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「平民は愛されない」はずなのに、雲の上の第一王子様から溺愛されています!?  作者: 東明時裕夜
第二章 レレナのお茶会と、高貴なもの達との出会い

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第22話 外の世界とナセドの親友

「まず、さっきお話しした妹ですが、名はレイミといいます」

「なるほど。それがさっき君が言っていた、妹の名か」

「レイミね。ふふっ、まぁ、あなたと同じで、別にいい名前なんじゃないかしら」


 ナセド様とリリアーナ様は二人揃って妹の名前を褒めてくれた。まぁ、リリアーナ様は相変わらず素直じゃない言い方だけれど。


(あのレストランで初めて会った時も、こっそり私の名前を褒めたあと、顔を真っ赤にして誤魔化していたっけ。全く、本当に根は優しいお姫様なんだから)


 私は当時のことを思い返し、心の中でこっそり笑った。さらにフィオネ王妃様も閉じた扇子をそっと胸元に当て、「レイミか……」とにこやかな笑みを見せた。すると、レーナ様は扇子を口元に当てたまま、「……その妹の方はあなたに似て、とても優しい子なのかもしれないわね」と、こちらも素直じゃない言葉をまた返してきた。


 少しだけ嬉しそうな顔を見せる彼女たちに、私は思わず頬を緩める。……けれど、いけない。話を戻さなくては。


「ありがとうございます、皆様。……それで、私が外の世界に興味を持った理由についてですが。私はこれまで、家族の仕事を手伝ったり、妹と二人でお茶を飲んだりして……十七年間、そんな穏やかな日常を過ごしてまいりました。……しかしある日、私は谷の外を見上げて、あの先には何があるのだろうと興味が湧いてしまったのです」

「なるほど、興味か……」


 そう静かに深く頷くナセド様に、私は言葉を続けた。


「はい。この村よりももっと面白いものや、私が見たこともない景色があるのではないかと……。だから、私は決心したんです。もっと外の世界を見たいと。そして、私が十七歳の誕生日を迎える前に、両親に相談したんです。『外の世界へ行きたい』と。……そうして、先程お話しした『水引く日』に旅に出ました。ちょうど私の誕生日、正午のことです」

「そうか、十七歳になる前に旅に出る決意を固めたのか」


 私の話を聞き、険しい顔を見せたナセド様が、左手を額に当てた。そういう顔になるのも無理はないかもしれない。だって、ナセド様たち王族からしたら、ありえないことだからだ。


「十七歳で外にね。……わたくしだったら考えられませんわね、リリアーナ様」

「そうですわね、レーナ」


 そして、金と銀の令嬢もまた、信じられないといった顔つきで、深く同意し合っていた。


「しかし、そんな決意を抱いて両親に相談し、旅に出ようと考えるなんて……昔、冒険者だった頃の私に少しだけ似ていますわね」


 すると、フィオネ王妃様が私に向かってそう口を開いた。それはまるで、かつての自分と私を重ね合わせているかのような、優しい響きだった。


 しかし、私は「えっ……」と思わず驚いたような声をあげた。

 それも当然だ。相手は王妃様で、自分はただの平民の娘だ。なのに『王妃様に似ている』なんて、あまりにおこがましかったからだ。


 私は慌てて首を横に振って否定した。


「あ、あの、恐れ多いです、フィオネ王妃様! 私なんかが王妃様に似ているだなんて……っ」

「ふふ、謙遜しなくていいわ。私が思ったことを言ったまでよ」

「お母様、いくらなんでもそれは、少し言い過ぎではないでしょうか」

「あぁ、俺も同感だ」


 二人揃っての容赦ないツッコミに、フィオネ王妃様は「あら、これは手厳しいわね。まぁ、いいわ」と閉じた扇子を口元に当てて、お茶目に笑った。


 誰もがクスリと笑うような和やかな雰囲気の中、私は小さく息を吐き、先ほどの話の続きを語るために、再び居住まいを正した。


「……それで、両親に相談した時のことなんですが。私が真剣に『外の世界へ行きたい』と強く伝えると、父と母は『大丈夫なのか』と少しだけ心配してくれました。でも、私が『平気です』と返すと、それ以上は強く言わず……『やるだけやってみなさい』と、送り出してくれたんです。……妹は、泣いていましたけれど」


