第11話 初めてのドレスの着付け
リーアさんにドレスを頼んでから三日後。お茶会を明日に控えた今日、私は昨日ファナおばさんから休みをもらい、親友の仕立て屋の扉の前に立っている。
私はひどく緊張していた。これから、リーアさんが自信満々に「最高だ」と言って作ってくれたドレスを初めて身につけ、その着方を教えてもらうのだから。
「……よし」
私は息を整え、『いざ』と意を決して扉を開けた。それはまるで、レストランで働く平民の私とは違う自分になろうとしているような、そんな気がした。
「おっ、やっと来たわね。レレナ」
そう言って、店の中で私を出迎えたのは、カウンターの前に立ち、私が来たのを見て左手を挙げて笑顔を向けているリーアさんだった。
私はカウンターの方へと歩みを進め、リーアさんに笑みを浮かべ、少し首を傾けて「今日は、お願いしますね」と言った。
「おっけー」
やる気満々なリーアさんはカウンターの下から、青と黄色のフリルのついたドレスと、あの恥ずかしい、ドレスの中に着る服が畳まれたものを取り出してカウンターに置いた。
「じゃあ、私と一緒に来て」
「はい」
そう言ってリーアさんに促されるまま、私はカウンターを抜けた。リーアさんは畳んだドレス一式を抱えて奥の扉に手をかけ、私たちは中へと入った。
普段はリーアさんが出入りしている場所でもあるようだ。どうやらそこが、今回仕立ててもらったドレスを着る試着室になるらしい。
部屋の中は少し広くなっており、右側に置かれたトルソーには、扉の外の店内にはない色とりどりのドレスが飾られていた。そして、反対側には等身大ほどの大きな姿見が置かれている。
その中央には丸テーブルが置かれ、奥にはもう一つ扉があった。おそらくその奥が、リーアさんが休憩したり、そこで暮らしたりしている場所なのだろう。
「さて、じゃあまずは、今着ているそのワンピースを脱いで、レレナ」
「はい」
「脱いだら、そのワンピースはテーブルに置いてね」
私はリーアさんに言われるがまま、ワンピースを脱いでテーブルに置いた。
「……やっぱり、恥ずかしいわ」
頬を赤らめて恥ずかしそうな声を上げながら、改めて今の自分の姿を見下ろしつつ、私はリーアさんの指示に従って着替えを始めた。
「まずは、あんたが恥ずかしがっていたそのガーターベルトを巻くわよ」
「はい……」
真面目な顔で指示を出すリーアさんに対し、私は恥ずかしさを懸命に抑えながら、渡された白いガーターベルトを両足に巻いた。さらに、畳まれていて最初は気づかなかった、専用の白い長い靴下も慎重に履いていく。
「……はぁ、何度も思うけど、恥ずかしいよ。リーアさん」
改めてそのガーターベルトを身につけた自分の姿を見て、私は恥ずかしさを抑えきれなかった。たとえ誰にも、いや、ナセド様に見られることはなくても、やはり慣れない格好に気恥ずかしさを隠せないのだ。
「そんな恥ずかしい顔をしないのレレナ。まだ次があるんだから」
そう言って、どこからかリーアさんは丸テーブルに置かれた青と黄色のフリルのドレスとは別に、畳まれていない白い布のようなものを見せてきた。
「それは?」
「あんたの腰に巻くものだよ」
腰に巻くものなんて、聞いてないわ……! でも、きっとドレスには必要なのよね。私がさらなる恥ずかしさと不思議さを浮かべていると、リーアさんが得意げに言った。
「これはドレスに欠かせない、コルセットさ」
「コルセット……?」
見慣れない単語を聞いて私は首をかしげた。すると、リーアさんはそれを持って私の背後に回った。
「……そう、これはこうするの」
何の説明もなく、リーアさんは私の腰にそれを巻いた。
だが――。
「ちょっ、これは……っ!」
とてつもなくきつい。まるで、胸のあたりまで締め付けられるような感覚だ。しかし、リーアさんは手は止めず、きついことを告げた。
「レレナ、我慢しなさい」
それから数秒後……。リーアさんは手で額に残った汗を拭い、ふぅーと吐息をはいた。
「よし、これでよし」
「……」
私は黙ったまま、コルセットを締め上げたリーアさんをじと目で睨みつけた。それは、何も聞いていなかったことへの抗議の表れだった。
