第19話リリアーナの従者ナット
そうして私たちの故郷や魔法についての話が少し弾んだところで、中庭の奥から、コツコツと足音が近づいてきた。
「あれ、この音は……?」
「どうやら、話をしているうちに届いたようね。王城の料理人が作った茶菓子が」
「茶菓子?」
一体どんなものだろうと私が首を傾げながら待っていると、丸くカラフルな菓子が乗ったお皿を持って、一人の青年が現れた。
黒い服に白手袋。黒髪と若緑の瞳。だが、その顔には見覚えがあった。
「皆様、お茶会は楽しんでおられますか?」
それは、レストランにやってきて、リリアーナ様に謝罪を促し、そのお詫びとして金貨をくれた――リリアーナ様の従者の、ナットさんだった。
「あなたは、この前のレストランの件でリリアーナ様に謝罪を促して、お詫びとして金貨一枚をくださった、ナットさん……!」
彼に気づいた私が思わず立ち上がって言うと、ナットさんは丸い菓子が乗った皿を持ったまま、優しい笑みを見せた。
「その節はどうも、レレナさん。ですが、私からちゃんと名乗っていませんでしたね」
「はい……」
私が苦笑しながらそう答えると、彼は改めて丁寧にお辞儀をした。
「では、改めて。私はナット・ヘルベルナと申します。リリアーナ様の従者です。どうぞよろしく」
「はい、よろしくお願いします。ナットさん」
そう自己紹介が終わると同時に、ナセド様は少し眉間に皺を寄せて、ナットさんをじっと見つめた。
「ナットか。……リリアーナがレストランで謝罪したことは聞いていたが、お前たちが金貨一枚を渡していたとはな。そんなこと、一度も聞いていないぞ。リリアーナ」
「私もですわよ、リリアーナ」
さっきまで私の話に納得の色を見せていたお二人だったが、一転して、私の「金貨一枚」という言葉に対し、揃って少し怖い顔をリリアーナ様へと向けた。
(えぇっ、そうなの? てっきりレストランでの謝罪の件を知っているなら、お詫びの金貨のことも聞いているのだと思っていたけれど……。そういえばこの前ナセド様がお店に来た時、私、金貨のことは言っていなかったわ。おそらくファナおばさんも……)
お二人の突然の鋭い追及と、初耳だと言わんばかりの表情に対し、私が目を丸くしながらそんなことを思っていると、リリアーナ様は少し顔を引き攣らせて、持っていた扇子をナットさんに向けて反論した。
「そっ、それは、ナットが勝手にやっただけですわ! 私はお店の出口から『早く来なさい』と呼んだだけです! あと、お兄様やお母様に言わなかったのは、わざわざ言う必要がないと思ったからですわ! それに、お兄様は店主とレレナに聞いたんじゃないの!?」
「いや、全然」と首を横に振ったナセド様が私の方を向いたので、私はすまなそうな顔で「ごめんなさい、ナセド様。言うのを忘れてました」と軽く謝った。
リリアーナ様は「レレナ!」と怒りの声をあげて目を逸らした。それをよそにナセド様は、「なるほど、忘れていたのか」と苦笑いを浮かべた。
「でっ、でもナット! なんでお兄様に報告しなかったのよ!」
怒りながらのリリアーナ様の追及の矛先がナットに向けられると、彼は怯えることもなく、淡々と涼しい顔で答えた。
「確かに、ナセド様は一度私の所へ来られましたが、軽く『お前も大変だな、リリアーナには、しっかり言っといたからな』としか仰らなくて。私も、リリアーナ様がご自身で金貨のことをお話ししているのではないかと思い、あえて申し上げなかったのです」
「今の話は本当ですの、お兄様?」
リリアーナ様が疑わしげに閉じた扇子をナセド様へ向けると、ナセド様は気まずそうな顔を見せながら頭を掻いた。
「あぁ。金貨のことは知らなかったが、あの時は軽い会話だけでいいと思ったんだ」
「くっ……」
その言葉を聞いて、リリアーナ様は兄に呆れたような顔を見せると、再びナットに扇子を向けた。
「ナット! 次からは、ちゃんとお兄様に報告するように!」
怒った口調で言い放つと、「はい、わかりました。次からそういたします」と、ナットは涼しい顔であっさりと頷いた。