 私の言葉に、ナセド様たちは「そうか」と深く頷いてくれたが、レーナ様だけは違った。彼女は少し寂しそうな目を向けて、私に尋ねてきた。


「ねぇ、レレナ」

「はい……」

「わたくしが言うことではないけれど……あなた、家族と離れて寂しくないの?」


 そのレーナ様の問いに、私は休憩所の外から見える空を見上げ、遠い村にいる家族たちを思い出しながら……やがて視線を戻し、レーナ様に向かって平気な顔を作ってみせた。


「大丈夫です。私は平気です。もうこの国での暮らしにも慣れましたから」

「そう。……ならいいのよ」


 彼女はそう言って納得したようだった。しかし、私の言葉は嘘だ。

 本当は寂しいし、会いたいと少しは思ってしまう。でも、そんな寂しい顔を見せてはいけないと心に決めているのだ。だから、私はふたたび笑顔を作り、アルスリーア王国を選んだ理由を話し始めた。


「話を戻しますね。次は、私がこのアルスリーア王国にやって来た理由についてです。実を言うと、最初はどこへ行けばいいのかとても悩んでいたんです。だって、うちには外の世界の地図なんてありませんでしたから」

「はぁ? 地図もないですって? じゃあ、どうやってこの国へ辿り着いたというの?」


 呆れた顔で強く言うリリアーナ様に対し、私は淡々と答えた。


「確かに、地図がなければ王国へは辿り着けません。しかし、私の村には、地図を見ることのできる特別な魔道具があるんです。村の掟で詳しく言うことはできませんが……反対していた村長さんにお願いして、特別に見せてもらいました」


「地図を見せる魔道具、ですって?」

「何ですの、それは。そんなもの聞いたこともありませんわ」

「へぇ……。そんな摩訶不思議な魔道具があるのですね」

「そんなバカな。そのような魔道具は、王族が管理している宝物庫にすら存在しないぞ」


 レーナ様とリリアーナ様、そしてナセド様。私の言葉に、三人は揃って目を丸くし、信じられないといった様子で次々と驚きの声を上げた。

 だが、フィオネ王妃様だけは違った。彼女は驚くどころか、「へぇ、面白いわね」とでも言うように、逆に深く興味が湧いたような笑みを浮かべていたのだ。


「はい、信じられないかもしれませんが、実在します。私はその魔道具の力で、二つの国を見ました。まず一つは、谷から数時間離れた場所にある、商人が住まう国カユト王国。そしてもう一つが、谷の反対側へずっと進んだ先にある、このアルスリーア王国です」

「ふむ……カユト王国と我が国か」


 ナセド様が首をかしげ、顎に手を当てて考えるようなそぶりを見せたので、私は言葉を紡いだ。


「最初は、どちらもいい国だなと思っていたのですが……村長さんが軽く言ったのです。『アルスリーア王国へ行け』と。私が『何故ですか?』と聞くと、『あっちの方が遠いからだ』と言われたんです」

「『あっちの方が遠い』ですって? 何ですの、その適当な答えは……」

「確かに適当すぎますわね」


 呆れたようにリリアーナ様とレーナ様が呟く。リリアーナ様は開いていた扇子をパチンと閉じてその先端を私に向け、一方のレーナ様は扇子をパチンと閉じてテーブルに置き、呆れ返ったように紅茶へ口をつけた。


「まぁ、おっしゃる通りですね。でも事実なんです。深い理由は聞きませんでしたが、私は村長さんの言う通りにアルスリーア王国へやって来ました。そして色々あって、あのレストランで給仕として働くようになったのです。……以上が、私がこの国へやって来た理由です」

「そうか。まぁ、その地図の魔道具については少し気になるが、それは村の掟だと言うなら、これ以上は深く触れないことにしよう。……この場にいる者たちもな」


 そう言ってナセド様が全員に視線を向けると、フィオネ王妃様たちは『わかっているわ』という顔つきで、静かに頷いた。


「……あっ、そうだ、ナセド様」

「なんだ、レレナ」


 笑顔を見せながら私が声をかけると、ナセド様は真顔で返した。


「あの、ですね……」


 シャフリネさんのことを聞いてみよう。そう思って意気込んだ、その時だった。


(……うぅっ、急にお手洗いに行きたくなってしまったわ)


 私は言葉を詰まらせ、ドレスの膝の上に両手を置いたまま、思わずモジモジとしてしまった。

 その姿を見たフィオネ王妃様は、扇子を顎に当てて「なるほど」と何か気づいたような顔をすると、リリアーナ様にそっと声をかけた。


「リリアーナ」

「はい、なんでしょうか、お母様」

「レレナちゃんと一緒にお花を摘みに行ってらっしゃい。彼女、ほら……『あれ』みたいだから」

「……なるほど、お花ですか」


 リリアーナ様はニヤニヤしながらこちらを見つめてきた。


(お花……? お花って何のことかしら?)


