幕間13 レーナとフェルン
王妃様たちのお茶会を終え、専用の馬車で公爵邸へと帰宅したレーナ。天井には丸型の魔道ランプが光り、中央に大階段が見える広い玄関口には、メイドのリミアと、もう一人――レーナと同じ銀髪と暗い瞳を持つ女性が立っていた。
袖の長い優雅なドレスをまとい、青いヒールには水色のリボンがあしらわれている。髪は肩にかからない長さだが、立ち姿だけで思わず目を奪われるような、大人の美しさと威厳を感じさせる女性だった。
「おかえりなさいませ、レーナお嬢様」
「おかえりなさい、レーナ」
「ただいま、お母様」
そう挨拶をしたのは、この屋敷のメイドであるリミア。そしてもう一人――彼女こそ、装飾品を扱うアベット公爵家の現当主、四十代前半のフェルン・アベットである。
「あなた、少し疲れた顔をしているわね。お茶会で何かあった?」
「いえ、何も」
レーナの様子に少しおかしく感じたのか訝しげにフェルンが尋ねると、大丈夫そうな顔を作りながら、レーナは嘘をついた。お茶会には、殿下を想う気持ちが強く、身分の壁を理解しながらも、自分に怯えることなく真っ直ぐ淑女の礼を返してきた芯の強い女性――レレナがいた。そして何より、殿下が彼女に惚れていることを、改めて思い知らされたからだ。
「そう。じゃあ、夕食の前に、身についた汚れを落としにリミアと一緒に浴場へ向かいなさい」
フェルンは特に疑う様子もなく、少し鋭い目つきで浴場へ向かうよう促した。それを受けて、レーナはドレスの裾をぎゅっと握りしめ、軽くお辞儀をした。
「わかりました。お母様……行きましょう、リミア」
「はい、お嬢様」
公爵令嬢として優雅なお辞儀を見せたあと、レーナはリミアと共に、浴場がある右側の廊下へと進んでいった。
フェルンは娘が去っていった先を静かに見据え、独り言を呟いた。
「……レーナ。あの子、お茶会で何かあったわね。他の妃候補の令嬢たちか、それ以外の何かの可能性があるかもしれないわね」
そう独り言ちると、フェルンは天井を見上げた。
「だが、レーナには妃候補として殿下を射止めてもらわないと困る。我が家の家訓は、卑怯な手を決して使わない、正々堂々と。それこそが我がアベット公爵家の誇りだ」
そう気高く言い切ったフェルンだったが、その表情は、当主のものから、ふと母親のものへと変わった。娘の恋心に、この母はとうに気づいていたのだ。
(私は知っているわ、レーナ。あなたが殿下のことを思っていること。だが、今は何も言うまい。親としてね)
そして、フェルンは小さく鼻を鳴らすと、天井から視線を戻した。
「ふん……とりあえず、夕食の席へと向かうか」
そう呟くと、フェルンは屋敷の左側の通路へと歩いて消えていった。
一方、レーナはリミアに手伝われてドレスを脱ぐと、体を軽く洗ってから、銀髪をタオルでまとめ、大浴槽に一人で静かに浸かっていた。
胸元から湯気が立ち上る中、レーナはお茶会での出来事を思い出しながら、悔しげに独り言を呟いた。
「あの真っ直ぐな目、そして、あの淑女の礼。それに彼女の素敵なドレス。あんな娘がいるなんて思わなかったわ」
レーナは改めて悔しさを噛み締めていた。レレナという女性が、彼女の想像を遥かに超えていたからだ。しかし、レーナには悔しい思いはあるものの、相手を正当に評価して認める心があった。
「けれど、あの子は私を見下すこともなく、嫉妬のような感情も見せなかった。確かに、芯の強い女性だと頷けてしまうわね。でも、相手は平民。それは彼女自身もわかっているはず。……ええ、完全には負けを認めないわ。誇り高き公爵令嬢として。でも……敵わないのかもしれないわね」
ぽつりと漏れたのは、偽りのないレーナの本音だった。
「殿下はあの子のことが好きみたいだし……。けれど、私も彼が好きなの。私も彼女のように、真っ直ぐに頑張らなきゃ。殿下の心を射止める隙なんて、きっとまだどこかにあるはずだから、そういえば……」
そういえば……とレーナは、王城の中庭での去り際に、あることを言いかけたのを思い出した。
「わたくしは、あの子にこう言おうとしたの。……『もしあなたが貴族だったなら、殿下と結ばれたいと思うのか』と。でも、結局は聞けなかったわね。……けれど、わたくしは、殿下に守られるような芯のある彼女とは違う。少し、羨ましいと感じてしまったけれど、それは変わらないわ。わたくし自身のやり方で、殿下に想いを伝える。……でも、少しだけこの強引な性格は見直すべきかもしれないわね」
そう決意を固めると、レーナはタオル越しにそっと胸に手を当てて誓った。ふとレーナは、湯船から天井を見上げて、お茶会でのある出来事を思い出した。
「……レレナの隠れた村や、地図を見る魔道具。あれは少し気になるけれど、殿下に内緒と言われているから、言わないようにしないといけないわね。……それと、さっきお母様に聞きそびれたけれど、シャフリネと殿下が親友だということ。浴槽を出たら話そうかしら……いえ、やめておきましょう。公爵令嬢たるもの、余計な詮索はしない方がいいわね……」
首を横に振り、そう呟くレーナだったが、その脳裏にはナセドが言った『シャフリネは幼い頃から一緒にいた、ただの親友だ。あいつは恋愛対象にはならないからな』という言葉が渦巻いていた。
レーナはその言葉を完全には信じていなかった。たとえ彼女が妃候補から外れた身であっても、レーナはシャフリネの真意を知らないからだ。
「けど、意外だったわ。シャフリネが『いい友達』だなんて。まぁ、別に嬉しくないけど。それはそれとして、ナセド殿下から聞いただけでは信じられないわ。シャフリネが本当にそう思っているのか——今度、あの子の口から直接聞いてやりましょう」
これは公爵令嬢レーナとしてのやり方ではなく、彼女の本心からの意地であった。ふと面白そうな笑みを浮かべると、レーナは湯船の水面を指先で弾きながら呟いた。
「でも、普通に会っても面白くないから、どうせならシャフリネと手合わせでもして……。そうだ、私の部屋にある『あれ』を出そうかしらね……」
レーナが「あれ」と言ったのは、彼女自身しか知らないもの――いつか戦場に立つ日のために、自ら仕立てた戦闘服のことだった。
そして、レーナは余裕の笑みを浮かべて立ち上がり、手早く着替えを済ませると、本来の気高い姿で夕食の席へと戻っていった。




