幕間14 フィオネの報告
王城のお茶会を終えてから、だいぶ経った頃。
リリアーナやリカードに口止めなどを言い含めたナセドと、夕食を済ませたフィオネ王妃は、王城三階にあるリシェルの執務室の前に来ていた。王妃は部屋着用の薄い黄色のドレス姿で、いつものヒールをコツコツと鳴らしている。
夜ということもあり、布張りの壁に掛けられた球体ランプが、ひっそりとした通路を柔らかく照らし出している。
フィオネ王妃がトントンと茶色の扉をノックすると、部屋の中から、威厳ある男性の声が聞こえてきた。
「入れ」
「はい、あなた」
フィオネ王妃はそう返事をすると共にドアノブに手をかけ、ゆっくりと部屋の中へ入った。
「来たか、フィオネ」
夜の執務室は薄暗く、机の横に置かれた球体ランプだけが、その一角をぼんやりと浮かび上がらせていた。威厳あるその声の主は、本棚を過ぎた中央の応接用テーブルのさらに奥に座り、本を読んでいる――金髪に青い瞳を持つこの国の国王、リシェル・アルスリーアだった。
今の彼は、薄い水色のシルクシャツに白のショートガウンを羽織り、同色のロングパンツを身につけている。足元もいつものブーツではなく、金の装飾があしらわれた茶色の革靴を履いた、ゆったりとした装いだった。
彼は一人先にここで夕食を終えて、本を読んでいたのだ。普段から政務で非常に忙しく、家族と共に食事をとる時間はそれなりに少ないのである。
リシェルは読んでいた本をテーブルに置き、「こっちへ来なさい、フィオネ」と静かに呼びかけた。
それに応えて、フィオネ王妃はまた「はい、あなた」と優雅にお辞儀をしてから前に進み、彼と向かい合うように、テーブルを挟んだ前の椅子へと静かに腰を下ろした。
「……それじゃあ、聞かせてもらうか。今日、王城へ招き、お前たちと茶会を共にしたという――あの娘の話を」
「はい、わかりましたわ。リシェル様」
フィオネ王妃はにこやかに笑みを浮かべながら、まず、彼女と最初に出会った時の話から語り出した。
「まず、ナセドの氷を溶かした彼女の名は、レレナ・アティリアという方でしたわ」
「レレナ・アティリアか」
フィオネ王妃からその名を聞いたリシェルは、ふんと鼻を鳴らしてから、その名を真顔のまま口にした。
(……いい名だ。だが、所詮は平民の娘)
と、一瞬だけ娘の名を心の中で褒めようとしたリシェルだったが、すぐに厳しい真顔へと戻り、王妃の言葉に耳を傾けた。
「……ええ、最初の印象は、とても優しそうな佇まいの方に見えましたわ。それに驚いたことに、私に向かって見事な淑女の礼を返してくれたのです」
「淑女の礼? 平民の娘が……?」
青い瞳を見開きながら、信じられないといった様子で声を漏らすと、フィオネ王妃は、笑顔を崩さず言葉を続けた。
「ええ……どうやら、リーアさんという親友の方に教えてもらったようですわ。ですが、それを差し引いても、彼女の礼は本当に素晴らしいものでした」
フィオネ王妃の言葉に、リシェルは深く納得せざるを得なかった。
(まさか、淑女の礼までするとはな。しかも、礼儀に厳しいフィオネをここまで唸らせるとは。たとえ平民の親友に教えてもらったとはいえ、やり方を知っている人間なんてごく一部だ。完璧にこなせる者などそうはいない……)
元冒険者であり、誰に対しても毅然とした態度を崩さない高貴なフィオネ王妃を相手に、堂々と完璧な礼を返してみせたのだ。
確かに、それは親友の教えがあったからこそかもしれない。しかし、それでも王妃にここまで言わしめた「レレナ」という娘の底力を、リシェルが認めるのも無理はなかった。
だが、リシェルの驚きはこれだけじゃなかった。フィオネ王妃は、続け様に言った。
「あと、妃候補のレーナ・アベット公爵令嬢に対しても、見事な淑女の礼を返しましたのよ」
「なに……平民を毛嫌いしている、あの公爵令嬢に対してか」
驚きの連続が止まらないリシェル。それもそのはず、相手は妃候補だ。平民の娘なら、怯えて一歩引くのが当然だからである。
「ええ。あの子は一歩も引かず、真っ直ぐにレーナを見据えて礼を返しましたわ。さらに言うと、あのリリアーナでさえ、彼女の礼を褒めておりましたのよ」
「リリアーナまでか」