 私が首を傾げて疑問に思っていると、ナセド様も怪訝な顔をしながら、「お花? なんだそれは」と呟いた。しかし、レーナ様はすべて分かっているような顔をしていた。

 すると、ナセド様の無神経な発言が気に障ったのか、リリアーナ様は不機嫌な顔を向けて、こう言い放った。


「お兄様。淑女に対し、そのような無粋なことを聞くものではありませんわ」

「無粋……? いや、理解できん」


 リリアーナ様の言葉の意図が全く分からず、ナセド様は左手でこめかみを押さえた。すると、彼女は手にしていた扇子をスッと胸元に仕舞い、優雅に立ち上がって私の元へ近づき、こっそりと耳打ちをしてきた。


「(あなた、お手洗いに行きたいのでしょう?)」

「あっ」

「(だったら、私が案内してあげるからついてきなさい)」


(『お花』とは、お手洗いのことだったのね!)と、リリアーナ様の言っていた『お花』という意味が、お手洗いのことなのだとようやく理解した。


 フィオネ王妃様は私の様子に気づき、気を利かせてリリアーナ様に頼んでくださったのだ。


 なぜお手洗いのことを『お花』と呼ぶのかは全く理解できなかったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。ここで強がって『大丈夫です』なんて断ったら、色々と取り返しのつかない大惨事になってしまう。


 そう危機感を覚えた私はすぐさま立ち上がり、「は、はい。お願いいたします」とリリアーナ様に軽く頭を下げた。

「よろしい、では行きますわよ、レレナ」

「はい、ナセド様。少し席を外しますね」


 そう言って、私はナセド様にペコリと頭を下げた。


「あぁ、わかった。でも、お花を見に行くなら俺もついていかなくて大丈夫か?」

「だっ、大丈夫ですっ!」


 心配そうな顔で尋ねてきたナセド様に、私は必死に平気を装った。

(ついてこられたら、色々と見られて大変なことになりますっ!ナセド様のその優しさが今は怖いです!)


「お兄様。あまり乙女を困らせるものではありませんわ」


 リリアーナ様が呆れ半分、笑い半分といった顔で、ぴしゃりと兄を止めてくれた。……この方が今日ほど頼もしく見えたことはない。


「そっ、そうなのか……?」


「うーん」と、まだよく分からない顔で首を傾げるナセド様の姿に、フィオネ王妃様とレーナ様がふふふと揃って笑った。……なんだろう。今、私以外の女性たちだけが、何かを分かり合った気がする。


「行ってらっしゃい」と扇子を軽く振るフィオネ王妃様に見送られ、先ほどの笑みを引っ込め、「ふん」と鼻を鳴らしてどうでもよさそうな顔をするレーナ様を横目に、私はリリアーナ様の後について休憩所を後にした。


 その後のことは……思い出すだけで恥ずかしいくらい、色々と大変だった。

 案内された王城の豪華な化粧室で、「えっ、これどうやって使うの!?」と戸惑ったり、慣れないドレスの扱いに四苦八苦したり……。けれど、文句を言いながらもリリアーナ様が手伝ってくださったおかげで、なんとか無事に済ませることができた。


「お待たせいたしました、皆様」

「全く、レレナは……」


 少し不機嫌そうに呟くリリアーナ様と共に休憩所へ戻ると、ナセド様が私をじっと見つめていた。その瞳は、まるで何か強い決意を固めているかのように見えた。


 しかし、彼はすぐに「やっと戻ってきたか、レレナ」と表情を緩め、いつもの優しい笑みを向けてくれた。あの真剣な眼差しが何だったのか、私にはわからなかった。

 さらに視線を移すと、何故か閉じた扇子を胸元に当てていたレーナ様が私に気づき、パッと扇子を開いて口元に当て、「やっと戻りましたわね」と薄い笑みを浮かべた。


 その笑みの中にどこか悔しさのようなものが混じっているように感じられたが、私は深く気にせず、「よいしょ」と元の席へ座り直した。リリアーナ様も自分の席へと戻り、優雅に腰を下ろす。