「何、その目……?」
「だって……」
(ええと、これなんだっけ……。あまりのキツさに、リーアさんが言った名前を忘れそうになったわ。あっ、そう、コルセットだわ)
私は自分の腰に巻かれたコルセットを見下ろしつつ、少しだけ怒り交じりにリーアさんへと口を尖らせて抗議した。
「ものすごくきつかったですよ。リーアさん」
「はぁ、まったくあんたね。一応言っておくけど、レレナ。このコルセットはね、ドレスには絶対に必要なものなの。貴族のお嬢様たちだって、みんなこれを巻いてドレスを着るんだから」
「必要……じゃあ、リリアーナ様も」
「うん、そうよ」
(なるほど……リリアーナ様も、あの美しいドレスの下で、こんなにきついものを着けているのね。でも、あの威厳のある態度を見るに、きっとコルセットくらい平気なのかもしれない。ナセド様も『リリアーナは強い』って言っていたし……)
リーアさんの頷きに私は納得した。あんな暴言を吐かれたけれど、やっぱりリリアーナ様は改めてすごい人なのだと見直してしまう。それに、あの時のことを思えば、少し可愛いところもあるしね。
「けど、これは一人じゃできないから、本番ではあんた、宿にいるイフェドさんの奥さんかファナおばさんにでもやってもらいなさい」
「はい、わかったわ。リーアさん」
宿にファナおばさんはいないので、手伝ってもらうとすればイフェドさんの奥さんくらいだ。宿に帰ったらさっそく着付けの手伝いをお願いしようと、私は頭の中で帰ってからの段取りを組み立てた。
「さて、次はお待ちかねのドレスの時間よ」
そう言って、リーアさんは丸テーブルに置かれていた青と黄色のフリルのドレスを手に取り、私に手渡した。
「じゃあ、私の言う通りにやりなさい」
「はい」
そして私はリーアさんの指示のもと、ドレスに両腕を通した。少しリーアさんに手伝ってもらいながら背中のボタンを留めていき、着付けが終わると、すぐさま姿見の前に立った。
「これが私……」
両手を頬に当てて、私は自分が着ている姿に改めて驚いた。何故なら、普段着ている仕事着やさっきまで着ていたワンピースとは比べ物にならないほど、美しかったからだ。
上品な胸元やスカートにはフリルがあしらわれ、袖口には繊細なレースが施されている。そして何より、全体がナセド様の瞳や髪と同じ色合いで美しく仕立てられていた。
「可愛い……」
自分のことを可愛くないと思っていた私が、つい『可愛い』と口走ってしまった。それを見たリーアさんが、ニヤニヤしながら呟いた。
「あれあれ? この前、自分では可愛くないって言ってたような?」
「ハッ、リーアさん、今のは違うからね!」
自分の姿にうっとりしていた私はハッと我に返り、頬を赤く染めて左手を振って否定するも、「ハイハイ」とリーアさんは楽しそうに微笑んだ。
(……あぁ、つい自分から可愛いと言ってしまった。まぁ、こんなドレスを着たらそう思ってしまうのも無理はないかな。でも、この姿を見たナセド様は可愛いと思うかしら。もし言われたら嬉しいな。けど、私、もう少し自信を持った方がいいのかな。可愛くないっていう思い込みは……いや、今は考えることでもないかな)
私は自己評価についての悩みを一旦、脇に置いて、今の自分の姿に見惚れた。けれど、鏡に映るこの姿は、リーアさんの技術と、この特別な衣装があってこそのもの。本当の自分は、やっぱりこの下にいる、ただの平民のレレナのままだ……そんな思いが、ふと胸をよぎった。
「さて、これで完成だけど……」
リーアさんは私の姿をジロジロと見ながら、足元へと視線を落とした。そこにあったのは、私がいつも履いている茶色の革靴だった。
それを見たリーアさんが、険しい顔で声をかけた。
「あんた、ドレスはいいけど……その靴で行くの?」
「あっ」
私は言葉に詰まり、目を丸くして固まってしまった。靴のことなんて全然考えていなかったし、むしろ完全に頭から抜け落ちていたのだ。
(しまったわ。そういえばそうだ。ドレスのことで頭がいっぱいで、一番重要なことを見落としていた。靴だわ。確かに、この靴は履いていけない。あのリリアーナ様が履いていたような、ヒールのある靴がなきゃ……!)
