第17話 芯のある平民の娘と、出会いの真実
丸い屋根の休憩所の外から、爽やかな風が軽く吹き抜けていく。
いよいよ、本当のお茶会が始まった。
席についたフィオネ王妃様とリリアーナ様は、手にしていた扇子をスッと優雅に胸元へと仕舞った。
しかし、席について腰を下ろしたはいいものの、私は何から話していいか全くわからなかった。
馬車の中では「粗相をしないか」「ヒールで転ばないか」、そんなことばかり気にしていた。でも、いざ席についてみると、もっと肝心なことを忘れていたと気づく。私、お茶会で何を話せばいいのか、まるで考えていなかったのだ。
(とりあえず、紅茶を一口飲んでから考えよう……)
緊張で震えそうになる手を必死に抑えながら、私は左手でティーカップを取り、そっと口をつけて温かい紅茶を一口いただいた。そして、音を立てないようにカップを置き、口元に手を当てて小さく息を吐く。
(……これ、すごく美味しい。緊張していたけれど、なんだかホッとするわ)
お茶といえば、故郷にいた頃、妹と一緒に飲んだことが何度もある。
……まぁ、いつも淹れてくれていたのは妹の方だけど。こんな最高級の紅茶を飲んでいると、不思議とまた、妹が淹れてくれたあの素朴な紅茶が飲みたくなってきたな。
もちろん、今いただいているこの紅茶は格別に美味しいのだけれど。
そうやって紅茶の温かさに心が和んでいると、上座に座るフィオネ王妃様が、微笑みながら声をかけ、紅茶の感想を聞いてきた。
「レレナさん、どう、紅茶の味は?」
「はい、とても」
「そう、よかったわ。それとあなたたちもお茶をどうぞ」
私の感想に嬉しい表情を見せたフィオネ王妃様は、今度は三人に向けて、紅茶を飲むように勧めた。ナセド様達はそれぞれのカップに手を伸ばし、軽く紅茶を飲んだ。その後、フィオネ王妃様は私に視線を向けて、思い出したように尋ねた。
「そういえば、あなた達の出会いを聞いていなかったわね」
すると、隣に座るリリアーナ様も少し不満げに口を挟んだ。
「えぇ、そうですわ。お兄様はあなたのことを、『芯のある子』だとか『平民の娘』としか教えてくださらなくて。あなたの居場所は、この前に知りましたけれど、お兄様は出会いについてすら、全く話してくれませんでしたわ」
ナセド様が詳細を語らなかったことに不満を漏らすリリアーナ様と、興味深そうに微笑むフィオネ王妃様。
(……でも、私が芯のある子?)
リリアーナ様の言葉を聞いて、私は思わず目を丸くした。そんなこと、初めて言われたのだから。驚いて視線を向けると、ナセド様は気まずそうな顔で「こほん」と咳払いを一つして、サッと視線を逸らしてしまった。
なるほど、ナセド様は、王城で私のことをそんな風に話してくれていたらしい。
まぁ、私自身、そんな立派な芯があるなんていう自覚は全くない。ドレスも、淑女の礼も、全部リーアさんが教えてくれたものだ。結局のところ、私はただ毎日を一生懸命に生きているだけの平民の娘だ。
(でも、ここで『私にそんなものはありません』と否定してしまえば、私を高く評価してくれたナセド様の言葉まで否定することになってしまうかもしれないわ……)
そう思い至った私は、あえて何も言わず、少し照れくさそうに口を閉ざしておくのが先決だと考えた。
すると、私の沈黙を見ていたレーナ様が、真面目な顔をして呟いた。
「『芯のある子』、ね。まぁ、この公爵令嬢のわたくしが放ったプレッシャーに対して、先ほどあのように見事な礼を返せたのだから、ナセド殿下があなたをそう評価するのも当然ですわね」
レーナ様はそう呟きながら、ナセド様へ視線を向ける。すると彼は少しだけ目を見張り、ふっと薄い笑みを浮かべた。
「やっぱり、君は変わったな」
「か、変わったって……私はいつもの私ですわ。ただ、レレナという平民の娘が真正面から立派な礼をしてきたから、それを正当に褒めただけですわ」
