第15話 王妃様の説教といつか見せる王女の礼
ドレスの感想などを言い終えた頃、リリアーナ様はハッとしたように私の顔を見つめ、少し口を尖らせた。
「そういえば、私と初めて出会った時のあなた……私が胸を張って名乗っても、少しも怯えず、まっすぐ名前を言い返してきたわよね。さっきの見事な礼を見ていると、あの時とはまるで別人みたいだわ」
リリアーナ様が初めて出会った時のことを口にすると、私はなんだか照れくさくなって、曖昧に頷くしかなかった。
「はい……」
(……あれ? そういえばあの時は『淑女の礼』なんて知らなくて普通に名乗っただけだったけど、リリアーナ様はそういう風に思っていたんだ。 でも、よく考えてみたら、さっきフィオネ王妃様は私にも丁寧に淑女の礼をしてくださったのに、リリアーナ様は王妃様に続いて礼をしなかったわよね。まぁ、今ここでは『さっきもう言葉を交わした後だからいっか』って感じで省略したのかもしれない。それならわかる。じゃあ、レストランで初めて会った時はどうだろう? あの時もリリアーナ様は礼なんてしていなかった。まぁ、リーアさんからはやり方を教わっただけで、どんな場面でやればいいのかという明確な決まりまでは聞いていなかったから分からなかったけど……)
私がそうやって、今と過去の状況を照らし合わせて深く考え込んでいると、リリアーナ様の発言を聞いたフィオネ王妃様が、スッと彼女の方へ向き直った。それはにこやかに笑っているようにも見えるが、その笑顔の裏にゾクッとするような怖さが見えた気がした。
「リリアーナ」
「はい、お母様」
「あなた、この前、この方に謝罪したって言ったわよね」
「はい、そうですが……」
やはりその笑みには怖い含みがあったらしく、リリアーナ様は少し顔を引きつらせていた。 その後、呆れたようにため息をついたフィオネ王妃様は、少し眉間に皺を寄せながら、厳しい口調で言葉を続けた。
「はぁ、まったくあなたという子は。店内で少し騒ぎを起こしたことや、その後に謝罪したことは百歩譲ってよしとしますけれど。自分から高飛車に名乗って、相手に礼の暇も与えず、ただ名前を言い返させるような……そんなはしたない挨拶の仕方は聞き捨てなりませんわよ。アルスリーア王国の……いいえ、一国の第一王女として、はしたなすぎますわ」
それは、リリアーナ様に対する「礼儀が欠けている」というお説教だった。 なるほど、初対面なら相手が平民であっても、王女としてちゃんと礼を尽くすべきだったのね。やっぱり作法は大事かもね、と私が心の中で呟く横で、ナセド様は呆れ顔で「リリアーナ、お前……礼もせずに名乗ったのか」と小さなため息をついた。
そういえばあの時、ナットさんも暴言については注意してくれたけれど、あのはしたない名乗り方については何も言わなかったわね。彼からすれば相手は仕えるべき王族なのだから、さすがにそこまで口出しできなかったのは当たり前かもしれないけれど。
私がそうやって考えを巡らせていると、リリアーナ様はお母様に少し怯えつつも、真面目な顔で反論した。
「はしたないだなんて……私はただ、高らかに名乗っただけですわ。その方が、王女としての威厳を感じるでしょう?」
(えっ? そうなの?)