「どっ、どうしよう。リーアさん」
動揺を隠しきれない私が慌てて近づいて尋ねると、リーアさんは『全くしょうがないな』と、親友らしい優しさが見え隠れするような苦笑いを浮かべた。
「全く、レレナったら、肝心なところが抜けているんだから……」
「だって……!」
靴のことなんて頭になかったのだから、と私はまた強く抗議した。
「まぁ、そうよね。全部が初めてで、頭に入っていなくても無理はないかもしれないわね」
「そうでしょっ、リーアさん」
私がそう言い返すと、リーアさんはそれを遮るように「……ちょっと、待っておきなさい」と真面目な顔で、強い口調で告げ、そして奥の扉を開けて中へと消えていった。
それから、扉の奥からガタゴトと物音が聞こえ、「あった、あった!」と何かを見つけたリーアさんの大きな声が響いた。
数分後に出てきた彼女の左手には、白いリボンがあしらわれた薄い桃色の、とても綺麗なヒールが握られていた。
「それは……?」
私がそれを指さして、何なのかと不思議そうに問うと、リーアさんは手にしたヒールを自慢げに掲げた。
「これは、あんたのドレスに合わせたヒールよ」
「私のドレスに合わせたヒール……?」
そんなものを持っていたんだ……。私はそのヒールを見つめ、不思議に思って首を傾げた。何故なら、ここは色々な服を置いている仕立て屋であり、靴なんて店内には一つも置かれていなかったからだ。
「どうして、ここって服屋でしょ。何故、それがあるの?」
私がそう尋ねると、リーアさんは得意げな表情を崩さずに口を開いた。
「何故って?それはね……あんたに言ってなかったけど、一応、私、靴も作れるのよ」
「えーっ、靴も……?」
私はさらに驚いた。服やドレスしか作れないと思っていたから、まさか靴まで作れるなんて。驚きの顔を浮かべつつも、まだ疑問が残っていた私は、それをリーアさんに問いかけた。
「でも、どうしてそれは扉の外の店内に置かないの?」
「置かない理由ね。あんたがうちに来る前は置いてはみたんだけど、個人的にどうもしっくりこなくてね。だから、お客様から『欲しい』って要望が出た時だけ出しているのよ」
「なるほど、そうなのね」
リーアさんには、そういうこだわりがあるんだ。私にはそこまでのこだわりはないけれど、職人魂の塊であるリーアさんならではの考えなのだろうと納得して笑みを浮かべつつ、私は心の中でその言葉を受け止めた。
「それじゃあ、これを履いてみて。あんたの靴を見た感じ、多分このヒールが絶対に合うはずだから」
それは、私の靴のサイズを見抜いた、職人の目利きならではの発言だった。そこまで分かるんだと感心しながら、私はリーアさんからそれを受け取ると、茶色の革靴を脱いで、ゆっくりとヒールを履いた。
「よし、履いたわね。どう、初めてヒールを履いた感想は?」
そう聞かれて、軽く足踏みをしてみると、私は少しよろけそうになった。
「あっ、おっと。これ、少し歩きづらくない?」
「歩きづらいって、あんたねぇ。……他の貴族やリリアーナ様だって、ヒールを履いているのよ。あんたがその調子じゃあ、バカにされるわよ」
「ぐっ」
ぐうの音も出ない。確かにそうだ。あのリリアーナ様は、これを軽々と履いてやって来たのだ。コルセットだってそうだ。なのに、私がこれじゃあリリアーナ様を見返すどころかバカにされてしまうかもしれないわ。そんなことになったらナセド様に合わせる顔がない。それに、淑女の礼だってまだ少ししか練習していないのだし。
改めて現状の危機感を理解した私は、左拳をギュッと握りしめて、リーアさんに向かって強く言い放った。
「リーアさん、私、頑張るわ。ヒールの歩き方も、さっきのきついコルセットも、淑女の礼のことも!」
私が決意を固めてそう宣言すると、リーアさんは一度笑顔を向けた後、「えぇ、その意気よ。だけど……」とスッと真顔になって私の顔を見つめた。