「そうだったな」
いつも彼女には冷めた表情ばかり向けていたナセド様からの、からかい交じりの言葉。それに少しだけ心を揺さぶられたのか、レーナ様は胸元から青い扇子を再び取り出すと、パッと開き、ほんのり赤くなった顔を隠してしまった。
(ふふっ、なんだか、ナセド様とレーナ様は少し微笑ましいな)
私は二人のやり取りを見守りながら、レーナ様が礼を褒めてくれたことを素直に嬉しく思っていた。
最初は貴族の作法なんて何も知らない私だった。でも、親友のリーアさんが基礎を教えてくれて、さっきフィオネ王妃様が完璧なお手本を見せてくれたからこそできたことだ。
それでも、私が勇気を出して返した私なりの精一杯の礼を、こうして真っ直ぐに認めてもらえた。
ただ真正面から挨拶の礼をしただけなのに、『芯がある』とまで評価されるなんてね。
でも。お似合いに見えるその二人の姿を見ていると、なぜか少しだけ、胸の奥がチクリと痛んだ気がした。
――その理由が、痛いほど分かってしまう。だから、なおさら苦しかったのだ。
(ダメよ。私は平民の娘なのだから、あの二人が結ばれるのが当然の現実なんだって、ちゃんと受け入れないといけない。たとえ、彼を想う気持ちがあったとしても……)
私はその胸の痛みを振り払うように、心の奥で小さく首を横に振った。すると、フィオネ王妃様が微笑みながら言葉を続けた。
「それで、レレナさん。教えてもらえるかしら。あなたと、うちのナセドが出会った経緯を」
「えぇ、教えなさいな、レレナ」
微笑みながら尋ねるフィオネ王妃様に続いて、リリアーナ様も真顔のまま、胸元にしまっていたピンク色の扇子を取り出して私の方へと向けた。
「はい、わかりました。……ナセド様も、お話ししてよろしいですよね?」
私が黄色い瞳で彼を見つめて尋ねると、ナセド様はこちらを見つめ返した。そして、先ほどまでの気まずそうな顔や、レーナ様との会話で少し緩んでいた表情をスッと引き締め、真面目な顔で答えた。
「あぁ、構わない」
「では、お話しします。あれは、私がこのお茶会にお招きいただく少し前のことでした」
私は当時の出来事を、できるだけ淡々と語り始めた。
すべてを聞き終えると、リリアーナ様は目を丸くして、感心したようにパチンと扇子を開き、呟いた。
「まぁ……! さすがはお兄様ですわね。その無礼な男からレレナを助け出すなんて」
「……まぁな」
ナセド様が少し照れながら自身の金髪を左手でいじっていると、向かいに座るレーナ様が何かを悟ったような顔をした。彼女は開いた扇子を閉じ、口元に当てて少し表情を硬くしつつも、薄い笑みを浮かべて黒い瞳を細めた。
「気晴らしに立ち寄って、その子を救った、ですか。さすがはナセド殿下。しかし……本当に、ただの気晴らしかしら?」
「どういうことですの? レーナ」
口元に扇子を置いたままの意味深な発言をするレーナ様に対し、開いた扇子を顎に当てながら、リリアーナ様が不思議そうに問い返す。すると、レーナ様は自信ありげに自身の推理をぶつけた。
「だってそうですわ。いつも私や他の令嬢たちとお城で過ごしていたナセド殿下が、急に毎日のように城下町へと出向くなんてありえませんもの。本当にただの気晴らしなら、あんな王都の外れにあるレストランに、狙い澄ましたかのように都合よく居合わせるはずがありませんわ!」
「確かに、言われてみればそうですわね。あと、レーナはご存知ないと思いますが、あれからお兄様は、ほぼ毎日彼女の店に通っていましたのよ」
「……まぁ! そうですのね、リリアーナ様。城下町へ行かれていることは知っていましたけれど、まさか毎日そのお店へ通い詰めていたなんて……」
二人の間で疑念が渦巻く中、私は首を傾げ、ある疑問を抱いていた。