 そして、私は、ナセド様の親友の話を切り出した。

「あの、ナセド様。先ほどの馬車の中で、リカード様から『ナセド様の親友でもう一人、シャフリネさんという方がいる』と伺いました」

「ふん、あのお喋りめ……」


 ナセド様は金髪を指先でいじり、リカードさんの顔を思い出して少しイラッとした様子で呟いた。リリアーナ様は『シャフリネ? あぁ、副団長の』と、役職には心当たりがある様子で頷いた。すると、レーナ様が驚いた顔で声を上げた。


「嘘でしょう……一年前、妃候補を辞退され、聖騎士団の副団長になったあのシャフリネが、殿下の親友だなんて」

「えっ?」


 レーナ様の言葉に、私は目を丸くした。馬車の中では、リカードさんが『親友の一人で、他の令嬢のように媚を売らない』と言っていたけれど……まさか元妃候補だったなんて……妃候補はレーナ様だけじゃなかったのね。シャフリネさんもそうだったんだ。


 しかし、私は疑問に首を傾げてしまった。

 何故なら、親友というナセド様をよく知る間柄であれば、むしろ隣に立つにはふさわしいはずだ。それなのに、自らその座を辞退するというのは少しおかしかったからだ。


「あぁ、そうだが……何だ、レーナは知らなかったのか?」

「いいえ、知りませんでしたわ。家同士の繋がりはございますけれど、彼女からは何も……」


 そう言葉を切ったレーナ様は、驚きだけでなく少し複雑な表情を浮かべた。家同士の深い付き合いがありながら、自分だけがその事実を知らされていなかったからだろう。レーナ様は、空いている方の手で悔しそうに指を軽く噛んだ。


「あら、レーナも知っているのだと思っていたわ」


 レーナ様のその姿を見たリリアーナ様は、『知らなかったのね』とでも言うような顔を見せた。その態度は、昔から兄とその親友の関係性をよく理解しているかのようだった。

 そして、レーナ様は指を噛むのをやめ、視線をリリアーナ様に向けた。


「リリアーナ様はご存じだったのですか?」


 レーナ様にそう尋ねられたリリアーナ様は、真面目な顔で胸元に仕舞い込んでいた扇子を取り出して広げ、それを口元に当てて、答えた。


「ええ。ずっと昔、王城へ何度か遊びに来ているのをよく見ていたわ」


 さらにフィオネ王妃様も扇子を口元に当てて、何故か意味深な薄い笑みを浮かべていた。


 ナセド様は「はぁ、そうか。知らなかったか」と小さくため息をついた。そして何故か、私とレーナ様に真っ直ぐな視線を向けると、誤解を解くようにこれ以上ないほど真面目な声ではっきりと告げた。


「だが、最初に言っておくぞ。シャフリネは幼い頃から一緒にいた、ただの親友だ。あいつは恋愛対象にはならないからな」


 それはまるで、紳士的な騎士のように誠実で嘘偽りのない言葉だった。レーナ様に向けてではなく、私に対する真っ直ぐな想いのように見えた。  


(……でも、私にはそれに応えることはできないわ。ごめんなさい、ナセド様)


