第16話 平民のレレナと貴族のレーナ
さらに数分後、王城の中庭の南寄りにある、丸い屋根付きの休憩所に辿り着いた。その少し後ろには、二、三階建てほどの建物が見えている。
だが、そこにきらりと何かが光った。そちらを見てみると、腰まで流れるようなとても綺麗な銀髪に、美しい白い肌の女性が、見たことのない青柄の、すでに湯気の立つ紅茶が入ったティーカップとティーポットが置かれた丸型テーブルの向こう側に座っていた。
白銀のドレスの首元からはほんのりと胸の谷間が見え、スカートの少し裂けているような隙間からは、足がうっすらと覗いている。フィオネ王妃様の装いも目を引いたけれど、彼女のドレスにはそれとは違う大胆さがあった。その手に青い扇子を持った彼女は、二十代くらいに見える大人の女性だった。
おそらく、彼女がもう一人の参加者だろう。ナセド様が言っていた、王族と親交のある人なのだ。
「ようやく来ましたわね。平民の娘……いや、待って」
私たちに気づいた銀髪の女性は、第一声こそリリアーナ様と同じように余裕の笑みを浮かべようとしていた。しかし、私の姿を見るなりすぐさま目を見開いて唖然とし、静かにそう呟いて立ち上がった。
その視線が、繋がれた私とナセド様の手を捉える。
――けれど、彼女はそこで一度だけ強く瞬きをすると、まるで何も見なかったかのように、すっと視線を上へと逸らした。
「……ナセド殿下?」
「あぁ、なんだ」
立ち上がった銀髪の女性は、自身が持つ閉じた青い扇子をナセド様に向けた。
ナセド様が不思議そうに、かつ少し険しい表情を見せると、彼女は動揺を隠しきれない様子ながらも気高さを崩さず、鋭い目つきで、リリアーナ様やフィオネ王妃様もいる中で問い詰めた。
その方が、昨日手紙に書いてあった……そしてこの前わたくしと会った時にも仰っていた、あの『大切なお客様』の平民の娘ですの?」
その問いを受けたナセド様は、かすかに浮かべていた笑顔をスッと消し、冷めた表情で答えた。
「あぁ、そうだ……レーナ」
(あの銀髪で美しい方はレーナっていうのね。少しだけ私の名前と響きが似ているわね……)
私がそんなことを考えていると、レーナ様は扇子を持っていない方の手で指を噛み、不満げな顔をして何かを呟いた。
「くっ、嘘でしょう……。平民の娘があんな綺麗で、作りのいい黄色と青のドレスを着ているなんて」
少しだけ、私のドレスを褒めたような声が聞こえた気がした。それは、最初に私を見た時のリリアーナ様の反応と少し似ていた。
その姿を見たリリアーナ様は、呆れたような顔をしてため息を吐いた。
「レーナ」
「何? リリアーナ様」
指を噛んでいたレーナ様が怪訝な顔を向けて尋ね返すと、リリアーナ様は胸元からピンク色の扇子を取り出した。そして、それをレーナ様に軽く向けながら、薄い笑みを浮かべた。その物言いはまるで、レーナ様を少し小馬鹿にしているかのようだった。
「あなたの驚きは、痛いほどよくわかりますわ。わたくしも、レレナと先ほどそこの中庭で会って驚きましたので」
リリアーナ様は少し棘のある言い方をするが、レーナ様は少し悔しげな顔をしつつもすぐに威厳を取り戻し、余裕の笑みを浮かべて黒い瞳を私の方へと向けてきた。
「そうなのですね……でも、公爵令嬢として、しっかりご挨拶はしておかないといけませんわね」
レーナ様は完璧な淑女の笑みを浮かべて、私を見据えて言った。
だが、私を射抜くその視線には、『この女には絶対に負けられない』という強い対抗心と、どこか値踏みするような冷たい色が混じり合っていたのだ。
彼女の放つその圧倒的な威圧感に気圧されて、私は思わず声を漏らした。
「公爵令嬢……?」
(これまで伯爵や侯爵というのはリカードさんから聞いていたけれど、貴族の階級なんて私にはよくわからない。公爵ってもしかして、リカードさんと同じくらい偉いのかな……?)