リリアーナ様とナットの会話が終わると、フィオネ王妃様は小さく息を吐き、呆れた顔で口を開いた。
「全く。ナットからちゃんと報告を聞くべきでしたね、ナセド」
「はい……」
静かに申し訳なさそうな顔を向け、ナセド様はコクリと頷き、その様子を見たフィオネ王妃様は、今度はリリアーナ様へ視線を移した。
「けれど、リリアーナ。『言う必要がない』だなんて、いかにもあなたらしいわね。……それで、ナット。金貨一枚を渡したのがあなたの独断だというのは、本当かしら?」
リリアーナ様の反論に少しだけ怖い顔を崩したフィオネ王妃様は、目を細め、疑わしげにナットさんへと尋ねた。
「はい、王妃様。すべて私の独断です。ですので、リリアーナ様に非はございません」
「それならいいわ」
ナットさんの迷いのない言葉に、フィオネ王妃様は閉じた扇子を軽く振りながら、それ以上の追及をしなかった。
「あの、さっきから、レストランでの言動だの、こうだの、言っているのが聞こえていましたけれど、どういうことですの?」
と、私たちの会話を聞いていたレーナ様が、扇子を軽く仰ぎながら言うと、ナセド様は少し呆れた様子で彼女に説明した。
「あぁ、そうか、レーナは知らなかったな。実はこの前、リリアーナが、彼女が働いている店にやってきて、レレナに向かって、『可愛くない』と暴言を吐いたんだ」
「はい? リリアーナ様が、わざわざ平民の娘のところに行ったというのですか?」
信じられないと言わんばかりに、扇子を口元に当てて、黒い瞳で見つめるレーナに、過去の過ちを暴露されたリリアーナ様は、閉じていた扇子を向けて睨みつけた。
「そのためで悪いかしら、レーナ」
「別に……」
レーナ様は少し肩をすくめ、視線を逸らしながら扇子で口元を隠した。その様子を見たナセド様は苦笑しながら、話を続ける。
「それで話を戻すが、その時にな、暴言を吐いたことをナットに促されて謝ったんだ、リリアーナがな」
「えっ、平民のことを見下すようなリリアーナ様が謝るなんて、意外ですわね」
レーナ様は首と扇子を元の位置に戻すと、わざとらしく驚きの声を上げ、面白がるような視線を向けた。
「意外とか言わないでくれますか? レーナ。それはもう終わった話で、今は違いますから。レレナのドレスを見て驚いて、その後、彼女は見事な淑女の礼を王妃様に披露しましたし」
必死に過去のことを、無かったことのように言い訳をするリリアーナに対し、レーナ様は微笑みながら、感心するような顔を私に向けた。
「へぇ、私と会う前に、レレナは王妃様に礼をしたのね」
「はい、そうです、レーナ様」
話を振られた私は、控えめに頷いて答えた。するとレーナ様は意地悪な笑みを浮かべ、閉じた扇子をリリアーナ様の方へとすっと向けた。
「そう。でも、あなたはしたの、リリアーナ様?」
「くっ……それはあまり言いたくありませんわ。色々とあったので、聞かないでもらえます?」
(どうやらリリアーナ様は、王妃様からお説教を受けたことや、私との『礼のやり直し』の約束を、恥ずかしくてレーナ様には言えないみたいね)
痛いところを突かれたリリアーナ様は、扇子をパッと開いて顔半分を隠した。そんな彼女に、私は少し面白がる気持ちを抑えつつ口元を緩ませた。
「あらそう、わかったわ。ふふふ」
リリアーナ様の態度から色々と察したレーナ様は、扇子を閉じるとまた楽しげな笑みをこぼした。
「こほん、そういうわけでだな。そのあとナットがお詫びとして金貨一枚を差し上げたんだ」
いつまでも脱線しそうな二人を止めるように、ナセド様がわざとらしく咳払いをし、話を本筋へと戻した。
「なるほど、そうでしたのね。けど、リリアーナ様は兄思いだということが伝わりましたわ」
「うるさいわね」
最後までからかってくるレーナ様に、リリアーナ様は耳を赤くしてプイッとそっぽを向き、ナセド様は苦笑しながら優しく頷いた。
「そうだな」
三人の会話がひとしきり弾んだところで、それを静かに見守っていた私は、ナットさんの方へ向けて声を上げた。