「え?」
「はぁ、やっぱりこれだけじゃあ、あんたの魅力は完全に伝わらないわ。こうしないと」
「こうしないと……?」
聞き返しながら不思議そうな顔をする私に近づくと、リーアさんはスッと左手を伸ばし、後ろで束ねていた私の髪の紐を解いた。
すると、桃色の髪がふわりと下ろされ、背中へさらりと流れた。
「えっ、何を……?」
「……やっぱり、あんたは紐を結ばない方がよっぽどいいわ」
「よっぽどいいって、何が? 私の髪なんて、これでいいじゃないの? 少し邪魔になるだけだし」
だって、髪なんて束ねておいた方がいいわ。故郷でもいつもそうしていたし、お茶会に行く時だってその方がいいはずよ。顔が隠れてしまうし、それに、髪を下ろした姿なんてナセド様は気にしないはずだわ。
私が真面目な顔でそんなことを考えていると、リーアさんは自信に満ちた笑顔で言った。
「邪魔? あんた、こんなに可愛いのに。もう一回、その姿見を見てみなさいよ」
「あっ、はい」
その言葉に促され、私はゆっくりと振り返り、再び姿見を見つめた。
そこに映っていたのは、リーアさんが作ってくれた胸元にフリルがあしらわれたドレスとヒールを身にまとい、桃色の髪を下ろした私の姿だった。
それは、さっきとは比べ物にならないほど美しく、まるで貴族のような姿をした女性だった。
「これが……髪を下ろした、私……?」
「これでも、まだ自分を可愛くないって言えるかしら、レレナ」
私の後ろで力強く断言してくれたリーアさんの言葉に、私の中で『自分は可愛くない』という悩みがだんだんと崩れていくのを感じた。
そうか。私は自分で勝手に、可愛くないと思い込んでいただけなんだわ。
この素敵なドレスを着た自分の姿を見て、ようやく確信できた。本当は、私だって可愛い女性になれるんだと。
ふと、「可愛くない」と言い放ったリリアーナ様の言葉が脳裏をよぎる。でも、あれはいつもの給仕の姿の私のことだ。今の姿は違う。
これなら、あのリリアーナ様を見返せるし、ナセド様にも『可愛い』と言ってもらえるかもしれない。
(でも……いくらドレスを着飾っても、私がただの平民の娘だというところは変わらない。こんな夢みたいな姿でいられるのは、今だけよ。お茶会の間、今だけなんだから……)
自分の可愛さに見惚れつつも、自分が平民の娘だという現実は決して忘れない。私がそんな思いを抱きながら姿見を見つめていると、リーアさんが後ろから近づき、ポンと左手を私の肩に乗せた。
「レレナ、これであんたに教えることは終わりよ。今日教えたこと、ちゃんと覚えておきなさい。あんたの気持ちはその姿でしっかり伝わるから。……あと、前にも言ったけど、私の評判を上げること。それも忘れないでよね」
「うん、わかったわ。リーアさん、何もかも本当にありがとう。私一人じゃ、どうにもならなかったもの」
「別にいいってことよ。私たち、親友でしょ」
「うん」
リーアさんは、仕事の斡旋や住む場所まで手伝ってくれた、優しくて頼りになる親友だ。さらに今回は、こんな素敵な服や靴まで用意してくれた。この感謝の気持ちは、これまでも、そしてこれからも絶対に忘れない。
そう心に決めた私は、ドレスを脱いでいつもの平民のワンピース姿に戻った。そして、リーアさんが綺麗に畳んで、この日のために用意してくれた鞄に入れて渡してくれたドレス一式を受け取った。
「じゃあ、またね、リーアさん!」
「えぇ、またね、レレナ」
私がとびっきりの笑顔を向けると、リーアさんも優しい笑顔で送り出してくれた。私は仕立て屋の扉を開けて、外へと駆け出した。
「もう、いつの間にか夕暮れになっていたのね」
どうやら、着付けやヒールの練習でだいぶ時間がかかっていたらしい。でも、私はそんなことは気にせず、力強く前へと歩き出した。
明日のお茶会に向けて――。




