第20話 家族への思い
「はい、家族はすんなりと許してくれました。……ただ、村長さんは、最初はいい顔をしませんでしたけれど」
「えっ、どうしてかしら? 家族は許してくださったのに、村長さんだけがいい顔をしなかったなんて……」
そう疑問に思いながら尋ね返すフィオネ王妃様に、私は一つずつ丁寧に説明をした。
「実は、私も詳しい理由はよく知らないのですが、村長は『外の世界の連中に酷い目に遭わされても知らないからな』と、強く反対しておられたんです。まるで、ご自身が一度外の世界に出たことがあるような言い方でしたけれどね」
「そう。村長さんは、外の世界がお嫌いというわけね」
フィオネ王妃様が少し険しい表情を浮かべてそう言うと、私は「はい」と静かに頷いた。すると、フィオネ王妃様は私の話を聞いてあることに気づき、少し眉間に皺を寄せて問い詰めた。
「ちょっと待って。レレナさん、あなた、村長さんが外の世界を嫌っていると言っていたわよね?」
「はい、そうですが」
「じゃあ、あなたがこうして村のことを話すのは、まずいのではないかしら?」
「……あっ」
私は思わず口元に手を当てた。言われてみればそうかもしれない。何も考えず、聞かれるがままに話してしまった……と、私は少し困った顔を作って考え込んだ。
(あっ、でも。村長さんは『酷い目に遭わされても知らない』と言っていたけれど、『村のことは話すな』とは、一度も言っていなかったわ)
故郷を出る時に言われた村長の言葉を思い出し、少し考えてから、私は慌てずに澄ました薄い笑みを見せて静かに首を横に振った。
「大丈夫だと思います。村長さんは私が村を出ることには反対しましたけれど、話すなとは一言も言っていません。今の村で、あの道を通れるのは私くらいですから、王妃様たちに話しても問題ないかと……」
そう言いかけた時だった。横に座っていたナセド様が、「いや、問題はあるだろう」と呟き、少し怖い顔を浮かべてぐっと顔を近づけてきた。
「あの、ナセド様。少し近いのですが」
いきなりナセド様が顔を近づけてきたことで、胸の奥で心臓がドキドキと大きく跳ね上がり、私は思わず澄ました笑みから頬を赤く染めた。すると……
「まぁ」
私たちのやり取りを見て、険しい顔だったフィオネ王妃様は面白そうに笑った。一方、リリアーナ様は「おっ、お兄様!」と少し頬を膨らませて怒り、レーナ様に至っては胸元から扇子を取り出して、「殿下。その平民の娘に、少々近すぎではございませんこと?」と、あくまで公爵令嬢としての余裕を崩さぬまま、冷ややかに言い放った。
けれど、扇子を握るその手だけが、なぜか少しだけ震えているように見えた。
「あの」
私が小さく声をかけると、ナセド様はハッと我に返り、少し頬を赤らめながら「悪い、近づきすぎた」と申し訳なさそうな顔を見せて身を離した。
しかし、私の胸の高鳴りは止まらなかった。ナセド様があんなにも顔を近づけてきたのだから。
(……ダメ。もう、諦めたはずなのに)
頭では、とっくに分かっている。何度も自分に言い聞かせてきたはずだった。それなのに、この胸の高鳴りだけは、どうしても私の言うことを聞いてくれないのだ。
私は必死に平常心を作り、「何が問題なんですか?」と尋ね返した。するとナセド様は、ため息をつきながら口を開いた。
「はぁ……レレナ。君が、俺や王妃様たちでさえ知らないような情報を、他所で軽々しく話すものではないぞ。もしそんな調子で悪い大人に絡まれたらどうする気だ」
「悪い大人って?」
疑問に思っている私に、ナセド様は真面目な顔を向けて言葉を続けた。
「君の村が地図にない村だと知ったら、君を利用しようとする者が出てくるだろう」
「利用するって……私たちの村は、そんなすごい場所じゃないと思いますが」
「レレナさん」
そう否定する私の言葉を、フィオネ王妃様が静かに遮った。閉じた扇子をそっと顎に当てて、真面目な表情へと切り替わり、強い口調で声をかけた。
「確かに、あなたの村はすごい場所ではないかもしれない。しかし、地図にない希少な村であることには変わりないわ」
