幕間16 シャフリネの怒り
石壁に掛けられた魔道具の球体ランプが照らす団長室。その椅子に、聖騎士団団長リカードが、どうしたものかと困り顔で座っていた。
何故こんなことになったか。それは、リカードが聖騎士団本部に帰ってきた頃、すでに薄暗くなっていた時のこと。ナセドから『リカード、レーナに俺たちの関係がバレたぞ』『母上からの伝言だ。俺とシャフリネが親友だということ、絶対にバラすなよ』と、強く口止めされたのだ。
しかし、他の者はどうにかなっても、シャフリネだけは、どうにもいかなかった。
「はぁ、さてどうするか。それにしても、まさか俺たちの関係をレーナ嬢が知らなかったとはな。……まぁ、レレナさんには、もう話してしまったがな。あの子なら、言っても問題ないと思ったからだが……。だが、妙だな。俺はレーナ嬢には話していない。まさか、レレナさんが……いや、あの子がわざわざレーナ嬢に漏らすはずがない。となると、レーナ嬢は一体どこから……?」
そうリカードがため息をつきながら、頭を悩ませていると、団長室の扉がゆっくりと開き、
「帰ったわよ、リ・カ・ー・ド」
と、なぜか名前を区切るように声をかけて現れたのは、左手に手持ちの球体ランプを持った聖騎士団副団長――いつものハーフメイルを外し、聖騎士団の制服姿になっていたシャフリネだった。
彼女は人さらいの件と城下町の見回りを終えて戻ってきたところだった。だが、いきなり浮かべた彼女のその笑みは目が全く笑っておらず、座っている彼の前へと身をかがめた。
「何だ、その目は」
「あなた、よくも教えてくれなかったわね」
「はい?」
リカードは意味がわからないとばかりに知らんぷりを決め込もうとした。だが、彼が座る前へと身をかがめたシャフリネは、その誤魔化しを全く意に介さず、さらに怒気を孕んだ顔で言った。
「お・茶・会。お茶会よ」
「えっ、何故それを」
リカードが驚いたように声を上げると、シャフリネはスッと上体を起こし、手にしていた球体ランプを机の上にドンと乱暴に置いた。
「『何故それ』って……やっぱり知っていたのね。さっきそこの夜道で、リリアーナの従者であるナットから色々聞いたのよ。北のレストラン付近で目撃情報があったから、その見回りのついでにね」
「ナットか……。ナセドのやつ、あいつに口止めするのを忘れていたな」
リカードは、ナセドがナットへの口止めを忘れていたことに呆れ顔で自身の茶髪を指先でガシガシと掻き、心底困り果てた表情を浮かべてシャフリネに問い返した。
「……それで、どこまで聞いたんだ、シャフリネ」
「どこまでって、それはもう全部よ。あのおてんば姫が、ナセドの想い人であるレレナっていう桃色髪の娘のところに殴り込みに行ったこととか、この王城に呼んで特別なお茶会を開いたこととか……色々ね」
「……ほぼ全部じゃないか。あの馬鹿め、余計なことまで……」
リカードは、さらに頭を抱えてぼやいた。それもそのはず、情報がほぼ筒抜けになってしまっているのだから。
しかし、本当の問題はここからだった。かねてよりレレナに興味を持っていたシャフリネが何を言い出すか。そして、レーナ嬢に秘密がバレた件をどう対処すか、である。
するとシャフリネは赤い髪をなびかせながら、リカードが座る真横に立ち、恨めしそうな眼差しを見下ろすように向けた。
「……何故、私にだけ教えてくれなかったのか。たっぷりと聞かせてもらおうじゃないの、リ・カ・ー・ド」
逃げ場のない薔薇色の眼光が詰め寄ってくる。これはもう誤魔化せないと観念したリカードは、ため息をつきながら説明を始めた。
「しっ、仕方なかったんだ。ナセドに頼まれて……『シャフリネが来ると、レレナさんを質問攻めにして困らせるだろう』と、な」
「……ちぇ。私がレレナを質問攻めにするって、見抜かれてたわけね。まぁ、否定はできないけど……じゃあ、聖騎士団の男どもが噂していた美人のドレスとはその子かしらね」
「くっ、あいつらそんな噂をしていたのか……」
男どもの噂を初めて知ったリカードは、天井に視線を逃がそうとする。だが、シャフリネはそれを許さなかった。赤い髪を揺らしながら、団長が座る椅子のそばにあった丸型の椅子を引き寄せ、すぐ近くに腰を下ろす。それはまるで、リカードに対する拷問のような距離だった。
「まぁ、それよりもあなた、今日一日中、私を置いて何をしていたのかしら」
「ちっ、近いぞ、シャフリネ」
顔を近づけられたリカードは、思わず照れくさそうに顔を背けた。だが、シャフリネは悪びれる様子もなく、余裕の笑みを浮かべていた。
「あら、悪いわね」
「はぁ、わかった。最初から説明するから少し離れてくれ」