フィオネ王妃が自信たっぷりな笑みを見せながらそう答えると、リシェルは左手でこめかみを押さえた。
何故なら、あのリリアーナもまた平民に対してはひどくうるさい性質だからだ。それなのにレレナという娘を褒めたと聞き、リシェルは深いため息を作ったしかなかったのである。
「さらに、彼女は相手を見下すような方ではなく、とても芯の強い方でもありました」
「芯が強い、か」
リシェルは「なるほど」と納得したような顔を浮かべ、天井を見上げてからゆっくりと視線を下げた。
「はい。ナセドがそう言っていたことにも頷けますわ」
お茶会のことを思い出しながら、そう言ってフィオネ王妃は微笑んだ。
「そうか……あやつ、そんなことを言ったのか」
前にナセドは、リシェルに娘の素性を語らず、ただ必死な顔をしてお茶会の開催を頼み込んでいたのだ。リシェルはそんな息子の姿を思い出し、彼女への高い評価に思わず口元を緩めた。
「ええ。それに、そのおかげもあってか、妃候補であるレーナ様はお茶会で少しだけ態度を和らげ、彼女を認めていましたわ」
「あの公爵令嬢がか」
「はい」
(……まさか、あの公爵令嬢のレーナに認めさせるとは。その芯の強さ、本当にただの平民の娘ではないというのか……そういえば)
心の中でそう驚愕したリシェルは、ふとあることを思い出し、微笑みを崩さないフィオネ王妃に尋ねた。
「フィオネ。私はあやつから、その平民の娘との出会いを聞いていなかったが、お前はそれも聞いたのか?」
「はい、もちろんですわ」
フィオネ王妃は微笑みながら語った。北のレストランにて、酒に酔って絡んできた男性客に殴られそうになっていたところを、ナセドが救ったという出来事を。
「なるほど、そんなことが起きていたのか。他の令嬢に興味のなかったあやつが……まぁ、優しいところは私に似ているが。……しかし、何故あやつは城下町へ出向き、そんな偶然に居合わせることになったのだ?」
「はい、あなた。ナセドはただの気晴らしと言っていました。けれど、本当のところはどうだか……私は怪しいと思っていますわ。ふふふ」
全てを知っているかのような面白そうな笑みをフィオネが見せると、リシェルは呆れ笑いを浮かべた。だがすぐに、すっと真顔に戻って問い返した。
「はっ、そうか。しかし、それから毎日、あやつは通っているのだろう? フィオネ」
「はい、ほぼ毎日。料理の観察と言っていましたけれど、嘘だと私は見ています」
「そうか」
(……それは助けた時、好きになったのか、それともどこかで彼女を見つけたのか、そのどちらか……いや、考えてもわからんが。あやつが気晴らしだというのが嘘なのは私にはわかる。だが、あやつに追及してもはぐらかされるだろうから、それについては何も言わないでおくか)
そう考えて首を横に振っていると、フィオネ王妃は笑みを崩さず言葉を続けた。
「そして、レレナさんはとても家族思いの方でしたわ」
「家族思いとは?」
フィオネ王妃の言葉を聞いたリシェルは、目を丸くしながら尋ねた。
「この前、リリアーナが城下町北のレストランで騒ぎ起こした話をしましたわよね」
「あれか、平民の娘の所へ行きちょっかいかけたという」
リシェルは以前、フィオネ王妃から、リリアーナがレストランへと乱入して平民の娘に軽い暴言を吐いたという話を聞いていた。その時は深く怒りはしなかったものの、あのおてんば娘が、と少しばかり腹を立ててはいたのだ。
「ええ。実は、あれには続きがありましたのよ」
「続き……?」
フィオネ王妃は、レストランの中で淑女の礼もせず、胸を張った自己紹介をしたことや、さらには従者のナットが独断でお詫びの金貨を渡していたことなどを語った。
フィオネ王妃の話を聞き終えると、はぁ、とリシェルは深いため息をついた。その顔は、これ以上ないほどに呆れ果てたものである。
「全く、リリアーナの奴は……。礼を尽くさずに胸を張って挨拶をするなど、自分が王女であるという自覚がないのか。相変わらずおてんば娘が。……それに、従者が金貨をレレナにお詫びとして渡したか。まぁ、それはいいが……。だが、リリアーナにはもっと王女としての自覚を持ってもらわねば困るな」
「ええ、そうですわね」と、呆れながら息を吐くリシェルの言葉にフィオネ王妃も深く同意した。
