第13話 二人だけの色と、王子様の手
馬の嘶き(いななき)が響く中、車輪がギィーと音を立てて、馬車は、既に大きく開け放たれた王城の北門の前でゆっくりと止まった。
リカードさんは自ら先に馬車を降りると、外から改めて扉を大きく開け放ち、私に向かって白い手袋に包まれた手を差し出した。私はその手をそっと取り、ゆっくりと王城の地面に足をつけた。
「レレナ!」
馬車を降りたのと同時に、聞き覚えのある声が私を呼んだ。門の方を振り向くと、そこにいたのは、白と黒の壮大な王城を背に立つ――あの平民風の目立たない服でもなく、私を助けてくれたあの時の姿でもない、純白のシャツに青色の上着を纏った彼だった。
胸元には、金色の糸で王家の剣と鳥を象った紋章の刺繍が施され、首元には緑色の布地が上品に巻かれている。下は薄い青色のロングズボンで、足元には群青色と黒色が混じったロングブーツを履いていた。
金色の髪がキラキラと輝く、今までとは違う『王子様』としてのナセド様の姿が、そこにあった。
「ナセド様!」
私はリカードさんの手を離すと、ドレスのスカートを両手でぎゅっと握りしめながら、履き慣れないヒールで小走りにナセド様のもとへと近づいた。
しかし。
「あっ」
案の定、慣れないヒールに足を取られ、私は前のめりに体勢を崩してしまった。
「おっと、危ない」
それに気づいたナセド様が素早く駆け寄り、両肩をしっかりと支えてくれる。至近距離で、ふと彼と目が合った。私の揺れた桃色の髪が、彼の肩にふわりと触れる。ナセド様は心配そうな顔で私に声をかけてくれたが、その頬にはほんの少し赤みが差していた。けれど私は、それに気づかないふりをして、平気な顔を見せようとした。
「大丈夫か、レレナ」
「……えぇ、大丈夫です」
いきなり転けそうになってしまって恥ずかしい。でも、こんなに近くでナセド様の顔を見るなんて思わなかった。それに、少しだけいい匂いがするわ。
……って、何を考えているの、しっかりしないと。
そう我に返った私は、ゆっくりと、まっすぐに立ち上がった。
「大丈夫か、レレナ様」
リカードさんはまた「様」づけに戻っていた。おそらく、ナセド様の前で素の態度を出すのはまずいと判断したのだろう。
「はい、大丈夫です。エスコートありがとうございます」
私は昨日練習した通り、ドレスの裾をそっとつまみ上げ、軽く頭を下げて淑女の礼をした。
「あぁ……。じゃあ、私は仕事に戻ります。レレナ様、お茶会楽しんでいてくださいね。それと……」
私に笑顔を向けてくれたリカードさんは、そのままナセド様に駆け寄り、何かを小声で告げると同時に、私は裾から手を離した。
「(ナセド、お前、大丈夫なのか? レレナさんにレーナのことを伝えていないそうじゃないか)」
「(あぁそれか)」
何を話しているのだろう。目の前で小声で話し始めた二人を黄色い瞳で見つめながら、私は彼らの話に割って入ることはせず、邪魔にならないようほんの少しだけ後ずさりした。多分、私にはまだ話せない、重要なことなのだろうと思ったからだ。
***
「(『それか』じゃない。まぁ、相手がレーナ公爵令嬢だから、仕方ないけど)」
「(もしかして、レレナに言ったのか、レーナが来ることを……)」
ナセドが怖い顔で、鋭い目つきでそう尋ねると、リカードは首を横に振り、「(言っていない。会えばわかるだろうと思ってな)」と険しい顔で答えた。
「(そうか。今、あの女のことを明かせば、せっかくのドレス姿も、あの可愛らしい表情も、不安で曇らせてしまうかもしれないな。……まぁ、いずれは知ることになるだろうが。もし彼女が悲しい顔をすることになったら、その時は俺が守ればいい)」
「(そうか。全くお前らしいな。まぁ、頑張れよ。レレナさんはあんな姿で頑張ってるんだ。泣かせるなよ)」
「(あぁ、わかっている)」
ナセドは左拳を握りしめた。――守る。それだけは、三日前に決めたはずだった。
だが、あの城の中で、俺は本当にそれだけで足りるのだろうか。
「(それと、レレナさんから聞いたぞ。リリアーナ様が彼女のレストランに行ったそうじゃないか。俺には一言もなかったな)」
「(……それか、忘れていただけだ。だが、あいつのことは、全部、終わってから話す)」
「(分かったよ)」
はぁと小さくため息をついて肩をすくめると、リカードは彼の背中を軽く叩き、こちらを振り返って
「じゃあね、レレナ様」と手を振った。
