幕間6 すれ違いの二人とリリアーナの乱入
ほぼ毎日のように通っていたナセドは、お茶会の返事を聞いて以来、レレナには会えていなかった。
そして、ようやく王子としての責務や妃候補レーナや他の貴族への対応を終えて、二日ぶりにレレナの働くレストランにやってきたのだ。
(少し来られない日が続いたが、今日はいるだろうか?)
心配そうな顔で、ガラス越しに店内を見据える。しかし、当の本人のレレナはここにはいない。何故なら、今、彼女はナセドのために素敵なドレスを作ってもらおうと、リーアの仕立て屋に足を運んでいるからだ。完全なすれ違いである。そうとも知らずに、ナセドはレストランの中へ足を踏み入れた。
天井に吊るされたランプが少し揺れる中、(……レレナがいない。また、厨房かな?)と思いつつ、ナセドはあたりを見回しながら、いつものテーブル席へと向かった。他のお客たちは彼が来るのにすっかり見慣れているのか、気に留める様子もなく普通に食事を続けていた。
そして、テーブル席に座ったナセドはとりあえず、その上に置いてあるメニュー表を手に取り、ただ見つめた。すると、厨房の奥から、この店の店主にして料理人である、白髪混じりでくせ毛が目立つファナおばさんが顔を出した。
「あっ、いらっしゃい、殿下」
畏まらず気さくに声をかけてくるファナおばさんに対して、ナセドは何も咎めなかった。何故なら、ほぼ毎日通っているうちに、ナセドが『他のお客さんと同等の扱いでいい』と伝えてあるからだ。
「あのう、ファナおばさん?」
「なんだい?殿下」
「今日、レレナは……?」
真面目な顔をしたナセドがメニュー表をテーブルに置き、膝に手をついてファナおばさんの方へと身を乗り出すと、おばさんは薄い笑みを浮かべて答えた。
「あぁ。今日はね、あの子は殿下のために、自分に似合うドレスを買いに、親友がやっている仕立て屋に行っているよ」
「そうか、レレナが服をか……」
ファナおばさんの話を聞いたナセドは、真剣な表情で俯き、考え込んだ。身分のことはなんとかすると考えてはいたが、さすがに、ドレスのことには、全く考えが及んでいなかったのだ。というよりも、そういった知識すらなかったのである。
(今日会えないのは仕方ない。でも、レレナが着る服がどんなものか……少し楽しみだ)
レレナのドレス姿を想像し、柄にもなく胸を高鳴らせつつも、ナセドは気を取り直して、ファナおばさんに「仕方ない、いつものを頼むよ」と料理を注文した。
「あいよ……。それと、殿下。少し言いにくいことなんですが、よろしいですか?」
「ん?なんだ?言いにくいこととは?」
ファナおばさんは言いにくそうな顔をして、真っ直ぐに見据えてくるため、ナセドは不思議そうな顔を浮かべた。
しかし、この後おばさんの口から語られる内容に、ナセドは大きく驚愕することになる。
――昨日、あのリリアーナがこのレストランにやってきた、という事実に。
「実はですね、殿下。昨日、殿下の妹君であるリリアーナ王女様が、うちのレストランにいらっしゃいましてね」
「なんだと?あいつがこの店に来ただと?」
おばさんから誰も予期せぬ事実を聞かされて、ナセドは目を見開き、顔をしかめた。
無理もない。あのリリアーナが、よりにもよってこの店に来るとは、彼ですら予想できなかったのだ。
ナセドは、リリアーナがどうやってここを嗅ぎつけたのか首を傾げ、深く考え込んだ。
(あいつ、俺に黙ってここに来ていたのか?一体、どうやって……?いや、考えるまでもないか。あいつにはナットという有能な従者がいる。『俺のこと尾行しろ』と命令したんだろう。だとしたら……)
少し不機嫌な顔をしつつもナセドは「はぁ」と深いため息をつき、左手の指でこめかみを押さえた。
