第25話 紫髪の少女の来客
正午のレストラン。今日はお客さんが誰もいなかった。
というのも、南から来たお客様の話によると、魔物や魔獣たちが攻めてきているらしいからだ。
そのため、たくさんの冒険者や聖騎士団、王様に加えて、ナセド様も戦いに駆り出されているらしい。
私は(みんな、大丈夫かな。それに、ナセド様も……)と不安に思いつつも、自分の仕事を続けていた。
けれど、やっぱり彼がいつものようにこのレストランへ食事に来ないことに、少し寂しさを感じていた。
そんなこんなで、私が厨房で仕事を続けていると、静けさに包まれた店内から、ガチャリと扉の開く音が聞こえてきた。
「ん?新しいお客様かな……なら行かないと」
そう私は声に出し、厨房から店内へ出ると、そこには一人の女の子が立っていた。それは紫がかった黒い子供用のワンピースを着た十歳くらいの可愛らしい子で、肩にかかる程度の短い紫髪と同じ色の瞳、とても綺麗な白い肌をしており、足元には紫色の革靴を履いていた。
(ん?なんで、こんな所に子供が?)
少し疑問に思いつつも、私はその紫髪の少女へ駆け寄り、目線を合わせるようにしゃがみ込むと、「どうしたの、お嬢ちゃん」と尋ねた。
すると、紫髪の少女は左手を頭に乗せながら、「ちょっと、いい匂いに誘われて来ちゃって」と答えた。
「そうなのね」
少女の顔を心配そうに見つめながら、私は心の中で推測した。
(なるほど、ここの料理の匂いに誘われて来ちゃったのね。でも、『お母さんは?』……と聞きたいところだけど、見たところ何か訳ありな事情がありそうね)
そうやって私が観察していると、紫髪の少女は興味を失ったかのように左手を下ろし、扉の方へと向かおうとした。
(あっ、待って)
子供を一人にしておけない。何より、いい匂いに誘われてきたのなら、お腹が空いているはずだ――そんな心配な気持ちを抱きながら、私は立ち上がり、少女の元へと小走りで駆け寄ると、「待って。あなた、お腹空いているんじゃない?」と、少し身をかがめて少女の肩にそっと手を乗せ、問いかけた。
すると、少女は後ろを振り向き、何故か残念そうな顔で「いいえ、空いてません」と答えた。だが、それがどういう意味なのか分からず、私は強い口調で告げた。
「いいや、絶対にお腹空いてるわよ」
そう強く言い切ると、少女は観念したかのように私の方へと完全に向き直り、困ったような顔を向けた。
「確かに、空いているかもしれない。でも私、お金なんて……」
そんな悲しそうな目で見つめる少女を安心させるかのように、私は力強くも優しい言葉をかけた。
「大丈夫、私が作ったまかないがあるから」
すると、少女はパッと花が咲いたように喜びの笑顔を見せて「じゃあ、お願いします、お姉ちゃん」と答え返した。
その笑みを見た私は、安心してほっと胸を撫で下ろした。
「よかった。ファナおばさん……」
そう言って厨房へと振り向き、声をかけると、ファナおばさんが顔を出した。
「なんだい? レレナ」
不思議そうな顔で問いかけてくるファナおばさんに、私は薄い笑みを見せながら、こう返した。
「少しこの子の相手をするので、後の仕事をお願いします」
「わかったわ。ちゃんとその子に料理を食べさせてあげなさいな」
そうファナおばさんの了解をもらった私は、「じゃあ、行きましょう」と少女の小さな左手を引いた。
その手はとても温かく感じられた。けれどそれと同時に、少女が目を丸くして、穏やかな顔になっていたような気がしたけれど、私は気にせず、そのまま二人で店の奥へと向かった。
(名前は知らない子だけど、こんな小さな子を放っておけるわけがないし……それに、なんだか昔の妹を見ているような感じがするのよね)
自分の妹、レイミを重ねた私は、そんな思いだけで、足が自然に動いていた。
「じゃあ、ここで座って待っててね」
そう言って私は後ろを振り返り、厨房へと向かった。
その背後で『久しぶりだな、人が作ったものなんて』という独り言のような声が聞こえた気がしたけれど、気のせいかもと思いながら、私は厨房へ入った。
そして、いつもまかないとして用意しているパンとスープ、銀のスプーンをお盆に乗せて、少女の元へと運んだ。
「お待たせ」
私は少女に微笑みかけ、どうぞと言わんばかりに、パン、スープ、銀のスプーンを順番に彼女の目の前に並べた。
私は空いたお盆を片手で胸に抱えたまま、もう一方の手を差し出す。少女は、どこか気だるげな、でも少し期待しているような不思議な顔をしていたけれど、迷わずパンに齧り付いた。
すると、少女は目を丸くしながら、「とても美味しい」と私の料理を褒めてくれた。
「よかった。まずいって言われるか心配だったけど」
えへへと照れながら私がそう言うと、少女はパンを齧るのに夢中だったが、一瞬だけこちらをチラリと見た。
(ん? 何その顔。私の料理が気に入ったのかな?)
それが、嬉しさから出た顔なのか、それとも美味しさからなのか、私には分からなかったけれど、自分の作ったものを食べてもらえることが、素直に嬉しかった。でも、なんだか――やっぱり、この姿を見ていると、妹のことを思い出してしまう。
だが、そんなことを考えているうちに、少女はスープを飲み干し、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
そして、私の方へ視線を向けると、少女は紫の瞳を輝かせながら、満面の笑みを浮かべ、口を開いた。
「ありがとう、お姉ちゃん。とてもおいしかったよ」
「うふふ、ありがとう」
その笑顔が何より嬉しくて、私は思わず微笑み返した。
すると、紫髪の少女は扉の方へと歩き出そうとする。だが、私は「この子を一人では帰らせられない」という気持ちが湧き上がり、小走りで厨房へと戻ると、つけていたエプロンを脱いでテーブルに置き、少女の元へと急いだ。
「待って」
私が呼び止めると、少女は「なんだろう」という顔つきで、後ろを振り返った。
「お嬢ちゃん、今は戦争中で、街も物騒だから。私が送っていくよ」
「えぇ、いいの?」
少女は少し不安そうな顔で尋ね返してきた。その顔があまりにも心細そうに見えたから、私は思った――もし討伐を逃れた悪魔や魔獣がこの街に現れたら、この子一人ではひとたまりもない。放っておけるはずがない。それに、私にも微弱ながら火の魔法がある。何かあった時、少しは力になれるかもしれない。
そう考えて頷くと、私は答えた。
「えぇ、いいわよ。それに、子供が一人で街を歩くなんて、危ないもの」
私は後ろを振り向き、大声でファナおばさんを呼ぶと、この子を家まで送っていくと告げた。すると、おばさんが厨房から顔を出し、「行ってらっしゃい」と声をかけてくれた。
「じゃあ、行きましょう」
私は少女の左手を引き、前へと進んで扉に手をかけると、そのまま外へと飛び出した。だが、私はまだ知らなかった。この先に待っているのが、甘い絶望だということを。