「希少な村?」
私がピンとこない顔をしていると、フィオネ王妃様は扇子を当てたまま言葉を紡いだ。
「そうよ。世の中には、その土地を売り買いする連中や、自分たちの領土にしようと企む隣国もあるのよ。まぁ、私たちの国では絶対にそんなことしないけれどね」
「あっ……なるほど。つまり、土地の奪い合いになる、ということですね」
(うちの村はカユト王国にもアルスリーア王国にも属していない。もしどちらかがこの村の存在を知ってしまえば……。王妃様たちはそんなことしないからいいけれど、カユト王国や、ナセド様が言っていた『悪い大人』が関わってくると、よくないわね)
私が素直にそう答えると、ナセド様は少しだけ目を見張った。
「……さすが、レレナ。理解が早いな」
「はい。ナセド様、これからは気をつけます」
私の返事に満足そうに一つ頷くと、ナセド様はリリアーナ様とレーナ様へと鋭い視線を向けた。
「あぁ……それと、レーナ、リリアーナ」
「なんですか、お兄様」
「なんでしょう、殿下」
突然の問いかけに『なんだろう』という顔をする二人に対し、ナセド様は鋭い視線を向けたまま、厳しい口調で告げた。
「二人とも、レレナが言った話は他言無用だぞ」
その言葉に、「なるほどね」と納得しつつも、呆れたような表情を浮かべるリリアーナ様。
「えぇ、わかっていますわ、お兄様。王女たるもの、秘密は守る主義ですわ」
と、自信たっぷりに言い切る彼女に対し、ナセド様は青い目を細め、訝しげに呟いた。
「ほんとか……リリアーナ?」
その疑わしげな眼差しには、過去に何かあったことを窺わせるような響きがあった。しかし、視線を向けられたリリアーナ様は、胸元から扇子を当然の如くパッと開き、「ほほほ」と上品に笑って見せてから、スッと真面目な表情に戻って言い返した。
「本当ですわよ、お兄様。少しばかりの意地悪はしましたけれど、言うなと言われたことを喋ったことは一度もございませんわよ?」
「……む」
痛いところを突かれたのか、ナセド様は一瞬言葉に詰まったが、すぐに気を取り直して鼻を鳴らし、次はレーナ様へと視線を向けた。
「ふん、わかったよ、じゃあ、次にレーナは?」
ナセド様に視線を向けられたレーナ様は怯むこともなく、手にしていた青い扇子をパッと開いて口元を隠すと、心底心外だとばかりに黒い瞳を細めた。そして、威厳を保ったまま真面目な顔で言い返した。
「殿下。わたくしを疑っておいでですの? わたくしは公爵令嬢ですわよ。聞いた話を軽々しく口にするような真似をするとお思いで……」
「そうだったな、今日のお茶会の態度を見ればわかる。悪かった」
ナセド様が素直に謝罪すると、レーナ様はふんと鼻を鳴らし、扇子をパチンと閉じた。
(……あれ? なんだか今、レーナ様、少しだけ怒っていたような)
それが本当に「疑われたこと」への怒りなのか、私にはよく分からなかった。ただ、なぜかその横顔は、少しだけ誇らしげにも見えたのだ。
すると、フィオネ王妃様が閉じた扇子を左手のひらにパチンと打ちつけた。
「話はまとまったみたいね。……でも、ナセド。リシェル様には報告しますからね」
「えっ? 何故ですか、母上」
フィオネ王妃様の真面目な顔での発言に、私は目を丸くした。ナセド様も怪訝な顔を向けて問い返している。すると、フィオネ王妃様は薄い笑みを浮かべて口を開いた。
「あの方に嘘をつくことはできないわ。でも、大丈夫。リシェル様はお優しい方よ。レレナさんの出身の秘密は、誰にも言わないはずよ」
「確かにそうですが……うーん」
ナセド様は顎に手を当て、どうするか難しい顔をしてしばらく考え込むと、やがて仕方なさそうに「はぁ」とため息をついた。
「わかりました、母上を信じます。まぁ、父上がお優しい方なのは、俺も知っていますから。……だから、レレナ。君の身分や出身については大丈夫だ。だが、何度も言うが、君の出身地は絶対に他所で話さないこと。いいな」
「ふふふ、わかってますよ、ナセド様」