「ということは、リリアーナの従者らしき人物もいたのか?」
「はい」
予想通りだという顔つきになったナセドは、努めて冷静さを保ちながらファナおばさんを見据えた。
「それで、店や……特にレレナに何か迷惑をかけていなかったのか?」
ナセドは鋭い目つきで眉間に皺を寄せ、おばさんに尋ねた。
それは、あのリリアーナがレレナに余計なことをしていないか、という彼なりの心配から出た言葉だった。
そして、おばさんは、ナセドの質問に対し、真顔のまま答えた。
「厨房からリリアーナ様を見ていましたが……まぁ、店は少し騒がしくなったものの、たいした問題はなかったと思いますよ。ただ、リリアーナ様はあの子に、『可愛くない』と少しきついことを言っていましたけどね」
「何だと?あいつ、レレナにそんな酷いこと言ったのか?」
「はい」
(そうか……。しかし、レレナは大丈夫だろうか?いや、あいつのことだ。性格はあれだが、少しばかりの情はあるはずだよな。だが、可愛くないと暴言を吐くのは聞き捨てならない。帰ったら説教を……)
リリアーナに対する少しばかりの怒りと、レレナを案じる気持ちを抱きながら、そう決意を固めていると、ファナおばさんが、再び薄い笑みをナセドへ向けて、こう告げた。
「そんなに怖い顔をしなくても大丈夫ですよ、殿下」
「はぁ、大丈夫だとは、どういうことだ?」
妹に説教を、と決意を固めかけていたナセドは、おばさんの思いがけない一言に、頭の中にいくつもの疑問符が浮かんだ。再び不思議そうな顔で聞き返すと、おばさんは事の顛末を語り始めた。
「半分はリリアーナ様のお付きの方のおかげもありますが……殿下の妹君はしっかり謝ってくれましたよ。少し素直じゃありませんでしたけどね」
「あのリリアーナが謝ったのか?」
ナセドは驚きを通り越して、言葉が出ないほどの衝撃を受けた。それは、自分の妹の性格をよく知っているからこそである。たとえ、従者に促されたとしても、あのプライドの高いリリアーナが赤の他人に対して頭を下げるなんて、そう簡単に想像できるわけがなかったのだ。
「そうか……。ナットのやつ。上手くやったんだな」
レレナに謝ったというリリアーナに対して、ナセドはほっと胸を撫で下ろし、安堵の表情を浮かべた。しかし、それでもわずかな怒りの色は消えていなかった。
「だが、たとえ謝罪したとしても、この店に少しだけ迷惑をかけたことやレレナに『可愛くない』って言ったことは、看過できない。ファナおばさん、俺から少しだけキツく言っておくよ」
レレナを思うナセドの誠実な気遣いに、ファナおばさんは嬉しそうな表情を浮かべつつも苦笑した。
「ありがとうございます。殿下。でも、リリアーナ様への説教はほどほどにね。レレナ本人からも『ちゃんと謝ってくれたから平気です』って、何事もなかったかのように笑いながら仕事をしていましたから。それにあの子は優しいから、もし自分のせいで妹君と殿下が喧嘩でもしたら、きっと悲しい顔になると思いますよ」
「なるほど、わかった。善処しよう」
ファナおばさんの話を聞いて、ナセドはレレナらしい優しさに、半ば呆れ、半ば愛おしさを覚えた。
そして今日も、彼女がいない店内で食事を済ませると、ナセドはテーブルに硬貨を置いて立ち上がった。
それを見たファナおばさんが、慣れた様子で硬貨を回収しながら、「今日もありがとうございました」と声をかける。ナセドは軽く頷き、そのまま王城へと戻っていった。
だが、おばさんに善処すると約束したものの、自分に内緒で勝手にレストランへ出向いた妹には、やはり兄としての怒りを覚えていたのだ。
約束を半分だけ守って、リリアーナに『少しだけ』きつい説教をするべく、ナセドは王城への道を急ぐのだった。