「それで、その話がどう『家族思い』と関係してくるんだ、フィオネ」
青い瞳で問い返すリシェルに、フィオネ王妃は薄い笑みを見せ、平民の娘がリリアーナを庇った経緯を話し始めた。
「はい。実は、お茶会が始まる前にそのことが発覚した時、私はリリアーナに『レストランまで戻ってのやり直しはしなくても、今この場でレレナちゃんに向けて挨拶をやり直しなさい』と強く命じましたの。しかし、あの子は『リリアーナ様には彼女なりの威厳があったのだから、やり直さなくていい』と、真っ直ぐに言い切って庇ってくれましたのよ」
「庇った? 何故だ。リリアーナは王女だぞ、何故平民の娘がそんなことを……」
疑問に満ちた顔を浮かべて問い返したリシェルに、フィオネ王妃は淡々と答えた。それは、あの場にいた王妃自身が確かに感じ取った、レレナの悲しみがこもった理由だった。
「はい。実はあの子には離れて暮らす妹さんがいるらしく、私たちを少し自分の家族と重ねたみたいで……。『家族が喧嘩しているところは、あまり見たくありませんから』と、悲しそうにそう言っていましたのよ」
「なるほど、家族思いとはそういうことか……」
(どうやら、レレナという少女が私の想像を遥かに超える器だということは理解できた。ナセドが惚れ込むのも頷ける。……だが、相手は平民の娘だ)
たとえリシェルが個人的に彼女を認めたとしても、平民を王族に迎えれば他の貴族たちの反発を買うのは明白だった。最終的に、正妃として迎えることはできない。
(だが、何らかの役職か、側室という立場を与えてナセドの隣に置いてやることはできるかもしれないな……。いや、それよりも、まずは前に決めていた通り、こっそりと城下町へ出向いてみるか。変装して、レレナとかいう娘に直接会って確かめるとしよう)
フィオネ王妃からレレナの評価を聞いたリシェルは、彼女の真価を自身の目で確かめるべく、変装して城下町へ出向く決意を固めた。それは一人の父親として、そして何より、レレナという女性に王族に対する欲がないかを見極めるためでもあった。
「しかし、平民の娘に庇われるとは情けない」
王女が平民の娘に庇われたことに対し、リシェルは残念そうな顔を浮かべて呟く。フィオネ王妃もまた同じような顔で「全くですわ」と同意した。
すると、リシェルはフィオネの話を聞いて、リリアーナの行動を許したのかが気になり、話を切り出した。
「だが、お前はリリアーナを許したのか?」
「はい、レレナちゃんに免じて。でも、リリアーナは少し納得いかない顔をしていましたわ」
「何故だ。お前に許されたというのに」
青い目を細め、強い口調で切り返すリシェルに、フィオネ王妃はふふふと面白そうな笑みを浮かべて答えた。
「あの子ったらね、『これでは私だけが一番礼儀のなっていない子だと思われる』と言って聞かないのよね。せっかく不問にしたというのに、『やっぱり私の本気の挨拶を見せる』と自分から言い出して。私が『そこまでにしなさい』と止めましたのよ。それでも収まらなかったのか、挙句の果てに、レレナちゃんに向かって『いつか必ず、私の完璧な礼をあなたに見せてあげる』なんて宣言したのよ」
「ふっ、そうか。あいつらしいな。負けず嫌いなところが、お前に似て」
「うふふ、褒めないでくださいな、あなた」
微笑みながら頬をぽっと染めたフィオネは、手をパタパタと軽く振った。それは、長年連れ添った夫婦だからこそ見せる、照れ交じりの仕草だった。
「ふん、だが悪くない。王女の意地として、正しい方向に向いている。自分からそんなことを言うようになったのだからな」
そう言ってから、リシェルはふと口元を緩め、レレナとリリアーナの二人を思い浮かべながら付け加えた。
「まぁ、やり直さなかったのはその娘の意向だというなら、私から言うことは何もない。……リリアーナのやつにも、そういう気持ちがあるのだと理解したからな」
「ええ、本当にそうですわね」
リリアーナの一件を聞き終え、二人は微笑み合いながら言葉を交わした。しかし、フィオネ王妃からの報告はこれだけでは終わらなかった。この直後、次に語られた『レレナの出身地』について聞き、リシェルはさらなる驚愕を受けることとなる。