「あの、ナットさん」
「はい、なんでしょうか。レレナさん」
私が呼びかけると、ナットさんは穏やかな顔で私を見つめ、首を傾げた。
「実は、皆様には言っていませんでしたが……私が着ているこの素敵なドレスは、親友の仕立て屋さんが作ってくれたものなのですが、ナットさんからいただいたお詫びの金貨一枚も、少しだけその足しにさせていただいたんです。レストランの店主にお渡ししようとしたら、『服の足しにしなさい』と返されまして……。ナットさんのご厚意、本当にありがとうございました」
嘘は言っていない。まぁ、実際には金貨四枚でも全然足りなくて、親友の厚意に大きく甘えてしまったのだけれど。それでも、彼にはきちんとお礼を言うべきだと思ったのだ。
そして、ナットさんにお礼を告げると、彼は私のドレスに視線を向けた。
「なるほど、そうでしたか。その美しいドレスの足しに……。それなら、お詫びした甲斐もありました。それに、その店主さんもお優しい方ですね。せっかく差し上げた詫びの金貨を、店に入れずあなたに持たせてあげるなんて、なかなかできることではありませんよ」
「確かにそうですわね、ナット。……でも、そう。レレナ、そのドレスに、あの金貨も使われているのね」
「はい」
ナットさんは、感心したように優しい笑みを浮かべている。その話を聞いていたリリアーナ様は、私のドレスをちらりと見やり、扇子を閉じ、口元にそっと当てた。
すると、レーナ様は少し「ふーん」と鼻を鳴らしながら、再度私のドレスを見つめた。その顔は、意地の悪い笑みではなく、どこか少しだけ感心しているようだった。
そう感じていると、ナセド様が薄い笑みを浮かべ、腕を組みながら口を開いた。
「レレナ、やっぱり君はその店のおばさんにずいぶん大事にされているんだな。普通、店に入れてくれと差し出された金貨を、断って本人に持たせてやるなんて……よほど君のことを可愛がっているんだろう」
ナセド様の心温かな言葉に、私は胸がじんわりとあたたかくなるのを感じた。
今思えば、この最高のドレスは、リーアさんだけの力じゃない。ファナおばさんの優しさも、少しだけれど、確かに入っているんだ。
ファナおばさんは、私がこのレストランで働くようになってからずっと、娘のように大事にしてくれていた。あの金貨も、本当は遠慮したのに、それでも私のためを思って持たせてくれたのだから。
(おばさん、ありがとう。お茶会が終わったら、今日のこと、たくさん話そう)
そう心の中でつぶやいた私が、そっとドレスの膝に触れながら、遠くのファナおばさんへお礼を言いたい気持ちを抱えてしんみりしていると、ナットさんが何かに気づき、テーブルに置かれた青柄のティーカップとティーポットに目を向けた。
「おや、カップの紅茶が空になっておりますね。これは私が淹れましょう。それと、本日のお菓子は『カラロン』という、甘いお菓子でございます」
そう言って、カラロンの乗った皿をテーブルの真ん中に置き、ナットさんはティーポットを手に取り、ナセド様から時計回りで紅茶を注いでいった。
「ありがとう、ナット」
「いえ、とんでもございません。王妃様」
紅茶を注いでくれたナットさんに、フィオネ王妃様は微笑みながらお礼を言った。私は、真ん中に置かれた色とりどりのお菓子に、珍しそうに目をやった。何故なら、私はレストランでこういったカラフルなお菓子を食べたことがなく、知っているものといえば自分で作った賄いのパンやシチューくらいだったから。こういう見た目も鮮やかなお菓子には、とても興味がある。
私がそんな顔をして見つめていると、ナットさんが紅茶を注ぎ終え、表情を崩さぬまま深く頭を下げた。
「では、私はこれで下がらせていただきます。皆様、どうぞお茶会をお楽しみくださいませ。……ああ、それから、リリアーナ様」
ナットさんは顔を上げると、きびすを返してその場から去ろうとした。だが、不意に足を止めて肩越しに軽く振り返ると、いつの間にか口元から扇子を外していたリリアーナ様に声をかけた。