リリアーナ様の耳を疑うような発言に、私は思わず目を丸くした。 確かにレストランで会った時も、彼女は礼など一切せずに、胸を張って高らかに名乗っていた。 今ここで王妃様に続いて礼をする必要があったのかどうかは分からないけれど、少なくともリリアーナ様の中では、正しい作法をこなすことよりも、ああやって胸を張ることこそが『王女の威厳』なのだと思い込んでいるらしい。
(なるほど……作法を知らなかったわけじゃなくて、彼女なりの『威厳』の出し方だったのね)
「何が威厳ですか。そんな言い訳が通用するわけないでしょう」
「ぐっ……」
フィオネ王妃様の強い言葉に言い訳もできず、言葉に詰まっているリリアーナ様を見て、(さすがにその言い訳は通らなかったみたいね。ですよね)と、私は内心で薄い笑みを浮かべながら呟いた。
「王女たるもの、礼儀は大事ですわ。だからリリアーナ」
「はい……」
お説教を受けたリリアーナ様は、しゅんとして開いていた扇子をパチンと閉じ、ゆっくりと下に下ろした。
「今すぐレストランに戻ってやり直せ、とまでは言いませんけれど……レレナさんには、今この場で挨拶をやり直しなさい」
つまり、今ここでもう一回挨拶をやり直せということらしい。 しかし、この前すでに挨拶は済んでいるのだから、今更やり直さなくてもいいのではと私は思ってしまう。貴族同士であれば毎回やるのが礼儀なのだとしたら理解はできる。けれど、私はただの平民の娘だ。それに、作法が大事なのはわかるけれど、彼女のあの胸を張った堂々とした名乗り方は、あれはあれで少し良かったような気もするし……。
淑女の礼を行うべき明確な決まりを知らない私はそう思い、フィオネ王妃様に向けて控えめな笑みを浮かべながら、リリアーナ様を庇うように声をかけた。
「あの、フィオネ王妃様」
「なんですか? レレナさん」
「私のためにそこまで言ってくださるお言葉はありがたいのですが、この前の挨拶は、彼女には彼女なりの威厳があったのだと思います。作法はともかく、高らかに胸を張って名乗られたリリアーナ様は、平民の私から見てもとても立派でしたし、少し凄いなと感じました。だから、あれはあれで私にとって心に残る挨拶でしたから、やり直しは大丈夫ですよ。 あと、前にもナセド様に申し上げましたけど、あまり怒らないであげてください。やっぱり、家族が喧嘩しているところはあまり見たくありませんから」
少し照れくさそうにしつつも苦笑しながらそう伝えると、さっきまでフィオネ王妃様の前でしゅんとしていたリリアーナ様は、みるみるうちにその頬を赤く染めていき、いつの間にか手元で閉じて下ろしていた扇子を慌てて持ち上げると、再びパッと開いて顔を隠した。
「なっ……レレナ。そんな天使のような優しさを向けても、何も出ませんわよ! あとお兄様……」
顔を真っ赤にしたまま、リリアーナ様は視線をナセド様へと向けた。ナセド様が少し怪訝な顔をして「なんだ?」と返すと、彼女は少しだけ恨めしそうに言った。
「お兄様がレストランで会った時、こんなこと言ったのですか? 『家族を喧嘩させないで』だなんて」
「あぁ、言ったぞ。俺が説教をしたと言ったら、レレナは少し寂しそうにしていてな。まぁ、彼女のそういう優しさは本当にいいところだと思うが」
ナセド様の言葉に、リリアーナ様は「はぁ」と小さく息を吐いた。 すると、横で見守っていたフィオネ王妃様が、胸元から鮮やかな赤い扇子を取り出してパチンと開くと、口元に当ててふふふと楽しそうに笑みを浮かべた。
「全く、レレナさんったら。普通だったら通りませんわよ。ですが、今回の挨拶のやり直しの件も……それに、この子が前にやらかした数々の非礼も、ぜんぶまとめてあなたの優しさに免じて不問にしてあげますわ。あなたは本当に、根が良い人なのね」
私はにこやかな笑みを浮かべて、そうお返事をした。 どうやら、これ以上その場で挨拶を無理にやり直す必要はなくなったらしい。だけど、どうしても少しだけ納得がいかない様子のリリアーナ様は、真剣な顔つきで私をキッと見つめて言った。
「レレナ、あなたが私を庇ったことなんて、別に嬉しくはないからね! でも……やっぱり、私の本気の挨拶だけはあなたに見せてあげるわ。だからあなたも、もう一度私の礼をしっかりと受け取りなさい!」