私がそう戸惑いながら首を傾げていると、ナセド様が真面目な顔で横目に見下ろし、そっと呟いた。
「レレナ、一応言っておくが……あの銀髪のレーナは、リカードより上の身分だぞ」
「えっ、そうなんですか? ナセド様」
「あぁ」
「ナセド殿下とそこまで親しげに……っ。私だって……」
レーナ様の身分がリカードさんより上なのだと初めて知り、(名前の響きは私と似ているのに、ものすごく偉い人なんだな……)とナセド様の言葉に納得する私。しかし、私たちがごく自然に言葉を交わす光景を見ていたレーナ様は、また悔しげに小声でそう呟いた。
それはまるで、「私がナセド様と仲良くしてはいけない」と強い力で訴えかけてくるような、ピリピリとした雰囲気だった。
だが、彼女はすぐにハッとして、緩みかけた背筋を正した。そして、持っていた青い扇子を胸元に仕舞うと、私の元へと静かに歩み寄り、目の前で白銀のドレスの裾を両手でつまみ、静かに身をかがめた。
一切の隙もない、美しく洗練されたフィオネ王妃様とはまた違う『淑女の礼』だ。
「……改めてご挨拶いたしますわ、平民の娘。わたくしはレーナ・アベット。装飾品を扱うアベット公爵家の令嬢であり、彼の……いいえ、ナセド殿下の『妃候補』ですわ」
「きっ、妃候補……」
私はあまりの衝撃に言葉を失い、ナセド様を横目で見た。妃候補。それはつまり、彼との結婚が決まったも同然だという宣言だった。
(そうか……。ナセド様が『王族と親交のある貴族』と言葉を濁していたのも、リカードさんが『相手が相手だし』と言い淀んでいたのも……私を傷つけないために、わざと彼女の正体を隠してくれていたのね。でも、着飾った令嬢に興味がないはずのナセド様にも、妃候補という方がいたんだ……)
そう納得する一方で、私は所詮、平民の娘だ。彼を愛することはできても、彼と結婚するなんて到底できやしない。そんなことは最初からわかっていたはずじゃないか。
……それでも。私の彼を想う気持ちは、何度突きつけられても変わらない。だから私は、彼女に対して『礼』を返そう。
ここで私が泣き崩れたら、きっとナセド様を悲しませてしまう。
「大丈夫か、レレナ?」
「えぇ、大丈夫です。少し驚いただけですから」
私の強張った表情に気づいたナセド様が心配そうに覗き込んできたので、私は努めて平気な笑みを作ってみせた。
無理に貴族の真似をして取り繕う必要なんてない。リーアさんが作ってくれたこの最高に綺麗なドレスを着て、私らしく……『いつもの私』を見せるんだ。
私は繋いでいたナセド様の手をそっと離し、ドレスの裾を静かにつまみ上げると、先ほどフィオネ王妃様の前で成功させたばかりの、完璧な『淑女の礼』をレーナ様に向かっておこなった。
「はじめまして、レーナ様。私はレレナ・アティリアと申します。本日、このような素晴らしいお茶会をご一緒できて光栄です。どうぞよろしくお願いいたします」
「くっ……」
私のひたむきで隙のない淑女の礼に、レーナ様は言葉を詰まらせ、思わず一歩後ずさった。
その様子を見ていたフィオネ王妃様が、ふふふと楽しそうな笑みを浮かべ、小さく呟いた。
「さすがね、ナセドの氷を溶かした子。レーナのプレッシャーに動じず、しっかりと礼を返すなんてたいしたものよ」
王妃様がそう褒めてくださったのが聞こえた。
私にとっては、当然の結果だ。必死で頑張って練習したのだから。このお茶会を成功させるために。
だから、絶対にここで挫けるわけにはいかない。
私は心の中でそう、再度強く決意を固めた。
「でも、予想外ですわ」
「予想外……?」
その言葉の意味について私がレーナ様に問うと、彼女は少し感心したように声を上げた。
「えぇ。てっきりボロボロの服を着た子が来ると予想していたけれど、まさか、それほどまでに美しいドレスを着た女性に出会うなんてね。……けど、レレナと言ったかしら」