「はいはい、わかったわ」
リカードがため息をつきながらそう頼むと、シャフリネは仕方ないといった顔で少しだけ距離を置いた。そこでリカードはシャフリネの方へと顔を戻し、ようやく事の顛末を語り始めた。
ナセドが自分で手紙を渡すと騒ぎになるからと自分に頼んできたこと。さらにエスコートを任されたこと。そして、何より自分への『シャフリネ外し』を命じられていたことなどを。
すべてを聞き終えたシャフリネは、勝手なことをした親友に対して少しばかりの怒りを覚え、強く拳を握りしめた。
「何よ、その不器用な理由。それにエスコート? それなら私のほうがもっと上手いわよ」
そう怒りに任せて愚痴をこぼすシャフリネ。何故なら、彼女は厳格な母親から伯爵令嬢の淑女としての作法を色々と仕込まれており、エスコートやダンスなどは得意だったのだ。――もっとも、料理だけは例外だが。
「確かにうまいかもしれないなぁ。だが、それとこれとは話は別だ」
首を横に振って即答するリカード。それは、シャフリネのエスコートの腕を、彼が少なからず認めているからこその返答だった。一方のシャフリネは、人差し指で赤い髪をカリカリと掻く。
「そっ、そうだけど……でも、まさか、あのおてんば姫が、レレナとかいう娘のところに乗り込んでいたなんて、意外だったわ」
「まぁ、俺も驚いているよ。けどさっきナセドから聞いたんだが、リリアーナ様は素直じゃないけど、少し丸くなってたってな」
「へぇ、あのおてんば娘がね。ふふふ」
シャフリネは柔らかな笑みを浮かべた。それは、幼い頃から素直じゃないリリアーナを知っている彼女だからこその笑みだった。
「まぁ、それはいいとして。あなた、あの子の居場所を知っているのよね」
すぐに話題を変え、探るような鋭い薔薇色の瞳で、シャフリネはリカードを見据えた。
「あぁ、知っている。お前に頼まれた時点で、もう知っていたさ」
さらなる問い詰めに淡々と答えるリカード。もはや隠しても無駄だとわかっているからだ。
「やっぱり。じゃあ教えなさい、ナセドには内緒で行くから」
「くっ……」
(さて、どうするか。このまま黙っても、ナセドに追及が向く。ここは素直に言うか)
リカードは一度両腕を組んで考え込んだ。だが、彼女にどんな言い訳をしても通じないと感じた彼は、諦めたように組んでいた腕を解いた。
「わかった、教える。お前がさっき言った北のレストランで、給仕として働いている」
「ふーん、やっぱりそこなのね。……北から王城の馬車が来たっていうのも、そういうことだったのね。あなたが言っていたエスコート、それがその馬車ってわけ」
リカードの話を聞いたシャフリネは、城下町での目撃情報と照らし合わせ、ふんと鼻を鳴らして納得した。すると、リカードは真面目な言葉を返した。
「ちゃんと教えたからな。その代わり、あくまでナセドには内緒で、あの子の邪魔だけはしないように行くんだぞ」
「ふふ、ちゃんと会ってくるわ。彼には内緒でね」
悪巧みを企むような笑みを見せるシャフリネ。それはまだ見ぬレレナへの期待感と興味の表れだった。それを見たリカードは、諦めたように軽く左手を上げた。
「頼むぞ、シャフリネ」
そうして話が一区切りついた後、シャフリネは疑わしげに薔薇色の目を細めて問いかけた。
「もう、隠し事はないかしらね、リカード」
「……」
(しまった、まだもう一つの件が片付いていない。レーナの件、どうするか……。いずれ顔を合わせればバレることだ。ここで言っておくか)
無言のままのリカードに、シャフリネは「何を黙ってるの」と、再び疑いの目で詰め寄る。リカードは仕方ないといった顔を浮かべ、静かに口を開いた。
「……実は、レーナにお前とナセドの関係がバレてしまったんだ」
「はぁ、何ですって?レーナに?」
薔薇色の瞳を見開いて驚きながら問い返す不機嫌な顔になるシャフリネと、リカードは「あぁ」と真顔で答えた。
「はぁ、全くどうしてバレたのかしら?」
シャフリネは呆れたようにため息をつくと、左手を顎に当てて考え込んだ。すると、リカードが何かを思い出したかのように呟いた。
「ナセドは詳しく教えてくれなかったが……おそらく、俺がレレナさんに話したのが原因だと思う」
「なるほど、その子が興味を持って話したのね」
シャフリネは女の勘で本能的に感じたのか、顎に当てていた左手を離し、得意げにそんな推理をぶつけてきた。
「誰もそこまで言っていないが……何故わかるんだ」
リカードが鼠色の瞳で見つめ返し、困惑しながら大きな声を上げると、シャフリネは呆れたようにフッと笑った。
「勘、勘よ。女の勘。それと、あなたとの長年の付き合いもあるわ」
