第24話 お茶会の報告とレレナの失恋
お茶会から三日経ったある日の朝。
私は、ピンク色のもこもこの寝巻きから、いつもの仕事着に着替えようとしていた。……その時、ぶちり、と嫌な音が部屋に弾けた。
「うっ、嘘でしょーっ!?」
私は思わず大きな声で嘆いてしまった。それもそのはず、毎日着ているロングスカートの腰のボタンが、勢いよく弾け飛んでしまったのだから。
「もしかして、この前のお茶会で出されたカラロンを食べて太った……?」
いや、違う違う。お菓子だけで太るはずがない。多分あれだ、レストランで自分で作った賄いを食べすぎたんだ。そうに決まってる。……いや、待って。
私は黄色い目を細めて、改めて腰のボタンをよく見てみた。すると、もう一つのボタンも、糸がほつれかけていることに気づいた。
「ふふっ、なんだ。糸がほつれていただけじゃない」
太ったわけではないと分かり、ホッと安堵の笑みを浮かべたものの、このままでは仕事に行けない。「あぁ、どうしよう」と、私は困った顔で呟きながら考えた。
(……他に仕事着はないしな、あるのは、リーアさんに作ってもらったドレス、故郷から持ってきた服。……リーアさんに直してもらうかな)
そう思った私は、ベッド脇の小さなテーブルの下からいつものポシェットを引っ張り出し、中を開けて、いくら入っているか確かめてみた。
「銀貨三十一枚……うわぁ、微妙。まぁ、ドレスを買ったあとにお給料が入って、この二、三日でちょっと使っちゃったのよね。でも、これならなんとかいけるかも。イフェドさんに頼んで、ファナおばさんに『リーアさんのところへ行くから休みます』って伝えてもらおうっと……それに」
そう。最高のドレスを作ってくれて、貴族のルールまで教えてくれたリーアさんに、私はまだきちんとお礼を言えていないのだ。
彼女の仕立てたドレスが評判を呼んで、王妃様や王女様が見に来るかもしれないことや、お茶会がどうだったか。その報告もできるのだから、ちょうどいい機会だ。
「そうと決まれば、さっそくお出かけ用のワンピースに着替えて出発しよう! 朝食をとってから行こうっと」
そう決意した私は、今着ている寝巻きを一気に脱ぎ捨てた。いつものようにひんやりとした朝の空気が肌に触れるけれど、気にせずクローゼットの方へ向かう。そして、茶色のお出かけ用ワンピースを取り出すと、頭からすっぽりと着込んだ。
「さて、行こうっと」
私はポシェットを肩にかけて部屋を出ると、一階の食堂でいつものように朝食を済ませた。それから宿の主人のイフェドさんに、「ファナおばさんに、リーアさんのところへ行くから休むと伝えてほしい」と伝言を頼んだ。
実は、ファナおばさんとイフェドさんは十年近くの飲み仲間で、たまに一緒にレストランで飲んでいるほどの仲だ。だから、こういう伝言も気軽に頼めるのだ。
イフェドさんに快く承諾してもらい、一度自分の部屋へと戻り、仕事着を持って私は宿を飛び出して街へと向かった。
それから数十分後、ようやくリーアさんの仕立て屋に辿り着いた。
そこにはいつもの、一階建ての横に長い煉瓦造りの建物と茶色の扉、そしてガラス張りの大きな窓がある。もちろん、店内の天井の油ランプや、トルソーに着せられたドレスなども見える。
そしてカウンターの向こうに、リーアさんの青い髪が薄っすらと見えた。彼女はこちらに気づくと軽く手を振り、私も手を振り返し、そのまま茶色の扉を開けて中へと入っていった。
「あら、いらっしゃい。レレナ」
そう出迎えて、カウンターに肘をついたまま手を振るリーアさんに、私は満面の笑みを浮かべて「うん、来ました。リーアさん」と声をかけた。
「その顔、どうやらお茶会は成功したようね」
リーアさんは私の満面の笑みで察したのか、そう問いかけてくれた。しかし、この話はあとだ。まずはこの仕事着の話をしないといけない。
そう思った私は、「えぇ、おかげさまで。けど、今日その話をする前にこれを見てほしいの」と言いながら、カウンターに肘をつくリーアさんの前へと歩み寄り、その上に仕事着のスカートを広げた。
