幕間8 リカードとシャフリネ
王都の北側にて。お茶会の開催を明日に控えた、正午過ぎのこと。
「あっ、いたいた」
王都の外の森を見下ろす、赤髪の長髪女性の後ろ姿があった。聖騎士団の副団長、シャフリネだ。
つい先日、リカードはナセドから頼まれた『シャフリネに一日中手が離せない仕事を与える』という任務を遂行するため、彼女を探していたのだ。
そして、リカードは彼女の背中に向かって声をかけた――。
「……あれ? リカードじゃん。何か用?」
リカードの声に反応したシャフリネは、赤髪をほのかに揺らしながらゆっくりと振り返ると、少し身を乗り出して彼を見つめた。
リカードは、シャフリネに会う前に考えておいた仕事の内容を、真面目な顔を作って伝えた。
「あぁ。実はお前に、一つ任務を頼みたいと思ってな。最近、城下町で人さらいが流行っているという情報を得た。明日、お前にはその調査をしてもらいたい」
「えっ? 人さらいの調査なんて、いつもならあなたも一緒にやるじゃない?」
シャフリネが薔薇色の瞳を細め、少し怪しむように言うと、リカードは真剣な表情のまま彼女に告げた。
「確かに、俺もやる。だが、明日は王様から直々に、団長にしか頼めない任務を任されてしまってな。少し手が離せないから、明日はお前が一人でやってくれ」
リカードのその言葉は、半分は嘘である。王様に頼まれたわけではなく、ナセド殿下に頼まれているからだ。
――『レレナ・アティリア』という平民の娘のエスコートを。
しかし、そんな本当の理由を彼女に言えるはずもなく、彼はただ真顔を装って「一人でやってくれ」と頼み込んだ。
その言葉を聞いたシャフリネは、一瞬だけ不思議そうに小首を傾げた後、すぐにジト目でリカードを睨みつけた。長年の付き合いだからこそ、彼が何かを隠していると直感したのだろう。
シャフリネは薔薇色の瞳でリカードを鋭く射るように見据え、怪しむように言葉を重ねた。
「王様から、直々ね……。それ、本当かしら、リカード?」
「あぁ、本当だ。俺が嘘を言ってるように見えるか、シャフリネ」
「嘘を言ってるように、ねぇ……」
そう呟き、じっとリカードの顔を覗き込むシャフリネ。至近距離に近づいた彼女の美しさに、リカードは少しだけ見惚れつつも、必死に平然を装ってふいと視線を逸らした。
「……まぁ、いいわ。信じてあげる。でも、その任務が終わったら一つお願いがあるわ」
「なんだ? シャフリネ」
シャフリネはふふと軽く笑い、リカードに対して口を開いた。
「この前、ナセドが惚れた平民の娘がどんな子か聞いたとき、あいつ、照れ隠しで軽く話しただけで逃げたでしょ?」
「あぁ、そうだが……」
「私、少しその子に興味があるのよ。だからお願い、リカード。その子が働いている場所を突き止めてほしいの。直接会ってみたいから。だって、どんな子か気になるじゃない?」
薔薇色の瞳でじっと見つめてくるシャフリネに対し、リカードはどう誤魔化すか少し悩んだ顔を浮かべた。
何故なら、彼はすでにレレナの居場所を知っているどころか、ナセドの頼みで直接レストランへ赴き、彼女に会ったことすらあるのだから。
(実はもう知っているなんて言ったら、ナセドに怒られるだろうな。かと言って、ここで嘘をついて断ればまた怪しまれる。……仕方ない)
悩み抜いた末、仕方ない顔でリカードはシャフリネにこう告げた。
「わかった。お前のお願い、引き受けよう。明日の任務が終わったら、ちゃんと調べてやる」
「えっ、本当?」
少しだけ疑わしげだったシャフリネだが、リカードが調べてくれると聞いてパッと嬉しそうな顔になり、再び身を乗り出して聞き返してきた。すると、それに対し、リカードは真顔で答えた。
「あぁ、本当だ」
シャフリネの嬉しそうな笑顔に平然と頷くリカードだったが、内心では密かに冷や汗をかいていた。
(まぁ、すぐに教えるつもりはないがな。もし後で聞かれても、『まだ調査中だ』と誤魔化せば問題ないだろう……)
「よかった。ありがとう、リカード」
「いや、別に……」
シャフリネから素直にお礼を言われたリカードは、少し照れくさそうに自身の茶髪を指先でポリポリと掻き、またふいと視線を逸らした。
それは先ほど、至近距離で彼女の美しさに見惚れ、ほんの少しだけシャフリネを意識してしまった瞬間だったからかもしれない。
一方のシャフリネは「よかった」と安心した表情で彼を見つめ返していたが、恋愛に疎い不器用なリカードが、今自分の中に芽生えたその感情の正体を理解することは、まだなかったのだ。
「じゃあ、私は見張りに戻るから。私のお願い、頼むね」
「あぁ、わかった」
シャフリネが再び王都の外の森へと視線を戻すと、リカードは「じゃあ、また明日な」と言い残してその場を去っていった。
一人残されたシャフリネは、ぼそりと不満げに呟いた。
