第3話 運命の一着を探して
小鳥のさえずりが響く、爽やかな朝。
私の朝は、下町の路地裏にある二階建ての古びた宿屋から始まる。
ベッドの上で身をよじり、薄いピンク色をしたもこもこの寝巻き姿のまま、ゆっくりと体を起こした。寝癖のついた長い桃色の髪を下ろしたまま、私は部屋の隅にある小さな鏡の前に立つ。
木の櫛を手にとり、絡まった髪を丁寧にとかして、いつものように飾り気のない一本の紐で邪魔にならないよう後ろで一つに束ねた。
そこに映る、少し寝ぼけ眼な自分の顔をじっと見つめ、両手でペチッと頬を叩いて気合いを入れた。
「よしっ」
今日はお休みをもらっている大切な日だ。私はさっそくお出かけ用の私服に着替えることにした。
私服に着替えると言っても、私が持っているのは生成り色の素朴なブラウスと、少し色褪せた焦げ茶色のロングスカートくらいだ。自分の少し派手な桃色の髪にもよく馴染む、地味で動きやすい、いかにも平民らしい服装である。
身支度を整え、部屋を出る。
一ヶ月の宿代は、金貨一枚程度。
王都の中心部に比べれば破格の安さなのは、ここがレストランのオーナーであるファナおばさんの知り合いが営んでいる場所だからだ。故郷の村を出て王都に来てから一年くらい、私はずっとこの場所でお世話になっている。
階段を降りて一階の広間へ向かうと、カウンターで帳簿をつけていた男性が顔を上げた。
「おはよう、レレナ。朝早くからどこへ行くんだい?」
声をかけてきたのは、宿屋の主人のイフェドさんだ。三十代前半の落ち着いた雰囲気を持つ茶髪の男性で、右も左もわからなかった一年前からずっと気にかけてくれている、私にとっては面倒見のいいお兄さんのような人だ。
「おはようございます、イフェドさん。今日はお休みをいただいているので、ちょっと知り合いの仕立て屋さんのところまで行ってきます」
「仕立て屋? へぇ、レレナが服を新調するなんて珍しいこともあるもんだ」
「ふふ、ちょっとお出かけの予定ができまして。いってきます!」
イフェドさんの温かい声に見送られながら、私は宿を出た。
ポシェットの中には、一カ月分の給料である金貨三枚が全財産として入っている。お城に行くためのドレス代としてはあまりにも少ないかもしれないけれど、今の私に用意できる精一杯の額だった。
街の外れにある一軒の仕立て屋。カランカラン、とドアベルを鳴らして中に入る。
「あら、いらっしゃい。……って、レレナじゃないの!」
出迎えてくれたのは、私の親友であり、この店の主であるドレス職人のリーアさんだ。
今日の彼女は、パリッとした白いシャツに鮮やかな赤のビスチェを重ね、首元には澄んだ青色のリボンを結んでいる。下は動きやすそうな黒のタイトなパンツスタイルで、彼女の薄い水色の髪が、その洗練された色使いによく映えていた。
二十代前半の彼女は、仕事に対しては職人気質で厳しいが、根は誰よりも優しい女性だ。
「リーアさん、お久しぶりです! あの、今日はドレスの相談があって……」
「ドレスの相談? あんたがここに来るなんて、よっぽどのことね。どうしたのよ」
私が深呼吸をし、ナセド王子との出会いや毎日のお忍び、そして突然のお茶会への招待状といった昨日からの出来事を一息に話し終えると、リーアさんは信じられないというように青い瞳を丸くして私を凝視した。
「……へぇ、あんたがあの王子様とね。それ、ちょっと怪しいんじゃないの?」
「……私も、少し思います。ただからかわれてるだけなのかなって」
不安になって俯く私に、リーアさんは呆れたように長いため息をついた。
「でも、そのナセド王子は『あなたの身分も何もかもなんとかする、君が虐げられないように』って手紙にわざわざ書いていたんでしょ?」
「はい」
「なら、腹を括って信用してもいいじゃない」
「えっ? 今、怪しいって言いませんでした?」
「言ってないわよ。誰が言ったのよ、そんなこと」
リーアさんは白々しく目をそらし、採寸紐を手に取って私の前に立った。
「まったく、あんたはお人好しで心配性なんだから。……で、予算はいくらなの?」
「えっと……これなんですが」
私が申し訳なさそうにポシェットから金貨三枚を取り出すと、リーアさんは大げさに肩をすくめた。
「金貨三枚? 平民のお出かけ着ならともかく、お城の貴族たちの中に混ざるドレスがそんな額で作れるわけないでしょ」
「や、やっぱりそうですよね! どうしよう……私、お茶会なんて行けないかも……」
「ちょっと、最後まで話を聞きなさいよ。……今回は親友のよしみで特別に、それで引き受けてあげる」
「えっ!?」
「その代わり、出世払いよ。あんたが真面目な王子様に見初められて玉の輿に乗ったら、うちの店を王室御用達に推薦しなさいよね」
リーアさんはパチンとウインクをして、私の背中を軽く叩いた。
「さあ、そうと決まれば採寸よ! 腕を上げて、背筋を伸ばして!」
「は、はいっ!」
言われた通りにピシッと立つと、リーアさんが手際よく採寸紐を私の体に這わせていく。すると、彼女はふと手を止めて目を丸くした。
「……ちょっとレレナ。あなた、また少し胸あたり大きくなったんじゃない?」
「なっ……! 何を言ってるの、リーアさん! そんなわけありませんっ」
いきなりのからかいに、私は顔を真っ赤にして慌てて否定した。けれどリーアさんは採寸紐の数値をポンポンと指で叩きながら続ける。
「数字は嘘つかないわよ。でも、あなた本当にスタイルいいよね。無自覚なのが勿体ないくらい」
「私が? 全然そんなことないですよ……」
「そうよ。もっと自分の魅力に自信持ちなさいって」
リーアさんはフッと優しく微笑むと、再び採寸を再開した。
「いい、レレナ。あんたは自分が思っている以上に、その桃色の髪が綺麗なの。だから、色は……そうね、王子の瞳と同じ、深いサファイアブルーなんてどう? 桃色の髪がすごく映えるし、何より王子様の気を引くにはぴったりの色だわ」
王子の瞳と同じ色。
その言葉を聞いただけで、私の顔がカッと熱くなった。
「まぁ、とりあえずナセド王子が度肝を抜くような、あなたの美しさを最大限に引き立たせるドレスを見繕ってあげるわ。この私の腕に任せなさい!」
「……はい! 本当に、ありがとうございます、リーアさん!」
「お礼はいいから、採寸中は動かない! さあ、型紙を起こすから、三日後の夕方にまたいらっしゃい」
リーアさんの勢いに圧倒されながらも、私の心には確かな期待が膨らんでいた。
「よろしくお願いします! じゃあ、また三日後に!」
カランカランと再びドアベルを鳴らして店を出て見上げた空は、あの時私を真っ直ぐに見つめてくれたナセド王子の瞳を思わせる、どこまでも澄み切った青色だった。
(一週間後、お城で……王子様に会える)
胸の高鳴りを押さえながら、私は弾む足取りで宿屋への帰り道を歩き出した。