得意げに胸を張り、赤い髪を揺らしてそう声を上げるシャフリネ。その自信満々な姿に、リカードは少し顔をしかめ、ため息をついた。
「そうか」
「でも、レーナにバレてしまったってことは、ナセドたちも……」
シャフリネは視線を天井へと向け、少し厄介な事態に気づいたように困惑した顔をリカードに向けた。それは今後、色々な令嬢に面倒な絡まれ方をするのではないかという、彼女なりの不安から出た言葉だった。
「あぁ、そうだ。でも、大丈夫だ。ちゃんと口止めはしてあるから、他の貴族に漏れることはない」
「あらそうならいいわ」
リカードの言葉を聞いたシャフリネは安心したように小さく息を吐き、ほっと胸を撫で下ろす。それを見て、リカードは険しい顔を浮かべ、ずっと心の中で疑問に思っていたことを彼女にぶつけた。
「でも、そもそも何故、お前の母親のアシェリ殿は、あんなお願いをしたんだ? お前が聖騎士団に入る前……妃候補を辞退した時のことだ。俺はアシェリ殿に口止めされてはいたが、その理由まではちゃんと聞いていないぞ」
「あぁ、それね。」
シャフリネは苦笑しながら左手をひらひらと振り、あっけらかんと言い放った。
「私から頼んだの。ほかの貴族に絡まれるのが嫌だから、妃候補を辞退したいって。……お母様は『副団長になるから』って理由にして、王妃様に伝えてくれたみたいだけどね」
「はっ、お前らしいな。でも、何故、伯爵家と公爵家で親交の深いレーナにまで内緒にしていたんだ?」
「ああ、彼女ね……」
リカードからさらなる疑問を突きつけられると、シャフリネは苦笑いを浮かべ、再び左手を顎に当てて静かに答えた。
「理由は簡単よ。レーナのことは、私にとってもいい友達だと思っているけれど、親友のナセドが関わってくると面倒なのよ。あの子は、殿下のことを想っているらしいからね」
それは、女同士であり、数年に一度たまに会う仲だからこそわかる感覚だった。シャフリネはレーナを良い友達だと思っている。しかし、もし「私が殿下の親友だ」と知られれば余計な誤解を生み、シャフリネ自身が妃候補でなくても、プライドの高い彼女を傷つけてしまうかもしれない。だからこそ、あえて黙っていたのだ。何度か顔を合わせるうちに、女の勘で彼女がナセドを好きだということは、とっくに気づいていたからである。
「なるほどな……」
シャフリネの言葉に、リカードは再び両腕を組んだ。彼女がそこまで考えていたこと、そしてレーナがナセドを想っていることまで見抜いていたことに、素直に感心したのだ。
「でも、次会ったら何か言われるかもしれないわね、はぁ」
シャフリネは残念そうな顔で、また深くため息をついた。次にレーナと顔を合わせれば、どうせあれこれ問い詰められるに決まっている。『ナセドとは本当にただの親友なのか、それとも好きなのか』——そんな詮索をされるのが目に見えていたからこそ、彼女はため息をつかずにはいられなかったのだ。
「そうだな……でも、レーナ嬢がナセドのことを想っているのは本当か?」
「えぇ、本当よ。まぁ、あの性格だから素直になれていないけどね」
恋愛に鈍いリカードが鼠色の瞳を細めて疑うように言うと、シャフリネは全く否定せず、真顔で即答した。
「なるほどな……妃候補のレーナと平民のレレナ。複雑だな」
それは、ナセドの親友だからこそ口にできる、彼の恋の悩みを慮った言葉だった。決して結ばれることのない平民の娘レレナと、その殿下に恋するレーナ。二人を巡る複雑な状況を思い、リカードとシャフリネは、揃って何とも言えない面持ちになった。だが、親友でも何もできないただ成り行き見守るしかないのである
「そうね……じゃあ、私は帰るわ。あと、人攫いの件は、結局何も見つからなかったわ」
重い空気を払うかのようにシャフリネが椅子から立ち上がり、机の上の球体ランプを手に持つと、リカードは「そうか、わかった。じゃあまた明日」とにこやかに笑って手を振った。
「えぇ、また明日。……けど、私が気づいたことはナセドには内緒よ」
球体ランプを持ったまま、リカードへチッチッと指先を振って、子供のような悪戯な笑みを見せるシャフリネ。それに対し、リカードが不思議そうな顔で疑問の声を返した。
「何で?」
「お返しよ。お・か・え・し」
区切るように、ニヤニヤと言い放つシャフリネ。リカードは呆れ笑いを浮かべ、ひらひらと手を振った。
「はぁ、そうかい。じゃあまたな」
「えぇまたね、リカード」
そう言ってシャフリネは扉の方へ向き直ると、静かに扉を開けて出ていった。リカードは「疲れた」と軽くため息をつきながら残りの仕事を片付け、帰路についた。こうして、聖騎士団の夜も静かに更けていった。