「あと、実はレレナちゃんはこの国の出身ではなく、ここから南にある霧深いフェザード谷に囲まれた、地図にも載っていない『ヘルベンの村』からやって来たそうなのですわ」
「なっ、『あの谷のヘルベンの村の出身』だと……!?」
その話を聞いたリシェルは目を見開き、信じられないほどの驚愕を顔に浮かべた。それは最初からその村を知っているかのような反応だった。リシェルのただならぬ様子に、フィオネ王妃は不思議そうに問いかけた。
「あら? リシェル様、ご存知なのですか?」
「あぁ、知っているとも。私の父が何度も交流を図ろうとして、結局失敗に終わった場所だからな」
「先代のシェリフ様ですね。城内の東の屋敷で隠居中の」
「そうだ」
「何故、それを私にも教えてくださらなかったの?」
リシェルの妻として何も知らされなかったフィオネ王妃が不満げに問い返すと、リシェルは重々しい口調で語った。
「それはな、先代から固く口止めされていたのだ。あそこの村とは、もう交流はできん。だが、かといって国として無理に襲うわけにもいかない。それに、もし存在が知れ渡れば、領土を狙う反発貴族たちや他国も出てくるやもしれんからな。だから、『あの村の存在は地図から消しておけ』と、念を押されていたのだ」
「何故そこまでして、あの村を……。もしかして、レレナちゃんが言っていた『地図を見る魔道具』と何か関係があるのかしら?」
「まさか……『魔道鏡』のことか!?」
「魔道鏡……?」
聞き慣れない単語に首を傾げるフィオネ王妃に対し、リシェルは険しい表情を崩さず言葉を紡いだ。
「それはその村にしかない、世界を見通すことのできる伝説の魔道具であり、昔の古い文献にもそう書かれてきた『魔道鏡』についてな」
「まぁ、そんなすごいものがあるなんて。でも、それとあの村を隠したことに何の関係が……?」
疑問の顔を見せながらそう呟くフィオネ王妃に、リシェルは思い出したかのように答えた。
「実は、交流の目的はそれなんだ」
「魔道鏡が、ですか?」
「そうだ。国として……いや、父は『世界の果てを調べたい』と常に思っていてね。こちらに襲ってくる魔獣や魔物、他国からの攻撃。それを未然に察知できるよう、奪うのではなく『使わせてほしい』と、お願いという形で何度も頼んだそうだ」
リシェルの言葉に静かに頷くフィオネ。リシェルは眉間にしわを寄せた。
「しかし、その村の村長は、外の世界の連中をひどく嫌っていてな。理由は聞いていないが」
それを聞いたフィオネは、お茶会でのレレナの言葉を思い出し、口を開いた。
「そうですか。レレナさんもそう言っていましたわ」
「なるほど、そうか。やっぱり今も……」
「ですが、村長さんは、我が国と信頼関係にあるカユト王国ではなく、アルスリーア王国に行けと彼女に勧めたそうです」
「なに、カユトではなくアルスリーアだと?」
村長が隣国のカユトではなく、わざわざアルスリーアを選んだことに、リシェルは再び驚きを隠せなかった。
(何故、アルスリーアを? まぁ、カユト王国も悪い国ではないが……。むしろ長年の付き合いがあり、向こうの国王は私の友人でもある。それなのになぜ、あえてカユトを避けたのか……理由がわからんな)
リシェルが顎に手を当てて考え込んでいると、フィオネ王妃が続けてこう告げた。
「はい。『遠いから』という適当な理由で」
「適当な理由か……」
(なるほど。確かにフェザード谷からカユトへは数時間だが、我がアルスリーアまでは谷を越えて幾日もかかる。わざわざ遠い方を選ばせた、ということか……)
リシェルが内心でその理由に納得していると、彼女は続けざまに、どうやってその村を知ったのかと尋ねてきた。
「でも、どうやってシェリフ様は、その村について知り得たんですか?」
「詳しいことについては聞いていないが、『偶然見つけた』と父は言っていた」
「なるほど、偶然ですか……」
そして、先代国王の話題が一区切りついた時、リシェルはふと、不可解な謎に行き当たった。それは、あの外の世界を嫌う村が何故若い娘を一人で送り出したのかという点だ。リシェルは気になり、フィオネ王妃に尋ねた。
「しかし、レレナとかいう平民の娘が、まさかあの村の出身者とはな……フィオネ、その娘が村を出た理由を聞いているか」