「ええ、何かしら? ナット」
突然の声かけに怪訝そうな顔をしながら、鋭い目つきでリリアーナ様が聞き返すと、ナットさんは涼しげな顔を向けた。それは長く主に仕えてきた従者だからこそ見せる、心からの表情のように見えたのだ。
「いいえ。今日のリリアーナ様は表情がとても柔らかく、何より、そちらのレレナさんと仲良くされているのを拝見し、私としてもとても嬉しく思いましてね」
「なっ、ナット!」
その突拍子もない発言に、リリアーナ様は思わず顔を真っ赤にすると、パッと扇子を開いて顔を隠し、少しぶっきらぼうに言い返した。
「そっ、そんなんじゃないわよ。ナット! ただ私は、こういうお茶会の場でお兄様たちに迷惑をかけないよう普通にしているだけよ」
「ふふ、左様でございますか。そういうことにしておきましょう」
ナットさんはそう言って、今度こそ中庭を後にしていった。その後ろ姿と、まだ扇子で顔を半分隠しているリリアーナ様を見比べて、私はふと思った。
(リリアーナ様とナットさん、なんだかいい相棒ね。でも、それ以上の関係もありそうな気がするわ)
その二人の光景を見て、私はなんとなく感じた。ナットさんとリリアーナ様は、とてもお似合いなのかもしれない。リリアーナ様ご本人は気づいていないけれど、ナットさんはきっと、少しだけ彼女のことが好きなのだろう……と。
私が二人の微笑ましいやり取りを眺めていると、フィオネ王妃様が、左手に持った扇子を右手のひらにパンッと軽く打ちつけた。
「さて、お菓子も届いたことだし、どうぞ召し上がって」
王妃様はそう言って、私たちにお茶の続きを促してくれた。
「はい、いただきます……」と私は、左手を伸ばして手づかみで取ろうとしたが、その瞬間、頭の中に疑問と困惑が浮かんだ。
(これ、フォークやナイフがないけれど、どうやって取るのかな)
私がそんな顔をしていると、ナセド様は、少し心配したのか、そう声をかけてきた。
「レレナ、何か迷っているのか」
「いいえ、ただ、これ、手で取っていいのかと思って」
そう、私はこの茶菓子を初めて食べるのだから、何もかもが初体験なのだ。それに、ここは王城の中であり、お相手は高貴な王族と貴族。下手に手づかみで食べてしまったら、礼儀のなっていない子だと思われてしまうかもしれない。
そんな心配をする私に対し、ナセド様は自身も真ん中に置かれたカラロンに手を伸ばしながら、優しい微笑みを向けた。
「あぁ、それか。これは手で摘んで食べるものだから、何も問題ないぞ」
「そうよ、レレナさん。さぁ、遠慮せずに召し上がれ」
フィオネ王妃様にもそう促され、私はホッと安心してお菓子を一つ指先で摘み、口へと運んだ。リリアーナ様とレーナ様もそれぞれ扇子を閉じ、胸元にしまい優雅にカラロンを味わっている。
そして、私も一口かじりつくと、ふわっと柔らかい生地と程よい甘さがクセになる、とても美味しいお菓子だった。
「これ、とっても美味しいです、フィオネ王妃様!」
「それは良かったわ。……じゃあ、お茶を楽しみながら、お話の続きをしましょうか。……えぇっと、どこまで話したかしら……?」
『なんだっけ?』という顔をして、閉じた扇子をコトンと顎に当てたフィオネ王妃様。それを見かねたレーナ様が、カラロンを食べ終えて紅茶で喉を潤し、横からすかさず指摘した。
「王妃様。平民の娘が、村から王都へ来た話の続きでは……?」
「あっ、そうだったわ」
レーナ様の言葉に、フィオネ王妃様は「思い出した」とばかりに扇子を右手のひらにポンと打ちつけた。
「とりあえず、あなたが村から王都へどうやって辿り着いたかは、よく理解できたわ。……そういえば、あなたのご家族の話も聞いてみたいわね。ご家族は、あなたが村の外へ出ることを、すんなり許してくださったのかしら?」
フィオネ王妃様にそう問いかけられ、私は残りのカラロンを口の中へ入れた。そして、ティーカップに手を伸ばし、紅茶をゴクリと一口飲んで喉を潤してから、ゆっくりと口を開いた。