「ん? これはもういっちゃってるわね。もしかして、太っ――」
リーアさんは肘をついたまま、弾け飛んだスカートのボタンを見て、狐色の瞳を細めて薄い笑みを浮かべる。そう失礼なことを言おうとした彼女の声を遮るようにして、私は頬を膨らませながら即答した。
「太ってません!」
「ふふ、わかった。でも、前にもこんなやりとりしなかった?」
リーアさんが、以前ドレスのサイズを測った時のことを思い出してそんな鋭い指摘をしてくるので、私は頬を膨らませたまま、強く大きな声を上げた。
「もう、あれは胸の話でしょ。今回は違うわ、糸がほつれただけです」
「そうだったわね」とからかい混じりに言いながら、リーアさんはカウンターから肘を離し、両手でスカートの腰元を受け取ると、布の手触りを確かめながら、ボタンの縫い目をじっと見つめた。
それから数分後。よし、と職人魂に火がついたように糸のほつれを見極めた彼女は、自信満々に言った。
「えぇっと、これなら半日かかるけど、銀貨五枚で直せるわ」
「ほんと、よかった。このままじゃあ仕事に行けないし」
そう言って、私はほっと胸を撫で下ろした。すると、リーアさんは仕事着を丁寧に畳んだ。
「じゃあ、レレナ。お代」
「はい、リーアさん」
そう言って、私は肩にかけていたポシェットから銀貨五枚を取り出すと、ポシェットの口を閉め、代金をカウンターの上に置いた。
リーアさんは「毎度あり」と軽く答えると、それをいつものワンピースのポケットにしまい込む。
そして、またカウンターに肘をついて薄い笑みを見せながら、お茶会の件を切り出してきた。
「じゃあ、そろそろ聞こうかしら。お茶会の話と評判上げの成果を」
「はい」
まずはどれから話そうかな。馬車のこと、ヒールのこと、淑女の礼……話すことはいっぱいあるけれど、これだけは言わないようにしなきゃいけないことが二つある。私の故郷の話と、ナセド様の親友たちの話だ。
リーアさんには、故郷について詳しくは話していない。ただ「遠い村の出身だ」と言っただけだった。宿の主人のイフェドさんも、レストランの店主のファナおばさんも同じだ。
私の詳しい出身地を知っているのは、お茶会で話を聞いたナセド様たちだけだ。
けれど、最初に私が話すべきなのはあれかな。一番大変だった、あの出来事だ。
「でも、まずは一つ大変なことがありました」
「ん? 何かしら」
それは、ドレス姿でのお手洗いの件だ。着付けやヒールのことなど、リーアさんには色々と教えてもらったけれど、それについてだけはまったく聞いていなかったのだ。
私は、王城の化粧室でリリアーナ様にお手洗いを手伝ってもらった時の顛末を、ありのままに話した。
「……とまぁ、そんな感じで何とかなりました」
私がそう話し終えると、リーアさんはカウンターから肘を離し、いきなりお腹を抱えて盛大に吹き出した。
「ぷぶっ……あはははっ! 王女様に、化粧室でお手洗いの手伝いをしてもらったって……っ」
「笑わないでください!」
プンスカと怒る私に対し、リーアさんは左手をひらひらと振ってみせた。謝罪の言葉を口にしてはいるものの、その口元は思い切り笑っていた。
「悪い、悪い。けど、そういや、あんたにその件を教えるのをすっかり忘れてたわ。ドレスを着た時のお手洗いのやり方くらい、仕立て屋だからある程度は知っていたんだけどね」
はぁ、と私はため息をついた。まぁ、私もあの時、お手洗いの件については何も聞かなかったのだから、それは仕方ない。……でも、そこまで笑うことはないじゃない。
私が怒った顔を見せていると、ひとしきり笑ったリーアさんは、ふとあることを思い出したように、すっと真顔に戻った。
「……いや待って。リリアーナ様が、あんたの手伝い?どういう風の吹き回しよ。あのわがまま王女が、あんたにそんなことをするなんて」
「まぁ、これには色々ありまして」