あなたが心配しなくても、もうちゃんと理解しましたから——私を想ってくれているのは、わかっていますからね。そんな気持ちを込めて、私は満面の笑みを見せた。
フィオネ王妃様が扇子を顎に当てて「……本当かしらね」と呟くと、リリアーナ様も呆れたように扇子を閉じ「本当かしら?」と続く。さらにレーナ様までが「……笑えるほど自信がおありなのね」と小さく呟き、三人の女性は揃って疑わしげな視線を私に向けてきた。
「えぇっ、皆様まで!?」
「まったく。この子は、人の話を聞いているようで聞いていないんだから」
「お兄様、心配しすぎですわ」
「うるさい。お前たちが言うな」
実の母と妹に左右から挟まれて、ナセド様はばつが悪そうに顔をしかめた。その光景に、私は思わずくすりと笑ってしまった。
——けれど。
笑いながら、胸の奥がすうっと冷えていくのを感じた。心配して、口を出して、うるさがられて。それでも、また同じことを繰り返す。
(……いいなぁ)
私にもかつて、そんなふうに笑い合える相手が、たった一人だけいた。
微笑ましいナセド様たちの姿を見ていると、どうしても、あの子のことを思い出してしまうのだ。
私がそっとティーカップの紅茶へ視線を落としていると、フィオネ王妃様が扇子をパチンと開き、それを顎に当てた。
「さて、少し一悶着ありましたけれど……話を戻しましょうか。あなたのご家族は、すんなり許してくださったのよね?」
「はい」
「では、お別れの時は、どうだったのかしら。……ご家族は、あなたに何と?」
扇子を顎に当てたままそう問いかけるフィオネ王妃様に、私は笑みをそっと収めた。フィオネ王妃様は扇子をパチンと閉じ、静かに私の言葉を待っている。そして、私は寂しげにそのまま言葉を続けた。
「はい。私には、故郷に残してきた妹がいます。彼女はとても悲しい顔をして言いました。『お姉ちゃん、行かないで』と」
「レレナの妹か」
「妹……あなた、妹がいるの?」
ナセド様は静かに呟き、リリアーナ様は紅茶のカップに少し口をつけてからテーブルに置き、目を見開きながら問いかけてきたので、私は「はい」と返した。
すると、リリアーナ様の隣に座っていたフィオネ王妃様が、何かを思い出したように、閉じた扇子を私へと向けた。
「そう、さっき、私たち家族に対して『喧嘩しないで欲しい』と言ったのは、そういうことなのね、レレナさん」
「……」
フィオネ王妃様の言葉に少し黙り込み、その指摘に納得しながら、私は心の中で呟いた。
(なるほど。遠く離れた家族を想う私が、あんなお願いをしたから……その真意を汲み取ってくれたのね)
「はい、その通りです」
「……そうか。あの時、君が寂しそうな顔をしていたのは、そういうことか」
私が真っ直ぐな瞳で見つめ返すと、あの日のことを思い出したかのようにナセド様が小さく呟いた。私がただ『優しいから』だと思われていたその理由が、今、彼にも伝わってしまったのだ。
「レレナ……」
少し何か言いたそうな顔をしたリリアーナ様だったが、家族については何も言わなかった。すると、私たちの会話を聞いていたレーナ様が、カップを置き、不思議そうに私に問いかけた。
「喧嘩? それ、どういうことかしら、レレナ」
「あぁ、それはですね……」
レーナ様の問いかけに答えようとしたその時、リリアーナ様が私に向けて鋭く睨みつけるような視線を向けた。
「レレナは言わなくていいわ。こっちのことだから」
「はい、わかりました」
その威圧的な様子に空気を読み、私は口をつぐんだ。するとレーナ様が、表情を崩さぬままリリアーナ様へと視線を向けた。
「ふぅ、さっきのことと、何か関係あるのかしら?」
「あるけれど、こっちの問題で。さっき、言いたくないと言ったでしょ」
「そう。……まぁ、いいわ。今は、さっきことも含めて深く聞かないでおいてあげる」
リリアーナ様のツンとした返答に、レーナ様はどうでもよさそうに返したけれど、その表情は少しだけ柔らかく見えた。すると、フィオネ王妃様が申し訳なさそうに私に告げた。
「二人の話はさておき、ごめんなさいね、レレナさん。さっきのことは、余計な詮索だったかしら」