(確かに、レーナ様に言われてみればそうね。雲の上の王族であるナセド様が、あんな王都の外れにふらりと来るはずがないわ。あれから毎日来ているのも、今思えば不思議だし……まぁ、私は嬉しかったけれど。それにあの時、どうして私が殴られそうになったとすぐに分かったのかしら。もしかして、お店の外から……)
私の中で一つの結論が出かかった、その瞬間。
ナセド様が『ごほん』と大きく咳払いをして、私たちに真面目な顔を向けてはっきりと聞こえるように言った。
「レーナ、リリアーナ。俺はそんなコソコソと隠れるような真似なんかしないぞ。本当にただの気晴らしだ。王子でも、王城にいても、疲れる時だってあるんだ。だから、お忍びも兼ねて気晴らしに外に出たんだ。あと、彼女を助けたのは本当にたまたまだ! だが……その後、ほぼ毎日来ていることに関しては、平民の料理がどんなものか詳しく見ているだけだ。決して、彼女に惹かれて……いや、なんでもない」
ナセド様が『彼女に惹かれて』という言葉の途中でハッと言い淀み、慌てて首を横に振って誤魔化そうとした。
すると、レーナ様とリリアーナ様は揃って、扇子を手にしたまま顔を見合わせた。そして、呆れたような顔をしつつも、どこか楽しげな薄い笑みを浮かべて、リリアーナ様は開いていた扇子を閉じた。
「『惹かれて』……ね。ふん、まぁ、そういう事にしておきましょうかね。リリアーナ様」
「そうですわね、レーナ」
二人が面白そうに納得し合う一方で、私は本当にそうなのかしらと少しだけ疑ってしまった。
まぁ、どちらにせよ、ナセド様ご本人が『たまたま』だと言うのだから、きっとそうなのだろう。私はそう自分に言い聞かせた。けれど、一度浮かんだ結論は、心の隅で小さく疼くように引っかかったままだった。
しかし、彼が最後に口走りそうになった『惹かれて』という言葉だけは、なぜか強く胸に残った。
(あれは、誰に対しての言葉だったのだろう。……もしかして、私に?)
淡い期待が胸をよぎる。あの救出も、本当は偶然ではなかったのかもしれない。
(——でも。何度考えたって、私はただの平民の娘。一国の王子様に愛されることなんて、ありえないのだから。それに、お隣にはレーナ様という相応しい妃候補がいらっしゃる)
私は、目の前に扇子を持つ妃候補であるレーナ様を静かに見つめた。
「しかし……お兄様」
「なんだ」
すると、リリアーナ様がスッと真面目な顔をしながら、閉じた扇子を振り、口を開いた。
「お二人の出会いについてはわかりましたけれど、そもそも、彼女をこのお茶会に誘った『本当の理由』を聞いておりませんわ。お母様は聞いていらっしゃいましたの?」
そう話を振られたフィオネ王妃様は、ふふっと楽しげな笑みをこぼした。
「ええ、聞いていたわよ。どうしてもお茶会に誘いたいとね。まぁ、その明確な理由は、だいたい想像がつくけれど」
「想像……ふふっ、なるほど。完全に理解いたしましたわ」
フィオネ王妃様の言葉に、リリアーナ様は再び扇子を口元に当てて、楽しそうな微笑みを見せた。
二人の謎めいたやり取りに、私はわかるようで分からなかった。ナセド様が私をお茶会に誘いたかった、その明確な理由が。
しかし、レーナ様だけは『ふん』と少しだけ納得したような表情を見せている。まるで、彼女も全てを知っているかのように。
(その理由……私にも、少しだけわかる気がする。でも——)
それを口に出してしまえば、きっとまた、叶わない期待を膨らませてしまう。だから私は、あえて何も聞かず、静かに口をつぐんだ。
「さて、これ以上の詮索は終わりにして、まずはあなたのことを、いろいろと聞こうかしら。レレナさん」
「はい」
フィオネ王妃様は、閉じた赤い扇子を胸元から取り出して、パッと開いた。
「あなたのことを話して」と促された私は、にこやかな笑みを浮かべ、次の話題へと移った。