かなり真顔で驚いているリーアさんに対し、私は指先で髪をいじりながら、淑女の礼の話から切り出した。
「実は私、聖騎士団のリカードさんや王妃様に淑女の礼をしたんです」
「ふぃっ、フィオネ王妃様!? それに、聖騎士団の中で一番強いと噂されているリカード団長!? あんた、どうやって知り合いになったのよ。特に団長のリカード様と!」
王妃様にも驚いていたけれど、それ以上にリカードさんに驚いているリーアさん。どうやら彼は、この国ではかなり有名らしい。私はこの国に来て一年ほどしか経っていないから、そんなことはまったく知らなかった。
「まぁ、ナセド様が馬車を用意してくださって、そのエスコート役に、彼の親友であるリカードさんが頼まれたんです」
「なるほど、さすがは殿下ね。そういう親友がいるなんて。……でも、あんた、あの時、馬車のことは一言も言ってなかったけど……もしかして、馬車がなかったら歩いて行こうとか考えてなかった?」
「なんでわかるの!?」と、私は驚きの声を上げそうになった。だって、一言もそんなことは言っていないのだ。そんなリーアさんの鋭い指摘に私がこくりと頷くと、彼女は呆れたように眉間に皺を寄せた。
「やっぱりね。まぁ、あんたは歩くのが好きだもんね。けど、ドレスと履き慣れないヒールで行くのは無謀よ。途中で転けたら洒落にならないわ」
「うん、わかってるわ。だって、ヒールで歩いてみて、身に染みたもの」
「身に染みた……? もしかして、転けた?」
狐色の瞳を細め、真顔で問い詰めてくるリーアさんに、私はぎくりとした。何故なら、ナセド様のところへ向かう途中、本当に転びそうになったからだ。
(実際は転んでいないけれど、あんな恥ずかしい話、言えるわけがないわ)」
「いや. 、全然」
私は目を泳がせつつも、苦笑いを浮かべて必死に誤魔化した。
「嘘、顔でわかるわよ」
やっぱりバレちゃったか、と観念した私は、「転けたけど、深く聞かないで」と苦笑いのままお願いした。
……本当は転けていない。転びそうになったところをナセド様に助けられただけだ。でも、そんなこと、リーアさんには言えない。
すると、リーアさんは「わかった、わかった」と面白そうな顔をしながら軽く受け流してくれた。
「しかし、聖騎士団の団長にエスコートされるなんてやるわね。しかも王子様がお出迎えでしょ? あんたの方こそ、両手に花じゃないの」
「両手に花なんて、リカードさんはそういう対象じゃないよ……それに……」
「それに……?」と問い返すリーアさんをよそに、私は少し悲しい顔を見せながら、言葉を詰まらせた。
(ダメよ、私。ナセド様のことを考えちゃダメ。もう諦めているんだから。……それに、彼のお隣には、相応しい妃候補であるレーナ様がいるのだから)
私が胸の痛みを堪えるように黙り込んでいると、リーアさんは私の悩みを察してくれたのか、カウンターについていた両肘を離し、そっと左手を伸ばし、私の桃色の髪を撫でながら、静かにつぶやいた。
「……お茶会でナセド殿下と何かあったのね。でも、深くは聞かないわ。だって私たちは親友だもの。……けれど、あんたは最高に可愛い。それだけは、私が保証するわ」
「ありがとう、リーアさん」
そうだ。私は可愛い。今はあの美しいドレスを着ていない、ただの平民の姿だけど……それでも、今の私にはちゃんと自信がある。
私は笑顔を取り戻しながら、心からのお礼を言った。
「さて、しんみりした話はここまでよ。次は、王妃様に淑女の礼をした時のことを話をしなさい。どうせリリアーナ様にも礼をしたんでしょう?」
リーアさんは撫でていた私の桃色の髪からそっと手を離すと、再びカウンターに両肘を突き、淑女の礼を披露した時の話題へと引き戻した。
「はい、けど、リリアーナ様にだけは淑女の礼はしていません」
「どういうこと?」
訳がわからないという顔をするリーアさんに、私はレストランの件やお茶会の時、リリアーナ様がお母様である王妃様に怒られたことなどを話した。