「しかし、リカードのやつ。あれ、絶対に嘘をついているわね。……まぁ、長年の付き合いだから、これ以上強く追及はしなかったけど。それに、あのときの反応……」
シャフリネは、彼が急にふいっと目を逸らしたことを不思議に思っていた。いつもならお互い、もっと涼しい顔で接しているはずなのだから。
「まぁ、私みたいな可愛い女の子に至近距離で見つめられたら、あんな顔にもなるか……って、何を言ってるのよ、私!」
自分で口にした冗談に少しだけ照れてしまったシャフリネ。だが、彼女もまたそれが恋だとはまだ気づいておらず、「はぁ、見張りを続けてさっさと忘れようっと。どうせ、リカードも私のことなんて意識するわけないしね」と呟きながら、再び見張りの任務へと戻っていった。
***
その一方、王城の北側に広がる貴族街の端。そこに、大きな屋根がそびえ立つ、二階建ての広大な屋敷があった。
王家にも装飾品を納める、アベット公爵邸である。
そして今、当主の娘であるレーナ・アベットは、自室の机に向かい、近々父に提案する新作装飾品のデザインを練っていた。
すると、トントンと控えめなノックの音が聞こえた。
「誰かしら?」
「私です、レーナお嬢様……」
「リミアね、入りなさい」
「はい」
レーナの許可を得て部屋に入ってきたのは、この屋敷で三年ほど彼女に仕えている、二十代前半のメイドだった。後ろで綺麗にまとめたオレンジ色の髪と琥珀色の瞳を持ち、白と青のメイド服に身を包み、黒手袋をはめた彼女の名は、リミア・ベイリル。
そして、自身の机で装飾品のデザイン画と睨めっこしていたレーナは、ペンを置いて椅子から優雅に向き直った。
「何か用かしら、リミア」
「はい。先ほど、王城から使者が参りまして」
「使者?」
「はい」
リミアの報告を聞いたレーナは、あまり驚く様子を見せずに、「ようやく、来たのね」と小さくつぶやいた。ナセドのことだから、何か言ってくるだろうと予想がついていたのだ。
「リミア、その手紙を渡しなさい」
「はい、わかりました、レーナお嬢様」
リミアは言われた通り、使者から受け取った白い封筒に、赤い封蝋が施された手紙を恭しく差し出した。
「ええっと、何かしら……」
レーナは机の上に置かれていたペーパーナイフを手に取って手際よく封を切ると、中から便箋を取り出してパッと広げ、目を通し始めた。
『レーナ・アベット殿。明日のお茶会は予定通り開催する。あと、君にはまだ詳細を伝えていなかったが、大事なことなので前もって言っておく。当日来る大切な客人――君が不快に思うかもしれないその相手は、平民の娘だ』
「ふふん、ようやく認めたのね」
「どうかなさいましたか?」
手紙の内容を目にして悪い笑みを浮かべたレーナに、不思議そうにリミアが尋ねる。すると、レーナはすぐに真面目な顔を取り繕い、「なんでもないわ」と返した。
『当日、会っても粗相のないようにな。間違っても、彼女を虐げるような真似はしないように』
(全く、ナセド殿下ったら。ここでもまだ名前を隠すのね。彼が言ったレレナという名を、私はとっくに存じておりますのに。そうやって必死に平民の娘を守ろうとするところも、本当にお可愛らしいこと。ええ、手出しなどいたしませんわ。私は誇り高き公爵令嬢ですもの。ただ、明日のお茶会で思い知らせてあげるだけ……私が次期国王の妃にふさわしい、本物の淑女だということをね……)
悪い笑みを浮かべたまま明日に向けての決意を固めていると、リミアが横から口を挟んできた。
「レーナお嬢様、それは明日のことが書かれている手紙なのですね」
「そうよ。でも、この手紙はお父様やお母様に渡すつもりはないからね」
「えぇ、どうしてですか?」
そう不思議がるリミアに対して、レーナは表情を崩さず、気高いまま胸を張りながら言った。
「これは私宛に届いた、大事な手紙。お父様たちに見せる必要はないわ」
(それに、そんなことをすれば、お父様たちがナセド様の想っている平民の娘に、どんな嫌がらせをするかわからないからね。私は卑怯な真似はしない。正々堂々と臨むのが私の性分なのよ)
レーナは高貴な公爵令嬢であっても、正々堂々と勝負に臨む主義の持ち主だった。ここでこのような手紙を親に見せれば、大人が介入してくるのは明白だ。逆にそんなことをすれば、ナセドから心底嫌われることが分かっていた上での判断であった。
「ともかく、リミア。この手紙の内容については内緒よ」
「はい、承知いたしました」
少し気になったリミアだったが、レーナお嬢様のことだから、明日のお茶会に向けて何か考えがあるのだろうと深くは追及せず、納得の色を見せて素直に従った。
「……よし」
そう明日に向けて意気込むレーナは、知る由もなかった。明日やって来る平民の娘――レレナが、自分の想像を遥かに超える存在だとは。