「はい、何でしょう。レーナ様」
「あなたは所詮、平民の娘。その自覚はあるのかしら? それに、ナセド殿下も……」
鋭く突きつけられたその言葉に対し、私は決して怯むことなく、いつもの私らしくしっかりと相手の目を見て答えた。
「はい、わかっています、レーナ様」
私がその残酷な現実を自分自身で受け止めたのを見て、あえて口を出さずに見守ってくれていたナセド様も、悲しさと険しさが入り混じったような表情で「あぁ、わかっているさ。痛いほどにな」と静かに同調した。
しかし、ナセド様はすぐに毅然とした表情を作り、レーナ様へ冷たく言い放った。
「だが、俺は……いや、これ以上君に話すことはないだろう」
「ナセド殿下……?」
途中で言葉を言い淀んだナセド様の姿に、レーナ様は不思議そうな顔をし、私も思わず同じように首を傾げた。
彼が途中まで何を言おうとしたのか、私にはわからない。けれどその時、一瞬だけナセド様の視線が、熱を帯びて私の方へ向いていたような気がした。
(……ううん、きっと気のせいよね)
私は心の奥で小さく首を振り、自分自身にそう言い聞かせた。すると、私たちのやり取りを見守っていたフィオネ王妃様が、胸元から赤い扇子を取り出し、手のひらにポンと軽く打ち当てて音を鳴らした。
「さて、四人とも。そろそろお茶会を始めますわよ。あまり時間が経つと、せっかくのお茶が冷めてしまいますしね」
「そうでしたわね、お母様」
「あぁ、母上」
「ええ、そうですわね。王妃様」
王妃様の鶴の一声で、場の張り詰めた空気が少しだけ緩む。リリアーナ様が自分の席へと向かう中、レーナ様もそれに続くかと思われた。しかし、彼女は席へと戻る前に、最後に私へ視線を向けて口を開いた。
「でも、レレナ」
「はい」
「あなたの決して怯まない強い気持ちは、よく理解できましたわ。あなたが他の平民とは違う特別な存在だということ……それくらいは認めて差し上げますわ」
それは、リリアーナ様と少し似た、素直じゃない物言いだった。
でも、彼女の場合は少し違った。リリアーナ様の言葉が、私を認めたことへの『照れ隠しの本音』だとすれば、レーナ様は頬を染めず、公爵令嬢としての威厳と余裕を保ったまま、私を一人の『好敵手』として認めてくれたような感じだった。
私は「ありがとうございます」と笑顔で返すと、彼女はふんと鼻を鳴らして自身の席へと戻っていった。
すると、その様子を見ていたナセド様が、驚いたように声を上げた。
「はぁ……あいつがあんなことを言うなんてな、正直驚いた。いつも強引に迫ってくるだけで、誰かを認めるなんてことはなかったからな」
「そうなんですか?」
私が不思議そうに首を傾げると、ナセド様は静かに頷いた。
(レーナ様のことはまだよく知らないけれど、普段は強引で、誰かを認めることなんてない人なんだ……。でも、そんな彼女が私のことを少しだけ認めてくれて、ただ蔑むようなことはしなかった。なんだか、素直に嬉しいな)
心の中でひそかに喜びを噛み締めていると、ナセド様が私に優しく微笑みかけてくれた。
「あぁ。しかし……君のおかげで、彼女の性格が少しだけ変わったのかもしれないな」
「そうだといいですね」
私はナセド様の言葉に、照れくさくなりながらも小さく微笑み返した。
「ナセド、レレナさん、早く座りなさい」
「そうよ、レレナ」
先にテーブルへ着き、それぞれ手にした扇子を待ちくたびれたように軽く振るフィオネ王妃様とリリアーナ様を見て、私とナセド様は微笑んだまま彼女たちへと向き直った。
「はい、フィオネ王妃様」
「あぁ、今行く」
そして、私とナセド様は一緒にテーブルへと向かい、レーナ様の向かいの席に腰を下ろした。
さぁ、いよいよここから、本当のお茶会が始まるのだ。