「えー、リリアーナ様。せっかく許してもらえたのに、またするのですか?」
せっかく私の優しさのおかげでお説教から解放されたのに、わざわざ自分からやり直すなんて。私が少し呆れて間延びした声で返すと、リリアーナ様は持っていた扇子をすっと閉じ、鋭い目つきでその先端を私の首元へと向けた。
「当たり前でしょ! これじゃあ、お母様やお兄様の前で、私だけが一番礼儀のなっていない子だと思われるでしょうが!」
そう声を荒げたリリアーナ様は、スッと私に向けた閉じた扇子を引き、それを胸元に仕舞い込んだ。
(……思われるって、今更? あの時はレストランの他のお客様や私がいる前で、あんなに堂々と名乗っていたじゃない。人の目を気にするなら、あの時も気にすればよかったのでは……なんて、少し話が違う気もするけれど)
私が真顔でそんなツッコミを入れていると、見かねたフィオネ王妃様が、口元に当てていた赤い扇子をパチンと閉じ、それを軽く振りながら横から口を挟んできた。
「リリアーナ、そこまでにしなさい」
「ですが……」
「彼女が『立派だった』と言ってくれているのだから、もうやり直さなくていいですわ。淑女の礼はさっきので十分です。意地を張らずに、素直に彼女の優しさを受け入れなさい」
王妃様にそう諭され、リリアーナ様は少し不満げに口を尖らせた。
「わっ、わかりましたわ……。でも、レレナ!」
「はい」
「いつか必ず、私の完璧な『礼』を見せてあげるから、その時はちゃんと受け取りなさいよね!」
そう言って、リリアーナ様はフイと長い金髪を揺らしそっぽを向いた。
その後、フィオネ王妃様は手にしていた扇子を胸元に仕舞い込むと、優しい笑みを浮かべて私たちに向かって声をかけた。
「じゃあ、だいぶ長話してしまったし、行きましょうか? ナセド、リリアーナ、あとレレナちゃんも」
「あぁ、母上」
「はい、お母様」
「はい、フィオネ王妃様」
私たち三人が返事をし、再び前へと進もうとした、その時だった。
「レレナ!」
リリアーナ様が私の名を呼び、小走りで私のところへ駆け寄ってくる。そして、私にしか聞こえないように、そっと耳元で囁いた。
「(……改めて言うのも恥ずかしいけど、本当に見違えたわ。王女である私の寛大な心で、お兄様と手を繋いでいたことは許してあげる。それに……少しだけ認めてあげるわ。あなたの可愛さも、お母様に怯まずに自分の意見を言い切ったところもね。……あと、何度も言うけれど、いつか絶対にあなたへの『礼』はやり直すから、それだけは忘れないでよね!)」
それは、素直じゃない彼女なりの、精一杯の本音だった。
(はい、お待ちしてますよ)と、私はくすりと笑い、心の中で次に彼女の淑女の礼を見られることを楽しみに、そう呟いた。
そして、初対面でいきなり「可愛くない」と暴言を吐き捨てた、あの高飛車なお姫様の姿はもうそこにはない。私はリリアーナ様を見返すことに、見事すぎるほど成功したのだ。
去っていく彼女の後ろ姿を見送りながら、私は心の中で、(ありがとう、リリアーナ様)と、小さく感謝の言葉を呟いたのだった。
そうしてリリアーナ様がフィオネ王妃様と共に先へ歩き出すと、その横でナセド様が怪訝な顔を浮かべて聞いてきた。
「レレナ、今、またあいつに何か言われたのか?」 「ふふふ、内緒です」
私が笑いながらそう返すと、ナセド様は「そうか、なら行こうか」と優しく微笑み、再び私の手をしっかりと繋ぎ直して、前へと進み始めた。
フィオネ王妃様から高い評価を得て、リリアーナ様を見返すことには見事に成功した。だけど、私の心にはまだ一つだけ、引っかかることが残っていた。 それは、馬車の中でリカードさんが言っていた『相手が相手だし』という言葉。そして、ナセド様が言っていた『王族と深い関わりのある貴族』という、もう一人の参加者についてだ。
その正体を、私はこの先で知ることになる。 でも、リカードさんは言ってくれた。『他のどんな令嬢にも負けないくらい美しい』と。
だから私は、しっかりと前を見据えて歩みを進めた。 この先のお茶会の会場――あの丸い屋根の休憩所で待つ、気高い『誰か』の元へと。