***
そして彼は北門を抜け、足早に南の方へと歩いていき、やがてその姿は見えなくなった。いつの間にか、私を乗せてきた馬車も姿を消していた。おそらく、馬を引いていく係の者がいたのだろう。
すると、ナセド様はこちらを振り向き、心配そうな顔をして近づいてきた。
「しかし、さっきは危なかったぞ。もう少し俺が来るのが遅かったら、その美しいドレスが汚れていたかもしれないぞ」
「ええ。でも、ナセド様が支えてくださったおかげで無事です」
私が満面の笑みを向けると、ナセド様は「そうだったな」と笑い返した。それから、どこか驚いたような表情を浮かべつつ、少し照れくさそうに私の顔とドレスをその美しい青い瞳で見つめ、言葉を続けた。
「……にしても、本当にレレナか? 驚いたな。普段の君も好きだが、こうして着飾った姿もまた格別に綺麗だし、何よりその下ろした髪がとても可愛いじゃないか」
「格別に綺麗だなんて、それに可愛いって……ありがとうございます。でも、このドレスは前にもお話ししたと思いますが……」
真っ直ぐな青い瞳で見つめられながら、ドレスを格別だと褒められた私は、思わず顔を赤く染めた。そのまま、お礼と共に仕立て屋のリーアさんのことを伝えようとしたが、それを遮るようにナセド様が先に言った。
「君が言っていた仕立て屋のことだろう。本当にいい仕事をしている。見事な仕上がりだ。……だが、君が着ているその二つの色は、もしや……」
「もしかして、気づかれましたか?」
私が小首を傾げて微笑むと、ナセド様は自分の金髪にそっと左手をやり、少し耳を赤くしながら言った。
「ああ。この青は俺の瞳の色……そして黄色は、君の綺麗な瞳の色、そのものだからな」
「はい。私の親友であるリーアさんが、ナセド様をイメージしてこの青と黄色で仕上げてくれたんです」
私の言葉に、ナセド様は嬉しそうに目を細めて納得の笑みを浮かべると同時に、少し真剣な表情も覗かせた。
「そうか、俺のために……。……まぁ、俺自身はドレスについては何も知らないが、母上やリリアーナなら、もっと詳しく分かるだろう」
「はい、そうですね」
(リーアさんが言っていた評判上げの約束、さっそく少しだけ上手くいったみたい。このリーアさんが作ってくれた最高のドレスなら、リリアーナ様や他の貴族の方たちに会っても大丈夫かも)
それに、『格別に綺麗だ』だけでなく、下ろした髪を『可愛い』とまで言ってもらえたのだ。ずっと自分では可愛くないと思っていた私にとって、その言葉は、胸がくすぐったくなるほど嬉しかった。
そんなことを思いながら私がにこやかな笑みを浮かべていると、ナセド様は左手を顎に当て、首を少し傾けながら再びドレスをじっと見つめた。
「だが、さっきも言ったように、君の親友は本当にいい仕事をしているな。俺たちのために、ここまで計算して作ってくれているのだから」
「はい」
「いつか直接会って、礼を言ってみたいものだ。そのリーアとやらにな」
「ええ、なら時間が合えば今度紹介しますね」
私の親友に会ってみたいという、ナセド様からの好奇心に満ちた答えが返ってきて、私はとても嬉しく思った。
(リーアさん、ナセド様が『いい仕事をしている』って言ってましたよ)
心の中で遠くにいる親友へ向かってそう呟き、いつかナセド様とリーアさんを会わせてみたいと強く思うようになったのだった。
そして、私のドレスの感想と親友についての話が終わると同時に、ナセド様は優しい笑みを私に向けて口を開き、綺麗な左手を差し出した。
「では、行こうか。レレナ、お茶会の場所へ」
「はい。……あ、でも」
差し出された左手を取る前に、私が少し戸惑いを見せると、ナセド様は不思議そうな顔を浮かべた。
「どうした? レレナ」
「いえ、でも……さっきみたいにまた転ばないか不安で……」
そうだ。またナセド様に迷惑をかけてしまうかもしれない――。そんな不安を覚えていると、ナセド様は優しい笑みを見せた。
「大丈夫だ。もし君が何度転びそうになっても、そのたびに俺が必ず守り、抱きとめるさ」
「抱きとめるって……」
また頬をぽっと赤く染めてしまった私だが、気恥ずかしくはあるものの、これは彼なりの優しさなのだと素直に受け取ることにした。
「では、お姫様。手を……」
「はい、ナセド様」
私は差し出された彼の綺麗な手を取り、ゆっくりと歩き出した。直接触れ合うその手の温かさは、とても心地よく、どこか愛おしいもののように思えた。
そして私たちは北門をくぐり、近くにいた衛兵さんに軽く挨拶をしてから、先ほどリカードさんが足早に向かっていったのと同じ、南の方向へと歩みを進めたのだった。




