
私は疑問に思って首をかしげた。ここは、昼間でも薄暗く、人通りがとても少ない場所だ。こんな所の先に、本当に家があるのだろうか。
「うん、あるの」
……まぁ、こんな笑顔を見せる子が、嘘をつくとは思えない。私はそう思い、紫髪の少女の言葉を信じて、路地裏へと足を運んだ。 すると、手提げ鞄が落ちていて、その近くで、仰向けに眠っている茶髪の女性を見つけた。
「えっ?」
驚きのあまり目を見開いた。なんでこんなところで、女性が一人で眠っているのだろう。
困惑しながら近づき、しゃがみ込んで「大丈夫ですか?」と声をかけた。しかし、彼女はぴくりとも動かない。ただ、その口元は何故か緩んでいて、とても幸せそうな顔で眠っていた。
(おかしい、こんなところでたった一人で眠っているなんて)
意味のわからない恐怖に駆られていると、「どうしたの、お姉ちゃん」と背後から声がした。
「ねぇ、あなた……えっ?」
振り返ると、紫髪の少女は何故か私のすぐそばにしゃがみこみ、至近距離で私の顔を見つめていた。 その瞬間、少女の紫の瞳が妖しく光った。
「あぁ、何これ……!」
その瞳を見た瞬間、私は思わず苦しげな声を漏らし、石の地面に尻餅をついた。黄色い瞳から、光が徐々に失われていく。しかし、まだ完全に意識を手放してはいなかった。身体の自由はきかず、かろうじて首を動かすことしかできない。逃げることなど、とうてい不可能だった。
「ごめんね、お姉ちゃん。私、悪魔なの」
いたずらっぽく笑っていたさっきの笑顔とは桁違いの、邪悪な笑みを見せて少女はそう答えた。
光を失い、虚ろになっていく黄色い瞳のまま、私が「あ、あなたが……悪魔……?」と掠れた声で尋ねると、少女は余裕の笑みを浮かべて答えた。
「えぇ、そうよ」
あっさり答える悪魔の少女に、私は驚きを隠せなかった。
(この少女が悪魔……? あんなに美味しそうに料理を食べて、あんな笑顔を見せていたのに――でも、この子は店で暴れなかった。悪魔なら、すぐに暴れて人を喰うはずなのに)
私は彼女の笑顔に騙されていたのか、その正体が悪魔だとすぐには実感しきれなかった。何故なら、故郷の村で悪魔に関する本を少しだけ読んだことがあり、悪魔は暴れて人を喰らうものだと知っていたからだ。
でも、この子はそれをしない。私に何をしようとしているのか――あの女性と同じようにするつもりなのだろうか。
そう考えている私を、悪魔の少女はまじまじと見つめ、感心したように言った。
「……でも、他の人間と違ってずいぶん粘るわね。さすがは極上の『甘い欲望』の夢の持ち主だわ」
「甘い……欲望の夢。何?あなた、そこに倒れている女性に何をしたの?」
その意味の分からない悪魔の言葉に困惑しつつ、首が動かせず直接は見えないけれど、倒れている女性がどうなっているのか気になりながらも尋ねた。
「何をしたって? 眠らせて夢を見せて、喰らった。ただそれだけよ」
悪びれもなく、悪魔の少女は笑顔で答えた。
しかし、眠らせて夢を見せるだけの悪魔がいるなんて初めて聞いた。悪魔が見せる夢なんて、絶対、悪夢に決まっている……いや、待って。そういえば、さっきの女性を見た時の顔は幸せそうだった。
けれど、その女性が見ている夢の内容は、私にはわからない。悪魔の少女は『甘い欲望の夢』と言っていたけれど、もしかして、この子が見せる夢は特別だというの?
悪魔が見せる夢を否定しきれないまま、私は別の疑問をぶつけた。さっき、本で読んだ悪魔とは違うと思ったけれど、南で攻めている悪魔たちの仲間である可能性も、まだ捨てきれなかったからだ。
「も……もしかして、あなたは、王都の南から攻めている悪魔たちの仲間……なの?」
私の問いに、悪魔の少女は立ち上がって私を見下ろした。その顔からは余裕の笑みが消え失せ、冷たい眼差しを向けて吐き捨てるように答えた。
「仲間……違う、違うわ。あいつらみたいな血なまぐさい、人を喰らう連中と一緒にしないでくれる? 私は群れない。群れないのよ。ずっと一人で――一人で生きてきたんだから」
「一人……」
その言葉を聞いた時、悪魔に喰われる恐怖よりも、寂しさが胸を締め付けるような気がした。まるで、故郷にいる妹の姿を、またこの子に重ねてしまうかのように――私は心の中でそう呟いてしまった。
(一人……私も、今は一人よ。でも、この子は悪魔だから、私よりもずっと長く生きているのかもしれない。それでも、一人でずっと生きていくのは、きっと悲しいことだと思う。けれど、この子の行いを認めることはできないわ)
そう、悪魔の少女の行いは決して認められない。私が心の中で思いを固めていると、悪魔の少女は再びいつもの笑みを取り戻した。
「まぁ、でも、あいつらのおかげで侵入できて、ラッキーだったわ」
「ラッキー……どういうこと?」
虚ろな瞳のまま首をかしげて問い返すと、少し目眩がしてきた。それでも、私はまだ意識を手放さなかった。この子の話を、もっと聞きたかったから。
「ふふふ、その話はしたくないわね。けど、一つだけいいことを教えてあげる」
「いいこと?」
クスクスと笑い、南の方角へと視線を向けた悪魔の少女は、自信たっぷりな様子を見せた。それは、まるで最初から勝敗が分かっているような顔であり、何故そんな顔をするのか、私はまた疑問を抱いた。
「私はあいつらに忠告したのよ。勝てないって。だから、あいつらは負ける。負けるのよ」
「負ける……」
それは、悪魔が言う台詞とは思えなかった。仲間じゃないから、そう思うのだろうか。それとも、悪魔の少女の戯言なのか。けれど、ナセド様や王様、この国の人たちはとても強いと聞いている。この子は、そのことをまるで分かっているような、確信めいた様子だった。
「そう、私の身体を燃やした、あの女が住む国だからね」
悪魔の少女は私の方へ向き直ると、再びしゃがみ込み、顔を覗き込みながら、そう言葉を返した。
「燃やした女?」
その言葉を聞いて、お茶会の時のことを思い出した。確か、フィオネ王妃様は「消し炭の冒険者」と呼ばれ、悪魔も消し炭にしたと仰っていた。……もしかして、この子は、あの時の悪魔の生き残りなの?