「はい、彼女は自分の力と、外の世界を見たいという好奇心からやってきたと言っていました。さらに私やナセドと同じ、火属性を持つ魔法使いでもあります」
「そうか、お前と同じ……」
王妃の話を聞いたリシェルは、左手を顎に当てて静かに頷き、(平民の娘レレナ。ヘルベンの村の出身。偶然かはたまた運命か、ナセドが惚れた女か……)と考え込んでいると、フィオネ王妃は何かを思いついたようにハッとして、不安そうな顔で口を開いた。
「……もしかして、彼女を利用するおつもりですか?」
レレナの村の真実を知ったフィオネ王妃に、少し悪い考えが浮かんだ。それは、彼女を利用して村にある魔道鏡を使わせようとするのではないか、という疑念だ。しかし、王妃は息子の想い人が政治利用されるような真似はしてほしくないと感じている。
フィオネ王妃が心配そうに問いかけると、リシェルは真剣な表情のまま首を振った。
「安心しろ、私も馬鹿じゃない。さっきも言っただろう、国として襲うつもりはないと。ましてや、ナセドが惚れた女に手を出すなんてな」
「そうでしたわね。申し訳ないわ、あなたを疑ってしまって」
夫の理解ある発言に、フィオネ王妃は安堵しながらホッと胸を撫で下ろした。リシェルは真面目な顔のまま言葉を続ける。
「ともかく、この件は他の貴族には絶対に漏らさぬように」
それは一人の親として、ナセドの想い人が余計な権力争いの標的にならないようにするための配慮であった。フィオネ王妃もまた、レレナが心優しい少女であると理解している。だからこそ、母としての深い愛情を滲ませた微笑みを浮かべつつ、真剣な眼差しで夫へと頷いた。
「はい、わかっておりますわ、リシェル様。同席していたレーナ様や子供たち、それにレレナちゃん本人にも、そう釘を刺しておきましたから」
「そうか、それは助かる」
レレナの村の話が片付いて、リシェルは安心したような顔を浮かべるが、次のフィオネの発言でまた頭を抱えることになるのだ
「あと、シャフリネとナセドの関係がバレてしまいました、リシェルさま」
「バレただと? ……一年前、妃候補から外してくれとアシェリから申し入れを受けた、あの件か」
それは一年前のこと。当時の聖騎士団団長アシェリから、「シャフリネはナセドの隣には合わない。聖騎士団の副団長になる」と、妃候補の辞退を申し入れられたのだ。——それは、二人がすでに親友として完成しているがゆえの言葉だった。恋仲にも妃にもなりえない。だからこそ、母と同じ騎士の道を選んだのである。
もっとも、ナセドにはリカードというもう一人の親友もいるが、彼は妃候補の話とは無縁だった。
リシェルは当然、それを受け入れた。アシェリの娘が聖騎士団に向いていることは、端からわかっていたからだ。そのうえ、親友だと周囲に知られるのは彼女たちには面倒の種になる。だから王妃を通じて依頼を受け、他の貴族たちへの口止めを行っていた——それが、こうもあっさりバレたことに、リシェルは驚きを隠せなかった。
「——それで、何故バレたのだ」
頭を押さえながら尋ねるリシェルに、フィオネ王妃は少し申し訳なさそうな顔で答えた。
「どうも、もう一人の親友であるリカードが、馬車の中でレレナさんに話してしまったらしく……お茶会の会話の流れでそこから、レーナ様の耳にも入ってしまったのですわ」
「あの馬鹿者め。アシェリから釘を刺されていたはずだぞ。何故、平民の娘に軽々と……」
思わず怒りの声をこぼすリシェル。リカードの口の軽さには、愚かだと呆れるしかなかった。リシェルがそう考えていると、フィオネ王妃は間を置かずに返した。
「さぁ、理由は聞いていません。ですが、それもちゃんと釘を刺しておりますので大丈夫ですわ、あなた」
(大丈夫か……まぁ、彼女が言うなら信じるしかないか、ほかの件を含めて)
それを聞いたリシェルは、フィオネの顔をしばし見つめた。その自信に満ちた瞳に、張り詰めていた怒りが静かにほどけていく。この妻が「大丈夫」と言って、外れた試しはないのだ。リシェルは矛を収め、ため息をつきながら言葉を続けた。
「……はぁ、わかった。では、もう行っていい。報告ご苦労だった。自室へ戻って休みなさい」
長い報告が終わり、執務室に夜の静けさが戻った。