私は首を横に振ってそう答え、テーブルに置かれたカップの紅茶へ視線を落とした。
(……レイミ。私、頑張っているよ。レストランの給仕も、このお茶会も、ちゃんと頑張るからね。でも、今の私を妹が見たら多分驚くだろうな。……まぁ、とりあえず会いたい気持ちをここで見せちゃだめよね、気を引き締めないと)
そう心の中で決意を新たにして、私はカップを手に取り、紅茶を一口飲んで心を落ち着かせた。
そして、フィオネ王妃様は改めて問いを重ねてきた。
「では、改めて聞くけれど、一体何のためにわざわざ、あなたが言った霧が深い谷を越えてこの王都へやって来たのかしら?」
フィオネ王妃様のその問いかけに、私は真面目な表情を浮かべ、遠い故郷の家族を思いながら静かに語り出した。
「はい。実は私の家……いえ、私の村は、物々交換で生計を立てているのです」
「物々交換?」
聞き慣れない単語に、王妃様たちは一様に目を丸くして驚いた。それも無理はない。王国ではお金が一番大事なのだと、村を出る前に家族から聞いていたからだ。
「ええ。私の村には硬貨なんてなく、村で作った野菜やお茶などを互いに交換しながら暮らしているのです。そして、私の家はそんなお茶を作っている家庭なんです」
「お茶?レレナ、あなた、お茶を作る農民だったの?」
目を丸くしたままのリリアーナ様が、驚きながらそう尋ねてきたので、私は「はい」と頷いた。
「はい。まぁ、先ほどナットさんが淹れてくださった王城の紅茶も、とても美味しいですけれどね」
「そうですのね。でも、あなたの家が作るお茶、少し興味がありますわね、お母様」
「そうですわね、リリアーナ。しかし、村長が外の世界が嫌いで、物々交換で生計を立てている村か……」
私の話に興味津々な顔をするリリアーナ様やフィオネ王妃様に対し、私は話を続けた。
「はい……それで、どうしてこの国へ来たのか、でしたよね」
「えぇ、そうよ。答えてくださるかしら?」
「はい。私がやって来た理由は二つあります。一つは外の世界への興味。そしてもう一つは、自分の力を試したいからです」
「外への興味と、自分の力か」
その理由を聞いたナセド様は、深く感心したように頷いた。それに同調するように、王妃様とリリアーナ様の二人も揃って『なるほど』と頷いた。だが、ただ一人――レーナ様だけが、納得のいかない顔で私を見据えていた。
「平民の娘が自分の力を試したいとは、よく言うわね。まぁ、あの谷を越えてきたのですから、口だけではないようですけれど。でも、微弱な火魔法しか使えないあなたが、その力を試してどうするつもりなの?」
「おい、レーナ」
先ほどの話を蒸し返すレーナ様に、ナセド様がすかさず横槍を入れようとする。けれど私は、それを手で軽く制して、怯えることなくまっすぐに答えた。
「大丈夫です、ナセド様。……確かに、私の魔法は先ほど言った通り、微弱な火だけです。でも、体力には自信がありますから。魔法よりも、ずっと」
「体力……?」
疑問が浮かぶレーナ様に対し、私は少し苦笑しながら答えた。
「はい。歩くのが好きなんです。谷を越えてきたのも、結局はそれですから」
「そうか。そういえば、レレナ。この前、レストランで馬車の手配をしようとした時、『歩いてでも王城へ行ける』と自信満々に言っていたな」
ナセド様の言葉に、レーナ様は呆れと感心が入り混じったような複雑な笑みを浮かべ、閉じた扇子を私へと向けた。
「ふーん、この平民の娘、城下町から王城まで歩くつもりだったと? ……呆れて笑えてきますわ。まぁ、そこがあなたの強みなのでしょうけれどね」
「まさか、レレナ。あなた、そんなバカなことを言っていたの?」
同じく呆れてものが言えないといった様子のリリアーナ様が、閉じた扇子を頭に乗せ、ひどく困惑した表情を向けて声を上げる。それを見て、私は苦笑したまま問い返した。
「バカなことって……私、割と本気でしたよ? ……でも、改めて思えば、ナセド様の方が正しかったですね。この履き慣れないヒールでは、とても二時間も歩けませんでしたから」