(でも、「焼かれた」と言っていたから――私の炎で、何とかできないだろうか……)
そう思い、左手を動かそうとするが、全く動かない。それに、少女の顔を見ると――あんな無邪気な笑顔を見せてくれた彼女を壊したくないという気持ちがあったのだ。たとえ悪魔であっても。
(いや、駄目だ。身体は動かないし、それに、この子を燃やすことなんて、私にはできない)
私は少し悲しみと悔しさが入り混じった感情を抱いていると、悪魔の少女は呆れたような顔つきから一変し、敵意をむき出しにして睨みつけてきた。
「どうせ、あなたも私を悪魔と見て攻撃してくる人間の一人でしょ。あの、私を燃やした女のように」
(……燃やした女が王妃様なのかは分からないけれど、「そうだ」とは言いたくない。だって、この子は理由がどうであれ暴れていないもの。……けれど、「違う」とも言い切れない。あの時、料理を美味しそうに食べていた笑顔は、本物だったかもしれないから。さっきは、その笑顔にすっかり安心してしまっていたわ)
自分の意思に反して、少し悪魔の少女を憐れむような感情を抱いてしまっていると、悪魔の少女はふいっと左手を振って言った。
「あなたが悪いのよ。あなたが、私の手を引くから」
笑みを崩さないまま言い放たれた言葉に、私は思わず「えっ」と静かに呟いた。
その意味が私には理解できなかったけれど、悪魔の少女は言葉を続けた。
「そう。最初、あなたを狙うつもりなんてなかったのよ。レストランの中だったからね。騒ぎを起こして衛兵にでも来られたら厄介でしょ」
(なるほど、この悪魔、レストランで暴れなかったのはそういうことなのね……でも、もしかして私が悪魔の手を……)
自業自得な事実に気づいてしまった私の顔を見て察したのか、悪魔の少女は首を傾け、いたずら好きの子供が見せるような笑みを浮かべた。
「あら、気づいちゃった? そう、あなたが手を引かなければ、襲うつもりはなかったのよ」
(やっぱり……)
私は思わず、「馬鹿」と自分を罵りたくなった。私のお人好しが、仇になってしまったのだ。……そういえば、リーアさんにも「お人好しがすぎる」と、何度も言われてきたじゃない。
「でも……いや、あなたに話すことじゃないわね」
悪魔の少女は途中で何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。何を言おうとしたのかは分からない。ただ、少し口元が緩んだような気がした。
「……さて、そろそろ限界じゃない。限界じゃないかしらね?」
クスクスと笑いながら、少女は私の耳元で問いかけてくる。
私は「くっ……」と苦しげな声を漏らした。
(確かに……ひどく眠くなってきたわ)
黄色い瞳は虚ろに開いたままだというのに、私の意識は今にも崩れ落ちそうになっていた。しかし、悪魔の少女は、優しくて残酷な、可愛らしい笑みを浮かべ、耳元で囁いた。
「安心して、レレナ」
それは悪魔が決して口にすることのない、人間に対して思いやりをかけるような言葉だった。それと同時に自分の名前を呼ばれ、私は『なんで知っているの?』と言いたげな顔つきで問い返した。
「なんで、私の名前を……」
「さっきおばさんが言っていたでしょ。あなたの名前をね」
(あ、そういえば、「なんだい、レレナ」と言っていたわ)
ふと思い出したかのように心の中でそう思っている私に、悪魔の少女は笑みを崩さないまま語りかけた。
「ふふふ、思い出したみたいね。じゃあ、眠って。私はあなたを殺さない。そこの女性だって、数時間くらいで目覚めるはずだから」
「えっ?」
倒れている女性が目覚める? 私を殺さない? それって、どういうこと……。困惑する私だったが、もう意識が途切れかかっていた。
(くっ、もう無理。助けて、ナセド様……)
その悲痛な叫びとともに、私の意識は消え――黄色の瞳は虚ろのまま、何も喋らない人形と化した。
***
「ふふふ、ようやく落ちたわね」
勝ち誇った笑みを見せたインキューネは、妖しく光っていた紫の瞳の光をすっと消し、レレナに命令を下した。
「それじゃあ、眠りなさい」
「はい、眠ります」
人形と化したレレナはそう口にすると、ゆっくりと虚ろな黄色の瞳を閉じ、そのまま後ろへ倒れて仰向けに眠りについた。
「じゃあ、始めようかな。始めようかしらね。レレナ。あなたに素敵な甘い欲望の夢を見せてあげるからね」
そうまた優しい言葉をかけながら、インキューネは、レレナの束ねた桃色髪の頭に左手を乗せた。
こうしてレレナは深い眠りに落ちていき、甘い夢へと引き込まれていく。押し殺していたナセド様への想いが、これから揺さぶられることになるとは――彼女自身、知る由もなかった。