「なるほど、そんなことが……。というか、リリアーナ様はレストランで淑女の礼もせずに、高らかに名乗ったんですって? そんなこと、一度も聞いてないわよ、レレナ」
狐色の目を細め、不機嫌な顔を向けてそう言うリーアさんに、私は反論した。
「だって、リーアさんは『何か言われたの?』としか聞いてこなかったじゃない。それに、あの時の私は淑女の礼そのものを知らなかったのよ。だから、リリアーナ様が高らかに名乗ったことが失礼なことだなんて、思いもしなかったの。……その後、リーア
さんに礼のやり方は教わったけれど、どんな時に使えばいいのかまでは聞いていなかったし。だから、リリアーナ様が礼をしなかったことにも、触れようがなかったのよ」
「ぐっ……確かに、あんたに淑女の礼の話をした時、リリアーナ様が礼をしたのかどうかも、どういう場面で使うのかも、聞かなかったわね……だって、王女様が平民に礼をするなんて、思いもしなかったのよ。それに、どの場面で使うのかは私も知らなかったし。……けど、まぁ、聞き方が悪かったのは認めるわ」
痛いところを突かれたリーアさんは、しぶしぶといった様子でそう言葉を返した。彼女が私に対してはっきりと非を認めたのは、これが初めてだった。
そして、気を取り直すように表情を戻すと、次の話を切り出した。
「じゃあ、王妃様に怒られたリリアーナ様は、淑女の礼をしたの?」
「いいえ、しなかったわ」
「どうして? 王妃様にはしたんでしょう?」
目を丸くして聞いてくるリーアさんに、私は苦笑しながら答えた。
「私から、やり直しはしなくて大丈夫ですって頼んだんです。……リリアーナ様の、レストランでの名乗り。あれはあれで、私には威厳を感じたから」
「はぁ、あんたって子は、ほんとお人好しがすぎるわ。……まぁ、そこがいいところだけど」
呆れた顔を浮かべ、少しだけ棘のある言い方をするリーアさん。
「そこがいいか……」
(まぁ、『芯のある子』と言われたけど、これは言う必要ないわね。リーアさんにまたからかわれそうだし)
内心でそう思い、お茶会で王妃様たちから『芯がある』と褒められたことは語らずに、私は言葉を紡いだ。
「まぁ、やり直しはしなかったけど……リリアーナ様、私に庇われたことが悔しかったみたいで、『いつか必ず、完璧な礼を見せてあげる』って言っていました」
私からリリアーナ様の意外な一面を聞いたリーアさんは、感心したように小さく呟いた。
「へぇ、悔しがったのね。負けず嫌いなところがあるのね」
そして、ふとドレスの見返しの件を思い出したように問い返した。
「……でも、もしかして、その様子だとドレスの見返しは成功した感じかしら?」
「はい、それはもう王妃様もリリアーナ様も、あと……」
……いや、彼女のことを話すのはやめよう。妃候補であるレーナ様の顔が頭にチラついたけれど、私は「ナセド様も……」と、少し言葉に詰まりながらも誤魔化した。
「……そう」と、リーアさんはまた私の何かを察したのか、眉を寄せて静かに納得した。
「それは良かったわ、ドレスの評判はどうだったわけ?」
少し真顔になっていたリーアさんが笑顔に戻る。ドレスの評判を尋ねられた私は、笑顔を向け返して答えた。
「えぇっと、実はですね。なんと、リリアーナ様やフィオネ王妃様はリーアさんが作った最高のドレスを絶賛してくださって、『いつかお店に来てみたい』と言っていたんです! さらにナセド殿下も、直接会ってお礼を言いたいと……!」
「へっ……!」
私の言葉に、リーアさんは思わず変な声を漏らし、ついていた両肘をカウンターから離して身を起こした。そして不安げな顔を見せ、声を震わせながら答え返した。
「嘘……嘘よね? 王族の方たちが私の仕立て屋に来るなんて……。私はただ、少し評判を上げてほしいと頼んだだけなのに、どうしてそんなことに……」
「大丈夫ですよ。フィオネ王妃様もお優しいし、素直じゃないけどリリアーナ様も、あとナセド様もみんないい人たちですから」