 私が心の中で悲痛な叫びを上げていると、レーナ様は安心したような顔でほっと胸を撫で下ろした。


「そう……。まぁ、妃候補を辞退されていますし、そういう対象ではないというのも頷けますわね」


 レーナ様は自分を納得させるように呟いた。

 だが、私には二つの疑問が残った。


 何故、親友なのに自ら妃候補を辞退し、聖騎士団の道を選んだのか。

 そして何故、レーナ様はシャフリネさんがナセド様の親友だと知らなかったのか。家同士の繋がりがあるのなら、すぐに気づくはずなのに。


 私は、ナセド様の親友たちとの昔話を聞く前にその疑問を口にしようと、小さく息を吸い込もうとした。

 ……その瞬間だった。フィオネ王妃様がふふふと笑い、閉じていた扇子をパッと開くと、優雅に風を扇ぎながら口を開いた。


「まったく、団長さんはお喋りね、この子に話すとは……まぁ、レーナに知られてしまっては仕方ないわね」

「どっ、どういうことですの、フィオネ王妃様!?」


 フィオネ王妃様の言葉に、レーナ様が真っ先に食いついた。

 さらにその意味深な発言に、リリアーナ様は『あれ?』と首を傾げ、ナセド様に至っては『母上が何故』と言いたげな険しい顔を見せた。


「ふふふ、あなたたちには黙っていたけれど……実はね、一年前に、私の友人のアシェリ・キャリンから、あるお願いをされていたのよ」

「「アシェリ様が、ですか?」」


 その名を聞き、リリアーナ様とナセド様が同時に驚いたように声を揃えた。


「えっ、アシェリ様が……」


 家同士の付き合いがあるレーナ様も、信じられないといった様子で声を上げる。


「アシェリ……キャリン」


 そして私も、その聞き慣れない響きに、思わず静かに声を漏らしていた。


(……キャリン。恐らく、シャフリネさんのお母様かもしれないわね。それにしても、その方が王妃様のご友人だったなんて……本当に驚きしかないわ)


「えぇ。『シャフリネも、もうすぐ二十歳になる。妃候補に挙がる時期だろうけれど、そこでだ、フィオネ王妃。シャフリネは聖騎士団の副団長になる予定だから、妃候補から外してくれ。あと、娘とナセドが親友だということも含めて、他の貴族たちに漏れないよう黙らせておいてほしい』とね」


 その言葉に、私たちは揃って息を呑んだ。そして、先にナセド様が、険しい顔を解き、納得したように深く頷いて口を開いた。


「なるほど、そうですか。アシェリ殿が……。まぁ、シャフリネ自身、他の令嬢たちに絡まれるのを極端に嫌っていたからな。……だが、そういえばあいつから、『レーナはいい友達よ』と聞かされたことがあったな」

「えっ、わたくしが、ですか?」


 レーナ様は目をパチクリさせて、ゆっくりと扇子を閉じて、自身の胸元に引き寄せた。


「あぁ、そうだ。家同士の行事で、たまに手合わせをする程度の仲だと聞いているが……」

「確かにそうですわね、ナセド殿下。でも、そこまで友達と思ったことは、一度もありませんけれど……」


 そう言いながらも、レーナ様の視線は、胸元に寄せている閉じた扇子へと落ちていた。否定の言葉とは裏腹に、その声は冷たくはなく、どこかまんざらでもない響きだった。

 そして、その煮え切らない彼女の返事に、ナセド様は不思議そうに首を傾げて言葉を続けた。


「そうか……? でも、シャフリネは、おまえとやり合って楽しいと言っていたぞ」


「たっ、楽しいですって……? しかし、あの方らしい答えですわね。まぁ、わたくし自身も、あの手合わせが退屈だと思ったことは、ありませんけれど……」


 そう言って、レーナ様はどうでもよさそうな顔をしながら、閉じていた扇子をパッと広げて顔を少しだけ隠した。しかし、銀髪の隙間から覗く彼女の耳は、ほんのりと赤く染まっていた。


 シャフリネさんにそんな風に思われていたことが本当は嬉しかったのか、その真意は、彼女自身にしかわからないのだろう。


 そして、ナセド様たちのやり取りを静かに聞いていた私の頭の中では、今知ったばかりの色々な情報が激しく駆け巡っていた。


(なるほど……。シャフリネさんは一年前から副団長になることが決まっていて、それで妃候補を辞退したのね。他の令嬢たちに絡まれるのも嫌がっていて……そういえばリカードさんが『根は真面目』と言っていたっけ。それに、レーナ様のことを友達だと思っていたなんて……)

 ……でも。


  (彼女のお母様が、娘の道を決めて、王妃様に直接お願いする……。それって、簡単な話じゃないと思う。王妃様のご友人だから、できたことなのかもしれないけれど——貴族の世界って、そういうものなのね。うちのお父さんとお母さんは、『やるだけやってみなさい』って、それだけだったのに)


 フィオネ王妃様たちの話を聞きながら、ふと、故郷の両親の顔が浮かんで、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


 けれど、そろそろ本題を聞かないと。ナセド様と親友たちの昔話を——そう思って、私は口を開こうとした。その時だった。


「……どうやら、もう日が暮れてきたわね」


 フィオネ王妃様が休憩所の外の空を見上げながら、そう静かに呟いた。その言葉につられて私も空を見上げると、西の空がほんのりと夕陽の色に染まり始めていた。


「あっ、本当ですわね、お母様」


 リリアーナ様も同じようにその空を見上げる。すると、ナセド様も「もう終わりか……」と残念そうに呟いた。

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