王族が来るかもしれないという重圧に不安げな顔をするリーアさん。いつもは元気で私をからかってばかりの彼女の青い髪を、私はそっと撫でながら優しく言った。さっきのお返しだ。
「大丈夫、大丈夫よ。リーアさん」
「レレナ……。ありがとう、元気が出たわ。いつか王妃様たちが来るまでに、色々と準備を頑張るわ!」
私の励ましの言葉を聞いたリーアさんは、背筋を伸ばし、左拳を力強く握り込んで掲げた。それは彼女の職人魂だけでなく、親友からの励ましへの感謝と、ずっと抱いていた夢を叶えようとする決意の表れだった。
「リーアさん……!」
前を向いた親友の笑顔に私が嬉しさを感じていると、リーアさんは笑顔を崩し、真面目な顔でこんなことを尋ねてきた。
「けど、レレナ。王族達に、私の仕立て屋の場所は教えたかしら?」
「場所……」
(そういえば、お茶会で評判を上げただけで、肝心のリーアさんの仕立て屋の場所は教えてなかったわ)
私がうっかりした顔を向けていると、リーアさんは「やっぱりね」という呆れた顔つきで言葉を続けた。
「まぁ、いいわ。あんたにはそこまで頼んでいなかったし、どうせ王族なら地図や国民のことなんて調べればわかるはずだから。多分問題ないわ」
「そうなの?」
私が驚いたように目を丸くして尋ね返すと、リーアさんは「当たり前でしょ!」と眉間に皺を寄せながら答えた。
(なるほど、そうなんだ……。いや、待ってよ)
私はハッとした顔つきになり、馬車の中でリカード様から聞いた話を思い出した。
(そういえば、ナセド様も聖騎士団の力を使って私の名前を調べたって言っていたわね。じゃあ、仕立て屋さんの場所もその力で探すってことなら、納得かもしれないわね)
そう納得していると、リーアさんは私の仕事着のロングスカートを見下ろしながら、ふとまたあることを思い出したように、こんなことを言ってきた。
「さてと、あんたの話を聞いたことだし、そろそろあんたのスカートのボタンを直すけど……あのドレスやヒールはどうするの?」
「ドレスとヒールか……」
そういえば、お茶会が終わった後、宿のクローゼットに仕舞い込んだままだったわ。まぁ、お茶会のために作ったものだし、もうあんな夢のような場所に誘われることはないだろうから。
けれど、故郷に戻った時、妹に見せてあげることはできるわ。
「とりあえず、今はそのままにしておくわ。いつかまた着る時があるかもしれないから」
「あら、そう。じゃあ、そろそろ取り掛かるわね。あんたは終わるまでそこに置いてある椅子に座って待ってなさい、半日とは言ったけど、もしかしたら早く終わるかもしれないからね」
リーアさんはカウンターに置かれたロングスカートを手に取ると、空いている方の手でトルソーの近くにある丸型の椅子を指差し、座るように促した。
「うん、わかったわ」
私はカウンターの前から離れ、その椅子に腰を下ろした。リーアさんは「じゃあ、仕事をしてくるね」と言って、カウンターの奥の扉へと消えていった。
私はガラス越しから空を少し見上げた。
(やっぱり、リーアさんは最高の親友だ。何もかも、全部わかってくれているような顔だったから。……でも、私も情けない顔をしないように頑張らないと。平民の私が、ナセド様を想っていてはいけないのだから。たとえ、私の中に彼を好きな気持ちがあったとしても)
もう何度、こんな言葉を繰り返してきただろうか。何度自分に言い聞かせたのか、数えきれないほど繰り返してきたはずなのに、この想いは少しも薄れない。
けど、彼には相応しい妃候補がいる。それに、彼はこれからもレストランに通ってくれるだろう。だからこそ、平民として――客と店員としての立場を、しっかりとわきまえなければ。私は、いつもと変わらぬ日常を過ごすだけだ。
その後、静かに時間が流れていき――予定よりも早く、スカートの修理は終わった。
「じゃあね、リーアさん!」
私は直ったばかりのスカートを受け取ると、軽く挨拶を交わし、親友の仕立て屋を後にした。




